滅び逝くセカイ
「ぐっ…!」
「悠馬くん!」
組長の叫び声と同時に、腹部に鈍い衝撃が走る。
それは腹部を貫くほどのダメージで、これまでの悠馬なら、大きな声で叫んでいたに違いないだろう。
そのまま地面に叩きつけられた悠馬は、腹部から鮮血を撒き散らし、眼前に広がる無数の光線を見て立ち上がる。
「カオスレイン!」
「ホーリーレイン」
混沌との戦闘。
悠馬の異能を見てから逆上した混沌は、黒咲や宗介、組長のことなど無視してひたすらに悠馬へと攻撃を仕掛けていた。
まだまだ無傷の味方と、ほぼノーダメージの混沌。
唯一異能王の文献で混沌のレベルを知っていた悠馬は、自分がまだ、その領域に至っていないことを痛感した。
「っ…!」
徐々に周りの声も聞こえなくなり、地の底へと墜落していく。
悠馬はタルタロスの底へと真っ逆さまに墜落しながら、混沌を睨んだ。
コイツに勝つには、反転セカイでもまだ足りない。もっと力が必要だ。
それは経験なのか、なんなのかはわからない。
悠馬は以前、零の話していたことを思い出し、その単語をポツリとつぶやいた。
「深淵…」
悠馬は零の話した、過去の清算という、自分の過去と向き合うことによって本来の力を手にした。
自分のために、自分のやりたいことのために振るう異能。それが反転セカイと、セラフ化だ。
しかし零は、過去の清算ともう1つ、深淵を覗くことと話していた。
つまりどちらかのイベントが発生すれば覚醒が起こっていたわけで、もしかするとこれから深淵を覗くと、さらに覚醒するのかもしれない。
まだまだ可能性の話だが、もしあり得るとするなら、それしかない。
「はぁ…焦ったな…まさかこの世界に、反転セカイまで手にしてる人間がいるなんて…でもよかった。セカイじゃないなら、まだ間に合う」
混沌は悠馬に聞こえないよう、彼を追いかけタルタロスの下層へと降りながら、小さな声でつぶやく。
セカイという異能は、反転セカイとセカイに分けられる。
反転セカイは、セカイの入り口に至ったもの。要するに、扉を開けるに至った存在が使えるようになる異能だ。
そして本来ならば、セカイの入り口を開けるためには、物語能力を全て集める必要がある。
悠馬はそれらを全てすっ飛ばして、セカイの入り口に至っているわけだ。
つまり今の悠馬は、物語能力を保有していないため、これ以上先に進める可能性は極めて低い。
ならばまだ、悠馬を殺しさえできれば、先にセカイを手に入れることだってできるはずだ。
反転セカイは自身の使えた異能が使えなくなる代わりに、他の大半の異能を使うことができるようになる。
そしてセカイは、文字通り全ての異能が使えるようになる。
例えそれが、本物の神になる異能だったとしても、何もかも。
「神になるのはこの俺だ…!お前みたいなポッと出のガキに奪われてたまるかよ…!」
自身の計画に大幅な狂いを起こすかもしれない悠馬に、混沌は血走った目で殺意を向ける。
「ハッ、老いぼれはさっさと死ねよ。初代に封印された敗北者が」
「ぶっ殺す」
老いぼれ、初代に負けた。
混沌の神経を逆撫でするような発言をした悠馬は、一直線に突っ込んできた彼へと神器を向け、斬り伏せる。
空中ということもあって、踏ん張ることはできないが、それでもそれなりの深手は負わせることができたはずだ。
「いっでぇぇなぁぁあ!」
「死んどけよ…!」
悠馬に首元を斬られ、鬼のような形相で睨む混沌は、闇のようなもので巨大な手の形を作り、それで悠馬を握る。
「調子に乗ってんじゃねえよガキがぁ!」
「ぐっ…」
それは野球ボールになったような気分だった。
大きな手から、地面に向けて投げつけられた悠馬は血を吹き出しながらタルタロス地下を突き抜けていく。
気づけばもう、宗介や組長の声も姿も見えなくなっているし、どれだけのスピードで地下に落ちているのかというのはすぐにわかるだろう。
意識が飛びかけの悠馬は、ようやく止まった地下の中で、薄眼を開いた。
今までいろんな経験をしてきたが、今日は特に、今までにない経験をたくさんしている。
漆黒と呼ばれるルクスと戦い、混沌と戦い…
