嫉妬
お昼を過ぎると、周りに異変を感じ始めた。
文化祭ともなるとワイワイガヤガヤ行き交う人々が騒がしいのはごく自然のことなのだが、その騒がしさがいつもと違うというか、なんというか。
いや、普通に行き交う人々はいつも通りに見えるのだが、怪しい雰囲気のカップルが増えたというべきか。
「だいたいアンタさ、私と付き合ってるのになんで他の女と仲良く話すわけ?」
「はぁ?それを言うならお前もだろ!」
「お前、昨日男と遊んだんだって?」
「だから何?あなたが遊んでくれないからじゃない!」
文化祭をカップルで回るのは学生の憧れのようなものだし、そんな憧れの夢のような時間で、周りに見えるカップルが全員ギスギスするだろうか?
昼食を食べ終えた悠馬は、周囲の異変を感じて夕夏へと振り返った。
「?」
夕夏は悠馬と目が合い、タピオカジュースを飲みながら首を傾げる。
彼女はいつも通り、というか、物語能力者だから大半の精神異常系の異能の効果を受けない。
そもそもセカイの力ですら数秒で適応してしまうのだから、夕夏は問題ないだろう。
悠馬がそう判断し、気を抜いた瞬間だった。
「ていうか元戦乙女がなんで悠馬の側にいるのかしら?」
不意に聞こえてきた声に、悠馬は前を向く。
いつもとは違う怒気の籠もった声。いや、殺意を抱いているような彼女の声は、明らかにおかしい。
紫髪を靡かせ、横を歩くセレスを睨みつけたソフィアは、覗き込むようにして彼女を威嚇する。
「え…あの?ソフィアさま?」
「それを言うなら君もだろうソフィア。お前は悠馬に甘えすぎだ」
「あら。人の事言える立場でしょうか?いつも悠馬さんに甘えているくせに」
「え?あの?皆さん?」
ソフィアの発言が伝播するようにして、悠馬の彼女たちは瞬く間にギスギスとした雰囲気になった。
いつもは仲良くしているはずのメンバーなのに、いや、さっきまで仲良く話していたはずなのに、明らかに何かがおかしい。
頬から流れる冷や汗をそのままに、悠馬は焦ったように彼女たちを見た。
「悠馬は黙ってなさい。これは私たちの問題なのよ」
「そうよ悠馬。この際ハッキリさせないと」
「花蓮ちゃん!美月!」
夕夏の横に立っていた2人も参加し、雰囲気は最悪。
冗談を言い合っているわけでもないメンバーに混乱する悠馬の肩を叩いたのは、ルクスだった。
「ルクス…」
「おかしいと思わないかい?」
「…そりゃあ…っていうか、お前は平気なのかよ?」
「ボクには殆どの感情はない。彼女たちが抱いているのは独占欲なのか嫉妬なのかはわからないが、ボクにはそんな感情はないんだよ」
光のない瞳で悠馬の瞳の奥を見透かす彼女は、確かになんの感情も残っていないのかもしれない。
しかし今回は、それが幸いすることとなった。
焦ってみんなを止めに入る夕夏と、まだ正常なのか、身振り手振りで弁明をしているセレス。
ルクスはそんな光景を眺めながら、右手を何もない空間へと突き出した。
「黒の聖剣」
「っ!お前…」
ルクスはなんの躊躇いもなく、道端だというのに黒く煌く聖剣を手にした。
死人のような真っ白な肌で聖剣を握りしめたルクスは、落ち着いた様子で悠馬へと顔を向けた。
「ヒトの感情を操る異能、なんて聞いたことがない。殺すべきだよ」
「お前の言いたいことはわかる」
ルクスの意見は理解できる。
人の感情を容易く操作できる異能なら、国の一つや二つ簡単に滅ぼすことのできるとんでもない力だ。
しかもそれをいい方向に使うのではなく、人の嫉妬の感情を増幅させ喧嘩に発展させるのならば尚更だ。
「だけどお前…もう冠位でもなんでもないんだろ?」
午前中に異能島内を回っていて、彼女がなんの権限もなく、ソフィアに拾われた身であることはよく理解できた。
ということはつまり、ルクスには現在イギリス支部の法律と日本支部の法律が適応されるということで、冠位としての権限も、ロシア支部のバックアップも無しに異能を使うということになる。
バレたら犯罪者としてタルタロスに幽閉されること間違い無しだ。
「しかし現状、感情があるキミも危ない。こういうのは感情がない人物がすべきじゃないかい?」
