醜い子豚
大きな豪華客船の中。
本来、異能島に向かう直航便といえば小さなクルーザー、よくて100人程度が乗れる船なのだが、今日は一味違う。
悠馬たちが合宿先へ向かう際に使用したような豪華客船は、本土から異能島を目指して一直線に船を進めていた。
その中の一室。
「はぁー、まだかしら?」
この船が運航される真の理由。
それは彼女たちのような人物が乗り込んでいるからなのかもしれない。
紫髪を揺らす豊満な胸を持つ女性は、背を向けて座る黒髪色白の女性の髪を櫛でときながら呟く。
「キミはゾッコンだね…」
黒髪色白のルクスは、背後に座るソフィアに向けて呟く。
ソフィアはルクスに対して警戒心のかけらもないのか、素の状態、つまり金髪ではない地毛の紫髪を晒していた。
元冠位と現総帥。そんな彼女たちの乗る船が誰でも乗れる安い船では日本支部の評価がガタ落ちになるため、寺坂が豪華客船を用意したのだろう。
日本支部内からもイベント中止の連続でヘイトの声が上がっていたため、ここは豪華なものを見せて宥めさせるしかない。
絹のような髪を優しく櫛でとかれるルクスは、心地良さそうな表情で脱力していた。
「ルクス。貴女、問題は起こさないように」
「わかっている。流石のボクだって、自ら事件を起こしたりはしないよ」
念のため、釘を刺す。
先日ルクスを引き取ったソフィアだったが、彼女は借りてきた猫のように大人しいし、言われたことをちゃんとしてくれる。
さすがに他支部で問題を起こすとは思わないが、それでも少しの不安があったソフィアは、脱力したルクスの肩を揉んだ。
「貴女、華奢ね。それで神器を振るえるの?」
「…黒の聖剣は持ち主に合った重さに変化するんだよ。だからボクのような貧弱な身体でも容易く扱える」
「質量変化…なるほど…」
悠馬と剣を打ち合わせて簡単に競り負けなかったのも、これが原因だろう。
剣を打ち合わせる瞬間に質量を重くすることにより、インパクト時に大きな反動を与えることができる。
それを剣が勝手に判断してくれるなどとは聞いたことがないが、こんな情報で態々嘘は吐かないだろう。
「それより…この船は一波乱ありそうだね」
「問題ないでしょう。あの太っちょが痺れを切らす前に船は島へ到着するはず」
ルクスは耳をピクッと反応させ、外の声を聞いているようだ。
常人ならば風の音や海の波の音が微かに聞こえる程度だが、彼女たちには耳障りな声が響いているらしい。
しかめっ面になったソフィアは、不機嫌ではあるものの、その声の主人を注意しに行く気はないようだ。
「ルクス。あの太っちょには特に絡まないで。…さすがの私も、他国の皇太子と問題を起こせば庇いきれない」
「まぁ…絡まれない限りはボクだって自らは絡まないさ。人を選ぶ権利がある」
『デール皇太子…』
この船には、セレスにプロポーズしたデール皇太子も乗り込んでいる。女好きで有名な彼は、些細なことで目の敵を作ったりする、言うなれば数百年前の王様のようなことを平気でやってのけるクソ野郎だ。
婚約している女を自分の権力で無理やり奪ったりするとも聞く。
そんな人物に目をつけられたくないソフィアは、悠馬とのデート前だというのに憂鬱そうに呟いた。
『間も無く、当船は異能島へと到着します。今しばらくお待ち下さい』
2人の憂鬱そうな声をかき消すように、船内にはアナウンスが響いた。
***
「クソ!」
ワックスで固められた金髪に、丸々とした顔。ダルマのような身体から生えている短い手足を大袈裟に動かし机を叩いた男は、あからさまに不機嫌だった。
彼の名前はデール。キズギス共和国のデール皇太子だ。
デールは怒っていた。
これまで、欲しいものは全て自分のモノにしてきた。
女だって、物だって、食べ物だって。自分の欲しい物は全て手に入れてきたし、手に入らないものなんて何一つないと、そう思って生きてきた。
