ようこそ地獄へ
結局、碇谷とアダムの揉め事は20分以上続き、それに巻き込まれた悠馬は、指定時刻よりも7分経過した、13時7分に中央グラウンドに到着した。
3人が到着した頃には、すでにグラウンドには生徒は誰1人いない。代わりにいるのは、不機嫌な顔をしたAクラスの担任教師、千松鏡花だった。
片手にバインダーを持って、ゆっくりと3人の方へと歩いてくる。
「暁。アダム。碇谷。お前らは随分とマイペースだな。集合の時間が聞こえなかったのか?」
「は、ハァイ、ボク、日本語アマリワカラナイデース」
「そ、そうなんですよ!こいつ日本語わからなくて!俺と暁で説明をしてたんですけど、なかなか理解できなかったみたいで!気づいたらこんな時間になってました!」
アダム、お前はさっきまでベラベラと日本語を喋っていたし、理解してただろ。
そして碇谷、遅刻したのはお前にも原因があるだろ!とツッコミを入れたくなったものの、とりあえず便乗しておこうと2人の話に乗っかった悠馬は、鏡花の方を見ると、無言でコクコクと首を縦に振った。
しかし、担任教師の冷ややかな眼差しを見て、この2人の馬鹿な言い訳には無理があったのだと後悔する。
「そうかそうか。アダム、お前は入学試験の国語で83点だった気がするが。それに碇谷、お前の得意科目は英語、らしいな?そんなお前らが意思疎通できないなんて、それは大変だ」
「うぐっ!?」
やはり無理があったのだ。
どういうわけか、アダムの入試の成績と、碇谷の好きな科目を知っている鏡花は、一度ため息を吐くと、話を始めた。
「走ってこい。島の外周を5周だ。スポーツドクターも等間隔で控えてるから、安心して、全力で、な」
悪魔のような笑みを浮かべる鏡花。
まるで今から死にに行けと言わんばかりのその表情に、碇谷は青ざめた表情で一歩後ずさった。
「せんせー、それは遅刻した罰ですか?」
「そうだ。と言いたいところだが、違う。すでに他の生徒達も走り始めている。お前らもさっさと行け」
「へーい」
鏡花の話を聞いたアダムは、やる気のない返事をする。
しかし、碇谷と悠馬がボサッと突っ立っていると、返事とは裏腹に猛スピードで走り始めた。
それを唖然とした表情で見送った悠馬と碇谷は、口をぽかんと開けたまま、鏡花の方を振り返る。
鏡花は2人を見て、ニヤニヤと笑うとアダムの方を指差し、さっさと行けと言いたげだ。
「くそったれが!」
「ふざけやがって!」
慌ててアダムを追いかけ始める悠馬と碇谷。2人は、その後に現れた女子生徒のことなど、気づくはずもなかった。
悠馬と碇谷が彼方へと走り去っていく中。
宿舎の方角から現れた女子生徒は、セミロングほどの水色の髪を靡かせながら、水色の瞳で鏡花を捉え、背後から歩み寄る。
「こんにちは。そしてお疲れ様です。鏡花先生」
「…柊。生徒会長のお前がこんなところで何してる?3年は別のトレーニングを行っているはずだが?」
3人が去った後、背後から近づいてくる気配を察知した千松鏡花は、振り返ることなく彼女の名前を見事に言い当てると、バインダーに視線を落とす。
「すみません。よく知った顔を見たので。ついつい来てしまいました。かつて神童と呼ばれていた、私の小学校の可愛い後輩です」
「…暁のことか。残念だったな。アイツはもう、お前の知っている神童とは程遠い存在になっているぞ」
何故か悠馬の全てを知っている、担任教師の千松鏡花。彼女は振り返らないまま、浅いため息を吐いた。
これは鏡花にとっても想定外の事態だった。まさか生徒会長の柊と、悠馬に繋がりがあるとは思ってもいなかった。
「そういえば、今年のフィナーレ。去年の雪辱を果たすためにも、レベルの高い生徒が必要なんですけどね?私ともう1人。出てくれる生徒を探さなきゃいけないんですよね〜。おすすめの生徒とか教えてくれませんか?」
「ふっ…白々しいな」
柊のつい先ほどの口ぶり。それは過去の悠馬のレベルも、実力も知っているという雰囲気だった。
だから今の質問は、遠回しに悠馬を貸し出せと言っているのだ。
その魂胆が見え見えの質問に対して笑ってみせた鏡花は、目を瞑るとバインダーを下ろし、ゆっくりと振り返った。
