文化祭は終わらない2
「ねぇ、悠馬くん」
前を歩く黒髪の少年を小走りに追いかける夕夏は、茶色の瞳で悠馬を見据える。
トタトタと背後から聞こえて来る夕夏の足音に歩調を遅めた悠馬は、彼女が横に並ぶのを待ってから口を開いた。
「…少し考えてみたんだけど、この異能の使い手は相当な腕前だと思う」
悠馬はレッドパープルの瞳を揺らしながら呟く。
鏡花の催眠の異能を知っていればわかるが、相手の精神に干渉する異能は発動条件がシビアな筈だ。
鏡花の催眠の場合はレベルが高い相手に対しても通用するが、その代償として時間がかかる上に、警戒されていれば自身よりレベルが低い相手にすら無効化される可能性もある。
問題はそこだ。
嫉妬という精神に干渉する異能の使い手が鏡花以下の実力だった場合、オリヴィアやソフィアは絶対に精神に干渉されないはずだ。
オリヴィアは転入当時から鏡花の催眠が効いておらず、彼女自身鏡花のことなんてどうでも良かったから周囲に広めることはなかったが、彼女は無警戒状態ですら鏡花の異能を跳ね返したのだ。
そんな彼女が、並大抵の精神干渉で揺らぐはずがない。
総帥であるソフィアだって同じだ。いくら悠馬に守ると言われていても、最低限周囲は警戒していたし、そんな彼女が真っ先に精神干渉を受けるとはおもえない。
つまり何が言いたいかというと、相手は恐らく、総帥よりも実力が上。
周囲を警戒する悠馬は、人の気配のない路地裏へと差し掛かる。
「相手の目的は何かな?」
「…わざわざ異能島に来てるんだ。本土のは実験だったと考えた方がいいだろうな」
本土で起こった似た類の事件は、デモンストレーションも兼ねているはずだ。
警察や総帥が警戒した状態でも異能を難なく使えることを確認してから、おそらく異能島に訪れた。
狙いは…
「セカイか物語能力か…」
現状で想像できるのはその程度だ。
ソフィアの話を聞いた限り残党が欲するであろうものは、ティナと同じ物語能力者の夕夏か、その上位互換である悠馬。
他はただの陽動であって、相手はこちらの出方を伺うはずだ。
悠馬がそう判断した直後だった。
路地裏に大きく吹き荒れた突風に目を細めた悠馬は、夕夏を隠すようにして前に出ると同時に、右腕に激痛が走り顔を歪めた。
「っ…!」
「お前か?俺のセレスティーネを奪ったのは」
「誰だお前?」
風に巻かれながら美しく着地した男は、グレーに近い白髪を払いながら悠馬を睨みつける。
体格は悠馬と似たり寄ったりで、風の異能力者であることは間違いない。見覚えがあるような気もするが、それが誰だか思い出せない悠馬は、目を細めながら左手で神器を呼び出した。
「ま、いきなり手をあげるってことは敵なんだろ」
「そうっしょー。腹立つなぁー、お前の顔見てると」
「そうか。極夜」
悠馬は再生を始めている右手を確認しながら、無造作に極夜を放つ。
瞬間、まだ明るかった世界は漆黒に染まり、空には微かに星々が浮かぶ。
「烈風斬」
世界が徐々に光を取り戻していく中聞こえた声に、悠馬は夕夏を抱えて跳躍する。
「プロミネンス!」
「チッ…女も邪魔だなー」
見事な連携。
悠馬の手が空いていない無防備な状態をカバーするように炎を放った夕夏は、熱に浮かされ思わぬ方向に飛んでいく風の斬撃を見送る。
「悠馬くん、あの人…」
「ああ。わかってる。だから加減した」
夕夏の言いたいことはわかっているつもりだ。
彼は敵対している様子だが、この嫉妬の使用者ではない。
言動や行動から察するに、以前からセレスに惚れていて、セレスを奪われた嫉妬心で暴走しているのだろう。
実力的にも悠馬が右腕を落とされるレベルなのだから、オリヴィアやルクスと同程度と考えた方がいいはずだ。
「風帝…か?」
風の冠位・覚者は戦神であるオリヴィアですら顔を知らないと言っていたから確定ではないが、その可能性は大いにある。
「逃げんなよカス」
「カスはお前だろ。俺とローゼは愛しあってるんだ」
「あー?寝ぼけたこと抜かすなよガキが!」
セレスのことを愛称で呼びながら愛しあっていると呟いた悠馬に、ヴェントはブチギレたように風を纏う。
その光景はまさに風帝という言葉が相応しく、周囲の風を全て集めたような突風が巻き起こる。
