憎悪
真っ暗な中、一度シンと静まり返る室内。
どこから話せばいいか迷っている様子のアダムは、数秒ほど右の手を顎に当てて考え込むと、話す所を決めたのか、話を始めた。
「Bクラスの神宮と霜野って奴知ってるか?」
2人を知っていれば話が早くなるのか、悠馬に質問をするアダム。
神宮は悠馬も知っていた。つい最近、夕夏に告白して玉砕した挙句に、逆恨みをしている勘違い野郎だ。
確かレベルは8で、生まれ育った環境が自分の思い通りにいく場所だったのか、慢心しきっていて、自分の思い通りにならないことがあれば、すぐに問題を起こすような人間だ。
「その2人がさ、ほら。この島って、何もパワー系の異能じゃなくても、入試での連携とか、異能の使い方とかで入学決まるわけじゃん?」
アダムの言う通りだ。
今の話では、加奈がいい例として当てはまる。彼女は遠くを見る事が出来るという異能を駆使して、待ち伏せ、混戦を避けるようにして見事に立ち回った。
そんな生徒たちが、加奈の他にもいて、入学しているのだ。
「それをアイツらがよぉ、カツアゲしようとしてな?」
「その時に南雲さんが殴り飛ばしたんだよ!そしたらアイツら、逆ギレして教室で異能使い始めてよぉ〜!まぁ、結果は南雲さんの圧勝なんだけどさ!アレは男の俺でも惚れたぜ。それなのにあのクソ担任、南雲さんだけ停学にさせやがったんだよ!」
アダムが説明してくれていたのに、良いところで割り込んだ碇谷。
話の美味しい部分だけを持って行き、満足そうな表情をしている。アダムは不満そうだけど。
つまり、南雲はカツアゲの仲裁に入り、脅していた神宮と霜野を殴ったわけだ。するとそれに激怒した2人が、異能を使って南雲へ仕返しをしようとしたが、あえなく返り討ち。
しかしそれを見ていた担任は、南雲だけを停学にするという判断を下した。
「それに、これはBクラスの問題で騒ぎにはしたくないから黙っていてくれって」
「気づいたら南雲の悪い噂だけ学校内に充満してたってわけだ!」
その悪い噂を流したのは、十中八九南雲に恨みのある人物、つまりは神宮や霜野の可能性がかなり高いだろう。
しかし、カツアゲする側を咎めたら停学になるという状況を目にしたBクラスの生徒たちは、自身が停学になる危険を冒してまで、悪い噂を吹聴するのはやめろとは言えないだろう。
「南雲は何も反論しなかったのか?」
「ああ。南雲さんは反論して粋がるような奴らとは違うんだよ。それが学校側の裁量だと判断して、大人しく受け入れたって聞いた」
「へぇ…」
自分に非がなくても、しっかりと罰を受け入れるあたり、意外と優しい男なんじゃないだろうか?
噂と違う南雲という生徒の人物像を知った悠馬は、何故碇谷が南雲のことを慕っているのか、なんとなくわかった気がして深く頷いた。
「暁、お前も気をつけとけよ。神宮や霜野もおかしいが、他にも変な生徒はたくさんいるからな。お前、男子たちからは妬みの対象になってるし」
「…まじで?」
碇谷の忠告。
それを聞いた悠馬は、驚きを隠せなかった。
悠馬からすれば、自身が妬まれる理由がわからないのだ。別に凄い異能を使ってみせたわけでもないし、変なことをしたわけでもない。
ごく普通に過ごしていたはずなのに、何故妬まれるのかが、悠馬には理解できなかった。
しかし、現実とは残酷なものだ。
何度も言うが、この異能島に入学を許された生徒の大半は、この世の中が自分の思うように進むと、そう勘違いしている。
それなのに、同じ男の中で、女子からキャーキャーされている人物を見かけたらどう思うだろうか?
