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エピローグ Ⅲ

 夕夏が右手を後ろへと伸ばすと、無数の神器が生成されティナを襲う。


「何故だ…」


 何故覚醒して間もないこんな小娘に圧倒される?


 ティナにとって夕夏は、取るに足らない路上の石ころ。ただ同じ異能を持っていて、その異能をなんらかの偶然で手に入れただけの影の薄い存在だった。


 そして夕夏の物語能力を手にしてから、真に挑むは混沌。つまり夕夏はただの前座で、簡単に殺すことのできる相手のはずだった。


 だと言うのに、なんらかの偶然、必然なのか、夕夏はティナの力を持ってしてもギリギリ、むしろ押されているレベルの異能を繰り出してくる。


 無数に漂う神器を相殺しながら、ティナは相殺しきれなかった神器に身体を切り刻まれ、眉間にしわを寄せる。


「小娘が…!」


「今は年齢なんて関係ないでしょ」


「戯言を」


 夕夏の返事にカチンときたティナは、真っ黒な異能を纏い、一直線に迫る。


 それはドレスのようだが、ドレスとしては少しボロボロで、黒と紫の雷を放っているためただの衣装でないことは容易にわかる。


 赤色の瞳で夕夏を追う彼女は、歪んだ笑みを浮かべながら、長い漆黒の爪で攻撃を放つ。


「…セラフ化…」


 ティナが使っているのは、間違いなくセラフ化だ。

 それに気づいた夕夏は、白銀に輝く右肩翼を生成し、ティナの攻撃を空中へと回避してみせる。


「天使の真似事か?」


「そういう貴女は悪魔の真似事でしょう。…それに、この状況でよくそんなに余裕でいられますね」


「っ!?」


 夕夏の姿を天使だと馬鹿にしたように冷やかしたティナは、空中に浮いている無数の光の槍を見て手を挙げる。


「迎え撃て」


「ホーリークロス」


 ティナが光の槍を相殺するよりも早く、夕夏が放ったホーリークロスは十字架型になりながら炸裂する。


 それは十字に炸裂する爆弾にも近い光景で、広がっていく十字は光速でティナを貫いていく。


「……貴女…弱いですね」


「妾が…弱いだと?」


 ドロドロに溶けた肉を削ぎ落とし、物語能力で自身の身体を再生させるティナは鬼のような形相を浮かべる。


 自分の方が格上だと思い込み、蓋を開けて見たら、格下にボコボコにされる。それは何を言われなくても焦るし、苛立ちもする。


 さまざまなイラつきを感じているティナは、トドメと言わんばかりに言い放たれた夕夏の言葉を聞いて唇を噛んだ。


「…正直、格下相手にこの策は使うまいと思っていたが…致し方ない」


 夕夏の実力は認めよう。

 黒い天使の輪っかのようなものを頭上に浮かべたティナは、周りで絶命している学生たちを見下ろし、黒い炎を放った。


「ヘルフレイム」


「な…なんてことを…!」


 もう息を引き取っている生徒たちに対して、あまりにも酷すぎる仕打ち。


 瞬く間に亡骸を包んだ黒い炎を見た夕夏は、唖然とした表情で声を漏らした。


 彼らがいてもいなくても、戦況なんてなんら変わらないし、こんなことをする意味がわからない。


 焦りやショックよりも、怒りという感情が増幅した夕夏は、キッとティナを睨み、聖の異能を発動させる。


「はは、その様子だと、ソナタは知らないんだな」


「?」


「物語能力は、人を生き返らせることも可能だが、前提条件として肉片か骨が必要となる。…つまり、其奴らはもう、生き返ることはない」


「……は?」


 夕夏は物語能力が覚醒して間も無く、ティナよりも奥深くまで物語能力について知っているわけじゃない。


 ティナは夕夏に負けることを恐れ、彼女が守りたい者を守らせながら戦うという卑劣な手を使った。


