軋み始める世界2
「バレバレなんだよ」
悠馬はセレスを抱えたまま振り返る。
彼の眼差しはえらく冷たく、そして真っ黒なものだった。
「…偶然居合わせた子供…にしては随分と強そう」
「なんだその仮面。ハロウィンにはまだ早えぞ」
悠馬が振り向いた先にいたのは、寸手のところで氷の槍を回避している、黒い鉄仮面を装着した人物だった。
こんなあからさまに怪しい奴に敵意を向けるなという方が無理がある。
死神のように、ふざけたような奇妙なお面ではなく、ただ素性を隠すためにつけているような仮面の女は、悠馬の放った氷の槍に視線を落としながら話す。
「悪いんだけど、その女は重要なの。見なかったことにしてくれない?」
「断る」
「対価があるといったら?」
「いらねぇな。俺は欲しいものは全部手に入ってるんだ」
今更欲しいものなんて、1つもない。
現状に満足がいっている悠馬が唯一願いたいことがあるとするなら、それは寿命を延ばして欲しいくらいだ。
胡散臭い仮面の女に対して、何一つ願うことなどない悠馬は、セレスに一度だけ目を落とす。
***
なんだか身体がすごく心地いい。
この数年間、セレスは一度たりとも熟睡をすることはできなかった。
なぜなら彼女はセレスティーネ皇国第一皇女として、第5次世界大戦で傷ついた自国を立て直すだけのお金が必要だった。
父や母にお願いされるまでもなく、セレスは高校卒業と同時に自分の立場を理解した。
この国を立て直すには、大きな力を持つ先進国に政略結婚として嫁ぐくらいしか道がない。
なにしろセレスの国は新国家であって、国としての歴史も軍事力も低く、他国に援助を望むとするなら、その対価として差し出せるものが何一つなかった。
きっと援助を募ったって、この国を植民地のように扱ってやろうと、汚い考えを持った大国が押し寄せてくるのは目に見えていた。
彼女はきっと、最初から籠の中の鳥だったんだと思う。
だってそうだろう。
自国は大戦の影響で食糧の供給すらままならず、暴動寸前。
王家はまともな対策も、資金も用意できずに他国からの援助を必要としている。
しかし他国に付け込まれれば、国として終わってしまう。
だからセレスは、異能王に身を売った。
これが国を救う唯一の手段で、彼女1人が望まない生活を送るだけで、自国の民は幸せに暮らせる。
自分1人の犠牲でみんなが笑って暮らせるなら、それはこの上なくいいことなんじゃないだろうか?
そんなことを考えながら、最初の1年はただひたすら戦乙女としての勉強に励んだ。
セレスは最初から、今の今まで8代目異能王に惚れたことがない。
当然だ。
だって、好きな人っていうのは気づいたら好きになっているわけで、好きになろうと思って好きになれるわけじゃない。
好きになるには時間やその人とのさまざまな経験が必要になってくるし、思い出も必要となる。
当然だが、戦乙女としての生活に手一杯のセレスは、エスカ様に惚れることができなかった。
寝る間も惜しんで勉強をして、誰もそのことは評価してくれず、ただひたすら、戦乙女としての重圧、周りからの視線に耐えながらがむしゃらに走った。
そしてようやく、解放された。
心地の良い眠りについているセレスは、それが睡眠薬の影響などとは知らずに、ゆりかごのように揺れる悠馬の腕の中で目を覚ます。
「…エスカ…様?」
目を開くとそこには、茶髪の少年の顔が映った。
それは8代目異能王、エスカなどではなく、一介の高校生。
唯一他人と違う経歴があるとするなら、それはフェスタで最年少優勝を果たしたことくらいだ。
エスカの名前を口にしたセレスを、フッと鼻で笑った悠馬は、彼女を強く抱きしめ跳躍した。
「きゃっ!?」
「ごめん、しっかり掴まっててくださいね」
「え?あ、はい」
初めて触れる、異性の肩周り。
少しゴツゴツしていて、熱のこもっている悠馬に触れたセレスは、顔を赤面させながら状況把握に徹した。
何をしてたんだっけ?
