ババ抜き
大きく開かれた、教室のような空間。
端に寄せられた長机を見るからに、誰かが寝泊りする為に作られたものではないことが容易にわかる。
悠馬たちの寝泊りする部屋よりも、3倍ほど大きく、教室のような窓からは、夜の森が見える。
そんな小会議室Dと書かれた室内には、Aクラスの女子生徒が数人、円になってババ抜きをしていた。
まず1人目は、亜麻色の髪色をした少女、茶色の瞳で真剣にトランプを見据えている夕夏。
その左横には、黒髪にショートボブの小柄女子、赤坂加奈。
加奈の横にはチャラチャラ系の女子の國下美沙に、金髪アメリカ人のアルカンジュ、インドア系女子の藤咲というメンバーだ。
性格や容姿だけを見ると、なかなかにカオスなメンバー。清楚にギャルに気難しそうな女、そして外国人というメンツなのだが、案外相性はいいらしく、ここ最近いっしょに遊ぶことの多いメンバーでもある。
要するにいつメンという奴だ。
湊やその他の生徒たちは、美月の体調を見に行ったり、男子の部屋に行ったりしている為、ここにはいない。
「よし、上がり!」
加奈からトランプを一枚取った美沙は、最後のカードが揃い、そのペアを真ん中に置くと、両手を上げて1位上がりを喜ぶ。
しかし、喜ぶ美沙とは裏腹に、残された女子たちは真剣な表情をしていた。
そう、これはただのババ抜きではない。最下位の女子には罰ゲームが待っているのだ。
旅行中、仲のいい女子たちでやるトランプと言ったら、当然賭け事が混ざる。
後味も悪くないよう、金銭的な賭けや物の賭けではないが、それでも今いるメンバーには、絶対に言いたくないような罰ゲームが課せられている。
例えば夕夏は、負ければ好きな人を言わなければならない。加奈は人生で1番恥ずかしかったことを、美沙は初恋のエピソードを、アルカンジュは好きな人を、藤咲は好みの男子を言わなければならない。
その全てはどれも、それぞれが最も話したくない内容なのだ。誰かの秘密を知るには、それ相応のリスクが付き纏う。
負ければ対価として自分の1番知られたくないことを話さなければならないというこの状況で、まだ上がってすらいないのに笑う余裕のある女子など、誰1人としていなかった。
「あ、私も上がりだ」
続いて上がったのは、加奈。揃ったカードを真ん中に投げて、円から少しだけ抜け出た加奈は、ホッとした表情で一息ついた。
どうやら加奈の人生で1番恥ずかしかった出来事は、よっぽどのようだ。普段は落ち着いている加奈も、今回ばかりは本気でババ抜きに挑んでいた。
残された、夕夏、アルカンジュ、藤咲。
アルカンジュから1枚トランプを引いた藤咲は、黙ったまま揃ったトランプを捨て、残りの1枚を夕夏に向けた。
「えっ?えっ!?」
夕夏が藤咲からトランプを引く番だ。しかしながら、この1枚を引いてしまうと藤咲が上がり、残されたアルカンジュと夕夏は最下位決定戦へともつれ込む。
まさか自分が負けるなどと思っていなかった夕夏も、ここに来て好きな人を暴露しなければならないという絶望と恐怖を味わうこととなった。
トランプを引かないといけないが、そしたら藤咲が上がってしまう。しかも今現在、ババを所持しているのは夕夏で、夕夏の残り手札は1枚。藤咲のを引いたところで、揃う確率はないし、次の手番で、アルカンジュからジョーカーではない方を取られるのは、50%の確率。つまり二分の一だ。
どうしても引きたくないが、引かなければ進まない。
プルプルと震える手を伸ばした夕夏は、目を瞑り思い切って、藤咲の最後の一枚を手にした。
あわよくばジョーカーが二枚入っていて、他のカードが一枚足りないようになっていてください!そんな願いを込めながら、夕夏は引いたカードを目にした。
しかし、そんなことあるはずもなく、手にしたカードはハートのエース。
これで完全に、二回に一回の確率で敗北することが決まってしまった。50%の確率での敗北。それは夕夏にとってはほぼ100パーも同然だった。
そう、なぜなら夕夏は、持っているカードが表情に出るのだ。ジョーカーに触れれば、ほんの少しだけ笑みを浮かべ、それ以外のカードに手を触れれば、ショボンとする。
なんでもできる完璧な女子とは言われているが、彼女はトランプはとことん弱い。
もし仮に、先ほどの男子の誘いに乗って、負けたら付き合うことを前提に賭けトランプをしていたら、大敗を喫しおつきあいをすることになっていただろう。
