アメリアはお怒りのようです
あれから数日が過ぎた。
身体の芯から疲れが取れた悠馬は、微かに聞こえる蝉の鳴き声で目を覚ます。
いつもと違う、女性特有の匂い。
男では絶対にあり得ない、甘く柔らかな香りにつられる悠馬は、ゆっくりと目を開きながら香りのする方へと手を伸ばした。
柔らかい。その一言に尽きた。
横に眠る紫髪の女性は、同じベッドの上で無防備に眠っていた。
真っ黒な大人びた下着一枚で無防備に眠る彼女を見ていると、グッとくるものがある。
思春期真っ盛りの悠馬にとって、朝からソフィアの下着姿を見ると言うのは目に毒だ。
生唾を飲み込んだ悠馬は、眠っている彼女の身体に触れ、笑みを浮かべた。
「こんなに美しい人が、俺の彼女なのか」
これは国でも五本の指に入るほどの美人だ。
イギリス支部では金髪のソフィアは絶大な人気を博していたし、紫髪の状態を知っているイギリス支部国王ですら求婚をするレベル。
完全無欠のお姉さん(天然なところを除く)が彼女だ。
正直イギリス支部総帥が恋人になったなんて、いまだに信じられない。
「jカップって凄いよな…」
この大きさになるともう、顔は埋められるし、なんだってできてしまう。
これでもまだ戦乙女隊長のセレスさんよりも一回り小さい気がするが、それでも男の浪漫を掻き立てるには十分すぎるサイズだった。
オリヴィアでも大きすぎると思っていたが、ソフィアはそれよりも一回り大きいのだから、悠馬が釘付けになるのも当然なのかもしれない。
巨乳好きというわけではないが、巨乳がいれば視線が向かってしまうのが男の性だ。
だって道端に筋肉むきむきのお兄さんが歩いていたら、女性だって目がいくだろ?それと同じ要領。
眠っているソフィアの頬にキスをした悠馬は、ソフィアを抱き寄せ、自身の胸元で優しく撫でる。
「最高に可愛いよ。ソフィ」
この数日間、悠馬はただひたすらにソフィアを愛でていた。
その理由は彼女がイギリス支部で迫害され、これまで両親以外に愛されていなかったからだ。
魔女だと言われ、他人からは疎まれ、唯一理解してくれたのはアメリアだけ。
そんな彼女は、愛情を向けられることが極めて少なかったはずだ。
他人が愛情を向けないなら、その分の愛情を自分が向ければいい。
その結論に至った悠馬は、こうしてソフィアを愛でているというわけだ。
襲いたいこの寝顔。
ソフィアの同意もない今襲えば今日の夕刊になるだろうが、こんな美人と眠っていたら、手を出さない自分がおかしいのではないかと感じてくる。
「ん…」
「おはようソフィ、眠れた?」
「ええ。すごく気持ちよく眠れたわ。悠馬、おはようのキスをして」
「好きだな、ソレ」
ソフィアに言われた通り、悠馬は寝起き間もないソフィアへと口づけを交わす。
朝から熱いキスをする2人は、お互いに肩を掴み合い、そして布団の中で絡み合いながら頭の中を覚醒させていく。
この頃にはもう、自分が手を出さなかった理由とか、男としてどうなのか、なんて考えは消え去っている。
いつものルーティーンと化したこのキスは、悠馬の煩悩を振り払ってくれる最強の行為でもある。
「おはよう、悠馬くん、ソフィアさん。起きてる?」
「お、おはよう夕夏。朱理は寝ているのかしら?」
名残惜しそうに唇を離すソフィアが、思い切って再びキスをしようとしたタイミング。
音も立てずに開いた扉から現れた夕夏は、下着姿のソフィアを見てニヤニヤと笑っていた。
「ソフィアさん、勝負下着?」
「ち、ちが…!」
黒のド派手な大人びた下着なんて、彼氏を誘っているようにしか見えない。
ベッドの上で2人きりの朝を迎えたであろう男女の片方が下着姿だったら、誰だってその可能性を感があるだろう。
しかし夕夏の考えは、思い過ごしに終わる。
ソフィアは案外ピュアなのだ。付き合い始めてから濃ゆいキスは何度もしているが、身体の関係には至っていない。
「ちなみに朱理は、まだ寝てるよ。あの子最近、夜遅くまでゲームしてるから」
「ゲーム?」
「うん、ソフィアさん知らない?」
ゲームと言われて首をかしげるソフィア。
ソフィアはイギリス支部総帥だし、仕事が多くてゲームをする機会なんてないのかもしれない。
「ええ…あまり詳しくはない…かしら。私高校時代は友達がアメリアしかいなかったし、アメリアはそういう類の遊びはしなかったから」
なんだが聞いてて悲しくなってきた。
