狂気の総帥邸
「あ〜ん、悠馬膝の上に座らせてほしいな〜」
「はい…」
甘く戯れたような猫撫で声のソフィアは、悠馬の膝の上に座りながら微笑む。
怖い。周りの視線が怖い。
ソフィアは現在、オフモードではなく総帥モードなため、良い意味でとにかく目立っているというか、視線を集めている。
そりゃそうだ。ソフィアはこの国の総帥、つまりトップなわけで、この国で知らない人間なんていない。
そんなソフィアが外国人の男とイチャイチャしてるのだから、イギリス支部の国民からすると気になるだろう。
特にソフィアのファンであろう中年層の紳士諸君は、今にも異能を使いだしそうな形相で悠馬を睨みつけている。
敵意や殺意に敏感な悠馬は、自分の行動(ソフィアの行動)が反感を買っているのだと知り、若干青ざめている。
「ソフィア、離れないか!」
「チッ、邪魔者…」
「な…!なんだと!?」
痺れを切らしたオリヴィアに、半ば強引に悠馬から引き剥がされるソフィアは小さな声で毒づく。
一触即発という単語が相応しいほど凍りついたオリヴィアを見た悠馬は、彼女に向けて慌てて手を伸ばすと、口を塞いだ。
「落ち着け、オリヴィア」
この2人がこの場で争えば、店どころか街ひとつ数分で消し飛ぶ。だから絶対に、実力行使だけは止めなければならない。
以前の留学時と違ってこの場で最もレベルが高いのは悠馬なのだから、最悪の場合は防ぎ切れるが、事件は起こらないに越したことはない。
ソフィアが疲弊していることを知っているだけに、悠馬はオリヴィアの反感を抑え込みながらソフィアの手の甲に触れる。
「悠馬がそれでいいなら…」
「ありがとう、オリヴィア」
ちょっぴりしょんぼり模様のオリヴィアに優しく微笑みかける。オリヴィアはソフィアに嫉妬をして文句を言ったわけではなく、純粋に周りの反感が悠馬に向くからやめろと言いたかったのだ。
悠馬が許可した以上強く出れないオリヴィアは、すぐに大人しくなる。
「ところでソフィ、ずいぶんと疲れてない?」
「ええ…どこかの総帥候補が思った以上にバカでね」
「ああ…」
質問に対し、どこか遠くを眺めるようにして呟いたソフィア。
その仕草だけでも、彼女が誰のことをバカと言っているのか瞬時に理解できた気がする。
オリヴィアもソフィアの言うバカが誰かわかったのか、苦笑いをしながら紅茶を口へと運んだ。
「フレディ、そんなにバカなのか?」
「…実力面においては飲み込みが早くて助かるんだけど、他の業務がどうもダメで…第一、お人好しすぎ」
「ああ…」
フレディは実力はあるものの、お人好しだ。
誰にだって優しく接するし、フェスタの時だって、相手を威嚇することもなく、和やかな雰囲気で覇王の発言を許してくれた。
しかしそんな行動は、総帥に向いていない。
何故なら総帥は国の顔ともいえる存在で、同格の国同士で話し合う場に立ち続けなければならないのだ。
世界会合を見ればわかるだろうが、各支部は大して仲が良くないし、アメリカ支部とイタリア支部に限っては毎度ギクシャクしている。
そんな中でイギリス支部総帥がフレディになれば、見下されなんらかの不都合が起こってしまうかもしれない。
ソフィアは外見上では完璧を演じてきたため、各支部からも認められた存在になっていたが、フレディが就任することにより、ソフィアの積み上げてきた地位が何もかも崩れる可能性すらあるのだ。
「それと、無茶な書類でも頼み込まれると承認するの。…おかげで二度手間」
「それは…」
頭を抱えながら話すソフィアに、悠馬は夕夏を一度見る。
今の話は、夕夏にも通ずる何かがある。
彼らは、ルール上無理だと言われたことでも、禁止されていることでも、頼み込まれると中々断ることができなくなってしまう。
どうにかして意見を通してあげよう、可能な限り尊重してあげようと試行錯誤した結果、自分に最終決定権があれば、ついつい承認してしまう。
それが自分が不利益を被るものだとしても。
そして見習いのフレディがダメなものを承認すれば、当然それはソフィアの失敗になる。
「おかげで業務は2倍。総帥邸にいる時間も2倍」
「お疲れ様です…」
「何のために仕事しているのかしら…」