悠馬にも感情がある以上、どこかのタイミングで周囲と同じようになる可能性がある。
そして悠馬が操られてしまった場合、それこそおしまいだ。
何しろセカイという物語能力の上位互換の異能を持っている悠馬は、その気になれば言葉一つで大陸を無かったことにできる。
ルクスが最も危惧しているのは、悠馬が操られることだ。
「それにボクは、もう死んでもいい。目的は果たしてるし、光は見た。このままのうのうと生きるつもりなんて毛頭ないんだ」
「!」
ルクスは笑いながらそう告げると、闇に包まれ、瞬時に姿を消した。
あのお方を殺すためだけに、対抗するだけに闇堕ちになった哀れな女性。
オクトーバーが作り上げた、感情を失ってしまった少女。
目的が達成され、メトロ戦ですら悠馬に全てを託して死のうとした彼女には、躊躇いがなかった。
「ちょっと!みんな止まってよ」
悠馬とルクスが会話を重ねる間も繰り広げられていたであろう口喧嘩。
ついに我慢の限界に達した夕夏は、プンスカと怒りながら物語能力を発動させた。
彼女の言葉と同時に、周囲に立っていた人々は動きを止め、物言わぬ銅像となる。
「ゆ、夕夏…」
「みんなおかしいよ!悠馬くん!」
「ああ…それはわかってる」
彼女たちがこんな小さなことで喧嘩に発展するわけがない。
ソフィアだってちょっとワガママなところはあるが昼までセレスと仲良く話していたし、第一美月が自ら口喧嘩に参加するなんて有り得ない話だ。
困惑した茶色の瞳で悠馬を見上げた夕夏は、物語能力を解除することなく悠馬にしがみつく。
「夕夏、どこの範囲まで停止させたんだ?」
「この地区一帯…かな…わかる範囲で、揉めてる人がいる空間は問答無用で止めてる」
「ありがとう。助かる」
珍しく異能を使用した夕夏には、さすが元総帥の娘、天才という言葉が相応しい。
揉めている人々だけを停止させれば新たな問題が発生したかもしれないし、問答無用でこの地区一帯の人々を停止させたのはナイスな判断だ。
加えて言うなら、迷いなく異能を使ったのも評価が高い。
彼女の判断能力の高さを示している。
ただ、それだけでは問題は解決しない。
夕夏が人々の動きを止めたまではいいのだが、この騒動の原因が突き止めれていない。
誰が犯人なのか、どこから異能を使っているのか、はたまた異能ではなく、別の何かなのか。
この広大な異能島の中にいるであろう犯人を見つけるのは、骨の折れる作業だ。
「犯人…探せるか?」
「この異能は君たちのものか?」
「それ以上この空間に足を踏み入れるな。味方だとしても命の保証はしないぞ」
「!?」
不意に聞こえた声。
悠馬が何をすべきかを考える中で声をかけた人物は、悠馬の周りに漂っている黒いオーラを空間と判断し、動きを止める。
「…驚いた。まさか我々が声をかける前に気づいていたとは」
考え込みながらも、周囲の確認はきちんとしていた。
そんな悠馬のことを評価する白髪の人物は、称賛するような乾いた拍手を響かせ、直後、無造作にナイフを投げた。
「どういうつもりですか?」
「……まさか、2人揃って実力者とは」
悠馬目掛けて投げられたナイフを、夕夏は容易く振り払う。
好きな人の命を狙うような攻撃をした男に対し、夕夏は優しさなどない眼差しを向けた。
「場合によっては…ここで再起不能にしますよ」
質問に答えない男に、夕夏は苛立ちを隠せない。
黙秘しつつ距離を保とうとする彼に痺れを切らした夕夏は、無数の炎の槍を生成して放とうとした。
「待って。夕夏」
「悠馬くん!?」
そんな夕夏を止めたのは、悠馬だった。
彼女の右手を掴んだ悠馬は、放たれた炎の槍を全て氷で相殺し、白髪の男を見る。
「その雰囲気。佇まい。洗練された動作。お前は紅桜家か?何か知ってるのか?」
「な…」
「ほお?その年でこの国の裏を知っているとは…大したものだ」
悠馬がその名を告げると同時に目を見開いた夕夏と、観念したように現れる複数の影。
白髪の男は右手で顎髭を弄りながら、左手で頭をポリポリと掻いてため息を吐いた。
「残念だが私は桜庭だ」
「ああ…愛菜のところの…俺は暁闇だ。お前らが殺そうと画策してた男だよ」