高校時代に友達が1人しかいなくて、しかも大人になってもその友達1人だけとつるんでいるなんて、可哀想すぎる。
ソフィアの境遇に同情を隠せない夕夏は、ソフィアへと飛びつき、そして優しく包み込んだ。
「私たちとたくさん遊ぼ?ソフィアさん」
「夕夏…!うん!私も貴女たちと遊びたい!」
大人びて見えるが、ソフィアは青春を味わうことのできなかった1人の女性だ。
これまでしたことのないゲームで遊ぼうと言われたら、ホイホイと乗ってしまう。
この状況を見て、悠馬はあることを思った。
多分もう、ソフィアは彼女たちと馴染めているからなんの問題も起こらないと。
***
日本支部異能島の中央付近に位置する、空港。
夏休みということもあり、沢山の学生で行き交う空の港には、怪しいマスクを付けたスーツの人物が歩いていた。
歩いているというよりも、これではもう奴隷が歩かされているように見える。
前傾姿勢になり、ダラダラと疲れ果てたように歩く姿は、行き交う学生たちに違和感を感じさせ、距離を置かれている。
後ろには警察官たちが距離を置いて歩いているし、警戒されているのは間違いなしだ。
テロリストならば、何か問題を起こす前にすぐに取り押さえられることだろう。
「ソフィアぁぁ…」
変な声を漏らすこの人物に痺れを切らした警官の一人は、彼女へと駆け寄り、肩を叩く。
どこの国だって、空港に怪しげな歩き方、怪しい声を発する人がいれば職質するだろう。
「君、少しいいかな?」
「…時間がないの」
「は?」
普通警察に呼び止められたら、大人しく言うことを聞くだろう。
時間がないと言われ、ポケットから何か取り出そうとするスーツの人物に慌てて距離をとった警官は、彼女がスーツのポケットから取り出した手帳を見て、顔色を徐々に悪くさせていった。
「た、大変失礼致しました!」
「気にしないで…それじゃあ…」
「え?なになに?」
「あの犯罪者みたいな人どこかのお偉いさんだったのかな?」
「今警察謝ってなかった?」
青ざめた表情で敬礼する警官を見て、周りの学生たちは口々に小声でつぶやく。
彼ら、彼女たち視線では、スーツの女はヤバイ奴だ。そんな奴に警察が頭を下げたのだから、驚くのも無理はない。
深々と頭を下げている警察官に、横を歩いていた警察官が不思議そうに問いかける。
「どうしたんだ急に。そんなお偉いさんだったのか?」
「お偉いさんなんて次元じゃねえ…!今の行いでクレームが出れば、俺は間違いなくクビになっちまう!」
「そんな人物が!?いったい誰だ!」
慌てふためく警察官を前に、もう一人の警察官は尋ねる。
視線を何度か彷徨わせる警察官は、小さな声でつぶやいた。
「イギリス支部総帥秘書の、アメリアだよ…まさか総帥秘書を職質しようとしてたなんて、とんでもない失態だ…」
「それは…」
総帥に総帥秘書、異能王に戦乙女は、警察官やそう言う類の職に着く人物たちは絶対に顔を覚えさせられる。
なにしろ総帥や総帥秘書は何か問題ごとが起これば真っ先に異能を使って応戦しないといけないため、警察官が総帥だと知らなければ、無法者が2人暴れていると誤解され、総帥もろとも拳銃の餌食になるかもしれないからだ。
だからまぁ、総帥や総帥秘書の顔を覚えているのは絶対条件。
彼はアメリアの顔を覚えてはいたものの、動きがあまりに怪しすぎたから声をかけてしまったのだ。
煩い総帥であれば、このことをネタに叩いてくるかもしれない。
「だが、他支部の総帥秘書がなぜここに?」
「俺たちは知らなくていいことだ。入国審査には、寺坂総帥の許可が必要なんだぜ?」
総帥秘書だからといって、どこの国にも顔パスで行きたい放題というわけではない。
基本的に総帥や総帥秘書の並びに異能王、戦乙女は、他支部へと訪れたい場合、真っ先にその支部の総帥にコンタクトを取らなければならない。
そちらの支部に行ってもいいか。と。
そしてその支部の総帥が許可を出せば、ようやく出発ができるわけだ。
一般人よりも一つ多い手順を踏む上に、その支部の総帥に嫌われていれば渡航はできない。
若干厳しそうな手順を踏んだアメリアは、寺坂が公認したお偉方という扱いなわけだ。
いち警察官が、そのことを勘ぐる必要性など一切ない。
***
「あー!負ける!負けちゃう!」
「まだまだですね。ソフィアさん」
ソフィアはコントローラーのボタンをかちゃかちゃと操作しながら、朱理との勝負を楽しんでいた。