どうやらソフィアは、かなり疲弊しているようだ。
病んでいるとも取れる発言を始めたソフィアに、悠馬は慌てて彼女の頭を撫でる。
「で、でもあと1年すればソフィと俺は…」
「あ〜ん!そうだった!あのバカが卒業すれば総帥選挙が始まるから、あと半年がんばればお終い!」
そう、あと半年の我慢なのである。
悠馬の話、1年後の話を聞いて自身の任期終了が近づいていることを思い出したのか、ソフィアは嬉しそうに足をバタつかせながら悠馬に抱きつく。
「ふぐぅ…」
女の子って、いい匂い。
抱きつかれたことにより、ソフィアの豊満な胸が押しつけりる感触と、シャンプーの匂いが香り、危うく理性を失いそうになる。
「ソフィアさま、それ以上の密着はご遠慮ください。貴女はまだイギリス支部総帥で、悠馬さまはただの学生なのです。悠馬さまを面倒ごとやスクープにされるわけにはいきません」
「あっ…ごめんなさい」
悠馬が許したため目を瞑ってくれていたのかもしれないが、これ以上はダメだと判断したセレスは、ソフィアを止めに入る。
ソフィアは自分の現在の立場を思い出したのか、セレスの指摘を受けると咳払いをして、悠馬の膝から飛び降りる。
「セレスさんって有能だよね…」
「うん…」
そんな話が、耳に入ってくる。
確かに、夕夏と美月の言う通り、セレスは有能すぎる気がする。
いや、気がするのではなく事実有能なのだ。
何でもできるし配慮もできる、周りの様子や動向だって瞬時に見切れるのだから、有能という言葉が相応しい。
現異能王のエスカだって、セレスのおかげで切り抜けてきた修羅場は多いし、これは一家に一台欲しいレベルの有能な存在だと思う。
「ソフィアさま、お時間の方は?」
「……ねぇ、私時間に追われながら昼休憩するのは嫌なの」
「大丈夫ですかと聞いているのですが?」
「待って!まだお茶も飲んでない!私まだ悠馬と少ししかお話…」
ティーカップを片手に目を閉じるセレスは、ツンとした表情でソフィアへと厳し目の発言をする。
ソフィアは慌てて言い訳をしようとするが、彼女の発言から察するに、昼休憩にしたって大した時間を貰えていないようだ。
この場に来てまだ15分程度しか経っていないのに言い訳を始めるあたり、おそらくあと数分で業務に戻らなければならないのだろう。
「はぁ…仕方ないですね。ソフィアさまとアメリアさまが承認してくださるのならば、私がその総帥見習いを指導しても構いません」
「え!?本当!?」
「そちらの方が早く片付いて、楽になると判断しました」
「ボクも手伝おうか?書類整理ならロシア支部でもしていたし」
「セレスティーネ、ルクスぅ…!」
「…いいんでしょうか?」
「さぁ?」
セレスとルクスの申し出を聞いて、嬉しそうに2人に飛びつくソフィア。
そんな彼女たちを見つめる朱理と花蓮は、微妙そうな表情で互いに顔を見合わせ、首を傾げた。
本来、総帥の業務とは総帥と総帥秘書が行わなければならないものであり、特例として冠位の干渉までは認められている。
しかしその特例の中に、他支部の元冠位や、元戦乙女隊長などは認められない。
つまりは何もかも自己責任になるわけだ。
この場にいるセレスとルクスに限っては大丈夫だろうが、2人が悪さをしようとイギリス支部の情報を抜き取ったところで、その責任は全てソフィアに向かってしまうのだ。
あまりにもリスクが大きすぎる申し出をさらっと受け入れたソフィアに恐怖を感じる朱理は、彼女の紫色の瞳を見つめながら小さなため息を吐いた。
「はぁ…」
***
「承認印鑑承認印鑑承認印鑑…」
「よしよしダメよし…」
パラパラと書類をめくる音と、不気味な儀式のような声が綺麗な室内に響く。
日本支部総帥邸のように、片付き最適な環境であろうイギリス支部総帥邸の一室では、血走った目で書類をめくるアメリアと、目をくるくると回しながら印鑑を押すフレディの姿があった。
この光景だけ見ると、中学生程度ならば恐怖のあまり失禁してしまうかもしれない。
それほどに、イギリス支部総帥邸の室内は狂気に満ちていた。
扉が開いても気付く様子のないフレディとアメリアを見て、悠馬は背筋を凍らせる。
「俺も…卒業したら…」
こうなるのか…?
