文化祭は終わらない3
「は…?」
愛菜は大きく目を見開く。
自分の腕が治った喜びや感動なんかよりも早く、真っ先になぜ?という疑問が浮かんでくる。
腕は先ほど、デールに喰いちぎられたばかり。当然人間にそんなトンデモ再生は備わっていないし、欠損部位は2度と戻ってこないのが常識。
しかし愛菜の右腕は、綺麗に元通りになっていた。
制服は右肩部分が千切れているため喰いちぎられたのは明らかだが、それでもさっきまでのが幻だと言われた方が、すんなりと納得がいく。
そんな愛菜のことなどいざ知らず、大きく口を開いたデールへと剣を向ける妖怪。
彼の尖った剣先には、光と闇に輝く何かが集中していた。
「しっかりと味わってください。きっと美味しいはずです」
剣先から放たれた闇?いや、光にも近いその異能は、デールの口へと容赦なく突き刺さると、眩い閃光と暗き闇を放出させながら彼の頭を貫いた。
「…貴方は一体…」
デールは頭を失ったためか、身体を痙攣させながらその場に崩れ落ちていく。
そんな彼を冷めた目で見下ろす妖怪は、セレスの上に崩れ落ちそうになったデールに息を吹きかけた。
フッと小さな吐息が微かに聞こえ、デールは灰のようにチリヂリになり、風に巻かれて空に消えていく。
「さて、と。約束はきちんと果たしましたよ。お嬢さん」
真っ黒な瞳で愛菜を見つめる妖怪は、右手を左胸近くに添えて、どこかの執事のように深々と頭を下げる。
「その腕はサービスです。貴女には特別な才能があるようですからねぇ。こんな暴食のせいでその可能性を閉ざすのは、あまりに哀れだ」
「あ、ありがとう…ございます…」
自身の右腕が戻っている理由を知った愛菜は、恩人に対し深々と頭を下げる。
その直後だった。
安心しきったように頭を下げた愛菜は、優しくも強引な衝撃を受けてバランスを崩す。
「きゃ!?」
「ごめんね!でもこの人は…!」
完全に警戒を解いていた愛菜は、第一声に謝罪の言葉を持ってきた女性の声を聞いて、敵ではないと悟る。
亜麻色の髪が視界の端に移り、その反対側には、黒髪の人物の姿が見えた。
「ゆう…」
悠馬先輩。
そう言いかけてやめた愛菜は、自身を抱き抱えて避難する夕夏を見上げた。
「お前か?」
ヴェントの時とは全く違うオーラ、雰囲気の悠馬。
落ち着いた様子ながらも敵意を剥き出しにしている悠馬は、神器を黒髪の人物へと向けた。
「はじめまして。私は妖怪…もとい、真の名は聖魔と申します」
「そんなこと聞いてねえよ。セレスを襲ったのはお前かって聞いてんだよ」
尋問口調の悠馬の衣服には鮮血の跡があり、それはセレスがデールに喰べられたはずの場所と一致していた。
「なるほど。興味深いですねぇ…身代わりの異能で愛する人の代わりにダメージを負う。夜空さんとは全く違った異能の使い方だ」
「!?」
夜空という言葉にピクリと反応をした悠馬は、瞬時に彼が何者であるのかを悟った。
オーラ、佇まい、香り。そのどれもが混沌に限りなく近いモノで、彼が本当の混沌の息子だと言われても納得のいくレベルだ。
そしてこの判断材料から結論づけられるのは、おそらくティナが物語能力で配下を増やしたように、混沌が物語能力で作り出した配下なのだろう。
しかもティナの配下なんかよりもはるかに強い。
「益々貴方に興味が湧きました。ちなみに私は彼女を襲っていません。先ほどの黒髪のお嬢さんを助ける過程で、偶然この場に居合わせただけです」
「混沌の手下を信じろと?」
「見縊られては困ります。私は自身で判断して、自身の思った通りに行動を起こせる。私は夜空さんから作られたのは事実ですが、彼の手足になったつもりはありません」
盲目的にボスに従う配下ではなく、自分で判断し、時に裏切り見捨てることのできる存在。
自分を売り込むように営業スマイルを浮かべた妖怪…いや、聖魔は、ふと思い出したように手を叩いた。
「次は君の番だね。…覚えていますか?」
「……ああ。あれはどういう意味だ?」
次は君の番だね。それは花蓮と悠馬が初めてまともなデートをしたベアーランドで、謎の旧第3異能高等学校に迷い込んでしまったときに現れた謎の存在からの言葉だ。
