オリヴィア先生の3分クッキング
八神清史郎は、青春のど真ん中にいた。
フェスタ以降、前へ進み始めた八神の将来の夢は軍人。
それはこれまで躊躇い続けてきた、自分には向いていないと否定し、諦めようとしていた理想の職業だ。
幼き日に思い描いた、いつか父親のような軍人になるという夢。
そんな大きな夢を抱く八神は今、好きな女の子がいる。
「國下、今頃何してるんだろうな?」
2年の夏休みともなれば、大半の女子は彼氏を作り、全寮制のこの異能島では猿のように盛っている奴もいるらしい。
まぁ、それはどこの学校でもあることだろう。だって彼らは青春のど真ん中にいるわけで、後先考えずに問題を起こすバカは、このユーラシア大陸にごまんといる。
肘をついてボケーッと美沙のことを考える八神は、無造作に置かれている蒼の聖剣を見て、ここがどこであるのかを思い出した。
「おいオリヴィア」
「なんだ?八神」
トントンと、聞きなれない音が響くオリヴィアの寮内。
無造作に干されている下着を見てしまった八神は、頬を赤く染めた。
紺色の大人びたやつ!!しかもめっちゃ大きい!
「八神?」
「ひゃい!?」
多分、というか絶対に、オリヴィアに彼氏がいなければ、歯止めが効かなくなって襲っていた。
こんな美人の寮内に呼び出され、そして下着が干されていれば、誰だって欲情するだろ!
じゃなくて!
「!?」
自身の顔面をぶん殴った八神を見て、オリヴィアは唖然とする。
コイツはさっきから挙動不審だし、一体何をしているんだろうか?
自身が下着を干していることになど気づいていないオリヴィアは、八神の欲情を理解できない。
「おほん。なぁオリヴィア。なんで俺を呼び出したんだよ?」
ちょっと意識したように、ドヤ顔で振り返る八神。
男の余裕というか、悠馬に対抗したようにお洒落な仕草をとる八神は、完全にナルシストのそれだ。
悠馬は絶対にしない。
しかし八神の疑問だけは、たしかに理解できるものだった。
オリヴィアには、暁悠馬という彼氏がいる。
悠馬はレベル10(99)だし、容姿端麗で、男子でも憧れるようなスペックの持ち主だ。
そんな彼氏を持つオリヴィアが、その次にスペックが高いと噂される八神を寮内に招いた。
悠馬には申し訳ないが、これってもしかするともしかするんじゃないのか!?
妙な可能性を考える青春に飢えた八神の前に、悠馬のレベルや実力など関係ない。
今の悠馬のレベルを知らない八神は、変態四天王、5番目の王としての変態欲求を解放していた。
「そういえばお礼をしてないな。と思ってな」
「お、お礼ですか!?」
お礼と言われれば、あんなことやこんなことが思い浮かぶ。
「八神、そこはダメだ、悠馬のためだけの…」
「別にいいじゃん。今日だけの関係なんだからさ…」
(なんて大人のお礼をされて、俺もついに大人の男に…)
「ああ。お前のおかげで、私は悠馬と付き合え、そして戦神ではなく、女になれたんだ」
「い、いやー、それほどでも」
女になれた、という単語を聞いて目を泳がせる八神。
後ろめたい過去がなくなった八神にとって、オリヴィアという巨乳美女は目に毒だ。
彼女の圧倒的な美貌に蹂躙される八神は、美沙のことを一時的に忘れ去り、オリヴィアのことだけを考え始める。
オリヴィアは一度視線を左右に動かし、照れたように口を開いた。
「だから私が女として、君に料理を振るおうと思う」
「やったー!…え?」
大人のお礼を期待していた八神は、勝手にオリヴィアの言葉を曲解し、飛び跳ねた後に言葉を理解する。
(だよね。ですよね。わかってましたよそのくらい。
だってコイツ、悠馬とかいうイケメン彼氏いるわけだしさ!俺に見向きもしないことくらいわかってたよ!)
(でも、でもさ!今の思わせぶりな態度、下着堂々と部屋にぶら下げてるのとか、色々卑怯だろ!)
一男子生徒の青春を弄んだ罪は、あまりにも重すぎる。
勝手に思い込み、そして憤慨する八神は、テーブルに項垂れる。
「やーい、俺のこともっと崇めろー…俺のおかげで付き合えたんだろ、ばーか」
「な、なんだ!さっきまでテンションが高かったくせに、急に態度を変えて!」
「はっ、どーせ俺は悠馬の足元にも及ばない半端野郎ですよ」
「そうだな。私もそう思う」
「………そこは慰めてくれよ」
「断る。私は悠馬以外の男は慰めないんだ」
くそぅ!
