8番目の王位継承者
「…ソナタは…」
真っ暗な世界に降り立った、純黒の存在。
ティナは自身の味方が屠られたことなど無視して、両手を広げた。
「こんにちは〜いや、こんばんは?」
ニッコリと笑う、黒髪の人物。
気の抜けたような、やる気のない口調で立っている彼は、陽気な笑みを浮かべながらアリスとルクスへ向けて手を振った。
降り立ったその人物は、先代異能王殺しの悪羅百鬼。
世界でもトップの犯罪者、史上最悪の犯罪者とも呼ばれる彼が、この場に訪れてしまった。
それは総帥や戦乙女、冠位からしてみると、絶対に避けたかった事態で、こうなってしまった時点で敗北はほぼ確定したようなものだ。
少しの希望すら踏み躙られて、そして完全な詰みを悟ったアリスはゆっくりと瞳を閉じる。
これはもう、勝ち目がない。
ティナと悪羅なんて、セットで歩いていたら地球上のどの生物も、どの兵器も太刀打ちできない。
そんなことを考えるアリスのことなど無視して、ルクスやその他の総帥たちには目もくれない悪羅は、淡々とティナへと歩み寄り、バカにしたような笑顔を向ける。
「分離体がお世話になったね、ティナちゃん」
***
悪羅百鬼がなぜこの場に降り立ったのか。
それを話すには、数十分前にまで遡る必要がある。
それは、死神がティナから地上へと突き落とされた直後。
ドシャッと肉が潰れたような音が響き、日本支部異能島のセントラルタワー付近の道路に、死神は墜落した。
不思議と、痛みは感じなかった。
ここで役目が終わりなのか、光り輝く自分の身体を眺め、その後に空中庭園を見上げる。
そんな死神の顔を覗き込むように現れたのは、悪羅百鬼だった。
真っ暗な夜に1人、笑うこともなく、死神の仮面を無表情で見つめる。
「悪羅…」
「やっぱり、俺の勝ちだね」
「何が…言いたい」
「次会うときは、どちらかの死ぬとき。そう言ったろ?」
異能祭で初めて相対したとき、最後に悪羅が放った言葉だ。
彼の言葉を思い出した死神は、黙ったまま、反論をすることも、認めることもしなかった。
「正義は脆弱だったね」
正義とはあまりにも脆弱だ。
何しろ正義は、常に助ける側の人間であり、助けられない人間がいたとするなら非難されるし、なによりも守るものが多すぎる。
確かに、人間は守るものが多ければ多いほど、それ相応の実力を発揮できるのかもしれない。
でも、果たしてその全員を守ることはできるのだろうか?
死神のように、この世界の全ての民を守ろうなどと考える正義があるとするなら、それは傲慢で浅はかな夢物語だ。
この地球上に、この世界をまるごと救える人間なんていうのは、どこを探したって存在しない。
総帥だって、冠位だって、異能王だって不可能だ。
「どうだった?死神としての旅路の終わりは」
「……寒いよ。怖い。何も覚えてないんだ…何も思い出せないんだ」
「だろうね。俺がそうした。俺の記憶の中に、お前の記憶はある」
「……俺は…仮初めの存在だったのか?」
悪羅は消滅しかけの死神を見つめながら、微妙そうな表情を浮かべた。
死神という存在は、悪羅百鬼が自身の異能、分離で自身のありったけの善のみを抽出して作り出した存在だ。
つまり厳密に言うと、死神という存在は、悪羅の中に内在してきた、この世界の全ての民を救いたいという感情だった。
仮初めかどうかと聞かれたら、そうでないと答えるのが正解なのかもしれない。
「…本当は、お前が世界を救えるんなら、それに越したことはなかったんだよ」
悪羅は…彼は悪戯っぽく笑いながら、そう告げた。
死神が世界を救えるだけの力を持っていたのなら、そのときは最後まで悪としてこの世界に君臨し、悪のまま終わりを迎えるはずだった悪羅。
その理由は、全ての善を死神へと託し、分離を使用したから。
悪羅は最初から知っていた。
正義の脆弱性も、この世界の全てを守ろうとした結果、どういう結末を迎えるのかも。
知っていたからこそ、自分の善という感情を全て捨て去り、悪として、死神が失敗した時にこの世界を救済すべく存在していた。
全てを救おうとするのが死神だとするなら、悪羅は1人を救うために、全てを犠牲にしても構わないと考える人間だ。
だから大多数には理解されないし、万人ウケもしない。
邪魔なイレギュラーは全部殺すから、犯罪者だ。
「それじゃあ、そろそろ行くよ。お前は俺の中で、休むといい」