確か路地裏で倒れている生徒を見つけて、治療をしている最中に首にチクっと痛みが走った。
そのことは覚えている。
おそらくそれで気を失って、どういうわけか、彼に助けられている。
お姫様抱っこでセレスを運ぶ悠馬の姿は、状況を判断したセレスの脳内では俗に言う王子様のようなものだ。
人生で初めてお姫様抱っこをされ、挙句に抱き抱えられながら戦う彼の姿は、セレスの心臓を強くときめかせる。
「その女を寄越せ」
「嫌だつってんだろ」
鉄仮面の女に挑発的な笑みを浮かべた悠馬は、真っ黒な炎で彼女を覆う。
「ヘルフレイム」
黒い炎は渦を巻くように鉄仮面の女を中心として回り始めると、徐々にその範囲を狭めてチリへと化す。
「はぁ…はぁ…」
「舞え。黒スイセン」
悠馬の攻撃は止まらない。
これまでの経験上、あのお方の手駒はかなりの実力、スペックを誇っていた。
仮面の女が一体何者なのかはわからないが、ディセンバーにゲルナン、ナティアを知っている以上、悠馬には妥協という二文字が浮かばなかった。
今の悠馬が抱いているのは、目の前の鉄仮面女をどうやって無力化させるか、どうやって蹂躙するかということだけだ。注射器を使われたら厄介だから、使われる前に倒す必要がある。
闇の異能を惜しげもなく使いながら、悠馬は次々と最高位の異能を発動させていく。
そんな悠馬に対して、鉄仮面の女は為す術がないのか、真っ黒な雪の粒に襲われ、身体を氷漬けにされる。
「くっ…」
「…やっぱ、今まで戦ってきた奴が強すぎただけか?」
こっちは最初から全開で、相手は手を抜いていたのかもしれないが、彼女の実力はディセンバーたちに遠く及ばない。
ギリギリの勝負にもならなかったし、なんなら傷一つ負っていない悠馬は、今まで戦ってきた人物たちが特別だったのだと知る。
あのお方だって、流石にポンポンと冠位や戦乙女を投入できるわけじゃない。
「お、おい!」
「やる〜」
「隊長!」
「ご無事ですか!」
悠馬から一足遅れて到着した戦乙女たちは、首から下を氷漬けにされている鉄仮面の女と、お姫様抱っこをされながら悠馬に抱きつくセレスを発見する。
セレスはというと、顔を真っ赤に染めて、悠馬の肩に回していた手を慌てて解いていた。
そんな状況を目にすれば、誰だって誤解をする。
察しが良いのか悪いのか、セレスの顔を見た彼女たちは一瞬だけギョッとした目をしたが、すぐにニヤニヤ笑いになった。
「落ちたね〜」
「落ちてませんっ!!」
ガーネがニヤニヤしながら呟くと、セレスは珍しく声を荒げて反論した。
「隊長にも春が来たんだなぁ…」
「隊長…なんてタイミングで…」
「だから惚れてません!」
他の戦乙女たちの冷やかしにも耐えながら、しかしセレスは悠馬の腕の中から降りようとはしない。
「っ…すみません。身体にまだ力が入らなくて…」
「ああ…大丈夫ですよ。セレスさん軽いですし」
夕夏や花蓮より重いとは言ったが、軽くないとは言ってない。
彼女をお姫様抱っこしていても、腕にほとんど負担の掛かっていない悠馬は和かな笑みで返事をする。
正直、こんな綺麗な人をお姫様抱っこして、ちゃんとした理由もあるのに「早く降りろよ」なんて発言できるわけがない。
「ところでこの女…どうしますか?」
「そうだなぁ…」
「我々戦乙女は、この世界の至る所での戦闘許可が常に降りていますが、その際犯罪者を捕まえた場合、現地支部の上層部に処遇の決定権があります」
つまり日本支部なら寺坂か死神が、この女の処遇を決定する。
イギリス支部でノーマンとソフィアが決断を下したように、戦乙女がいた場合でも、最終決定権というのは総帥たちにあるようだ。