メンタルズタボロの八神は、さらにアッパーをくらいノックアウト寸前だ。
オリヴィアは八神に対して、友人としての気持ち以外、何も抱いていない。
かっこいいと言われれば「そうだな」と答えるかもしれないが、恋愛感情は微塵も抱いていないし、それを例えるならば、君は木に対して恋愛感情を抱けるか?と言っているようなものだ。
つまりオリヴィアは、八神がどう足掻いたって惚れないし、意識もされない。してもらえない。
淡い期待を粉々に打ち砕かれた哀れな八神は、お礼をされるはずなのにテーブルの上で半べそ状態だ。
「慰めてもらいたいなら、私のお礼が済んだ後に美沙の元へ行ったらどうだ?好きなんだろ?」
「…好きだけどよ…俺はお前ほど素直にアタックできねえんだ。なんかこう、近づけないっていうか、なんて話せばいいのかわからねえ」
オリヴィアはお国柄の問題なのか、悠馬に大胆に接近して、夕夏や花蓮からすぐに認められ、合宿を経て付き合い始めた。
端的にいえば、オリヴィアの猛アプローチで付き合ったわけだ。
しかし八神は、美沙に猛アプローチをするほど肝っ玉が据わっていない。
告って振られれば不登校になるくらいのメンタルしか持ち合わせていないし、もともと保守的な八神は、恋愛に奥手だ。
だから夏休みに突然、好きな人に会える?などと聞く度胸すらない。
「君は人にはアドバイスをするくせに、自分はダメなんだな」
「ああそうだよ!悪いかよ!」
「別に悪いとは言ってないだろう」
「…」
ぐうの音も出ない。
オリヴィアの言葉にふてくされながらも反論できない八神は、実に哀れだ。
「ところで料理って…」
「出来上がったぞ」
「はっ?」
会話を始めてから、3分ほどだろうか?
料理もそれと似たり寄ったりのタイミングで作り始めただろうから、約3分。
そんなごく短時間で料理が完成したと言われた八神は、妙な違和感を感じ冷や汗を流す。
これはよく知っている。
八神は文化祭の時、山田からある話を聞いていた。
それは朱理がごく短時間で完成させ、そして悠馬がおいしいと言いながら笑顔で食べていたドーナツは、超のつくほどゲロマズで、昼に食べたものを全て吐き出してしまうほどの不味さだったと。
それを聞いてから、八神は短時間で完成される料理=恐怖。という感情が芽生えている。
オリヴィアが料理をするところなんて見たことがないし、悠馬からも聞いたことがないため、得体の知れない恐怖を感じる。
「お前、料理作ったことあるのか?」
「ないぞ。だが材料にはこだわった」
「…」
ダメだ。これはヤバイやつだ。
料理を作ったことのないやつが材料にこだわったからと言って、おいしい料理ができるわけじゃない。
確かにオリヴィアには高級食材を買い漁るだけの財力があるわけだが、そんな金があったところで、料理の腕がなければ素材は死んでしまう。
結局、おいしい食材を生かすも殺すも料理人次第なのだ。
自信ありげにお皿を持ってきたオリヴィアは、コトっと八神の前に薄汚れた緑色のスープを置く。
「…え?これだけ?」
「ああ。不満か?」
「…いや」
…言っちゃ悪いが、ゲ●みたいな色してるぞ。コレ。
どっかのお店でこんなスープが出されたらクレームものだし、まさかお礼がこのスープ一つで片付くとも思っていなかった。
お前の感謝って、その程度なのか!?と聞きたくなるレベルだ。
しかし逆に考えてみると、これは救いだったのかも知れない。
もし仮にオリヴィアが腕によりをかけた結果、大量にまずい飯を作りましたなんてことになれば、その時こそ地獄だったはずだ。
悠馬のドーナツ11個を思い出した八神は、スープだけで済むならまだマシだと言い聞かせ、スプーンを手に取る。
「ちなみにお値段は?」
「材料だけなら1万円程だ」
こんな汚い色にした材料と農家さん一人一人に謝ってこい。
なかなかに高額な材料を使っていることを知った八神は、心の中で叱りつけ、震える手でスプーンを扱う。
「ちなみに料理名は?」
「夏だ。冷静スープ」
なんだよその料理名。
かなりいい加減な名前の料理に余計不安になってくる八神は、不安を通り越して怒りを感じ始める。
(そもそも俺ってお礼される側の立場なのに、どうしてこんなものを食べさせられなくちゃいけないんだろうか?)
