暗い話
「娘は…学校を楽しんでるかい?」
「はい。毎日遊びまくってます」
学力も周りに追いついてきたし、今は勉強よりも、遊びに回している時間の方が多い。
「はは、それは良かった。…私のせいで、娘には随分と苦労をかけてしまったから…」
きっとアットホームながらも冷めた雰囲気だったのは、オリヴィアに対する申し訳なさと後ろめたさがあったからなのだろう。
嬉しそうに悠馬の話に聞き入るミカエラを見た限り、家族関係が冷え切っていると言うわけではなさそうに見える。
悠馬はそんな彼を見てから、自身の右手を一度見下ろした。
(俺なら彼を救えるんじゃないのか?)
そんな自信のような何かが、胸の中にはあった。
セカイを使えば、使えなくなった臓器を元どおりに戻すことも、体力を全盛期に戻すことだってできるはずだ。
ならば余命が近いであろう彼女の父親を救うために有効活用すべきなんじゃないのか?
悠馬は意を決したように、ミカエラを真剣に見つめる。
「…俺の異能で…貴方を救いたい。貴方の身体じゃぁもう…」
長くは生きられない。
そう言おうとして口を噤んだ悠馬は、嬉しそうな表情を浮かべるミカエラを見て、立ち上がろうとする。
きっと救えるはずだ。この異能で、この力で人を笑顔にできる。
しかし、悠馬の期待は裏切られることとなった。
「ありがとう。でも結構だ」
「…え?」
彼の口から出たのは、治してほしいという願いの言葉ではなく、拒絶だった。
「どうしてですか!オリヴィアのことを思ってるなら…もっと生きてくださいよ!彼女を…!もっと愛してあげてくださいよ!」
「俺の異能ならそれができる!ミカエラさんの余命をなかったことにして、オリヴィアを喜ばせることができる!」
まさか拒絶されるなどと思ってもいなかった悠馬は、声を荒げながら机を叩いた。
「…本当は、生きられないはずだったんだ」
「っ…」
薄々感じていた。
彼のような大怪我で、5年も生きている方が奇跡に近いと。
「余命は3週間もないと告げられた。それでも5年生きた。必死に歩けるまで持っていった。…娘を元気に出迎えるために」
「また…オリヴィアが帰ってきた時も出迎えてくださいよ…今日みたいに優しく出迎えてくださいよ…」
父親を早くに亡くしたからこそ、これから先オリヴィアに待ち受けているであろう試練がわかる。
彼女にはまだ父親が必要だ。彼女にはまだ涙を流して欲しくない。
子供がワガママを言うように呟いた悠馬は、和やかなミカエラを見てから、ソファに崩れた。
「どうして笑ってられるんですか…残される人の気持ち…考えたことないんですか…理解できません…」
目の前に転がっている、生。
それを拾うことは簡単だが、スルーすることは誰も考えない。
だって死ぬんだよ?無に還る。その先に何が待ち構えているのかなんてわからないし、きっと死んだら、何の感覚もなく、真っ暗な空間で自我もなくぐちゃぐちゃに混ぜられて無限のような時間を過ごすことになる。
なんで笑顔でそんなところに行けるんだよ?
