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星海を越えて

 

「んん…」


 前髪が風に揺らされたような感覚を感じ、目を強く瞑る。

 永らく眠っていたような、そんな気持ちの悠馬はゆっくりと目を開き、そこに広がっている夜空を見た。


「ここは…」


 都会の夜なんかとは比べ物にならない、美しい景色。


 現代人が見慣れた夜というのは、真っ暗なキャンパスに塗り残しの白が微かに残っているような、そんな夜空だと思う。


 都会から見る夜空は星なんてほとんど見えないし、見えるのは霞んで見える、輝いているかどうかもわからない星くらいだ。


 しかし今目の前に広がっている光景は、まるで異世界にでも飛ばされたのかと思ってしまうような、美しい景色だった。


 夜の色と言われたら?

 誰だって黒と答えるだろう。


 しかし今、目の前にある夜空は違う。

 目の前に広がっている夜空は黒などではなく、下の方は薄い紫色に染まり、上に登るにつれて徐々に暗くなっていく。


 星々は、宝石店の全ての宝石を真っ黒な一畳の畳に散りばめて、これが星です。と言われるように、所狭しと輝いているのが見える。


 逆に、星がない夜空を探すのが不可能なほどの光景だ。


 まるで御伽の国に迷い込んでしまったような、今まで見たことのない、思い描いたことすらない景色。


 美しく輝く夜空を見つめる悠馬は、風に前髪を揺らされながら上体を起こす。


「…どこだっけ?」


 なにをしてここに来たんだ?

 眠っていたから、数時間前からここで寝ていたのだろうか?


 一体何時間ここにいるんだ?

 見覚えのない景色の中、悠馬は元来た道を辿ろうと周囲を見渡す。


 空に浮かぶ星々とは違い、荒んだ大地。

 まるで天と地の差があるような、枯れた土地で歩き始めた悠馬は、何か欠落感があるような気がして立ち止まる。


「…俺は…誰だ?」


 ふと、自分の名前を思い出そうとする悠馬。

 しかし自分の名前は、一向に頭に浮かぶことがなかった。


「どこから来た?なにをしに来た?俺は何をするためにここへ来たんだ!?」


 何もかもがわからなかった。

 自分が何者なのかわからない焦燥感、恐怖心。


 記憶を失っているとわかってから一気に押し寄せてくる恐怖心に、悠馬は頭を抱えた。


 それは自分の名前も、大切な人の名前も、帰るべき場所もわからない。


「何か…大事なものがあったんだ」


 空を見上げ、綺麗な星々を見つめる。


「何か、俺にはどうしようもなく大切なものがあったんだよ…」


 柔らかい肌。金色の髪。

 どうしても顔が思い出せない人物のことを思い出そうと、悠馬は必死に頭を回転させる。


「誰だ!誰なんだよこれは!」


 脳裏にこびり付いた、大切な人の姿。


 彼女に会わなくちゃいけない。

 彼女に会って、謝らないといけない!


「か…れん…ちゃん?」


 引っかかっていた何かが弾けたように、数分の思考の後に大切な人の名前を思い出す。


「そうだ!花蓮ちゃん!花蓮ちゃんはどこにいるんだ?」


 周囲を見渡す。

 ここに何故いるのかはわからないが、きっと彼女に聞けば、ここがどこなのか、どういう経緯でこの場にいるのかもわかるはずだ。


 荒んだ大地を走り始めた悠馬は、キラキラと輝く大きな海の、遠くに見える対岸を発見する。


 そこは悠馬の立つ大地なんかよりも遥かに美しく、まるでこの世の楽園のような景色だった。


 隣の芝生は青いというが、そんな次元の話じゃない。


 枯れ果てた大地と違い、花々が咲き乱れ、桜色の木々が靡くその光景。


「きっと…あっち側にいるんだ」


 何かの間違いで、対岸に来てしまったんだ。


 自身の記憶に唯一残る花蓮を探す悠馬は、対岸へ泳いで渡ろうと、土手を下って海を見下ろす。


「…星?」


 海の底に沈む、輝く小石のような何か。

 水面に反射した星だと勘違いしてもおかしくない美しさだったが、それに違和感を感じた悠馬は顔を上げる。


「海の中に…輝く石なんてあるのか?」


 記憶なんてないからわからないが、ないような気がする。


 常識的なことは覚えている悠馬は、恐る恐るその海水に手を入れ、様子を見る。


「っ!?」


 悠馬が海に手を突っ込んでから、僅か数秒。

 自身の腕が溶け始めたことに気づいた悠馬は、慌てて手を上げて、周囲を見渡す。


「なんだ?この水…」


 こんな海を渡れば、対岸に辿り着く前に溶けて無くなってしまう。


 何か、船のような乗り物が必要だ。

 悠馬が顔を上げて海を見ると、そこには茶色の真新しい船が置いてあった。


 人が乗っているわけでもなく、紐に結ばれているわけでもないというのに、船は流れに逆らって浮かんだままで、ピクリとも動かない。


「これで…向こう側に行ける」


 きっと向こう側にみんないるはずだ。

 こんな枯れ果てた大地には誰もいないと判断した悠馬は、対岸を目指して船に乗り込んだ。


 楽しみだ。もうすぐ大好きな人に会える。もう直ぐ大事な人に会える。


「悠馬!」


 悠馬が1人喜びを感じていると、男の声が響く。


 それは記憶などなくとも、すんなりと耳に入ってくる、懐かしい声。


 崩れていた記憶のピースが徐々に埋まっていくように、瞳を輝かせた悠馬は、声のする方向を向いた。


「お父さん…お父さん!」


 懐かしい父の姿。

 ずっと会えていなかった気がする。


 いや、会えてなかったんだ。


 2つ目のピースがはめ込まれた悠馬は、自身に起こった出来事を思い出した。


 自分が暁闇となるキッカケになった事件を。


「待ってて!お父さん!今そっちに行くから!」


「来るな!」


 4年ぶりの父親との再会。

 悠馬からしてみれば、願い続けても叶わなかった亡き父との再会であり、いくら異能が強くなろうが、レベルが上がろうが訪れることのないと思っていた奇跡の時間。


 ようやく会えた感動でいっぱいの悠馬は、ゆっくりと動き出す船の中、父親の拒絶を聞いて立ち尽くした。


「な…なんでそんなこと言うんだよ!ようやく会えたんじゃないか!」


「お前だけは来ないでくれ…!頼むから!」


「どうしてさ!」


()()()()()()()()()()()