それほど、彼女はトランプに弱いのだ。
1対1のこの状況。お互いに負けることができない為、アルカンジュは何度も夕夏の手札に残された2枚に触れ、彼女の表情を真剣に見つめる。
ハートのエースに触れると、ションボリとする夕夏。ジョーカーに触れると、頬が緩む夕夏。
アルカンジュは、夕夏の表情が芝居である可能性も視野に入れて、ハートのエースを掴み、ほんの少しだけ引こうとしてみる。
「?」
しかしハートのエースは、引き抜くことができなかった。
夕夏は指先の力で、ハートのエースを抜けないようにしているのだ。
これを取られたら好きな人を言わなくちゃならない。絶対に負けられない戦いで負けるのは不味すぎる。
力を入れて引き抜こうとするアルカンジュと、それを必死に食い止める夕夏。
「あ、アルカンジュちゃん、左のほうがいいと思うな?」
「え?そうなんですか?それを先に言ってくださいよ!」
夕夏のアドバイス(大嘘)を素直に聞き入れ、ハートのエースから手を離すアルカンジュ。
ごめんねアルカンジュちゃん。勝負の世界は甘くないんだよ。
純粋無垢なアルカンジュを騙してしまったことを申し訳なく思いながら、心の中で呟く夕夏。
「えいっ!」
「あっ!」
夕夏が見せた隙。それをアルカンジュは見逃さなかった。
そう、彼女は最初から、夕夏のアドバイスなど聞く気がなかったのだ。
夕夏からハートのエースを引こうとした時、夕夏は指先に力を入れて、カードを引き抜けないようにしていた。
その時、アルカンジュは、「あっ、これジョーカーじゃない」と確信していた。
「私の勝ちですね!ふふん!」
予想通り、ジョーカーではなくハートのエースを引き抜いたアルカンジュ。円の中心にカードを投げると、勝ち誇ったような笑みで腕を組んで見せた。
「よし!夕夏の好きな人!」
残っていたアルカンジュと夕夏のババ抜きが終了し、歓喜する女子たち。
それは当然?のことだろう。学年1、校内1の美女と噂され、親は元総帥の大金持ち。中学は超のつくほどエリート校で、異能、学力、財力も他の人間とは比べ物にならない。
周りから見れば、さぞ生まれた時から全てを与えられているようにしか見えないことだろう。
その美哉坂夕夏が、好きな人がいるというのだから、どんなイケメン。はたまたどんな金持ち、若しくはどれだけ強い異能を保有しているのか。男でも女でも、こんな話題を見過ごす生徒なんて、どこにもいないのだ。
「勝ちましたよ!みんな!」
歓喜する女子たちを見て、両手を上げて喜ぶアルカンジュ。それにグッジョブ!と親指を立てた美沙は、おもむろに立ち上がると、会議室の入り口まで行き、鍵をカチンと閉める。
これは夕夏が脱走しないように、この空間から誰も出入りできないようにしたのだ。
にっこりと笑う美沙は、いつもよりも遅めのスピードで半泣きの夕夏まで歩み寄ると、背後から彼女を抱きしめ、動かないようにロックする。
「さっ、言おうか?約束は守るよね。夕夏?」
「うぅっ…」
夕夏からして見れば、完全に誤算だった。5人でのババ抜き。その一回ポッキリの賭け勝負で負けることなどほぼあり得ないだろうと、甘い考えで賭けを受けてしまったが、夕夏は賭け事には非常に弱い。完全敗北した夕夏は、逃げられるような立場でもなく、強制的にやらされた賭け事でもなかった為、言い訳もできない。
「ゼッタイ、ゼッタイに秘密だからね?」
上目遣いに半泣き。今にも泣き出しそうな表情でこの場にいる女子たちを見つめる夕夏。それを見た女子たちは、ゴクリと生唾を飲み込み、夕夏の可愛さを再認識した。
これは絶対に秘密にしなければならないと。
「あー、私女だけど夕夏は全然アリかも。ってか、泣いてる夕夏を強引に襲いたいんだけど!」
「まあ、わからなくもないね」
「話、脱線してるけどいいの?この娘、隙があれば話題逸らして逃げると思うけど」
美沙が夕夏を抱けると発言したことにより、若干脱線しつつあった夕夏の想い人の話だが、加奈が夕夏が逃げる可能性を示唆すると、周りの女子たちの視線は、一気に夕夏へと向いた。
「さ、流石に逃げないよ!負けたの私だし…」
「それじゃあ言ってみましょう!」
両手を振って、私は逃げないという夕夏に、ノリノリで手を差し出すアルカンジュ。まるでマイクを持ったリポーターのように夕夏の口元まで手を近づけたアルカンジュは、だれ?だれ?と言いながら、夕夏を立ち上がらせた。