「…正直ね。君を見るまでは…生きたかったんだよ。娘にいい人が、いい夫ができるまでは、悪魔に魂を売ってでも生きたいと願った」
「なら…!俺とオリヴィアが結婚するまで生きてくださいよ!」
「…君だから。私は安心したんだ。君のような素敵な恋人を娘が連れてきたから。私は安心して天寿を全うできる」
「……」
悠馬は思考をぐるぐると回しながら、ふらつく視界で手を伸ばす。
(この人は絶対に拒絶する。
俺がなんと言おうが、彼は俺の異能を受け入れない)
ならば力づくで体を元の状態に戻すしかない。
オリヴィアにはもう悲しんで欲しくない。自分のように父親を亡くす悲しみだけはわかって欲しくない。
悠馬はセカイを発動させ、ミカエラに触れようとした。
「っ…オリヴィア、放せ」
悠馬の手は、ミカエラに届くことはなかった。
彼女の冷ややかな掌が、悠馬の右腕を掴んでいたからだ。
「…話は…全部聞こえたぞ。父さん」
「わかってるだろ。俺のやろうとしていることが…放せオリヴィア。これはお願いじゃなくて命令だ」
オリヴィアは白いワンピースのまま、悠馬の腕を掴んでいた。
きっと彼女は、最初から扉の前で聞き耳を立てていて、話を全て聞いていた。
会話内容を知られていると悟った悠馬は、自身のやろうとしていることを理解しろと言いたげに、強引に手を振り払おうとした。
「いいんだ。悠馬。これでいいんだ。ありがとう」
そう言ってオリヴィアは笑った。
悠馬はそれが理解できずに、瞳から涙が溢れた。
「…なんでだよ…なんでそんな顔できるんだよ…」
父さんが余命わずかだって知ってるのに、なんでそんな顔で笑ってられるんだよ。
「…父さんの望んだことだ。…私も悠馬も、止める資格などない」
「資格なんていらねえだろ…!生きてほしいから生きてもらうんだろ!なんでそんなに割り切れるんだよ!」
「割り切ってなどいない!まだ混乱している!…だけど…お願いだ。悠馬。君の異能で、私の父の運命を変えることだけはやめてくれ…」
その異能は、その力を使えば、人の領域を超越することになる。
まだ納得もしていないし、理解もできていない。ただ、父親が望んでいなくて、そして悠馬が人という枠組みからはみ出すことだけは阻止したいオリヴィアは、笑顔のまま大粒の涙を溢した。
「ごめんね。オリヴィア。私がこんな身体になったせいで…」
「父さんのせいじゃない…!私こそ気づかなくて…バカな娘でごめんなさい!」
父が残りわずかな寿命だったと言うのに、オリヴィアは父のためにと、軍人として精神をすり減らしてきた。
その間に父と一緒に過ごす時間が減り続けていたというのに。
間違った時間は、選んだ結末はもう変えることはできない。
いや、変えることはできる。…でも、ただ…当人たちが望んでいないのに、勝手に結末を変えるのは…
「良くないのかな…」
悠馬は小さく呟く。
「教えてくれ…死神…悪羅。お前ならこんな時、どうする?どうしてた?」
***
それから悠馬は、ミカエラに将来的には娘を頼んだという、許婚宣言のようなものを受けた。
しかし心は晴れなかった。
もちろん嬉しかった。好きな人と結婚していいって言われたんだ。
でも、それ以上に彼女の父親のことが心配だった。
黒塗りの高級リムジンに揺られる悠馬は、オリヴィアの反対を押し切ってでも異能を発動させるべきだったんじゃないか…と考えてしまう。
いや、きっと悠馬が異能を使っていたら、彼は自殺を選んだことだろう。
願ってもない生を手にした人物がすることなんて、1つしかない。
どちらにしろ行き止まりだったんだ。
浮かない表情を浮かべる悠馬を横目に、ボディガードの大男は、サングラスをとって涙を拭っていた。
どうやら彼も、悠馬の会話に聞き耳を立てていた1人のようだ。
彼も生きて欲しい派の人間に違いない。
何しろ自分が仕えた主人なのだ。そんな人物とのお別れは、あまりにも悲しすぎる。
「悠馬…」
「…なに」
「すまない。もっとこう、楽しい無茶苦茶な実家帰省になると思っていたんだ」
父に猛反対され、2人で逃げ出すなんてことを考えていたんだろう。
悠馬だって、少なからずそう思うところはあった。でも違った。
申し訳なさそうに謝罪を入れたオリヴィアは、悠馬を抱き寄せる。
「すまない。君に嫌な決断をさせてしまって」
確かに悠馬はミカエラの命を救えた。