数日前までは。
「行方不明だと?笑わせるなよ弱小国が…!」
キズギス共和国皇太子のデールは、セレスティーネ皇国からの文書を握り潰し、地面へと叩きつける。
「あのセレスティーネは絶対に必要だ…世界最高の異能力者だ!」
だから欲しいと思った。容姿も性格も極めて高水準で、非の打ちどころがない人物。
セレスの異能は、どこの国も喉から手が出るほど欲しい物だった。
回復系の異能は、この世界に溢れるほど存在している。
傷を癒す、痛みを和らげる、傷口を塞ぐ、傷の回復を速める。
様々な回復系異能が存在するこの世界だが、唯一回復させることができないものがある。
それは欠損部位の修復だ。
どんな回復異能でも、レベル10の回復系異能力者でも、欠損した部位を元どおりに再生させることは不可能。
誰もがそう思い、数年前まで生きてきた。
しかしそれは、セレスが戦乙女になると同時に塗り替えられることとなる。
セレスの回復異能は極めて特殊な〝治癒〟というもので、腕を失おうが足を失おうが、絶命していない限り元どおりに戻すことが可能なのだ。
一言で言えば、人知を超えた異能ということになる。
どれだけ医術が発展しても、欠損した部位を元どおりに戻すことは不可能だった。
そんな現状を1人で打破したのがセレスだ。
当然だが、セレスを誘拐しようと企てる国もあれば、デールのように正攻法で手に入れようとする国もある。
「アイツを手に入れ…あのお方を復活させねばならないのに…!」
デールは注射器のような何かを手に取り、それを強く握りしめる。
彼の周りにいる護衛には、すでに首元に注射器の跡のようなものがあった。
ここまで来れば、誰しもが理解するだろう。
彼らのような小さな国が、なぜ力ある異能力者を連続して生み出せたのか。なぜセレスティーネ皇国が、彼らを強いと判断したのか。
彼らは、あのお方から注射器の供給を受けて力を付けていた。当然のことだが、ティナが居なくなれば彼らの命とも言える注射器の供給は途絶えるわけで、デールからしてみるとなんとしてでもあのお方を蘇らせたい。
そうすれば注射器が再び量産され、自国はより一層強化される。そう踏んでいる。
だからその計画にセレスが必要だった。
まぁ、結局セレスはデールのことが微塵も好きではなかったため自分の国から逃げ出して悠馬のそばにいる事を選んだわけだが。
それが気に食わないデールは、自分が誘ったのに応じる気のないセレスを調べ上げ、彼女が現在滞在している場所を突き止めた。
「ひひ…ひひひひひ…セレスティーネ…お前にはボクのものになって貰わないと困るんだよ!」
そうならないとキズギス共和国は以前のような小さな国家に逆戻りし、セレスティーネ皇国と同じく、他国に媚を売らなければ立ち行かなくなる。
「坊っちゃま。間も無く到着です」
ちょうど室内にアナウンスが鳴り響き、デールの護衛であろう人物が耳元で囁く。
その彼の言葉を聞いて独り言を中断したデールは、「フン」と鼻で息を吐くと、怒りの篭った表情で扉へと向かった。
「お前ら…わかってるな!大義は僕らの側にある…!なんとしてでもセレスティーネをとっ捕まえろ!死ななければ何をしてもいい」
***
「へっくち」
「ローゼ…上着着る?」
「いえ!突発的なものですので大丈夫です!」
豪華客船の前で待つ悠馬たち御一行は、中に面倒な奴がいることなど知らず、呑気なものだ。
幸いなことに島から本土へ向かう学生はいないため、港はそこまで混雑していなかった。
セレスがくしゃみをしたことにより、自身の上着を脱いで渡そうとした悠馬は、それをセレスに断られ手持ち無沙汰になる。
ちょっとかっこいいところを見せようなどと考えていた悠馬は残念そうだ。
「あ、来たわよ」
そんな悠馬とセレスの会話を中断させたのは、花蓮の声だった。
彼女の声を聞いて、顔を上げる。
