イギリス支部へ
文化祭も終わった、11月下旬。
異能島の学校は完全に冬服に移行し、寒さに凍える季節が来たというのに、悠馬は真っ白な革の椅子にゆったりと座り、窓から外の景色を見下ろした。
その姿はどこか余裕のあるような、有名人や大金持ちが醸し出すような雰囲気で、到底一介の高校生が取るような姿ではない。
目先にかかる真っ黒な髪を払い除けた悠馬は、横でぐっすりと眠る茶髪の少女を見て思わず笑みを溢す。
「可愛いなぁ、花蓮ちゃんは…」
そう言って、彼女の頬を優しく撫でる。
日本支部異能島の文化祭は、メイド喫茶を開催した第6高校が優勝し、次点で第1、その次が第7となったものの、去年と違い絶望的な差は開かず、接戦での勝敗決定になったらしい。
…というのは正直どうでもいい話で、悠馬は現在、飛行機の中にいる。
以前イギリス支部へ留学する際に搭乗した特別な飛行機に乗る悠馬と花蓮は現在、イギリス支部へと向かっている。
まずはその理由の説明からするとしよう。
悠馬たちが現在、イギリス支部へと向かっている理由。
その理由は、まぁ端的に言えばサプライズだ。
文化祭ではイギリス支部の総帥であるソフィアが、忙しい中わざわざ足を運んでくれたというのに、これから先も毎度、彼女に負担をかけて足を運んでもらうというのは正直言って気が引ける。
お金だって馬鹿にならないし、さすがの寺坂だって、ソフィアがそう何度も行き来していたら、目を瞑れなくなってしまうはずだ。
そう考えた結果、誰が何処へ向かえばいいのかなんて、バカでもわかるだろう。
異能島は留学の受付なんてしていないが、ソフィアと悠馬の関係は以前と違って恋人同士。当然連絡先の交換だってし合っているわけで、連絡さえすれば合流だってできる。
それに留学でないなら、次期異能王といえど今の悠馬はただの学生なのだから、厳しい検査も受けず、ただの旅行客として扱ってもらえる。
「あは。悠馬さん…寝ている花蓮さんに悪さしてるんですか?」
「あ、朱理…違うから…」
花蓮の頬を撫でながら回想に入っていた悠馬は、背後からのジトっとした眼差しに気づき、慌てて手を隠す。
別に悪さをしようとしたわけじゃないが、こういう姿を見られるのは少し抵抗があるというか、なんというか…
得体の知れない羞恥心を感じる悠馬は、耳を赤くしながらそっぽを向いた。
「拗ねちゃいました?」
「…別に」
朱理の小馬鹿にしたような発言を聞きながら、悠馬は答える。
イギリス支部へ向かう飛行機に乗っているのは、花蓮と悠馬だけではなく、悠馬の彼女である朱理にオリヴィア、セレス、美月、夕夏に加えてルクスに聖魔だ。
しかし今日は土日などではなく、ごく普通の平日。
一般の学生や大人たちならば、「コイツらは学校サボって海外旅行なんて何考えてるんだ」と怒りたくなるのだろうが、これにもきちんとした理由があった。
「まさか、フェスタ開催日は国立高校全部休みだったなんてね…」
「あはは…」
そう。昨年度行われたフェスタは、第1も第7も招待校だったため知る由もなかったが、フェスタ開催日数日の間、国立高校は臨時休校になるのだ。
その理由は、フェスタ開催中も同じ国立高校が勉学に励んでいたら、授業内容に差異が出てくるのと、フェスタ期間に充てた時間に代わり、休日返上や拡大授業を行わなければならなくなるから。
まぁ、要するに全員一斉に臨時休校にした方が、どのナンバーズがフェスタに行っても何も考えなくて良くなるというわけだ。
そんなこんなで、今年はフェスタのフの字すらないのに、臨時休校が1週間分ある。
昨年フェスタに訪れていた美月は、今年初めて知った情報に不服そうだ。
その気持ちはよく分かる。
何しろ自分たちは学校行事のような形でフェスタに参加していたのに、その期間他の奴らは遊んでいたと言うのだから、羨む気持ちもあるだろう。
紫の瞳を彷徨わせながら嘆いた美月に、横に座っていた夕夏が寄りかかる。
「ところでローゼ、ソフィの位置は簡単に特定できるのか?」
「はい、お任せください。少し用事でイギリス支部に寄るため、合流するという流れになっています」
「なるほど…」
サプライズなのに悠馬たちが直接連絡をしたのでは意味がないが、大人のセレスが連絡することにより、恰も本当に用事があるように思わせ、合流することができる。
