僕が僕で在る為に
時は遡り、悠馬とルクスが激突するその直前。
シンと静まり返った日本支部の異能島には、聞きなれない警報のようなサイレンが鳴り響き、外には人っ子一人いない。
本来は平日で学校があっているはずだというのに、夕暮れに染まった異能島は、いつものように賑わう学生たちも、部活で疲れ果てて帰る生徒の姿も見えない。
夕暮れに染まる異能島を、日陰のように覆う空中庭園の影響だ。
オリヴィアは悠馬の言いつけ通り、夕夏や花蓮たちを守る為に、全員と行動をしていた。
ここは花蓮の寮の中だ。
「見て!悠馬からのお土産!翠の聖剣!」
どこかの高級ホテルではないかと見間違うほど豪華な寮内。
白と赤、そして茶色で花々が描かれた柔らかな絨毯を裸足で歩く花蓮は、エメラルド色に輝く剣を片手に、彼女たちへ自慢をする。
「驚いたな…まさか花蓮が聖剣の適応者だったとは…」
悠馬は適応者ではあったものの、異能の都合上翠の聖剣には認められず、1億円という馬鹿げた金額を使用して購入した聖剣を花蓮へとプレゼントしていた。
流石に花蓮へとプレゼントをする際に値段なんて口走っていないから、彼女は気軽に振り回して遊んでいるが、実際の値段、そしてどれだけの価値があるのかを言えば、もしかすると彼女は翠の聖剣を握れなくなるかもしれない。
花蓮が翠の聖剣に弾かれなかったことを知ったオリヴィアは、かなり驚いている様子だ。
まぁ、聖剣の担い手というのはそうホイホイいるわけじゃないし、アメリカ支部の軍人の中でだって、蒼の聖剣に触れることができたのはオリヴィアだけだった。
要するに、花蓮の内側にある潜在能力、ポテンシャルの部分が、暗にオリヴィアに匹敵するということだ。
「まぁ、私って昔からなんでも出来た方だしね?」
この世界で数億人に1人しか扱うことのできない聖剣を、昔からなんて適当な理由で使い熟す彼女に恐れ入る。
オリヴィアに驚かれてドヤ顔をする花蓮は、翠の聖剣をきちんと鞘に収めた状態で野球のバッターのようなポーズをとる。
「私、野球やったことないのよね…」
翠の聖剣がワールドアイテムだということは知っているのに、その聖剣を野球のバット代わりにする花蓮。
オリヴィアはその姿を見て、驚愕した。
聖剣をバット代わりにする人なんて、今まで見たことがない。
いや、本当に。
正直言って、聖剣をバット代わりにする花蓮の神経の図太さは、軍人になっていたとしても通用するレベルだろう。
「やってみます?その聖剣で」
「や、やめないか!」
花蓮の冗談に興味を示した朱理。
朱理はいつもと同じように、作ったような笑顔を花蓮へと向けていた。
これはこれで、彼女の通常営業だ。
彼女たちならば、本気で野球を始めかねない。
そんな恐怖を感じたオリヴィアは、夕夏と美月に助けを求めようと懇願するような視線を向けるが、彼女たちはニュースに夢中になっていて気づきすらしない。
「ま、流石に悠馬からのプレゼントで野球はしないけどね。壊れたら嫌だし」
「寮が壊れると思うが…」
翠の聖剣の威力は知らないが、蒼の聖剣と同等だと考えると、一振りで寮の1つくらい破壊するだろう。
剣が壊れることを心配している花蓮に引きつった笑顔で答えたオリヴィアは、心の中でちょっとだけ安堵していた。
日本支部の異能島は現在、使徒や暴走者を制圧するために、日本支部の人間やその他の勢力が海の周りを包囲し、島の安全を確保している。…というか、圧倒していた。
予定では4日後だと言われていた空中庭園が、突如として上空に現れ、3日も早く上空にきたわけだが、日本支部は見事な対応で、空中庭園の不意打ちに遅れを取っていない。
それが寺坂の采配なのか、それとも死神の采配なのか…
詳しくはわからないが、今のところ島内での戦闘は日本支部が有利で、サイレンの音は聞こえるものの戦闘音は聞こえてこない。
最悪の場合、オリヴィア自身も戦神として参戦しなければならないなどと考えていたが、その展開には陥りそうになかった。
ふとスマホに視線を落としたオリヴィアは、アリスからの着信が大量に来ていることに気づくが、それには一切反応しない。
「ささ、今日は何して遊ぼうかしら?」