 単体でなら実力は夕夏の方が上だが、それは純粋に、夕夏が先制攻撃で自身に異能が当たらないという物語能力を発動させたから。


 しかし夕夏はこれから、死んでいる学生たちを守りながら戦わないといけないため、ティナの異能を相殺する必要がある。


 つまり、異能を受ける必要があるわけで、夕夏は最初に使った物語能力を解除しなくてはならないというわけだ。


「結界っ!天照大神っ!」


 未だ嘗てないほど怒りの形相を浮かべた夕夏は、先ほどとは比べ物にならないほどの聖の十字架、そして生成した神器を宙に浮かばせ、ティナへと一気に放つ。


 それは流星群と言ってもおかしくないほどの煌めきで、オレンジ色に染まる異能島は、無数の煌めきで溢れかえっていた。


 ふわり、ふわりと雪が降り始め、無数の煌めきの先に立っているティナを見て、夕夏は肩を下ろす。


 これだけの異能、これだけの火力ならば、ティナはほぼ確実に致命傷だ。


「ソナタは最低な人間だな」


 そう安堵していた夕夏の耳に届く、ティナの声。

 砂埃の先に立ち尽くしているティナは、ニヤリと笑みを浮かべながら、両手に握って、盾のように扱っていたモノを投げ捨てた。


「…ぁ…ぁああああっ!」


 言葉にならない怒り、罪悪感、そして絶望感。


 自身が放った全ての異能を、異能島の学生たちを盾にすることによって相殺したティナを見て、夕夏は大きく目を見開いて頭を抱えた。


 これまで人殺しも、犯罪者を捕まえることですら躊躇いがあった夕夏からしてみると、このショックはあまりにも大きすぎる。


 何しろ夕夏が死体蹴りしたのは、同じ学び舎、同じ島で生活してきた、何の罪もない学友たちなのだから。


「ほら、隙だらけだぞ」


「ううっ…」


 夕夏の気が狂う寸前で指先から熱線を放ったティナ。


 彼女の放った熱線は、周りに倒壊していた建物を自然発火させながら、一瞬にして夕夏の左肩を貫いた。


 ジュワッと水の蒸発するような音とともに、夕夏の左肩は火を上げて燃え始める。


 肩に空いた穴、そして燃え上がる傷口に顔を歪めた夕夏は、その傷口を手で押さえながら周囲を見渡した。


 ここで戦うには、あまりにも愚策すぎる。

 異能島の学生たちがいるところで戦えば、ティナは何の戸惑いもなく彼らを盾に使い、夕夏の精神に揺さぶりをかけ、出来た隙で攻撃を仕掛けてくることだろう。


 ならば出来るだけ遠くに、異能島の学生たちが少ないところに向かわなければならない。


 この場で戦うことだけは何としても避けたい夕夏は、逃げるようにして走り始めた。


「そうだ…逃げ惑え…あの場所まで」


 逃げ始めた夕夏を見て、ティナは走って追いかけることもなく、ゆっくりと歩いて彼女の後を追う。


 倒壊した寮を抜けて、学生たちの亡骸を踏まないように、ただひたすら、盾にされる亡骸のない場所を探す。


 しかしそんな場所、あるはずがない。ここは日本支部の異能島であって、学園都市。

 当然のことだが、道を歩けば所狭しと学生は歩いているし、現在も同様、行く先々では絶命しているであろう学生たちの亡骸が転がっている。


「はぁ…はぁ…」


 それでも夕夏は足を止めなかった。どこかに誰もいない場所が、心置きなく戦える場所があると信じて。




 そうしてたどり着いた先は、あまりにも無慈悲な空間だった。


「………え?」


 ルクスが来た方向の港。

 ようやくその場へとたどり着いた夕夏は、そこに広がっていた凄惨な光景を見て目を疑った。


「ゆ…」


「はは」


 港に真っ二つになって倒れている、悠馬。

 いや、倒れているという単語はもはや相応しくないだろう。綺麗にとは言わないが、頭を半分に斬られ、右腕も失っている悠馬が生きている可能性など万に1つもなく、彼の惨たらしい姿から察するに絶命しているということは、小学生でもわかる。