「消滅して」
「っ…なんだ?あのティナみたいな異能だなァ!」
相手は強い。
悠馬に抱き抱えられている夕夏は、相手の行動をこまめに確認しながら、ヴェントの異能を消し去って行く。
ティナの時と同じように自分の攻撃が上手く相手に当たらないことにさらに苛立っているヴェントは、雄叫びをあげながら跳躍した。
「っ!悠馬くん、放して!」
「わかった!」
悠馬の腕から飛び降りた夕夏は、白い翼のようなモノを背中に生成し、彼の上を取る。
そんな夕夏には目もくれないヴェントは、風を纏ってさらに加速すると、翡翠色の神器を手にして悠馬へと振り下ろした。
ガキン!という金属音が大きく響き渡り、それを火切りに2人を中心にして風が巻き起こる。
火花を散らす神器を無表情のまま見上げる悠馬は、歯を食いしばりながら押し潰さんとしてくるヴェントを見上げ口を開いた。
「お前、冠位のくせに精神干渉で暴れて恥ずかしくないのか?」
オリヴィアやソフィアは、干渉を受けた後も最低限の法は破っていなかったし、手をあげることもなかった。それに比べて、目の前の男はどうだろうか?オリヴィアから気分屋だと聞いていたが、出会ってすぐに攻撃をしてくるあたり、彼に冠位の称号は勿体なさすぎるというか、荷が重いように感じられる。
何しろ悠馬はたかが一市民であって、村人と変わらない存在なのだ。その悠馬に対して手を挙げるということはつまり、彼は見境がないと評価されてもおかしくない。
「今何つった?」
「だから、冠位のくせにガキ相手に襲いかかって恥ずかしくないのか?って聞いたんだよ。気まぐれヴェントさんよぉ」
冠位という言葉を否定せずに飲み込む様子から察するに、彼は間違いなく冠位・覚者の風帝のヴェントだ。
オリヴィアの言った通り気まぐれで難しい性格なのだろう、会話をしているだけでも、彼が面倒くさい人間だとわかる。
「鎌い…」
「あまり調子に乗らないでください」
「ぐっ…」
「っと…」
夕夏の言葉が路地裏に響くと同時に、悠馬が左手で握っていた神器にはかなりの重みが伝わり、悠馬は飛び退く。
飛び退いた後に元いた場所を見てみると、そこにはヴェントが地面に向かって押しつぶされていた。
「ごめんね、悠馬くん」
「ううん。大丈夫だ。助かった」
一歩間違えれば悠馬も押し潰されていただろうが、結果オーライだ。
夕夏が自分を押し潰さないギリギリの範囲で異能を発動させたことを知っていた悠馬は、怒ることもなく、地面にめり込んでいくヴェントを見下ろす。
「そこで大人しくしてろ」
「行こ、悠馬くん」
ヴェントは夕夏の異能の影響で、自由には動けない。
ティナと同じレベルの物語能力で押し潰されているのだから、ティナに手も足も出なかったヴェントでは話にならないだろう。
悠馬がそう油断した瞬間だった。
路地から抜け出ようとヴェントに背を向けた悠馬は、背後からの殺気を感じて夕夏を突き飛ばす。
「きゃっ!?」
「セラフ化…理不尽な異能はティナのお陰で慣れてんだよ…」
「った〜…」
足が変な方向に向き、大通りのビルに叩きつけられた悠馬は、確実に折れているであろう足を見下ろしながら地面へと尻もちをついた。
「…その割にはかなりボロボロだな」
口では慣れたなどと言っているが、ヴェントの右腕はだらしなく伸び切っているし、その腕の様子から察するに関節が外れている。
かなり無茶をして物語能力を弾いたであろうヴァントは、フラフラと歩きながら夕夏を睨んだ。
「先ずはお前だ女。消えろ」
「結界…天照…セラフ化!」
ヴェントはまだ動かせる左腕を振り上げ、拳に風を纏わせながら夕夏に振るう。
速度こそ常人が拳を打ち出す速度と変わらないだろうが、彼の拳の威力は絶望的なはずだ。
何しろヴェントは冠位だ。異能を纏わせて殴るだけでも、容易くビルが倒壊すると判断したほうがいい。
瞳の色を赤く染めた夕夏は、ヴェントの振りかざした左腕を右足で蹴り上げ、手を使って身軽に跳躍してみせる。
拳の照準がズレたヴェントは、路地裏の建物の外壁に腕をめり込ませていた。
「テメェ…調子に乗るなよ」
悠馬はそれを見て激昂した。
真っ黒な瞳で鬼のような形相に変わった悠馬を見る夕夏は、それが異能祭後、悪羅と遭遇した時とよく似たものだと悟る。