忘れもしないその言葉を連想した悠馬は、彼があの言葉を呟いたのだと知り問いかける。
「私は元は普通の人間。しかし混沌に敗北し眷属にされたわけですが、どういうことか私には主人の命令を強制されることがなく、自由気ままに行動できたわけです」
混沌に負けた聖魔は、本来であれば混沌の手足としてこき使われるはずだったか、どういうわけか眷属にはなったものの、混沌の言葉が絶対にはならなかった。
だから混沌を裏切ることだってできたし、こうして今も、自分の思うように行動ができる。
「ま、アレはおふざけだったんですけどねぇ。まさか本当に混沌を捻り潰し、セカイを奪取する人間が現れるとは…フッ…フフフフフ…」
「そうか。なら今回は見逃す。今後俺の邪魔をしないなら、俺もお前に干渉しない」
聖魔のレベルは混沌までとは言わないが、かなりの高水準にある。
正直今の悠馬には聖魔のレベルと戦っても造作なく勝てるわけだが、さすがにセレスを助けてくれた恩人をここで殺すのは気がひける。
今後自分に干渉してこないことを約束に相互不干渉でこの場を乗り切ろうとした悠馬は、額に手を当てた聖魔を睨みつけた。
「それは困ります」
数秒の沈黙の後、吐き捨てるように呟く。
髪の毛をかき上げた聖魔は、一切の隙がない悠馬をみて、深々と頭を下げた。
「どういうつもりだ?」
「私を配下にしていただきたく思います」
「お前を?何故?」
ゲートを発動させた悠馬は、聖魔の足元で停止しているセレスを抱き抱え尋ねる。
現状、悠馬と聖魔が組むメリットは何一つとしてない。
それは互いにとって同意見だろうし、だというのに配下になりたいなど発言してくるのは裏があるように感じてしまう。
警戒心をより一層強めた悠馬は、頭を上げてにこりと笑った彼へと真剣な眼差しを向けた。
「私は死ねません。数百年の間、1人で暇を持て余しました」
「それでベアーランドで気まぐれ起こしてたってわけか」
「ご名答。しかしそれも飽きました。なので次は、自分の面白いと思うことをしたいのです」
「なんで俺に?」
「セカイの持ち主…混沌を打ち倒した者…貴方からは面白いオーラが見える。…それに、おそらくこの世界で私を殺せるのは、貴方と悪羅さんだけでしょう」
悠馬と居れば面白そうだからお仲間になりたい。
極限まで略すとそう話している聖魔は、人差し指を上げて追加の条件を話し始める。
「私には貴方が死ねば私も死ぬ、という呪いでもかけておいてください」
「なんだよお前…すげぇ気持ち悪いな…」
悠馬は青ざめた表情で一歩後ずさった。
朱理にはよく「悠馬さんが死んだら私もすぐに自殺しますから」なんて言われているが、悠馬にそういう趣味はない。
朱理の発言を聞くたびにちょっと重いなぁ…なんて思っていた悠馬は、好きでもない初対面の男に一緒に死ぬ呪いをかけてほしいなどと言われてドン引きしている。
「フフフ、私が死ぬ方法はそのくらいですからねぇ。それにこの呪いならば、私に寝首を掻かれる心配もないでしょう?」
「その心配はしてない。…お前に殺される可能性は考えてない」
「ほう?警戒していない…というわけではなさそうですね」
おそらく組みたいがために自分の生死を条件に持ち出したのだろうが、今の悠馬は寿命で死ぬ以外ほぼ死なない。
完全に不死になったわけではないのだが、悪羅クラスのフルパワーの異能でも喰らわない限り、死ぬことはない。
つまり聖魔がいくら周りより強かろうが、悠馬は死ぬ可能性を警戒する必要がないのだ。
自分の申し出があっさりと断られた聖魔は、少し困ったように頭に手を当てると、くるっと一回転してあることを思いつく。
「彼女を1人で守るのは不安でしょう。私にお任せください」
「いや、初対面の男に彼女任せるわけねえだろ……」
何がしたいのかはわからないが、彼の誘い文句は頭のネジ一つ分飛んでいる気がする。
初対面の男に彼女を任せるほど間抜けじゃない悠馬は、魅力の欠片もない誘い文句を断り、ため息を吐く。