 それを理解できない、したくない夕夏は、背後のティナが笑ったことになど気づかず、トボトボと悠馬に歩み寄る。


「うそ…だよね?ねぇ…」


 ジュースでもこぼしたのかと聞きたくなるほどの鮮血を見下ろし、夕夏は悠馬へと触れる。


 こんなのあんまりだ。こんなの酷すぎる。

 好きだと伝える前に、大好きな人を失ってしまった夕夏は、無防備に涙を零した。


 それを見て、ティナは歪んだ笑みを浮かべる。


 やはり、というべきなのか、人間の最大の弱点というのは、愛や友情と言った、人間に必ず備わっている感情なのかもしれない。


 誰だって目の前で好きな人が、友人が死んでいるのを見たら悲しくもなるし、その直前まで怒っていたのだとしても、そんな感情を忘れ去ってショックを受ける。


 それは人間の心の本質であって、鍛えることはできないし、できることがあるとするなら、感覚を麻痺させるくらいのものだ。


 だが残念なことに、美哉坂夕夏という少女は、そこまで出来た人間じゃない。


 仲間を盾にされたことで発狂した夕夏を見て確信していた。

 夕夏と最初にニブルヘイムをぶつけ合った時、ティナはもう1つの異能を発動させていたのだ。


 その異能は断片的な過去を見るというもので、異能としては未完成、没異能という分類に入るのだろうが、使い方によってはとんでもないものになる。


 例えば相手の弱点を知れたり、大切なものを知れたり…ティナは夕夏が悠馬に想いを寄せていることを知っていたからこそ、自分が危うくなったこの状況でカードを切った。


 死んでいる悠馬と引き合わせ、夕夏の精神を崩壊させようと。


 案の定、計画通りに戦意喪失した夕夏を眺めながら、ティナは右手の黒いツメのようなもので黒と紫、そして赤に光る球体を生成する。


 その閃光の禍々しさと言ったらなんたることか。

 まるでこの世界の闇を全て凝縮したような、人々の憎しみを集めたような禍々しい闇を大きくしたティナは、それにすら気づいていない夕夏に声をかける。


「形勢逆転、だな」


「!?」


 その言葉を聞いて、夕夏も我に返る。

 ティナの声を聞いた夕夏は、振り返ると同時に禍々しい異能を目撃し、瞬時に回避すべきだと判断した。


 この異能を止めるのは、ほぼ不可能だろう。

 ならば取るべき行動は、回避の一択。自身へのダメージを心配し回避をしようとする夕夏に、ティナは彼女の行動を掌握済みだったのか、再び声をかけた。


()()()()()()()()