もう言葉も交わせない死神を横目に、悪羅は歩き始める。
これは全ての人間を救うために運命に抗った結果、全てを失った愚かで馬鹿な人間の復讐劇だ。
「ソナタが…死神の本体だと?」
悪羅がこの場に降り立ち、てっきり味方に加わるのではないかと誤解していたティナは、広げていた両手を下ろし、彼を睨む。
「お前があの死神…だと?」
その言葉には、アリスも耳を疑った。
死神と悪羅は、やっていることがまるで違うし、何が何だかまるでわけがわからない。
混乱する頭の中、悪羅はアリスと視線が合い、目を逸らした。
その表情は、敵の殺意などではなく、味方が向けてくるソレだ。
「さぁ?殺し合おうか?ティナちゃん」
死神はそう告げると、おもむろに落ちていた神器を踏み上げ、反動で宙に浮いた神器をティナへ向かって蹴飛ばす。
「死んじまえ!極夜!」
「なっ…!」
真夜中をさらに黒く染め上げる、悪羅の極夜。
いや、ソレはもはや、極夜と呼んでいいのかわからない、型破りな異能の放ち方だった。
神器を蹴飛ばしそれを極夜と言い放った悪羅。確かにそれは、異能だけ見たら極夜なのかもしれない。
しかしルクスや死神の極夜の放ち方からは大幅に逸脱しているし、仮にその手の評論家が確認したら、なんて下品な極夜だと激怒することだろう。
呆気に取られるアリスを横目に、悪羅の放った極夜はティナの腹部を貫き、そして神器は悪羅の異能に耐えきれなかったのか、ボロボロと砕け始める。
漆黒に染まった夜が、雨が、徐々に弱まり始め、ほんの少しの月明かりの先に腹部に穴を開けたティナが見える。
「ふふ…ははは…いきなりフルパワーとは…随分な挨拶じゃないか…」
「は?んなわけねぇだろ馬鹿かよ」
「物語…悪羅百鬼…ソナタは妾の異能が必中する」
ティナが物語能力を使用すると同時に、無数の白い球体が悪羅を襲い始める。
猛スピードで迫り来るその球体を、驚いたような表情で見つめた悪羅は、その球体を回避できないと悟ったのか、真正面から爆発を受けた。
絨毯爆撃のように、次から次へと悪羅に直撃する異能。
それはティナの言った通り、必中の呪いのようにも見える。
「ぎゃぁぁあ!痛い!や、やめ…やめてくれ!」
「物語…」
「やめて?話し合おう?俺まだちょっと…本気出せないっていうか、それ食らうと流石に…」
「極夜」
「ふざけんなクソババア!」
必中の異能がそれだけ堪えたのか、それとも本当になんらかの理由で本気を出せなかったのか。
命乞いを始めた悪羅に、さっきのお返しだと言わんばかりにそっくりそのまま極夜を返したティナは、崩れた噴水の中、血だらけになる悪羅を見て鼻で笑う。
「フン…ソナタが死神だと?偽物が…こんな羽虫を警戒していた妾が恥ずかしい…これならば死神や8代目の方が、よっぽど」
「だそうですよ?エスカさぁん」
「さんきゅー…悪羅くん…」
「!?なぜ」
ティナが悪羅に厳しい評価をつけようとすると、彼は血だらけなのに笑顔を浮かべ、指をパチンと鳴らす。
それと同時に、この世界から存在を消されたはずの人物、8代目異能王のエスカが現れ、エスカはお礼を言いながら、赤く燃える球体をティナへと放った。
「苦しんでくれよ!6代目!スーパーノヴァ」
球体はティナを包み込むと同時に空間を歪め、まるで彼女を吸収するように回転し、そして収束していく。
それは文字通り、超新星爆発を縮小したような、その中に人間を引きずり込んでいるような光景だった。
燃えるように熱く、凍えるように冷たく、そして全身が痛い。
気を抜けば簡単に意識が持っていかれるそんな状況で、ティナは自分が無力化したはずの、干渉できないはずのエスカがなぜこの場に現れたのかを考えた。
「…まさか…悪羅…キサマ」
おそらくエスカにかけられた異能を解除したのは、悪羅だ。
つまり悪羅は、ティナよりも上のレベルに立っているということだ。
そのことに気づいたティナは、歯を食いしばり、そして口を開いた。
「妾を包む異能は消滅した」
そう告げると同時に、エスカの放った異能、スーパーノヴァは消滅する。
「…ウザい異能だよね、ソレ…悪羅くん、あと何秒くらいで片付きそう?」
「あと20秒」
「さっきから全力だの時間など…ソナタらは一体何をしている?」
全力が出せないと言ったり、あと何秒で片付くなどと訳のわからない話をしたり。彼らの会話の意味がわからないティナは、眉間に皺を寄せながら、親指を下に向けたエスカを見た。