そんな不安がよぎり、今すぐ眠って何もかも忘れたい気分になる。
「大丈夫ですよ。異能王は存在自体が抑止のようなものなので。ここまで忙しくはありません」
悠馬が何を考えているのかを読んだセレスは、優しく顔を覗かせながらそう告げた。
異能王は、総帥が処理できなかった仕事や、各支部の方針のチェックをする立ち位置で、仕事量的には各支部の1割程度。
基本的に総帥が確認した書類が最終確認として異能王の元に届くため、ある程度の手間が省けた状態で仕事ができるのだ。
しかしまぁ、抑止なのだから様々なところに出向いたり、何か問題があれば真っ先に駆けつけなければならないのだが。
「それに私がついていますので、悠馬さまがこの様になることはまずありません」
「おお…!」
セレスさん、心強い…!
元戦乙女隊長、それも異能王の右腕とも名高いセレスが明言するのだから、悠馬が仕事に追われることはないのだろう。
それを聞けただけでも、精神的なゆとりができる。
「アメリア、休憩交代の時間」
「ソフィア…もう少し…あと少しで終わるから待って」
「ダメ。貴女、昨日もそう言って休憩取らなかったじゃない」
書類と睨めっこするアメリアは、ソフィアに目もくれず言葉を交わす。
どうやらアメリアは、昨日休憩を取らなかったようだ。
心配そうな表情を浮かべるソフィアは、アメリア本人以上に彼女の身体を心配している。
「じゃあお言葉に甘えて……って!誰!?何でこんなに人が…!ソフィア!」
ソフィアの指示を受けて、渋々立ち上がったアメリアは、目の前に広がっていた光景を見て驚愕の声を上げた。
驚愕と同時に、怒りも湧いているかもしれない。
最後ソフィアを読んだ時の語尾から、明らかに怒りのトーンを感じた。
血走ったような目で周囲を見渡すアメリアの顔は、まさに鬼。悪魔に取り憑かれていると言われても納得できそうな表情に、美月は慌てて悠馬の後ろに隠れる。
「悠馬、あの人ヤバくない?」
「うん…かなりヤバそう」
ただ一つ言えるのは、前まではあんな人じゃなかったということくらいだ。
ズカズカとソフィアの元へと歩み寄ったアメリアは、彼女の方をガシッと掴み、大きく揺らす。
「アメリア。流石にこの人数じゃ捌き切れないと思うの」
「でも…それは!」
ソフィアの言葉に、アメリアは喉を詰まらせる。
イギリス支部総帥邸は、日本支部の総帥邸と同じく広大な敷地を保有しているものの、その中で仕事をする人の数は片手で数えられる程度しかいない。
その理由は、ソフィアの素顔が見られてはならないから。
警備を除けば、アメリアとソフィア、そしてフレディしかいないという環境で仕事をしているのだ。
それは寺坂や鏡花ですら厳しいと判断するもので、だからこそ暗黙の了解で、各支部は優秀な人材を雇って書類整理をさせているのだ。もちろん、それは限りなくグレーゾーンなのだが。
自分たちの状況を知っているからこそ、ソフィアに言い返せないアメリアは、額に手を当てながらため息を吐く。
「責任、とれませんからね」
「ええ。セレスティーネ、ルクス。お願い」
「はい」
「うん」
微妙な表情のアメリアから承認してもらい、セレスとルクスは業務に取り掛かる。
「悠馬さん。すこしお時間よろしいでしょうか?」
2人の業務を見ていると、そんな声が脳内に響く。
「聖魔?なんだ?」
「すこし怪しげな気配がイギリス支部の中にありますねぇ」
「…!」
聖魔の声に耳を傾けると、そんな意味深な発言が聞こえ、悠馬は表情を変える。
変えると言っても、周りに悟られるような大きな表情変化ではなく、ピクリと反応したほどだ。
いつもとほとんど変わらぬ表情の悠馬は、背後に立つ美月へと振り返ると、彼女の耳元に手を当て、小さな声を上げた。
「ごめん、少し席離すから。何かあったら連絡してね」
「え?」
「お手洗い」
「あ、うん。わかった」
何事?と言いたげな美月に悟られぬよう、悠馬はそれとない理由をつけて席を離す。
このご時世、あのお方も混沌も消え、悪羅も落ち着いている今怪しげな行動をとるのは、いったい誰なのだろうか?
そんなことを考えながら、悠馬は廊下へと出た。