戦争が起こるかもしれないという状況で、それを取り払うように気丈に振る舞う花蓮は、引き出しからトランプやUNOを取り出し、笑顔を見せる。
さすがはアイドルというべきなのか、緊張していても、不安でもいつも通りのパフォーマンスができる彼女は、素晴らしいと思う。
「私はトランプがいいな〜」
「私も」
そんな花蓮に便乗するように、不穏なニュース番組を消した夕夏は、美月の手を引きながら立ち上がる。
美月は紫色の瞳でオレンジ色に染まる外を一目だけ確認し、夕夏へと続いた。
これなら多分、大丈夫だ。
ここにいる全員がレベル10で、雰囲気もいつも通り。
少し気丈に振る舞っているのは見て取れるが、いざという時だって、オリヴィアが対処できる。
戦神のオリヴィア、聖剣に認められるほどのポテンシャルを持つ花蓮と、物語能力者の夕夏。そして闇の異能使いの朱理と美月。
悠馬の願い通り、こちらは全てうまくいきそうだ。
「そっちはどうなんだ…?悠馬」
***
夕焼けに染まるセントラルタワーには、日本支部総帥の寺坂に、総帥秘書の鏡花、そして冠位の死神に戦乙女たちが集まっていた。
「これは流石に想定外でした。まさか空中庭園ごと、ゲートで日本支部上空に到着するとは…」
セレスは空中庭園の予想外の動きに、対応が遅れていると危機感を露わにする。
「そんなの関係ないでしょ。エスカ様をやった奴をぶっ潰す」
「オイオイ、落ち着けよマーニー、今の戦力比じゃ勝てるかどうか危ういぜ?」
大好きなエスカが行方不明になり荒んでいるマーニーに、男勝りな性格の女がそう宥め、死神はコツンと机を叩いた。
「話し中悪いが、これは想定内だ。だからこうして、防衛戦力が整っている」
先制攻撃を許すかと思いきや、異能島は一切の怪我人を出さずに、あのお方の軍勢を圧倒した。
小手調べという意味合いも兼ねての先制攻撃だったのだろうが、不意打ちを許さなかったことを鑑みるに、彼の言う通り想定内だったのかもしれない。
「ですが戦力は整っていません。あのお方を倒すだけの戦力が…」
「その答えは空中庭園に行けばわかるぜ?セレス。言ったろ?想定内だと」
「おい、死神…」
「寺坂。これから空中庭園へ向かう。日本支部からはお前と俺だけでいい。鏡花は異能島の防衛に加われ」
「死神!」
「緊急事態だ。これまでは総帥であるお前の顔を立てて来たが、今回は黙って言うことを聞いてもらう。本来の立場を考えろ」
「っ…」
死神の指示には従いたくなかったのか、それとも2人で行くと言う発言に不安があるのか。
何か反論しようとした寺坂は、異能王がいない現状、冠位が戦乙女の直属となり、そしてその次に総帥という位置付けを知っているため、黙り込む。
現在、寺坂はこの中で総帥秘書の鏡花の次に立場が下ということだ。
「陽…私も死神に従うべきだと思う」
「鏡花…」
「コイツは得体の知れないヤツではあるが、これまで共に仕事をして来て、采配ミスはなかった。面倒ごとを押し付けられることは多々あったがな」
「うっ…」
未だに霜野の件を根に持っているのか、面倒ごとと言いながら睨んで来た鏡花に、死神は一歩後ずさる。
「まぁ…つまり、この島が後手に回らなかったのも、結局コイツのおかげだ。大人しく指示に従った方がいいだろう」
「…そうだな」
「…戦乙女は全員付いてくるんだろう?」
「当たり前よ。エスカ様が居なくなったからって、尻尾巻いて逃げるとでも思ってんの?」
寺坂と鏡花が死神の指揮下に入り、残るは戦乙女。
空中庭園へ向かうのかどうかを確認するつもりだった死神は、マーニーの鋭い眼光を見て、仮面の裏でふっと笑ってみせた。
「なに?」
「いや…寺坂なんかよりもずっと男らしいと思ってな」
「お、おい!俺は空中庭園に行きたくないなんて一言も…!」
「顔に書いてあるぞ」
「な…!嘘をつくな!」
死神の冷やかしに憤慨する寺坂と、それを見守る戦乙女。
緊急事態のピリピリしたこの場を和ませた死神は、無言で歩く。
「…決行は午後22時だ。空中庭園までは俺のゲートで行く。それまでは各自、自分の時間を過ごしていてくれ」
思い出したようにそう告げた死神。
彼の言葉になにを言い返すわけでもなく、それを黙って聞いた彼女たちは、お互いに顔を見合わせ、そして姿勢を崩した。