未だ嘗てないほど、顔を真っ赤にしながら立ち上がる夕夏。
「ゆ、悠馬くん…が…す、好き…」
「悠馬って、悠馬?」
「え、美沙がワンチャン狙ってた人じゃん」
つい先ほど、風呂場で美沙が話していた悠馬の話は、まだ記憶に新しいものだ。
その話題を知っていた女子たちは、悠馬という単語で夕夏の好きな人をすぐに察した様子だ。
「いやぁ、マジかぁー、私、悠馬はイケメンだし、夜の営みうまそうだし、割と本気で狙おうと思ってたんだけどなー」
「や、やっぱり美沙も悠馬くんのこと…」
「ぁ!いゃいゃ!夕夏!そんな顔しないで!大丈夫よ!安心して、過去形だから!夕夏を振るようなら、私があいつの股間を潰してやるから!」
競争相手が夕夏となると、困ったなーという表情をした美沙だったが、美沙の狙っていた発言を聞いた夕夏を見て、慌ててあやす側へと回る。
にっこりと笑い、素直に夕夏を応援しようとする美沙は、指先をぐっと動かし、まるで男の大事なところを握りつぶすような仕草を見せる。
「それで?夕夏ちゃんは暁くんと話しとかしてるの?学校じゃあまり話してないように見えるけど…」
女子から見てみれば、そうだろう。悠馬と夕夏は、学校ではほとんど言葉を交わさない。その理由は、夕方以降、夕夏が友達と遊びに行っていない時は、ほとんどの確率で悠馬の寮にいるから、わざわざ高校の中で話そうだなんて思わないし、最近はいつもよりも会っている時間も長くなった為、高校の中ではあまり話さないのだ。
「ん…?そういえば夕夏、なんで夜遊べないの?」
学校ではあまり話していない。夜の帰りが早い。それを疑問視し、何かが繋がったのか手を叩いた美沙は、これは何かあるのでは?と、夕夏に攻撃を仕掛ける。
「あ…!や…!その…!それは…ご飯作ったりしないといけないし…それに補導とかされたら嫌だし…お父さんにバレたら怒られるから…」
想像以上に真面目ちゃんな夕夏は、中学校までは門限があったし…などと心内で考えているものの、とりあえず、悠馬の寮に毎晩通っているのはバレてはいけないことだと判断し、別の言い訳を唱え続ける。
「ご飯くらい外食でいいんじゃない?学生証提示したら、朝昼晩毎日外食、1ヶ月で3万くらいよ?寮費も学費もかからないんだから、両親に頼めばそのくらい出してくれるって!偶には一緒に外食しようよ?」
「それともなぁに?近くの寮の人にご飯を作ってあげてるとか?ダメよ夕夏、それは好きな人にだけしてあげればいいの。他の男にやってたら、俺に気があるんじゃないかーって、勘違いされるわよ?」
「う、うん、そうだね。したことないけど気をつけます」
どうやら美沙は勘違いをしてくれたようだ。夕夏が優しすぎるから、他の寮の人の分もご飯を作っているのでは?と勘違いしてくれたおかげで、藤咲やアルカンジュから、無理しちゃダメだよーなどという言葉が聞こえてくる。
どうやら、悠馬の寮に通っていることはバレていないようだ。
現在進行形で、ほぼ毎日悠馬の寮に通いご飯を作り、最近は添い寝でもしようかと考える過激な夕夏を知られたら、クラス内は、いや、第1は大惨事になることだろう。
「夕夏、私たち、いつでも夕夏の話聞くから。不安になったら連絡してきなさいよ」
「うん!ありがとう!」
いつもは周りが見え気配りができる完璧お姉さん、女子でも甘えたいと思ってしまうほどの夕夏だが、恋愛に関しては疎い、可愛らしい表情をする彼女を見たメンバーは、母性本能をくすぐられたのか、甘やかしたいという感情が芽生え、夕夏に協力する意思を見せる。
「おいお前ら。消灯時刻は過ぎてるぞ。こんな時間まで何してる?」
話がまとまった直後、カチンという音が響き渡り、スーツ姿の女教師が入ってくる。Aクラス担任の千松鏡花だ。
「げ、やば!もうこんな時間!」
「わかったら早く部屋に戻って寝ろ。明日も忙しいぞ」
鏡花に言われ、時計を見た美沙は慌ててトランプを片付けると、ヘコヘコしながら外へと出て行く。その後ろを、藤咲、加奈、アルカンジュ、夕夏の順で出て行くと、鏡花は怒ることもせずに、その光景を黙って見送った。どうやら今回は注意だけだったらしい。
「でも、お付き合いって何をするものなんだろう?」
1番最後を歩きながら、鏡花の様子を伺う夕夏は、ふと脳裏によぎった疑問に、首を傾げた。