「負けてばっかだな…」
結局勝ててはいるものの、負けそうになって、ピンチに陥っているのは事実だ。
自分の今日の戦績をボヤいた悠馬は、ステンドグラスに描かれた勇者のような絵を見て、笑った。
「はは、堅牢の間まで墜落したのか…」
60階近くで戦っていたから、かれこれ40階分も落とされたということになる。
上からパラパラと降ってくる瓦礫と、そしてまだここへは来ない混沌に安堵しながら、悠馬はここにいるはずの存在を探した。
「やぁ。奇跡は起こるものなんだね。まさかこうして再会できるとは思ってなかったよ。暁悠馬くん」
「その口ぶりから察するに、やっぱりアンタ、ロシア支部で俺が殺されるって知ってて送り出したろ?」
「どうだろうね?こうして君がここにいる理由を考えたら、必然だったのかもしれないよ」
奇跡だと言われた悠馬は、嫌味ったらしく口を尖らせたが、Aさんはそれを見事にいなして、肩をすくめてみせた。
「…混沌が現れた。手伝って欲しい」
「無理だよ」
「初代なんだろ?」
「…それは察して欲しいかな。俺はね、ここから出られないんだ。それが混沌にかけられた呪い」
「つまり、混沌をここに引きずり込めばいいわけだろ?」
ここから出られないのなら、ここに混沌を引きずり込めばいい。
シンプルで最も適した答えを口にした悠馬は、徐々に激しくなっていく破壊音を聞き、綻ぶAさんを見た。
「それともまだ、俺の知らないことをやってくれるのか?」
「俺のレベルは77。どう足掻いたって、混沌には勝てない。また隙をついて、次元の狭間に幽閉するのが関の山だ」
「…それだけでも十分だろ」
「でも次は、もっと早く歪みが出て、混沌は数年後には世界に戻ってくるはずだ」
この世界にも、いつまでもAさんが存在できるわけではない。
混沌がこの世界に戻ってくるたびに、そう何度も次元の狭間に幽閉できるわけではないし、これから先のことを考えれば、ここで次元の狭間に幽閉するのは悪手だろう。
次は数百年後ではなく数年後だと聞かされた悠馬は、その危険を孕んだ幽閉に、戸惑う。
数百年だったら次の時代に全てをなすりつけることだってできただろうが、果たして数年後はどうだろうか?
正直、勝てるビジョンなんて見えて来ない。
「そこで、だ」
悠馬が数年後でも勝てるのかわからないと判断したのを見てから、Aは微笑んだ。
それは悪魔の微笑みのような、死への誘いのような。
「君のセカイ…完全に覚醒させようじゃないか」
「どうやってさ?」
「深淵を覗くんだよ」
「深淵?」
「ああ。深淵っていうのは、本来人間が最後に覚醒するときに見ることのできる、特殊な夢だ。その夢は、俺たちが深淵を覗くとき、同じように俺たちを覗き込み、様々な悲劇を見せてくれる」
「悲劇?」
「うん。実際に起こり得た事象を元にした、別の結末だよ。君のは特に、最低最悪の結末を見ることになるだろうさ」
「でもどうやって覗くんだよ?」
深淵を覗くというのは、口で言われるのは簡単だが、方法も知らなければ、覗きたくて覗けるものでもない。
そのことを不安視する悠馬に対し、待ってましたと言わんばかりに自身を指差したAは、「そのための俺だ」と呟き、自身の繋がれていた鎖を引きちぎった。
「俺が君の深淵を見せてあげよう。今の君ならば、この結末は受け止めきれるはずだ」
「そんなにショッキングなやつなのか?」
「うん。だって…いや、この先のビジョンは、君が自分の目で確かめて見てくれ」
鎖に繋がれていた両手をストレッチさせながら近づいてくる、A。
彼は最後の仕事と言わんばかりの晴れた表情で、鼻歌交じりに近づいてきた。
「君にこの世界の全てを託すよ。暁悠馬くん。俺が成し得なかった混沌の打倒…この世界の平和。その全てを…君に任せる」
「そりゃあ、無茶振りだなぁ…」
額に手を当てられ、悠馬の身体は眠気に襲われる。
それなりにレベルは上がったつもりでいたが、どうやら初代異能王にも、まだまだ届かないレベルだったようだ。
その場に崩れ落ちた悠馬を見届けた初代異能王、Aは、どこに隠し持っていたのか錆びついた剣を手にして、上空を見上げた。
