ハイツヘルム邸
「オリヴィア!」
黒人の大男に詰め寄るオリヴィアを見て、悠馬は慌てて止めに入ろうとする。
オリヴィアは異能がなければ非力な女性だ。
それは彼女の身体に触れてきた悠馬がよくわかっているし、彼女は剣を振る最低限の筋肉しか付いていない。
間違っても大男に勝てるわけがないし、大怪我をするのは目に見えている。
金髪を風に靡かせながら歩くオリヴィアを見下ろす大男は、数秒彼女を凝視した後に、膝をついた。
「…申し訳ありません、お嬢様!」
「…ん?」
お嬢様ぁ!?
仁王立ちするオリヴィアへと膝をつき謝罪をする大男を見た悠馬は、唖然とした表情で2人を交互に見る。
「せっかくの修学旅行なんだ。雰囲気を悪くしないでくれ」
「しかしお嬢様…!貴女のことを知らない人間など、この島にはおりません!ハイツヘルムの娘として、節度ある…」
「……氷漬けにされたいのか?」
「……」
黙っちゃったよボディガードさん…
ハイツヘルムを知らない人間なんて、このアメリカ支部には存在しない。
何しろ御伽話に出てくる有名な存在で、しかもオリヴィアのパパは軍の英雄なのだから、知らない人なんていないだろう。
流石にオリヴィアが戦神だということは知られていないだろうが、それでも彼女がハイツヘルムの娘であるという情報は、家族と歩いていただけでも流出する。
ハイツヘルム家の人間として、恋人とも節度ある関係を保て。そう言おうとしたボディガードは、オリヴィアから漂ってきた冷気を感じ取り黙り込んだ。
どうやらボディガードは、オリヴィアが戦神だと知っているらしい。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
跪く黒スーツの大男を見かねてか、車の中から黒スーツの女性が降りてくる。
真っ白な肌に金色の髪、そして体格を見る限り、彼女が戦闘員でないことは明白だ。
悠馬はわけがわからないと言いたげにオリヴィアを見つめ、首を傾げる。
「あのー、オリヴィア、コレどういう展開?」
「お迎えだ」
「うん、それはわかるんだけどさ…」
歓迎されてない気がするんですよ。
冷ややかな視線のスーツの女を見て、彼女も自分のことを歓迎していないのだと悟る。
まぁ、オリヴィアは元々暁闇の調査という任務で日本支部の異能島に行っていたのに、そんな彼女を籠絡する日本人がいたのだから良くは思わないだろう。
「彼が…お嬢様の恋人ですか?」
「そうだ。何か文句でもあるのか?」
「…アメリカ支部の人間よりも遥かに細身に見えます。こんな貧弱な身体ではお嬢様をお守りすることはできません」
悠馬を睨みながら話す女性。
お嬢様の恋人だというのに、彼女たちは容赦のない発言をしてくる。
これなら美哉坂邸の総一郎の方がまだ優しかったかもしれないと思えるほどだ。
というかそもそも、日本人とアメリカ人じゃ体格に差が生じるのは仕方のないことだし、プロテインこそ飲んでいないものの、悠馬はヴァズの巨体に引けを取らない身体能力と筋力を有している。
手厳しい発言を繰り出すスーツの女にムッとした表情を浮かべたオリヴィアは、悠馬の後ろへと回ると、制服のカッターシャツを捲り上げて悠馬の腹筋を見せた。
「ちょ!?」
「悠馬は筋肉はある。それにレベルだって私より高いし、少なくともイギリス支部の総帥と日本支部の総帥に認められている!見た目だけで判断するな!」
珍しく怒っているオリヴィアが可愛い。
けど1つだけ凹むことがあって、見た目だけで判断するなってことは、見た目では弱そうだと思ってるってことですよね?はい。
実際はアメリカ人の体格と比べての話をしているのだが、それを理解できていない悠馬は自分の見た目がヒョロイのだと凹んでいる。
「お嬢様よりレベルが…」
「高い?」
どうやら女性の方も、オリヴィアが戦神だと知っているようだ。
あからさまに驚いた表情を浮かべた大男は、顔からサングラスをずり落とす始末だ。
「ああ。私の選んだ人に文句など言わせないぞ。わかったらその目をやめろ」
「はっ。申し訳ありません」
誰だって、好きな人にゴミを見るような視線を向けられたら腹が立つ。
オリヴィアは由緒ある家系のため色々と口出しされるのだろうが、彼女は有無を言わさぬ軍人モードで2人を冷たく睨み、車の中へと案内させる。
「あのー?オリヴィア?」
「なんだ?」
「これってオリヴィアのお父さんに挨拶しに行く感じ?」
「挨拶じゃない。黙らせに行くんだ」
黙らせに!?