「では。暁悠馬くんをフィナーレでお借りしてもいいでしょうか?今年こそ、第1を優勝へと導くために」
「暁本人に直接聞け。私はアイツの意思を尊重するし、強制する気はない」
「さすが。政府の犬はあの娘のことについて以外は、全て中立、というわけですか?私が暁くんではなく、あの娘を貸して欲しいと言ったら、止めてましたよね?」
その言葉を聞いて、ピクリと反応をした鏡花は、生徒会長を睨みつける。
「よく調べているようだな。私のかけた異能も聞いていないようだ」
「はい。私も似たような異能を持ってますから。まあ、異変に気付いたのはつい最近ですが」
鏡花の使った異能の〝何か〟に、1番最初に気付いた生徒会長。鏡花は笑うこともなく、冷たい表情で柊を見ると、「さっさと失せろ」とだけ告げて去っていく。
「はーい、私も戻りまーす」
***
午後16時。
「はあ…はあ…くそ、これは絶対俺らを殺す気だ」
「マジで無理、明日もこの距離走れとか言われたら、俺高校辞めるかも…」
1周約10キロある無人島を5周、つまりは50キロを走り終えた生徒たちは、ゴール地点に集まり、愚痴を呟いていた。
「俺も女子になりたかった…女子は30キロなんだろ?」
「いや、30でもきついだろ。それなりに鍛えてる俺らでこれだぜ?女子が30走りきれると思ってんのか?お前」
男子と女子で走らなければならない距離が違ったこともあり、それを根に持った生徒の声が聞こえてくる。しかし、30でもキツイ、という声を聞き、座り込んでいた男子たちは深く頷いた。
「はぁはぁ…やっとゴール!」
そんな会話をしていると、新たにゴールへとたどり着いた男子生徒が現れる。
ちなみに、女子のゴール順、上位3人は、1位がいつも美月のそばにいる湊さん。2位がお団子ヘアの鬼畜お姉さん、真里亞。3位が完璧美少女美哉坂ちゃんという結果らしい。
男子はというと、1位が暴力ヤンキー南雲くん、2位がなんでもできる八神くん。3位がバカタレアダムという結果になっていた。悠馬はというと、結果は4位だった。
まぁ、それなりに頑張った方だろう。
碇谷と最下位スタートで始まったランニングを、最終的には男子の9割を抜き去り、4位として到着できたのだ。
アダムを追い抜けなかったのは少しシャクのようだが。
まだまだ体力があるのか、砂浜で転がるアダムを見ている悠馬は、呆れた表情で空を見上げた。
5月ということもあり、日は傾き始めている。
塊になって走っていた男子生徒たちが到着したのを眺めながら、次はどんな試練が課せられるのかと、ほんの少しだけ不安になる。
それほどに、50キロを走るというのは堪えた。悠馬はほぼ毎日自主的なトレーニングを行い、それなりに体力も付いている。
もちろん、今回は全力で走った。というわけではないが、滅多に走らないような馬鹿げた距離をひたすら走ったのだから、精神的には結構しんどい。
出来ることなら、今日は走り終えた人からお風呂に浸かり、解散にして欲しいくらいだ。
そんなことを願いながら、悠馬は持っていたスポーツドリンクを少しだけ飲む。
「おう、悠馬。走り始めた時は見かけなかったけど、どっか言ってたのか?」
完全にオフモードの悠馬に話しかけてきた、白髪の男子生徒。美少年という言葉が相応しいその男子、八神はニッコリと微笑むと、悠馬の隣に座り込む。
「ああ…同じ部屋の奴らが揉めてさ。中々着替えが始まらなくて、待ってたら集合時間過ぎてた」
ありのままを話す悠馬。すると八神は、思っていたような理由とは違かったのか、ケラケラと笑い始める。
「はははは!お前付いてないな!でもすげぇじゃん!それって、最下位スタートで4位まで上がったってことだろ?いやぁ、何でも出来る奴は羨ましいな!」
「2位のお前が言うな」
悠馬を褒める八神だが、それを素直に喜べない悠馬。何てったって、八神は口ではこんなことを言ってるが、彼自身も何でも出来る男なのだ。
スポーツは基本何でも出来るし、勉強だって多分できる奴だと思う。
加えていうなら、八神は現在、クラス委員までやっているのだ。
そんな何でも出来る男、八神にお前何でも出来るんだな!って褒められたって、素直に喜べるものじゃない。
しかも今回は、順位は悠馬の方が下なのだ。若干嫌味にしか聞こえない。