「…!?まさか」


 ティナの標的は、最初から夕夏ではない。

 夕夏が回避することは誰にだって予測できるし、自分で判断し動ける存在が、自ら進んで大きな攻撃に突っ込んでくるはずがないだろう。


 ならばどうすれば、より確実に的に当てられるか。察しのいい人間ならば…いや、どうすべきなのかは、バカでもわかるだろう。


 動く的ではなく、動けない的を標的にすればいいのだ。


 今ならば、暁悠馬がその的となる。


 物語能力の蘇生は、体の一部分が必要となる。

 しかも髪の毛一本などでは蘇生させることはできないため、必要となるのは腕や骨、身体だと考えるべきだろう。


 ティナから物語能力の蘇生の範囲を教えられていた夕夏は、ギョッとした表情でその場に踏み止まる。


 今なら悠馬はまだ助かるかもしれないが、夕夏がティナの異能を回避してしまえば、悠馬やその他の学生は確実に原形をとどめない。


 つまりもう2度と蘇生なんて出来ない、文字通りの死を迎える。


「バカな女だ」


 踏みとどまった夕夏を見て、それを嘲笑うように禍々しい闇を放ったティナは、そう吐き捨てて瞳を閉じた。


 轟音と共に迫り来る、ティナの異能。

 その漆黒の球体を見つめながら、夕夏は歯を食いしばった。


 さっきから焦りやイラつきで異能を使いすぎているため、もう体力はあまり残っていない。


 そりゃそうだ。セラフ化に結界まで使って、物語能力を併用しているのだ。そんな状況で、長期の戦いができるわけがない。


 腹をくくり、そして背中に守りたい存在を抱える夕夏は、そっと手を伸ばした。


「大丈夫…大丈夫」


 ティナの異能が夕夏の元へと到達すると、水の蒸発したような、肉が焼かれるような音が異能島内に響き渡った。


「っ〜〜〜!」


 それはまるで手を熱したナイフでめった刺しにされているような、そんな痛みと、熱さを感じる。


 いや、並大抵の人間ならば、即死していることだろう。


 夕夏はティナと同じ物語能力を使用しているため干渉できるだけであって、痛みはきちんと感じる。


 つまり夕夏は、常人が即死するような痛みに耐えながら、その場で踏みとどまっているのだ。推定でも、夕夏は常人が数千回は死ぬであろう激痛を一身に受け続けている。


()()()()()()()!」


 夕夏が叫ぶと同時に、世界は白い輝きに包まれ、その後に見えてきた景色は、煙を上げる地面と、ボロボロの彼女の姿だった。


「体力の大部分を使ったな。もうソナタには、妾に致命傷を与えるだけの体力も残ってはいない」


 大きな異能をポンポンと使っていれば、先に体力切れに陥るのは目に見えていた。

 完全に立場を逆転させたティナは、無言のまま立ち尽くす夕夏を見て勝ちを確信した。


「……私の…勝ちです」


 勝ちを確信した時こそ、油断をしてはいけない。

 スポーツの世界では、勝ちを確信した時点で点差が開いていればそれはもう揺るがないのかもしれないが、マラソンやリレーはどうだろうか?


 ゴール数メートルで勝ちを確信して、速度を落とした挙句2番手に抜かれる選手だっている。


 それは自身の力を自負しているからに他ならないが、その油断こそ、自分の首を絞める最大の罠。


 大きく目を見開いたティナは、背後から突き刺さった光り輝く異能を見下ろし、口から血をこぼした。


「な…」


「その異能に…不死は通用しません。そう作りました」


 光り輝く聖剣のような、無数の光に包まれたその剣は、暖かく世界を包む。


「なるほど…これは…」


 ちょうど心臓部分を射抜かれたティナは、自身の死を察したのか、その場に膝をつく。


 彼女の命は、そう長くはない。放置しておけば数秒で死ぬだろうし、今はもう、そんなことよりも大好きな人を早く治したい。


 ティナにトドメを刺すよりも先に、悠馬のことを心配した夕夏は、背後で絶命している悠馬へと駆け寄った。


「……終わったよ。悠馬くん」


 きっと、全部終わったんだよ。

 これから体力が回復したら、異能島の生徒たちをみんな元に戻して、そしたら…


「終わらせぬぞ…」


 脳裏で夢を描き始めた夕夏は、背後から聞こえた声と、そして心臓に何かが突き刺さった感覚を感じて、胸を見下ろした。


 そこに突き刺さっているのは、銀色の神器。


「痛…苦…」


「体力切れならば…それを治すことはできまい…道連れだ」


 自分の計画が遂行できないならば、その計画を狂わせた張本人も巻き添えにして死ぬ。

 歪んだ答えを導いたティナは、口から血を吐き出した夕夏を見て、満面の笑みを浮かべた。


 身体はあっという間に冷えていった。


 さっきまでの怒りも、熱気も、熱さも嘘だったかのように、まるで夢でも見ていたかのように穏やかに、そして静かに。


 徐々に血の気が失せていく夕夏は、目の前で倒れている悠馬を見つめながら崩れ落ちる。身体はガクガクと痙攣し、言うことを聞かない。彼女の身体は、既に限界だった。


 こんなに近くに…あともう少しで救えたはずなのに…


 事を急ぎすぎた夕夏は、ティナへのトドメを刺し損ね、致命傷を負ってしまった。


「寒いよ…苦しいよ…」


 そっと手を伸ばし、夕夏は悠馬の手を握る。


「……ああ…悠馬くん…ずっと好きでした」

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