特にセレスは元戦乙女の隊長であるため、世界の各所を飛び回り人脈はそれなりにあるし、理由としては最適だ。
セレスの言葉に関心を示しているオリヴィアは、金髪を揺らしながら、何度か深く頷く。
「んん…」
「おはよう、花蓮ちゃん」
「あ…ごめん。私寝てたんだ」
とろんとした表情の寝起きの花蓮は、まだ寝ぼけているのか動きが鈍く、目を細めながら伸びをする。
そんな彼女に優しい声をかける悠馬は、伸びでズレたブランケットを掛け直してあげる。
「謝る必要ないよ。昨日も仕事だったんだし、花蓮ちゃんが疲れてるのはわかってたから」
「ん…ありがと」
花蓮は卒業と同時にアイドルもモデルもスッパリ辞めることを決めているため、それを知っている関係者たちから、徐々に仕事の量を増やされ始めている。
花蓮は人気も絶頂で、悪い噂は一切無いため、骨までしゃぶり尽くそうという芸能界の魂胆なのだろう。
視聴率もお金も沢山稼げる彼女を手放すのは勿体ないが、契約上引退を妨げることはできないし、ならば仕事量を増やして、ラストスパートと称して荒稼ぎしてもらう。
現に引退発表前の彼女に降ってくる仕事量は以前の倍近くになっているし、それで国立高校の授業まで受けているのだから、負担はとてつもないはずだ。
彼女自身はあと1年だから大丈夫だと言っているが、彼氏の悠馬からしてみると、その発言は不安でしかない。
彼女が仕事で体調を崩しやしないか、気丈に振る舞ってるだけなんじゃないかと、心が締め付けられる。
戯れた猫のように寄り掛かってきた花蓮の頭を撫でながら、悠馬は一抹の不安を抱える。
悠馬が一抹の不安を抱える一方で、真っ黒な髪に白目のない黒目男、聖魔は、1席間を空けて座るルクスを横目に、口を開く。
「ルクスさん、何をお読みで?」
「今イギリス支部で販売しているデバイスさ」
周囲の話になど耳も貸さず、自ら会話に参加することもしないルクスは、本に没頭しながら返事をする。
ルクスが読んでいる本は、イギリス支部で販売されているデバイスが全て記載されている本だ。
「ほう…そういえば私の時代も、イギリス支部はデバイス作りが盛んでしたねぇ。まさか今も盛んだとは思いもしませんでした」
「それだけ沢山の情報を知っているのに、そんな初歩的なことは知らないのかい?」
「ええ。私は興味のないことにはとことん興味がありませんからねぇ…」
博識だし、世間についても様々な情報を知っていると言えど、人間興味のないことを全て覚えておけるほど、優秀な存在ではない。
覚えておけないからコンピュータの中にデータとして情報を残すし、覚えておけないからこそ、マニュアルが存在している。
聖魔だってコンピュータほど膨大な情報を覚えておけるわけじゃないから、興味のない情報は、耳にすら入れていない。
「なるほど。デバイスは必要ないのかい?」
「私は素手でも戦えるので。別に必要ではありません」
「出たよ天才クン」
「それは褒め言葉として受け取っておきます」
デバイスなんて使わずとも素手で戦える明言する聖魔に、ルクスは冷やかすようにして呟く。
「しかしまぁ、買ってみるのも1つの手でしょう」
「へぇ?」
「生前は何度か使ったこともあるので」
聖魔はルクスの座席の横に置いてある黒の聖剣を見ながら、楽しそうに話す。
素手で戦えるため必要ないと言えど、隣の人がワールドアイテムを持っていれば興味が唆られるし、自分も久々に握ってみたいなー…などと考えてしまう。
ルクスの話を聞いて、数百年前と変わらずイギリス支部がデバイス産業で盛んだと知った聖魔は、肘置きを人差し指でコツンと叩き、闇の異能を発動させた。
「しかし、難点も多々あるでしょうねぇ」
「ああ…君のレベルだと…」
「大抵のデバイスは大破してしまうでしょう」
ルクスのレベルですら、並大抵のデバイスは出力に耐えきれず自壊を始めるのだから、聖魔が普通のデバイスを手にしたところで、おそらく使い物にならないだろう。
「神器…」
「無理でしょう。私は人の道を外れていますから。神々から見ると敵対勢力です。契約をしてくれる神はもちろんのこと、神器を貸してくれる神なんて存在しませんよ」
普通のデバイスが無理だと考えれば、必然的に浮かぶ答えは神器。