「セカイイイイ!」
「さて…最後の仕事なんだ。邪魔はさせねえぞ。混沌」
Aが上空を見上げると同時に現れた混沌。
Aは彼が現れるや否や、悠馬を陰に隠し、歪んだ笑みを浮かべた。
***
「…ここは…」
見慣れた天井、慣れ親しんだ寝心地。
少し肌寒いベッドの上で目覚めた俺は、冴きった頭の中で、先ほどまでの状況確認を始める。
Aさんの話から察するに、ここは深淵の中だ。
深淵とか言ってた割に、案外見慣れた景色だし、暗くもないのは意外だけど。
ベッドから飛び上がった悠馬は、周囲を見渡し、今日の日付が何日であるのかを確認し、絶句した。
「なんで…5ヶ月も未来に進んでるんだよ?」
深淵と言われたから、過去を覗いたり、そんなことをするのかと思っていたがどうやら違ったらしい。
今年の12月、つまり高校2年の12月にまで飛んでいることを知った悠馬は、わけがわからないと言いたげに頭を抱え、テレビをつけようとした。
とりあえず、ニュースを見たい。
どういう状況なのか、この世界がどういうものなのかを知る必要がある。
見慣れたリモコンへと手を伸ばした悠馬だったが、リモコンに触れることはできない。
「?」
まるでお化けにでもなったような、奇妙な感覚だった。
何度触れようとしても、何度持ち上げようとしても、リモコンには干渉できず、テーブルの上のものも、なにもかも動かせない。
「……なるほど。深淵は俺の干渉は不可能ってことかよ」
何度か思考錯誤して、その結論に至った。
悠馬はこれから起こる出来事を、惨劇をただ傍観することしかできない。
「ただいま」
思考をまとめていると、自分自身の声が聞こえた。
それはおそらく、この世界で生きているであろう、暁悠馬の姿。多分5ヶ月後の自分か何かだ。
「と、とりあえず隠れよう…」
こちらからは干渉できないが、向こうが視認できたりするのなら面倒ごとになりかねない。
事態をそこまで大きくしたくない悠馬は、ベッドの隙間へと入ると、そこから顔を少しだけ出して、リビングへと入ってきた自分を確認した。
真っ黒な髪に、レッドパープルの瞳。
それは死神によく似ていて、自分自身とはあまり思えない、中学以前の自分を見ているようなものだった。
「ただいま。お父さん、お母さん、悠人」
彼はリビングへ入るや否や、置いてあった写真たてに向けて挨拶を始めた。
きっとあの写真には、家族写真でも入っているのだろう。
自分自身の性格は自分がよく知っているため、そう結論付けながら、耳を澄ませる。
「…もう直ぐ、戦争になるよ。お父さん。僕はどうすればいいんだ?」
「僕…?」
悠馬は自分の一人称に、疑問を覚えた。
悠馬の一人称は元々僕だったが、闇堕ちをすると同時に、一人称は自然と俺に変わった。
1人でいるときだって、大抵一人称は俺だったし、死にかけなければ多分、一人称が僕に戻ることはないと思う。
つまりこの世界の悠馬は…
「闇堕ちしていない」
導き出された答えに、頭がこんがらがる。
家族は死んでるのに、闇堕ちをしていないってどういうことだ?
そんな悠馬の疑問は、すぐに払拭されることとなった。
「ねぇ…なんであの雪崩で…僕だけ生き残ったのかな…」
「…」
哀しむ自分自身を見つめながら、悠馬は全てを悟った。
悪羅があの日、テロに便乗して家族を殺さなくても、入学祝いで旅行へ行く予定だった北海道で、悠馬の家族は雪崩に遭って死ぬことになる。
自然と流れ込んできた自身の記憶。
それは悠馬の記憶ではなく、おそらく写真たてと話している彼の記憶だ。
家族が死ぬという輪廻からは、結局抜け出せなかったらしい。
「…花蓮ちゃん。キミならどうする?」
「……は?」
家族の話から、不意に話題転換をした彼。
それを聞いた悠馬は、自然と流れ込んできた記憶に大きく目を見開き、反射的に立ち上がった。
それは知りたくなかった事実。
写真たては家族の写真なんかが挟まれているわけではなく、そこに挟まれているのは、花蓮の写真だった。
この世界では、悠馬の大好きな人は…悠馬の愛した人は、すでに存在していなかった。