あそこには俺が相応しい。何でアイツばっかり。
欲しいものを手にしてきた生徒たちからすれば、その光景だけでも不満だし、納得のいかないものになるのだ。
特に、中学で好き放題してきた生徒たちから見たら、悠馬や八神が女子たちから注目されているのは、つまらないのだろう。
「ああ。俺やアダムは何とも思ってねえけど、他の奴らはお前のこと妬んでるだろうな」
「そうなんだ」
まぁ、妬まれたところで何の問題もないか。
妬まれてると言われても、入学してからの1ヶ月間、嫌がらせを一切受けなかった悠馬からしてみれば、些細な問題なのかもしれない。
本当に妬んでいるなら、嫌がらせの1つや2つ既に実行されているに違いない。
それがないということはつまり、男子たちは妬んではいるが、何か問題を起こして困らせようとは思っていないということになる。
「特に神宮と霜野には気をつけとけよ、アイツら、納得のいかないことがあればすぐに問題起こすからな。手段選ばねえし」
「注意しておくよ」
碇谷から知らされた情報を素直に聞き入れた悠馬は、神宮の他にも危険な生徒がいることを知る。
2人とも、実力的には悠馬の足元にも及ばないだろうが、悠馬は神宮のあの時の、夕夏に嫌がらせをする宣言を忘れたわけじゃない。
そんな神宮と似ているらしい霜野という生徒も、一応警戒しておくべきだ。
そう判断した悠馬だったが、後ほど、その判断を下すのが遅すぎたことに気づいた時には、既に後の祭りだった。
「さて、寝るかー!明日はハッピーなことがあるしな」
「おやすみー」
「おやすみ」
眠さがピークにきたのか、疲れたような碇谷の声が室内に響き、お互いに寝る体勢に入る。
明日のハッピーなこと。
日程を知らされていない合宿でも、先輩たちからの情報は出回っている。
悠馬は知らないが、明日は大きなイベントがあるのだ。
合宿の醍醐味ともいえる、同学年の男女の距離を縮めることのできる肝試し。
もしかすると好きな女の子、可愛い女の子と一緒になって島をぐるりと1周回れるのだから、ハッピーに他ならないだろう。
碇谷のハッピーという単語が何を指すのか、理解できなかった悠馬は、首を傾げながらも、取るに足らないことだろうと判断し、目を瞑った。
***
時は遡り、悠馬たちの班が異能島の七不思議について話をしている頃。
鬱蒼とした森の中。月明かりのみが頼りのこの無人島で、ズカズカと歩くその男の顔には、怒りが滲み出ていた。
「っ…!どいつもこいつも!」
鬱蒼とした森を抜け、その先に見えてきた小さな川へと辿り着いた男は、声の大きさなど御構い無しに、大声で叫んだ。
月明かりによって照らされる男の顔は、Bクラスの神宮仁だ。
しかしながら、入学当初のような自信に満ちた表情の面影は一切なく、どちらかというと追い詰められて逃げてきたような様子だ。
「何でうまくいかねえんだよ!クソが!」
神宮仁は焦っていた。小学校、中学校と、自分自身の恵まれた異能を駆使して、常にスクールカーストの頂点にいた。大抵は自分の思い通りにできたし、教員たちだって大抵のことは目を瞑ってくれる。
世界は自分を中心に回っていると、本気でそう思っていたのだ。
しかし彼は、高校へ入学すると同時に、深い挫折を味わうこととなった。
自分よりも格下の相手を脅して金を巻き上げようとした結果、自分よりも格上の相手にそれを止められ、挙句に返り討ちにあった。
可愛いと思う女に告白し、自分のモノにしようとしたが失敗した。
終いには、同じくらいのレベルだという噂の男子生徒にまで脅され、それに怯える自分がいた。
神宮仁の人生は、高校へ入学すると、自分の思い通りには進まなくなってしまったのだ。
本来であれば、それが当然であって、思い通りにならないことなど日常茶飯事。我慢をすることも必要な世の中だ。
しかし神宮は、恵まれた環境で育ってきた為、我慢をする、思い通りにならないというのが納得できなかった。
異能島の環境に適応出来なかったのだ。
ほとんどの生徒が表向きにはプライドを捨て、仲良くなっていく中、1人ぽつんと取り残され、前に進めずにいる。
クラス内で浮き始め、入学当初のような上からものを言える立場ではなくなった。
かと言って、他のクラスの生徒に媚を売って仲良くなるなんて、死んでもしたくない。
今まで自分が見下してきたような奴らと同じようなことはしたくない。そんなことするなら、死んだほうがマシだ。それが神宮の見解だった。