「はて…貴方は何を望んでおられるのですか?」
「何も望んでないから…」
欲しいものは全て手にしているし、答えは得ている。
今の悠馬が望んでいるものは現状維持であり、新たな出会いや物語なんて、正直求めていない。
中々諦めてくれない聖魔に呆れる悠馬は、神器を仕舞うとセレスの前髪を優しく払いながら立ち去ろうとする。
「あのお方の残りの眷属。アレらは総帥でも太刀打ちできません。貴方が私をそばに置いてくれると言うのなら、その全てを…いえ、物語能力者が作り出したゴミを全て駆除しても構いません」
「……話は帰ってからだ。それまで大人しくしてろ」
おそらく彼は、断ったところで何かと理由をつけて付いてくる。
彼の顔、仕草を見ていると、遊びやおふざけでこんな発言をしているのではないとわかった。
根負けしたように話を後に回した悠馬は、振り返ることなく歩きはじめた。
***
「死に場所を探しているのか?」
悲惨な光景が広がるビルの屋上で、焫爾は独り言のように呟く。
「何がだい?」
そんな焫爾とは反対側にいるルクスは、ビルの角に座り、100メートルほど下の道路を見下ろしながら呟いた。
「初見だからこれが君の戦い方だと言われたらそれまでだが、君の動きはあまりに直線的過ぎた」
それは先ほどまでの戦いの総括。
ルクスの回避はあまりに直線的で、まるで自分が怪我をしても構わないと思っているような動きだった。
実際問題それでもルクスは嫉妬を圧倒するほど強かったわけだが、冠位としてチャンや死神と肩を並べるにはまだ早いように見えた。それが焫爾の感想だ。
「そうだね。死んでもいいんだよ。ボクは」
「何故死を選ぶ?」
「何故って…おかしな質問をするね、紅桜クンは。キミらもそうするだろう?犯罪者に」
紅桜家は犯罪者を殺す、若しくは秘密裏に捕まえることが多い。
だからルクスのキミらもそうするという単語はつまり、自分が罪を犯したから、死をもって償うという意味だ。
「呆れた女だ。それがお前の死ぬ意味か?」
「ああ。ボクに居場所はないからね。…もう、どこにも」
大切な場所からは国外追放。もう2度と大切な場所には戻れない。守りたい人なんて、愛したい人なんていないし、友達だって最初からいない。
どこにも居場所がないルクスは、嫉妬から解放されてギャーギャーと騒ぎ立てる地上の学生たちを眺め、小さく微笑んだ。
「ボクも…何も持っていなかったら…あんな風になれたのかな」
「ならばそうなればいいじゃないか」
「ハハ…ボクがああなれるとでも?」
あんな風に、何も考えず、何もかも忘れて笑い合える日が来るというなら、それはルクスにとっての救いになるはずだ。
ティナを撃破した今、生きる意味を見いだせない少女に提案をした焫爾は、振り返ったルクスを見て口角を釣り上げた。
「生きる意味なんて、この世の中で見出せてる人間なんてごく一部だ。だからみんな迷って、後悔して、またやり直そうと努力する」
最初から生きる意味が見つかっている人間なら後悔することも迷うこともないだろう。
みんな生きる意味がわからないから、迷うし悩む。
ルクスが生きる意味を見出せないのは誰しもが通る道なのだ。
「君はああなれるだろう。漆黒」
「真っ黒なボクが?」
「光を見つければいい」
「難しいことを簡単に言うね、キミは」
生きる意味が見つからないからって、簡単に生を投げ出すのは愚か者のすることだ。
死ぬことなんて簡単なのだから、生きる意味を必死に探して、見つからなければその後に死ねばいい。
呆れたように空を見上げたルクスは、だらしなくビルの屋上に倒れ込むと、深いため息を吐いた。
「光、ね…」
「ああ…そうだ。良いことを教えよう」
「良いこと?」
「美哉坂夕夏に会ってみろ。きっと何かが変わるはずだ」
「……へぇ?」
良いこと、と言って夕夏の名前を出した焫爾は、興味深そうな反応を示したルクスに背を向けて去っていく。
「美哉坂夕夏、ね…確か悠馬クンの彼女の中に…」
取り残されたルクスは、赤く染まったビルの屋上で、1人呟いた。