「……え?」


 父親の言葉を聞いて、悠馬の脳内には、ある電撃のような衝撃が走った。


 それは今まで、何故忘れていたのかと自問したくなるような鮮烈な出来事の数々。


 夕夏や美月、朱理にオリヴィア、ソフィア…


 1つ1つが忘れたくない記憶で、それらを全て忘れてしまっていたことを思い出した悠馬は、自分自身が何者であるのかも悟り、そしてここが何の終着点であるかも悟った。


「そっか…俺、死んだんだ」


 父親と会える機会なんて、夢でもない限り訪れることはないと思っていた。


 だから死んだと言われたら、納得がいく。


 案外すんなりと、混乱することもなくこの状況を受け入れた悠馬は、対岸に立つ父親を見る。


「もう、いいんだよ。父さん」


「え?」


「俺はどう頑張っても、未来には抗えないみたいだ。俺は努力しても、復讐なんて叶えられなかったし、大切な人を置いて先に死んでしまうような奴だった」


「何を…言ってるんだ?」


「ごめん!俺は…悪羅への復讐を果たせなかった」


 真っ先に謝らなければならないこと。

 自分の悲願でもあり、そして家族の悲願でもある、悪羅への復讐を果たせなかった悠馬は深々と頭を下げる。


 無能な息子と罵られるだろうか?失望されるだろうか?


 復讐を果たせなかった挙句、自分だけ好きなことをしてしまって後ろめたい気持ちでいっぱいの悠馬は、恐る恐る父親へと顔を向ける。


「…お前は…そんなことのために…」


 父さんは、哀れみの視線を悠馬に向けていた。

 それは今まで見たこともないほど苦しそうで、そして悔しそうな表情だった。


「そんなこと、どうでもいいんだよ!」


「っ!」


「お前が生きていてくれるなら、俺を殺した奴のことなんてどうだっていい!家族ってのはな!両親ってのはな!自分の無念を、怨みを息子になすりつけるようなことしないんだよ!」


「そ…」


 それは悠馬の、過去への清算だった。


 言われてようやく気付いた。

 父親や母親が、自身の息子に復讐を願うわけがないし、幸せに、平穏に生きて欲しいと思うのは当然のことだ。


 こんな単純な思考、こんな単純な答えを忘れていた悠馬は、ハッとした表情で父親を見る。


「なぁ、悠馬。俺はお前に、幸せに暮らして欲しかったんだ。なりたい自分になって欲しかったんだ」


「そう…だったんだ」


「お前には、まだ猶予がある」


「猶予?」


「その船を降りて…元来た道を、荒野を進みなさい」


「荒野を?」


「ああ。そこを進めば、きっと元の世界に戻れるはずだ」


 星海から空を見上げる。


 悠馬は未だ嘗てないほど、曇っていた心が晴れたような、ようやく日が差してきたような、温かい気持ちになっていた。


 今まで、自分が幸せになるたびに、家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。


 でも、今は違う。


 父さんの話を聞いて、父さんの思いを聞いて、悠馬は何をしたいのか。何をすべきなのか、ようやく決まった気がする。


「…ありがとう。父さん。俺、もう少し頑張って見るよ」


 進み始めた船から飛び降りて、悠馬は後ろを振り返ることなく歩き始めた。


「ようやく覚醒…だね?」


「…零…ああ。答えは出た」


「待ってたよ。君がこの領域に至る瞬間を」


 荒野に降りて直ぐ、枯れ果てた木の背後に立っていた白髪の人物、零は、悠馬の覚醒を祝うように両手を広げる。


「歓迎しよう。暁悠馬くん。君はこの世界で3人目の、セカイの器に相応しい存在となった」


「あ、そうなんだ」


「…反応うっす!そんな反応した奴、今までいなかったんだけど!」


 悠馬がセカイについて知らないという可能性もあり得るが、それでも喜びも何もしない無表情の悠馬を見ていると、なんでこっちがこんなに嬉しくなっていたのかと冷めてきてしまう。


 自分のノリと悠馬のノリに大きな異なりがあることを察した零は、やれやれと両手を大げさに広げて、深い溜息を吐いた。


「もっとさぁ?感動とかないの?父親と再会したこととか、死から復活する意気込みとかさ?」


「うん。色々と溢れる気持ちはあるよ…でもな、零。今はただ、心がこんなにも穏やかなんだ」


 再会の感動とか、死からの蘇生の感動とか、そんなことよりも今は、自分を4年間縛り続けていた、自分自身の思い込みと言う名の鎖が千切れたことに大きな意味を感じている。


 ようやく呪縛から解き放たれた。

 ようやく自分のやりたいように、何も後ろめたい気持ちもなく進むことができるようになる。


 悪羅への復讐。

 それはいつか、悠馬の気が向いた時にはするのかもしれない。


 でも、今はどうだっていい。


「そうかい。いい顔になったね。少年」


 晴れやかな表情。

 全ての枷から解き放たれた彼は、スッキリとした表情で笑ってみせた。

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