「全部南雲の所為だ!美哉坂の!暁の所為だ!」
そうして自分自身の過ちに気づかない、気づきたくない神宮は、そのやり場のない怒りの矛先を、3人へと向ける。
「よぉ、えらく荒んでるじゃん、はは!」
「誰だ!!」
小さな川の前で憎悪を滾らせる神宮へと投げかけられた声。
神宮の背後の木々から現れたのは、同じBクラスの霜野だった。
筋肉質、というよりも、ほんの少しだけ太っているような体格。肉付きがいいと言うべきか。
寝る前だと言うのに、わざわざワックスで髪をセットしている霜野は、1人叫んでいた神宮を見ると、まるで格好の獲物を見つけたように、ニヤニヤとしながら彼へと近づいた。
「んだよ!霜野!俺を笑いにきたのか?」
霜野と神宮は、同じようにクラスで浮いている存在と言えど、互いに接触することはほとんどなかった。カツアゲの時に協力したくらいの仲だ。
そんな霜野が、笑いながら1人叫ぶ神宮の元へと現れたのだから、身構えるのも当然のことだろう。
「いいや、ちげえよ。お前にいい物を上げようと思ったな」
「いい物?」
笑顔で近づいてくる霜野は、神宮の目の前で立ち止まると、それに食いついた神宮を見て、歯を見せて笑った。
「実はさ。俺、ちょっとした仕事しててよ。注射打つだけで、一気にレベルが上がる薬持ってんだよ」
「っ…!本当か?」
レベルというものは、そう簡単に上げることはできない。
ちょっとやそっとで、レベルが上がるほど世の中はうまく出来ていない。なにしろ、国際法で異能の使用区域はかなり限られているし、況してや異能を使って血の滲むような努力をする機会なんて、高校生にあるはずがないのだ。
そんなレベルが上がると聞いて、歓喜する神宮。
「ああ。実は俺も、南雲や美哉坂、暁は気に食わねえんだ。だからお前にこれをプレゼントしてやってもいい」
「ほ、本当か?」
霜野が取り出した箱を受け取り、嬉しそうに箱を開ける神宮。
中から出てきた奇妙な形をした注射器を空に掲げて感嘆の声を漏らした神宮を見た霜野は、必死に笑いを堪える。
霜野は最初から、神宮に協力する気などなかった。
背後から霜野を見ると、その影は入学試験で外部と通信を取っていた人物と、完全に一致する。
霜野は、入学試験以前から益田と協力し、結界を奪うという実験をしていたのだ。
しかしそれは、失敗に終わってしまった。彼は自身を守ってくれる理事がいなくなった今、自分の手を汚さずに、邪魔をした夕夏に復讐をしようとしているのだ。
それが今、目の前に立っている神宮だ。
焦りによって判断能力が鈍っている神宮を唆し、夕夏や、気に食わない南雲を排除する。
益田から渡されていた、〝あのお方〟からの贈り物である注射器を惜しげもなく神宮に手渡した霜野。
「ここは監視カメラがないからな。明日の肝試しの時にそいつを使って暴れでもしたら…誰が犯人かなんてわからないよな」
「は…はは!そうだな!これで俺は南雲を!ははは!」
まさかこんなところに、一気に強くなれる道具が転がってくるとは思っていなかった神宮は、ちょうどいい復讐の舞台が整っていることに気づき、笑みを浮かべる。
異能島で復讐を実行していたら、監視カメラに映り速攻で犯人はバレてしまう。
しかし今、この合宿先には監視カメラはほとんどない。あるのは宿舎の入り口だけだ。
つまり、神宮が復讐をしたところで、証拠はほとんど残らないのだ。
しかも明日の夜には、厄介な取り巻き連中もいなくなる肝試しが開催される。これほどの好機を逃すバカはいないだろう。
「それじゃあ、あとは楽しんでくれ」
「あ、ありがとうな霜野…これで俺も…」
新たな力を目前にして、目を輝かせる神宮。
霜野はそんな神宮を振り返ることはなく、笑いながら森の中へと入っていった。
「ふ…ふふふ…ははは!バカが!あんな何が入ってるかもわからない注射器を使う気満々とか、あいつ正気かよ!」
益田から貰った注射器。その内容物を一切知らない霜野は、自分に打つのは怖いから、同じような人物を憎んでいる神宮を実験台にした。
注射器がどんな力を与えるのかの確認、そしてついでで邪魔者を排除できる。霜野にとっては、自分の手が汚れない、一石二鳥のプランだ。
「明日が楽しみだな。南雲、美哉坂」
益田が捕まったのは、全て夕夏のせいだと思っている霜野。
そんな彼は、小さな笑い声を漏らしながら、闇夜へと消えていった。