リムジンのような黒塗りの高級車の中に乗り込んだ悠馬は、彼女の黙らせに行くという言葉を聞いてギョッとした表情を浮かべる。
近くに座っていた黒人の大男も、驚きのあまり口がぽかんと開いていた。
いや、そりゃあ誰だってそうなるよ。誰が自分の親を黙らせに行くなんて言うよ。
いくら彼氏のことを受け入れてもらえないだろうからって、いきなり強硬手段に出そうなオリヴィアを見て、悠馬は驚愕する。
「平和に…行こう?」
「無理だ。私の父は厳しい。今は怪我も治っているし、きっと色々と口を挟んでくるだろう」
「ああ…」
確かオリヴィアのお父さんは、世界大戦で大怪我を負って、その後にオリヴィアが戦神として登場したんだった。
当時は猛反対していたオリヴィアの父だが、怪我のせいで強硬手段に出たオリヴィアを止めることができず、深い後悔に苛まれたはずだ。
…だから今、怪我も完治しているオリヴィアの父は強硬手段に出ることもできる。最愛の娘のためにも、きっとどこの馬の骨かもわからない男とのお付き合いなんて辞めさせようと判断するだろう。
義理の父親になるかもしれない相手と殴り合いをしたくない悠馬は、怯えたように肩を竦めた。
「お父さん、怖い?」
「怖くはないぞ。いつもニコニコしている」
「お母さんは?」
「母は…まぁ、見ればわかるはずだ」
なんか言葉を濁された気がする。
お父さんのことについてはペラっと話したのに、お母さんのことは説明しなかったオリヴィアに不安を覚える。
「到着しました」
「近っ!?」
運転席からスピーカー越しの声が聞こえ、悠馬はカーテンで閉ざされた車の窓を隙間から覗く。
「…おお…」
オリヴィアの実家は、とんでもない豪邸だった。
真っ黒なイカツイ柵が全自動で開き、黒塗りのリムジンがその中へと入る。
隙間から見えるだけでも、花畑や噴水など、まるで異世界転生した王族の家のような景色が広がっていた。
「…坊主」
「はい?」
「レベルは?」
「…99」
「………冗談と言うわけではあるまい」
「はい」
男が何の意図で尋ねたのかはわからないが、悠馬が冷やかして言っているわけじゃないことはわかってくれたはずだ。
何か忠告をしようとした黒人の大男だったが、悠馬のレベルを聞いてから口を噤んだ。
「降りるぞ」
「あ、うん」
車が停車し、オリヴィアは開いた扉からすぐに降りる。
ボディガードである大男は、家の敷地内だからか、2人について降りてくることはなかった。
オリヴィアに手を引かれ、柔らかい芝生の上に降り立つ。
こんなに美しい景色を見るのは、いつ以来だろうか?
地上の楽園と言われても納得してしまうような美しい花々と、そして白亜の豪邸を見た悠馬は、自分の恋人の家柄の凄さを改めて実感する。
「お帰り。オリヴィア」
「父さん!」
悠馬が景色に見惚れていると、豪邸の扉の前には少しガタイの良い白人の男が立っていた。
黒人のボディガードよりも細身で、どちらかというと南雲に近い体型。
悠馬よりは筋肉がありそうだが、それでもアメリカ人の軍人にしては細身な気がする。
飛びつくオリヴィアを見た悠馬は、彼が彼女の父親だと悟り、目を合わせるとすぐにお辞儀をした。
「やぁ。はじめまして」
「はじめまして」
オリヴィアの頭を優しく撫でながら、彼は柔和な表情で悠馬へと挨拶をした。
黙らせに行くなどと聞いていたからかなり恐怖を感じていたが、オリヴィアの様子とパパさんの様子を見る限り、今から殺し合いが始まるわけではなさそうだ。
「オリヴィア、立ち話は失礼だから部屋に上がるよ」
「ああ。悠馬、ついてきてくれ」
「はい」
玄関の前で立ち話をするのは失礼だ。
最低限の歓迎はしてくれるのか、それとも普通に歓迎しているのかはわからないが、オリヴィアの父は優しく迎え入れてくれる。
「オリヴィア、君は少し柔らかな表情をするようになった。日本支部は楽しいかい?」
「ああ!すごく楽しい。毎日が幸せだ」
「そうか。それは良かった」
父親として気になっていたことを訊ねる。
オリヴィアは中学時代から軍人として生活してきたため、父親としては心配なことだろう。
常識とか、友人とか…
嬉しそうなオリヴィアを見て安堵する彼は、軍人というよりも、父親という姿がよく似合っているように感じた。