これだけ見れば、もうどちらが年上かなんてよくわからない。
いつもはお姉さんちっくなソフィアが実は負けず嫌いで、4年近く年下の同性にムキになっているのが可愛らしい。
「もう一回よ!」
「望むところです」
再選を希望するソフィアと、それに応じる朱理。
朝から元気のいい2人を横目に顔を見合わせた夕夏と悠馬は、お互いに笑い合った。
「私、てっきりソフィアさんはもっと怖い人だと思ってた」
「誰だって最初はそう思うよな…」
イギリス支部総帥のソフィアと言えば、無表情で全ての業務をこなす完璧な女というイメージが強い。
事実、テレビ越しで見るソフィアは、自分のボロを徹底的に把握し、完璧な状態でスピーチを行う。
しかし今この瞬間は、ソフィアにスピーチ用のカンペがあるわけじゃないし、完璧なソフィアである必要もない。
テレビ越しの完璧で厳しそうな女というイメージからかけ離れた、案外自分たちと変わらないソフィアを見る夕夏は嬉しそうに見えた。
「うん、なんだか楽しいなぁ、どんどん賑やかになって、家族が増えていくみたい」
「…結婚したら…これが日常だろ」
「えっ?」
不意に悠馬の口から出た、この先の話。
悠馬は先の話というものを、極力避けてきた。
異能王になりたいってことだって表立って口には出していないし、結婚の話だってなるべく避けてきた。
だってもし仮に彼女たちを束縛して、悪羅に殺されでもしたら?
死ぬつもりは毛頭ないが、死して尚束縛し続けるという行為を、悠馬はしたくなかった。
しかしここにきてようやく、悠馬は卒業後の話をしたのだ。
目をキラッと輝かせた夕夏は、悠馬へと手を伸ばした。
「悠馬くん、私も…私もね…君と」
まだ結婚できる年齢じゃない。
夕夏は結婚できる年齢ではあるものの、悠馬はまだ16歳。あと1年と少し付き合う期間が残っている状態では早とちりかもしれないが、ようやく今後の話をしてくれたことが嬉しい夕夏は、思い切って何かを告げようとする。
夕夏が身を乗り出すと同時に、室内にはインターホンの音が鳴り響いた。
「…誰だろう?」
なんてタイミングの悪い奴だ。
夕夏じゃなければ、あからさまに不機嫌な表情になっていたことだろう。
残念に思いながらも、不機嫌にならない夕夏は玄関の扉を開きに向かう。
「…」
テレビゲームに夢中なソフィアと朱理を横目に、悠馬は夕夏の背中を見守る。
今、夕夏がすごく色っぽく何かを言おうとしていた気がした。
「ソフィアぁぁあ!」
「きゃあ!?」
直後、寮内に響く獣のような声。
身体をビクッと震わせた悠馬は、夕夏の悲鳴を聞いてからすぐに立ち上がった。
「誰だ!…って、アメリアさん?」
目にも留まらぬ速さで玄関までたどり着いた悠馬は、そこに立っている窶れたスーツ姿の女を見て驚愕する。
以前と比べ物にならないほど痩せこけた、イギリス支部総帥秘書の姿がそこにはあった。
「びっくりした〜…」
夕夏は廊下の壁に張り付いて、アメリアに驚いていた。
「暁悠馬!ソフィアを!ソフィアを呼びなさい!」
「なにかしら?アメリア…」
「やっぱりここにいた!貴女ねぇ…!私にどれだけ仕事押し付ける気なの?」
『あっ』
アメリアの悲痛な叫び。
忘れてはいけない、ソフィアは悠馬の恋人だが、イギリス支部の総帥であり、れっきとした社会人であるということを。
戦争が終わって、早くも数日。
国を管理する立場であるはずのソフィアがいないイギリス支部は、総帥秘書であるアメリアが全てを取り仕切っていたはずだ。
「報告書に調査書に後釜育成…!私過労で死んじゃう!」
きっとアメリアは、最初こそ大目に見ていただろうが、限界を迎えたのだろう。
その場で狂ったように大声を上げるアメリアを見て、3人の視線はソフィアへと向かった。
「あ…私、帰らなきゃいけない感じ?」
「当然でしょ!貴女まだ総帥なんだから!早く帰る準備!」
彼女は総帥なのに、帰らなくていいとでも思っていたのだろうか?
ソフィアに仕事があることをすっかりと忘れていた悠馬の落ち度でもあるが、この期に及んで帰る気のないソフィアを見て、思わず笑ってしまう。
「そこ、笑わない!第一ね…貴方も貴方よ!」
アメリアからの説教が飛んでくる。
それを聞き流す悠馬は、慌てて支度を始めるソフィアの腕を掴むと、耳元で囁いた。
「ソフィ、今度遊びに行くから、暇な時連絡してね」