「……そうか。やめろ。お前たち」
紅桜という単語が出てきて少し落ち着いた空気は、暁闇という単語の影響ですぐに切り替わる。
白髪の男の背後に控えていた2人がナイフを手にしようと腕を動かすと、男は振り向くこともせずに、背後の2人を抑止した。
「ですが。当主桜庭…!暁闇は我々の…」
「見てわからないか?今の彼に敵意はない。我々の現在の目的を違えるな」
「…申し訳ありません」
当主桜庭、という単語を聞く限り、彼は愛菜の父親なのだろう。年齢的には50代ほどで全盛期を遥かに超えた衰えた肉体ではあるものの、その内に秘められた気迫やオーラは、総帥に匹敵する何かがあるように見える。
裏のNo.2とも言える桜庭現当主に注意された後ろの人物たちは、不満そうな表情を浮かべながらも、大人しく指示を聞く。
この部隊を取り仕切っているのは愛菜の父親で間違いないようだ。
「それで?桜庭や紅桜、この国の裏は何しにここへ?まさか娘の文化祭を見に来た。…ってわけじゃないでしょう?」
わざわざ裏の面々を引き連れて、ナイフまで投げてきたのだ。娘の文化祭を見にきたというわけじゃないだろうし、他に目的があるはずだ。
不敵な笑顔を浮かべた悠馬は、戦意を剥き出しにしたまま彼を見据える。
愛菜の父親は、悠馬の眼差しを正面から受け止めた。
悠馬の視線から伝わってくるのは、桜庭がこれまで感じたことのないほどの闘志と、自分のことなど敵としてすら認識されていないこと。
この国の裏側の人物と相対しても動じることのない悠馬に折れた桜庭は、ため息を吐きながら瞳を閉じた。
「嫉妬、という異能の持ち主を探している。近頃本土でよく使われていた異能で、先程の周囲のような喧嘩が始まれば最終的に殺し合いに発展する」
『な…!』
夕夏と悠馬は同時に声を上げ、冷や汗を流した。
周囲から伝播するようにして伝わってきた悪い雰囲気は、瞬く間にソフィアをも襲い、嫉妬という感情を暴走させた。
悠馬や夕夏の認識ではそれでおしまい、少し厄介で友好関係に傷をつける卑劣な罠だと考えていたわけだが、事態は彼らが思っているほど芳しくなかった。
夕夏が彼女たちの動きを止めたのは、100%正解だったのだ。
「すでに本土では死者も出ている。これでもうわかっただろう?」
これ以上は言わずとも察しろと言いたげな桜庭。
彼の言いたいことはつまり、警察やそこいらの正義マンでは役に立たないから、裏が動くしかないということだ。
そして下手に動き回ってこちらに迷惑をかけるなという無言の圧力も混ぜている。
「この件については総帥命令で我々に権限がある」
「そうですか」
寺坂も動いているということは、かなりの事態だ。
死神亡き現状、日本支部の最高戦力とも言える裏と寺坂が協力している事態を知ってしまった悠馬は、夕夏の手を強く握ると、彼女を引き寄せた。
「俺たちは大人しくしとくんで早くどこかへ行ってください。任務なんでしょ」
「これはこれは…手厳しい」
自分から質問をしといて言うのもなんだが、このまま動くななんだと警戒されるのも面倒だし、何よりこの国の裏とはなるべく関わりたくはない。
連太郎とはすでに関わっているが、裏の闇にずっぽりと嵌まる気のない悠馬は、追い払うようにして桜庭へと手を払った。
そんな悠馬を見た桜庭は、苦笑いを浮かべながら控えていた人物たちを引き連れ、瞬時に姿を消した。
「悠馬くん…どうするの?」
誰も動かない空間に残された2人。
決定権を委ねた夕夏は、悠馬の顔を見上げ、彼の表情を見て何もかも悟る。
悠馬の表情は、あからさまに不機嫌になっていた。
少なくとも桜庭と会話をしたから、なんて理由ではなく、おそらく彼女達を巻き込んだ異能に対して不満を感じているのだろう。
「夕夏には悪いけど…俺はなるべく早く花蓮ちゃん達に元どおりになってほしい」
「うん!私も同じ意見だよ!」
待ってましたと言わんばかりに微笑んだ夕夏は、自信満々に息を大きく吐きながら歩き始める。
みんなにいつも通りに戻って欲しいのは、2人とも同じだ。
ならばやることは1つ。
嫉妬という異能を無効化できる2人がすべきことは、犯人を見つけ出すことだけ。