豪華客船へと顔を向けた悠馬の視線の先には、紫髪の女性がちょうど階段を降りていた。
「ソフィ!」
「あ〜♡悠馬ぁ!」
待ちきれなかったのか大声をあげた悠馬。
悠馬の声に反応する乗客や通行人はいなかった。
まぁ、ソフィアは現在金髪ではなく紫髪だし、愛称で呼ばれているため誰も彼女がイギリス支部現総帥だとは気づかないだろう。
背の高いヒールを履いたまま階段を駆け下りたソフィアは、悠馬目掛けて一直線に駆け寄り、そして彼を抱きしめた。
「おぉ…」
通やモンジたちが、女に飢える理由が分かるかもしれない。
久しぶりにソフィアと再会を果たした悠馬は、熱い抱擁に心音を加速させながら彼女の抱擁に応えた。
「久しぶりね、悠馬」
「うん、久しぶり」
数十秒に渡る熱い抱擁も終わり、互いに一歩下がる。
総帥フェイスのように凛々しい表情へと戻ったソフィアは、キリッとしていて手の届かない存在のようにも見える。
これがイケメンである悠馬の彼女だと言われても、最初は誰もが驚くはずだ。
それほどに彼女の雰囲気は、独特なオーラがあった。
「あの、ボクのことも忘れないでくれるかな?ソフィアクン」
不意に聞こえた声。
いい雰囲気のソフィアと悠馬の横からヌッと割って入ったルクスは、真っ黒な瞳で悠馬を覗き込む。
「ひっ…」
悠馬は情けない声を上げて一歩後ずさった。身体からは当然冷や汗が流れ始め、両手両足の付け根部分が痛いような気がする。
それもそのはず、悠馬はメトロでルクスと激突し、結果として1度死を迎えた。
あの時は感覚も狂っていたしアドレナリンドバドバで恐怖なんて感じなかったが、人間の感情というのは遅れてやってくる。
数ヶ月越しに出会った元ロシア支部冠位・覚者のルクスに再会した悠馬は、頭から血の気が去っていくのを感じながら冷や汗を垂らした。
ソフィアは悠馬とルクスの関係を知らないのか、仰け反る悠馬を見て、キョトンとした表情を浮かべる。
「彼女はルクス。色々あって私の国で預かることにしたの」
「え、ああ…そうなんだ…」
「よろしくね。悠馬クン」
「あ、はい」
あの時とは違うごく自然な会話に、夢でも見ているのかと思ってしまう。ルクス本人にあの時の出来事を聞きたい気持ちはあるが、さすがにここで殺し合ったなどと話せないため、ひとまず形式的な挨拶だけを交わす。
「お久しぶりです。ソフィアさん」
「朱理ン。久しぶりね。元気だったかしら」
「はい。いつまで滞在できますか?もし良ければ私の部屋で泊まりませんか?」
「泊まりたい!」
ルクスと悠馬を横目に、朱理とソフィアが言葉を交わす。
彼女たちは夏休み、あのお方の一件が片付いてからの僅か数日ですっかりと打ち解けていた。
特に朱理とソフィアは仲が良い。
今のように、自ら泊まる場所を提供するくらいだ。
朱理に一緒に泊まろうと言われて嬉しそうなソフィアは、目をキラキラと輝かせながら右手をあげた。
「それじゃあ一先ず、セントラルタワーへ向かいましょう!」
『おー!』
異能島の観光と言えば、まずはセントラルタワーからだろう。
完全オフでこの場に訪れているソフィアは、周囲を警戒することもなく歩き始めた。
みんなが歩き始めてから、悠馬は立ち止まる。
横を歩いていた花蓮は悠馬に気づき、不思議そうに振り返った。
「悠馬?」
「あ、いや、なんでもないよ。ごめんね」
なんだか今、あのお方と似たような雰囲気を感じ取ったような気がした。
ここ最近異能を使用した戦いを控えていた悠馬は、そのせいで感覚が鈍っているのだと判断して首を振る。
「多分気のせいだ」
あのお方が生きているなんて、絶対にあり得ない。
悪羅のシャドウ・レイを直接受ければ悠馬とて死ぬ可能性のほうが高いし、低レベルなティナでは耐え切れるはずがないのだ。
一抹の不安を抱きながら歩き始めた悠馬を見て、最後尾を進むルクスは、豪華客船へと振り返った。
「……」