「陽…」
鏡花は死神のいなくなった空間で、不安そうに寺坂の元へと歩み寄る。
互いに好きあっているもの同士、誰がいるかもわからない死地へと好きな人を送るのは、どうしても心苦しいものがある。
鏡花は子供ではなく大人で、総帥秘書として今まで割り切って来たつもりだが、それでも彼女は1人の人間だ。
そっと寺坂へと手を伸ばした鏡花は、彼の肩へと身体を預ける。
「…鏡花。これが終わったら、色々と話したいことがある」
寺坂だって、鏡花と同じ気持ちだ。
叶うことなら、今すぐ告白して、総帥なんて身分を投げ捨ててでも、2人で逃げ出したい。
そんな気持ちを抱く寺坂は、ある決意をしていた。
それは遅かれ早かれ、どこかのタイミングで踏み出そうと思っていた第一歩。
この戦いが終われば、世界は比較的平和になることだろう。
もちろん、総帥としては忙しくなるかも知れないが、それでも…
「色々?」
色々の中身が知りたい鏡花は、黒く美しい瞳で寺坂を見据える。
寺坂は頬を赤く染めながら、彼女から目をそらした。
「2人の将来のこととか…だな…」
「っ…!わかった」
遠回しのプロポーズ。
この先の展開を悟った鏡花は、寺坂に気づかれまいと視線を逸らし、動揺を見せる。
「へぇ〜、寺坂総帥って、なるほど…」
2人の程よい雰囲気。同じ室内にいた戦乙女たちには、当然2人の話は聞こえている。
小さな声でにししと笑った赤髪の女性、ガーネは、男勝りな性格の女と、2人の雰囲気を壊さぬようにニヤニヤと笑う。
出陣まで、あと4時間を切った時の出来事だった。
***
真っ暗に染まった世界に、草原を歩く複数の足音だけが響き渡る。
夜というのは、不思議な空間だ。
冷たくも見えるこの光景だが、その実際、この世界で起こった様々な嫌なことを洗い流す穏やかさと、自分のちっぽけさを教えてくれる。
昼の暖かな日差しとは違い、冷たく全てを赦してくれるその空間で、死神は道化の仮面を付けたまま歩く。
「悠馬くん。逃げよう?」
耳の奥に残る、唯一の記憶。
大切な人が発言したであろう言葉は、数百年経った今でも、忘れることはない。
死神はその先の言葉を…自分が何と返事をしたのかを…この先の結末でどうなってしまったのかを忘れてしまった。
この世界にいる意味も。この世界で生きていかなければならない理由も。自分がここにいる存在価値もなにもかもわからない。
だけど、ひとつだけわかることがある。
死神には暁悠馬としての記憶は、もうほとんど残っていない。
彼は自分の思ったままに、本能にだけ頼って生きて行くと決めている。
なんとなく覚えている記憶を辿って、思い描いたであろう世界へと作り変える。
それは彼が彼で在る為に、彼が死神として生きて行く、唯一の意味。
「悪いね。逃げられないんだよ」
これは宿命で、きっとこの世界に時間遡行した時からすでに決まっていた。
あのお方とぶつかり合うのも、そしてこの先に控えているであろう結末も。
嫌な予感を振り払い、死神は進む。
本当に救いたかったものを。本当に守りたかった世界を、今度こそ悲しみなく救うために。
「これは…」
考え事をしていた死神の耳に、セレスの驚きの声が響く。
彼女の声で我へと帰った死神は、現実世界へと引き戻されるように、沢山の人影を見た。
「随分と遅かったじゃないか。死神」
「…アリス」
金髪の髪を揺らしながら、ピンク色の瞳を細めたアメリカ支部総帥、アリスは、死神を冷やかすようにニヤつく。
「怖気付いて逃げるのかと思っていたところだ」
「ふ…こっちのセリフだ。アリス。俺はお前がここに来ないのかと、ヒヤヒヤしていたぞ」
「なんだと?面白くないジョークだな」
アメリカ支部総帥のアリスを筆頭としたアメリカ支部軍の隊長格に、そして冠位。
戦神の姿は見えないが、それでも戦力的には、どこかの国と戦争をやるレベルのものだ。
そしてそんな彼女たちに続くようにして、他支部の総帥、冠位、軍人が集結を始める。
「そろそろだな」
役者が揃いつつ在るこの空中庭園で、アリスは決意をしたように振り向き、拳を掲げた。
「勝つぞ。この世界で生きる民のために、なんとしてでも」