「いや、俺の2位は偶々だよ」
「お前、それを俺以外のやつに言ったら袋叩きにされるだろうからやめとけ」
偶々、という発言は大変よろしくない。
その発言は、今まで一生懸命努力をしてきた人たちを馬鹿にしたような発言だ。
1年間特訓を重ねてきた結果、2位だった人に向かって、1位の選手が偶々勝てました!なんて言ってたら、胸糞悪いだろう。
そんなことを言うなら、嘘でも自分なりに努力をしてきた結果です、とか、そういう発言をしてくれた方が気持ち的にも楽になるだろう。
「え?マジで?」
「ああ。おふざけの時はいいかもしれないけど、相手が本気の時は言うのやめとけよ」
この外周を、一体どれだけの生徒が本気でやっていたのかは知らないが、今後の八神のためにも、一度きちんと言っておこう。
「あー、だから中学の時、選抜に選ばれてたキーパーからゴールを奪った時、偶々だよって言ったら嫌われたのか」
もう手遅れだったようだ。
その経験があったなら、どうして似たようなことを繰り返してるんだ、この男は。
学習能力がないのか、それとも単純に天然で、自分の非に気づいてないのか。
まあ、八神の性格上、嫌われたから嫌がらせをすると言った性格でもないし、揉めるタイプでもなさそうだから、非に気づかずに普通に生活してたんだろうけど。
「今のお前は、まさにその時と同じことを繰り返してる」
「まじか!これからは注意するよ。ありがとう。悠馬!」
悠馬の忠告をきちんと受け止め、ニッと笑う八神。見るからに疲れてはいなさそうだ。悠馬と同じく、本気で走ったわけではないのだろう。
『1年生男子に連絡します。外周を終えた生徒は、速やかに1階の広間へとお集まりください』
聞いたことのない放送の声。おそらく第1の教員の誰かの声だろう。
その声を聞いた男子生徒たちは、地獄がまだ始まったばかりである事に気付き、阿鼻叫喚する。
「は?まじで言ってんの?」
「これ以上はまじで死ぬって」
「広間でストレッチとかであってくれ!」
生徒たちは嘆きながらも、大人しく放送に従い、宿舎の中へと向かい始める。
「悠馬、おつおつー」
「お前はもう少し真面目に走れよ」
男子たちの流れにのって宿舎へと入ろうとした悠馬にかけられた声。
その、何度も聞いたことのある、しばらくは聞きたくない鬱陶しい声に、振り返ることもなくそう呟く悠馬。
背後に控えているのは、連太郎だ。
「いやぁ、景色が綺麗でさ?見惚れてたら大幅に遅れちった!」
相変わらずふざけた理由で手を抜くやつだ。
お仕事以外、基本やることが適当な連太郎の話を聞いて、呆れた表情をした悠馬は、横に並んできた彼をチラッと見る。
憎たらしい顔だ。いつものようにニヤニヤしているその顔を見て、思わずぶっ叩きたくなる。
そんな気持ちを抑えた悠馬は、正面玄関を上がると、そのまま広間へと向かった。
***
広間の中。
疲れ果てた男子生徒たちが全員揃って、3分ほど経過した頃。
いつも体育の授業を行なっている教員と、見たことのない教員たちがジャージ姿で現れ、男子たちの表情はお通夜のような状態になっていた。
頼むからストレッチのような、身体をほぐす運動であってくれ。
ほとんどの生徒がそう願う中、体育教師が発した言葉は、無慈悲なものだった。
「今から集団行動を行う!疲れているだろうが、これを乗り切れば今日はお休みだ!だからぶっ倒れてもいい!大声をだして、キレッキレの集団行動を頼むぞ!」
やけに気合の入っている体育教師。
ぶっ倒れてもいいと言っていたが、マジでぶっ倒れたら大騒ぎになると思う。
だけど、そんなことを言ったら気合だ根性だ!などと叫び出しそうなため、大人しく話を聞く。
男子たちの表情は、今にも昇天しそうなものばかりだった。
悠馬だって、集団行動は好きじゃない。そもそも、集団行動をしたところで異能には何の成果も得られないし、筋力が付くわけじゃない。
声を出す系の異能ならまだやり甲斐があるのかもしれないが、残念なことにそんな異能を持っていない悠馬も、お通夜の一員になっていた。
「よし!じゃあ始めるぞ!全体、まわれーみぎっ!」
やけに気合の入った体育教師の声だけが、広間に大きく響き渡った。