だからここで救わなかったと言うことは、いくら彼が望んだ結末と言えど、見殺しにしたのと同義だ。
「……オリヴィア。きっと苦しいよ。…俺は父さんが…家族がいなくなった時、すごく苦しかったし…オリヴィアも同じ気持ちになると思う」
「っ…」
家族が死ぬって、そういうことだ。
どうしようもない喪失感と虚無感が襲ってきて、口では死んで欲しいなどと言っていた両親でも、いい思い出ばかりがフラッシュバックして涙が止まらない。
きっとごく普通の家庭であればあるほど、その苦しみは大きくなる。
「…その時は。俺に全部ぶつけていいから。泣いていいから。俺はずっとそばにいるから」
そう言うしかない。それしかできない。
人は無力だ。死を目前に、選んだ死を見届けることはできても、苦しみや悲しみはなくすことはできない。
その先に死があるのだと知ってしても、寂しいし悲しいし苦しい。心の準備なんてできない。
それを知っているからこそ、悠馬は手を伸ばす。
彼女の苦しみを、少しでも和らげるために。
「…父さんの言った通りだ」
「…え?」
オリヴィアはポロポロと頬を伝う涙など無視して、力なく微笑んだ。
「私の恋人が、君でよかった」
オレンジ色に染まる夕焼けがカーテン越しに差し込み、オリヴィアがとても色っぽく、艶やかに見えた。
苦しみを分かち合うように、悲しさから逃げるようにオリヴィアへと抱きついた悠馬は、ボディガードが同席していることなど忘れて、肩を震わせる彼女を撫で続けた。
修学旅行初日。
悠馬の初日はどうしようもない虚無感と、そして喪失感を感じながら、幕を閉じることとなった。
そう思っていた。夜までは。
悠馬はショックを受け、凹んだ状態でベッドに横になっていた。
「なぁ連太郎」
「んだ?」
真っ暗な部屋の中、悠馬は寝巻き姿で口を開く。
指名したのは、腐れ縁で同室の連太郎の名前だった。
「お前、救える命があって…当人から救わなくていいって言われたらどうする?」
「見捨てるな。死にたいんだろ?そっとしておいてやれよ」
「それが好きな人の父親でもか?」
「…俺は暮戸ボコした人間だぜ?」
「…悪い、相談相手間違えたわ」
コイツに聞いても無駄だった。
好きな人の父親を逮捕した連太郎からまともな答えが返ってくるはずもなく、悠馬は黙り込む。
「らしくねえな。お前だから割り切れると思ってたんだが?だが〜?」
「…そうだな。この力を…この異能を手にしてから…どうしても思っちまうんだよ。俺なら何かを変えれたんじゃないか、救えたんじゃないか…ってさ」
「はは、痴がましいにも程があるだろ。誰もお前に生かされることなんて望んでねーよ」
「…そだな」
言われてみれば痴がましい話だ。
ガキが何を言っているんだと思うだろうし、この力を手にしたからといって、世界を変えるつもりもない。
神になるつもりなどない人間が力を振るえば、それは脅威にしかならないのだ。
「…少し落ち着いたわ。ありがとな」
「そういや、今日のハワイ島では篠原さんが男とお散歩してたな〜」
「は?」
辛いお話から、突如として核爆弾が落下したような話になる。
一瞬にして脳内が真っ白になった悠馬は、むくっとベッドから起き上がり、唖然とした表情で連太郎を見た。
「和気藹々と話してて〜、栗田たちもあれはデキてるって騒いでたな〜、悠馬に言ったら大惨事だから黙っとこうって話してたけど」
「……いや、美月に限ってそんな…」
(ん?いや、待てよ?
美月と俺って、キスまでしかしてなくね?)
付き合い始めてから1年と2ヶ月。
普通学生カップルといえば、1年付き合えばそこそこの行為に及んでいるはずだ。
しかし美月はいつも拒絶をしてきたし、ベッドで一緒に寝る時だって距離を置かれていた。
心音が徐々に早くなる悠馬は、ドクドクと耳に自身の心音が聞こえてくるような気がして、頭がクラクラとしてくる。
いや、あの一途で従順な美月に限って…
「人って、体の相性で浮気するかどうか決まるらしいぜ」
「……」
連太郎の追い討ちを喰らう。
(え?俺が美月に拒絶されてた理由って、身体の相性が悪そうだったからってこと?)
話を聞いてくるくると目を回す悠馬は、頭の回線がショートしたのかベッドに倒れ込む。
「お前、そろそろ本気出さねえと篠原さんは寝取られるかもな」
悠馬の修学旅行は続く。