「地上。キミのお得意のゴミムシくんたちがどうなってるのか確認して見たら?」
「おいバカ異能王…まだネタバラシすんなよ…面白くねえな」
「…まさか!」
エスカにネタバラシをされて不服そうな悪羅を見て、ティナは自分が支配下に置いていた使徒たちの状況の確認を始めた。
使徒は言葉を交わすことはできないが、ティナの命令には従うし、生きているのかどうかの確認もできる。
さっきまで自分の戦いに集中していて、使徒のことなど頭の片隅にすら置いていなかった彼女は、数秒待っても反応のない使徒たちに、焦りを覚えた。
地上には、各支部へ向かって使徒を放ったはず。
それは各支部に総帥がいないと太刀打ちできないような、特大級のレベルの使徒を。
だというのに、どこの支部にも使徒の反応がない。
オーストラリア支部には総帥が残っているから、過剰な力を送ったはずだが、そこにすら反応はなかった。
「まさかソナタ…分離体で…」
「そ。流石に6つの支部の使徒を同時に処理しながら、死神としてお前と戦うの、かなり疲れたよ。オーストラリア支部にはオクトーバーくんが向かってくれたから助かったけど、正直かつかつだった」
「20秒経過」
エスカがそう告げると、悪羅は嗤った。
さっきまでは、唯一ティナが悪羅百鬼に勝てる時間帯であり、そしてこれからは、ティナが悪羅百鬼に勝てる可能性は、例え夕夏の物語能力を奪ったとしても、ゼロに等しい。
最後のチャンスを失ったティナに哀れみの眼差しを向けた悪羅は、手を伸ばして質問を始めた。
「さて問題です。分離体が全員戻ってきたときの俺のレベルは、一体幾つでしょうか?」
アリスは遠くから聞こえる声に、戦慄していた。
副隊長ですら敵わない使徒をたった1人で、しかも6つの支部を同時に相手にしながら、死神としてティナとも戦っていたというのか?
もしそうだとするなら、悪羅の体力、レベルは計り知れない。
分離というのは、分離するたびにレベルを必要とする。つまりレベル10の異能力者が分離でレベル5の存在を作り出せば、使用者のレベルもそれを差し引いた数値、つまりレベル5になるのだ。
だから悪羅が6つの支部にレベル10の自分の分離体を放てば、それだけでもレベルは60だ。
そして死神のレベルは、30。
そこから必然的に割り出されるレベルというのは…
そこから先で、アリスは考えることをやめた。
そんな人間、この地球上に存在していいはずがないのだから。
「…50か?」
「はい残念。俺のレベルは99。テメェみたいな雑魚が相手になるような存在じゃねえんだよバーカ」
「そうか。ならば妾も、本気を出さねばな」
悪羅の発言したレベルを信じていないのか、それともまだ勝機があるのか。
右手を差し出したティナと、そして先程から手を差し出している悪羅のちょうど真ん中には、白色に輝く王冠が浮かぶ。
それは異能王にしか許されない、王の冠。
「えーっと、僕も一応チャレンジしてみようかな?」
6代目異能王と8代目異能王、そして悪羅。
エスカはわざとらしく悪羅を見た後に手を伸ばした。
「あー、言い忘れてたけどね、6代目」
「なんだ?」
「僕って実は、9代目異能王なんだよね」
「…は?」
この王冠は、異能王に相応しい人物の元へと渡る。エスカが9番目などと知らなかったティナは大きく目を見開き、そして直後、王冠を手にした人物を見て、驚愕した。
「そ。俺が8代目異能王、悪羅百鬼。どう?この王冠初めてつけて見たんだけど、似合う?」
冠は6代目異能王のティナでも、9代目異能王のエスカでもなく、8番目に王位を継承した悪羅を選んだ。
異能だけではなく、王位継承者としてもティナの上を行く悪羅は、見下したように目を細めると、落ちている神器を拾い上げ、地面へと突き刺した。
「お前は俺より弱い。全てにおいてな」
死神=悪羅百鬼≠暁悠馬
死神は悪羅の分離体で、そのことを知らずに生きていました。
誰も救えなかった世界線の暁悠馬=悪羅百鬼です。
オクトーバー編で椿の話していた、セカイの持ち主というのが悪羅のことで、悪羅は反転セカイを使う、零の言うセカイの器の3人のうちの1人です。
残すところあと16話と、終わりが近づいて来ました。最初は自己満足で書き始めた作品なのですが、たくさんの人に見てもらえて、本当に嬉しい限りです。
最後までよろしくお願いします!