悠馬はヴェントのことを甘く見ていた。
いや、期待していた。オリヴィアやソフィアまでとは言わないが、嫉妬という感情に振り回されながらも、悠馬だけにしか攻撃しないことを。
だってヴェントが嫉妬しているのは、セレスとくっついた悠馬だ。だから本来、夕夏は目もくれずスルーするはずだった。
しかし結果として、ヴェントは悠馬以外も容赦なく手をかける見境のなさで、夕夏へと放った拳は建物に穴を開けるほどだ。
あれが夕夏にあたっていたと考えると、ゾッとしてしまう。
「俺の認識が甘かったよ…冠位はどいつもこいつもすごい奴ばっかりだから…お前もそうだと誤解してたよ」
チャンは正義を為すために力を振るう。
ルクスは自分の大切な国を守るために力を振るった。
死神はこの世界を守るために力を振るった。
戦神は心を痛めながらも、戦を終わらせるために力を使い続けた。
だが目の前の男は違った。
精神干渉を受けているといえど一市民に襲いかかり、あろうことかほぼ関係のない夕夏に容易く人を殺せる火力で異能を放った。
「お前はダメだ…」
闇の異能を周囲に発動させた悠馬は、ヴェントが殴ったことにより大事な支柱が壊れたのか、徐々に倒壊し始める建物を支える。
闇は瞬く間に建物を覆い、強引に元の形へと戻っていく。
気休め程度ではあるが、少なくとも完全倒壊になる前に人々の避難はできるはずだ。
「お前さっきから何言ってんだ?ガキが…」
「調子に乗るなって言ってんだよ」
「っ!?」
不機嫌な悠馬を挑発するように指差したヴェントは、一瞬だけ視界から消えた悠馬が次の瞬間、拳を振り上げて自身の目の前に立っていることに気づく。
「おせぇよ」
今更気づいたところでもう遅い。
振り上げられた拳はすでに最高地点に到達し、あとは突き出すのみ。
とっさに悠馬の右腕を受け止めようとしたヴェントだったが、彼がガードをするより早く、悠馬の拳は彼の顔面に到達した。
パキッという音が聞こえ、白く小さい塊が宙を舞う。
それがくるくると回転しながら音を立てて地面に墜落するのを横目に見ながら、悠馬は崩れ落ちたヴェントを睨みつけた。
「覚悟も努力も何もかも足りてねえんだよ」
言動や気性の荒さを見ていて、彼が他の冠位と違うことに気づいた。
彼は生まれながらの天才だ。生まれて異能が発現してからずっと、コイツはこの実力で生きてきたのだ。
それは凄いことだ。何しろ生まれた時点でチャンやオリヴィアと渡り合える力を手にしていたのだから。
だがそれは問題じゃない。問題なのはコイツが、その力に感けて努力をしていないということだ。ついでに言うなら人間性も。
普通の人ならば、人格形成の段階で多少の揉め事を通し、我慢すること、感情を抑制することを覚える。
しかしコイツは生まれながらの天才だから、その機会を失った。気に食わないやつは実力でねじ伏せることができるし、喧嘩で負けると言うこともなかっただろうから。
そしてその結果、今のヴェントが出来上がったわけだ。
自由奔放な性格で、他人に指図されたり思い通りにならなければすぐに激昂。冠位だというのにあろうことか周りを巻き込み、自分さえ良ければいいと言うような異能を放つ。
それは入学当初の異能島の学生のような人格だ。
「てめ…」
「もう動くな…お前のために無駄な労力を割くのは御免だ」
起き上がろうとするヴェントに侮蔑の視線を向けた悠馬は、出会ってすぐの警戒したような眼差しを向けることはなかった。
「しばらく眠っていてください」
「覚え…て…」
ヴェントは欠けた歯のことなど気づかず、悠馬に手を伸ばそうとする。しかしその手が悠馬へと届く寸前、夕夏が物語能力を使ったことにより、彼の手は呆気なく地面へと落下した。
「この人、異能島通えなかったのかな?」
「さぁ…?」
夕夏は彼の性格を見てからか、哀れみの視線を向けている。
ヴェントの実力からするに、異能島に通っていても結果は変わらなかったろう。彼が異能島に通っていたとしたら、おそらくキングと似たり寄ったりになっていたはずだ。
「…時間を無駄にした」
ヴェントという邪魔者が入ったせいで時間を無駄にした悠馬は、夕夏の手を握ると、振り向くことなく歩き始めた。