(喜ばれることをしたはずなのに、その対価がこんなスープ一皿なんて割りに合わねえ!もはや拷問だ!)
「ちなみに何を入れて…」
「早く食べないか!」
「はい…」
時間稼ぎとも言える質問を投げつけてくる八神に、オリヴィアは痺れを切らす。
これではもう、どちらがお礼をしているのかなんて分からない。
オリヴィアに叱られ半泣きの八神は、プルプルと手を震わせながら緑色のスープを掬った。
(ごめん、お母さんお父さん。多分俺の命日は、今日なんだと思う。これまで育ててくれてありがとう)
まるで死刑に陥った罪人が最後の晩餐を味わうように、八神はスープを飲み込んだ。
ひんやりとした食感が、口の中に広がる。
瞬間、八神は目を見開いた。
そこには宇宙が広がっていた。
突然何かを思い出したように、悟りを開いたように無表情になった八神は、オリヴィアから提供されたスープを舌で味わい、そして喉を鳴らす。
宇宙だ。
こんなスープ、食べたことがない。
程よい塩加減、口の中の唾液が溢れ出して痛くなるほどの旨み、絶妙な冷たさ。
素材を殺していない、生きたままと言われても納得する料理に、八神は驚愕した。
こんな料理を、この女は3分程度で作れるのか?
どうやって冷やした?どうやって味付けをしたんだ?
再びスープを口に運び、八神は天を仰いだ。
「なぁオリヴィア。結婚してくれねえか?」
「断る。私は悠馬と結婚する」
「そうか…残念だな」
オリヴィアは突然の誘いにドン引きしていた。
彼が恩人でなく、そして自分の過去を知る人間じゃなければ、今この場で叩き出していたこと間違いなしだ。
あからさまに嫌そうな表情を浮かべるオリヴィアは、突然訳のわからないプロポーズをしてきた八神から距離を置く。
「この絶妙な冷たさ、どうしたんだ?」
「ニブルヘイムだ」
「な…!」
こんな料理のために氷系統最上位異能、ニブルヘイムを使ったのか!?
オリヴィアにとっては些細な異能なのかも知れないが、八神にとっては予想だにしない冷やし方だったため、開いた口が塞がらない。
「味付けは?」
「塩と胡椒、そしてバターだ」
「信じらんねえ…」
このクオリティは、料理を始めてする人が作っていい料理じゃない。
どこにでもありそうな、調味料は高額商品出ないことを知った八神は、降参したように瞳を閉じ、そして皿を持ち上げスープを啜った。
「オリヴィア。いや、オリヴィア先生」
「先生?」
「ああ。お前には料理の才能がある。お前は料理の神だ!」
戦神なんかじゃない、彼女は料理神だ!
オリヴィアのスペックの高さを改めて思い知った八神は、深々と頭を下げ、そして崇めるように話を始めた。
「貴女様の作った料理、このスープは、大変美味しゅうございました。私が人生で食べた料理の中でも、トップクラスでございます」
「そんなにか?お世辞なら止してくれ」
「お世辞じゃないぞ。本当に美味しかった」
「…そうか。お前にそう言われて、少し自信がついた」
「自信…?」
嬉しそうなオリヴィアの声に、八神は顔を上げる。
「ああ。実は昨日、夕夏と花蓮と美月が料理を作っているのを見て、羨ましかったんだ。悠馬が美味しいと言っている姿を見て、私も何か作って見たいと思った」
「へぇ…」
戦神なんだと言う前に、女っぽいところもあるんだな。
健気で可愛らしいオリヴィアの努力を知った八神は、愛娘を見るように微笑む。
「だから君で実験して自信がついた」
「んん?」
コイツ今、実験って言わなかったか?
オリヴィアのぽろっと漏らした失言を聞いて、八神は表情を強張らせる。
コイツまさか…!
「悠馬に食べさせる前に、毒味をしてもらうのが当然のことだろう?」
このアマ…!
(お礼だと称して、俺に実験、毒味をさせたのか!?)
さっきまでオリヴィアに夢中になっていた八神は、現実に叩きのめされ、ようやく正気に戻る。
「テメェバカ戦神!とっとと失恋しやがれってんだ!バーカ!」
八神の悲痛な叫びが、寮内に響く。