神すら手にすることのできる神器が、いくら人の道を外れたと言えど元人間如きが破壊するのはほぼ不可能で、おそらく聖魔の異能の火力にも耐えてくれる。
しかし問題は、聖魔が混沌により作られているということだ。敵が味方か不確かな聖魔に、神器を貸してくれる神々はまずいないだろう。
「難しいね」
「そうですねぇ…」
周知されているワールドアイテムは各支部が厳重に保管している国宝だから、今から手に入れるのはほぼ不可能。
新たなワールドアイテムをどこかの古代遺跡から手に入れるか、聖魔の出力に耐えれるデバイスを作れる企業を探すかの2択だが、どちらも現実的ではないため、現状聖魔がデバイスを欲したところでまともな物が手に入ることはないだろう。
「けど、イギリス支部には特別なデバイスを作る企業もあるからね」
「ほう?」
「スウォルデンのデバイスは神器に近いし、値段はかなりの物だがボクの出力に耐え切るデバイスもあった。一度店に足を運んでみたらどうだい?」
「ですが私は無職なので稼ぎがない。購入は無理でしょう」
無職、聖魔。
数百年も生きているものの、食べ物を食べずとも生きていける彼は、アルバイトや定職につく必要性がない。
何より何十年も生きているのに見た目が変わらないので定職では怪しまれるし、外見的には大人なため、アルバイトを始めようにも色々と詮索をされてしまう。
欲望も何もない彼は、数百年近く1人で過ごしてきたわけで、そんな彼がお金を持っている可能性もなく、案の定所持金はないに等しい。
「所持金は?」
「これだけです」
ルクスに尋ねられ、聖魔はどこからともなく古びた貨幣を手の上に呼び出す。
ルクスは銅色や金色のボロボロの貨幣を目にして、右頬を痙攣らせながら額に手を当てた。
「キミ、それいつの金だい?」
「私が夜空さんの眷属にされる前ですから…ざっと300年以上前でしょう」
「そんなの、使えないよ」
「やはりそうですか」
混沌と初代異能王の時代は戦争が続いていたため文献もあやふやで、これだけ綺麗に残っている貨幣は価値あるものなのだろうが、それを全てどこかで売り捌いたところで、数万円にすらならない可能性が高い。
タカが知れた金額だと判断したルクスは、呆れ気味に溜息を吐いた。
「なんだ、お前デバイスが欲しいのか?」
「悠馬クン」
ルクスが溜息を吐くのとほぼ同時に、席を立ってどこかへ向かおうとしていた悠馬。
偶然2人の会話を耳にしていた悠馬は、興味深そうな表情でルクスの手にしているデバイスの本を覗き込んだ。
「いえ、特別欲しいというわけでは…」
「いや、買えよ。俺お前に教えてほしい技があるんだよ」
「…?」
やけに乗り気というか、食い気味の悠馬は、聖魔に有無を言わせずデバイスの購入を勧める。
「しかし金銭的な問題が」
「金は俺が払う。教えてもらうんだから当然だ」
ルクスは首を傾げながら、悠馬の言葉を聞いていた。
悠馬のレベルは99。セカイを手にした悠馬は理論上、どんな異能だって使えるわけで、わざわざ聖魔に教えてもらう必要なんてないはず。
聖魔もそれを知っているからこそ、デバイス購入を強気に勧めてくる悠馬に戸惑いを隠せなかった。聖魔がデバイスを購入したところで、異能ありきの悠馬とまともに打ち合えない。
真っ黒な瞳の奥で何かを考える聖魔は、数秒沈黙すると、顎に手を当てて口を開いた。
「ちなみに何の異能を御所望で?」
「シャドウ・レイだ」
「…フフフフフ。そういうことですか。確かにアレを使うなら、デバイスがあった方がいい」
悪羅が空中庭園で放ったシャドウ・レイ。
シャドウ・レイは闇と聖の複合型異能で、この技を発動させることが可能な人間は悪羅と悠馬、そして聖魔と限定的だ。
しかも残念なことに、悠馬はまだシャドウ・レイを放つことができない。
だからおそらく、シャドウ・レイを放てるであろう聖魔に声をかけたのだ。
シャドウ・レイは聖と闇がちょうど半々の火力にならなければ、火力が高い方の異能が一方を侵食し、闇が強ければ極夜に、聖が強ければ白夜に変貌するという、かなりシビアな異能だ。
しかも聖闇の2つを兼ね備えた人間がほぼいないため、教えてもらうのも難しい。
悠馬が何を求めているのか、自分の役割を知った聖魔は、ニヤリと白い歯を見せると手を叩いた。
「いいでしょう。私が尽力します」