彼からはもう、なんのオーラも感じなかった。強者特有の独特なオーラも、何もかも。
悠馬はそのことに違和感を感じながらも、仲良く話す2人の後に続く。
「君は着替えてきなさい」
「え?私はこのままでも…」
「いいから」
応接室のようなところの前で立ち止まったオリヴィアの父は、彼女を追い払うようにして着替えてくるように命じる。
この日のために精一杯おめかしをしてきたオリヴィアは、今更何に着替えるのだと言いたげな表情で、父親の言いたいことを理解していなかったようだが、とりあえず言われるがままその場を後にする。
「悠馬は…」
「私と話す」
「…」
なんだか、アットホームな雰囲気だけど、冷めた家庭だと感じた。
それが何故なのかはわからない。ただ、彼の表情に見え隠れしているのは、少なくとも敵意などではなく、もっと別の、諦めたような感情で…
不安そうなオリヴィアへと微笑んだ悠馬は、応接室の扉を開いた彼の背後に続いた。
「始めまして。私はミカエラ・ハイツヘルム。元軍人でオリヴィアの父親だ」
部屋へ入るや否や大きなソファへと手を差し出したミカエラは、悠馬を座らせてから自己紹介を始める。
「始めまして。俺は暁悠馬です。オリヴィアの恋人でもあります」
一度お辞儀をしてからソファに座った悠馬は、落ち着いた様子の彼を見てから、一度視線を逸らした。
そこにはたくさんの写真が飾ってあった。
きっと小学生時代のオリヴィアであろう写真や、軍の面々と撮った写真、そして結婚式の写真から、何から何まで。
「…まずはありがとう」
「…え?」
反対されると思っていた、恋人関係。
その覚悟の上でこの場に臨んでいた悠馬は、深々と頭を下げるミカエラを見て硬直した。
「娘が…彼女が精神的に限界を迎えているのは、ずっと前から知っていた。でも…だが…」
ミカエラは深々と頭を下げ、苦しそうに着ていた服をめくった。
「っ…」
彼がめくった服の下には、おそらく致命傷であろう大きな傷が残っていた。
きっと彼から全くオーラを感じなかったのは、彼が痩せているように見えるのは、これが原因だ。
「…私はこの身体で…彼女を止めることも、叱ることもできなかった」
彼の傷は、骨盤のあたりから心臓部分に達していて、おそらくいくつもの臓器がダメになっているのだろうとすぐに悟った。
そして彼の余命が、そこまで長くないことも。
「…いつから…ですか」
「5年前」
「…」
オリヴィアは父が怪我をしたと言っていたが、きっと彼女はこの事実を知らない。
彼女が簡単に軍人になれた理由もわかった。
隊長クラスの戦力を戦時中に失ってしまえば、大きな替えが必要になる。
それがオリヴィアであって、そして大怪我で死にかけだったミカエラは、彼女を止めることができなかった。
「…3年入院してたんだ。それからもずっと車椅子生活で、歩けるようになったのはつい半年前」
止めたくても止められなかったんだ。
オリヴィアは口で言っても聞かないタイプの人間だ。だけどミカエラは怪我をしていて、力づくで止めることができなかった。
だからオリヴィアは、頑張り続けて壊れかけた。
約半年付き合って、彼女の父親に何があったのか、何故止めてくれなかったのか、ようやくわかる日が来た。
「だからありがとう。娘を呪縛から救ってくれて。愛してくれて」
「…いえ。感謝されるようなことじゃありません。俺とオリヴィアがしたのは、傷口の舐め合いみたいなもので、明確に彼女が救えたわけでもなければ、本当に、お互いを慰め合っただけですから…」
悠馬は寿命を、オリヴィアは精神を。
お互いに慰め合って、気持ちをぶつけ合っただけ。
彼女を救いたいと言う気持ちではなく、自分の気を楽にしたいと言うその一心で、彼女に寄り添ってもらった。
とても褒められた付き合い方じゃないし、今は愛し合っているのだとしても、最低最悪のクズのすることだと言うことは、自分でもよく理解してる。
だから感謝される必要はない。
「それでも…ありがとう」
悠馬の感情を読んでいるのか、それとも読めていないのか。
悠馬が感謝されることじゃないと言っても、彼はひたすら、感謝の言葉を呟いた。