まぁ、全ての決定権が異能王や戦乙女にあったとするなら、それはもう独裁に限りなく近いし、自分たちの気分で裁量を決めたりできるからその辺を見てのことだろう。
「じゃあ、警察に電話…」
「その必要はないぞ?」
悠馬が携帯端末を取り出し、警察へ電話しようとしたタイミング。
セレスを抱えながら、4人の戦乙女たちの背後から聞こえた声に反応した悠馬は、コンテナの上に座る、スーツを着て道化の仮面をつけた男を発見する。
「死神…」
「悪いことは言わねえ。今すぐその仮面女から離れろ」
いつものようにオーバーアクションで両手を広げた死神は、コンテナから飛び降りる。
「ふ…ふふ…ははは…!バレてるのなら仕方ない!」
死神が言葉を発すると同時に、自分の秘密が知られていると判断した鉄仮面の女は、黒色の氷をいとも容易く砕き黒い触手のようなものを7本伸ばした。
「っ!なんだこれ!」
言われた通りに鉄仮面から離れようとしていた悠馬は、無数に迫り来る触手を回避しながら、セレスを強く抱きしめる。
「私の異能は、吸収。文字通り他人を吸収して、その異能とレベルを得る」
「なるほど…それでワザとやられたフリをして、高レベルが集まるのを待ったわけか」
セレスという餌に群がる戦乙女たちを吸収することにより、さらなる力を得る。
自分自身の異能だけでは意味をなさないが、他人を吸収することにより、ようやく真価を発揮する異能。
鉄仮面の女は、仮面の裏で笑っていた。
「身体強化に、思考加速、感覚強化。痛覚遮断に、不屈…それに再生」
これらの異能を組み合わせれば、現異能王のエスカを超える速度、判断力、そして力を手にすることができる。
六大属性などなくても、この吸収という異能があれば、世界なんていくらでも変えられる。
「私は異能王より強い」
自身の異能に絶対的な過信がある女は、自分の力は異能王を超えるものだと自負しながら悠馬を襲う。
「仲間はずれはよしてくれよ」
「な…!」
獣のように俊敏に、それでいてその速さに思考が追いついている彼女は、逃げる悠馬と自身の間に突如として現れた仮面の男に驚愕する。
「異能王より弱いな」
いくら身体が強化されていようが、思考が加速されていようが、人間は突然目の前に現れたものを見て止まることはできない。
走れという指示が止まれになるまでには数秒の時間を要するし、加速している人間は、車と同じく簡単には止まれない。
鉄仮面の女は、死神に仮面を握られ、地面へと叩きつけられた。
「かはっ…」
死神の腕力が凄まじいのか、それとも女が硬化系の異能でも併用していたのか。
地面はチョコレートのように簡単に砕け、そこには2メートル近い穴が開いていた。
当然、鉄仮面の女はひしゃげて両手両足は変な方向を向いている。
「すげぇ…」
「さすが冠位…」
その光景には、戦乙女たちも驚愕させられた。
レベル的には10を優に超え、もしかすると総帥以上の実力を持っているかもしれない女を一撃で仕留めた。
異能を発動させているようには見えなかったし、純粋な力でねじ伏せたということだ。
「さてと…不屈を使おうが、再生をしようが、元に戻りはしないぜ?」
冠位である死神が、悠馬のような再生の隙を許すわけがない。
油断も隙も見せない死神は、氷で出来た刀を生成すると、ゆっくりと鉄仮面の女の首を切り落とす。
痛覚を遮断し、そして思考を加速させている彼女にとっては地獄のように長い時間だろう。
しかも不屈により、致命傷を負っても、首を切り落とされても数時間は息がある。
「死ぬまで苦しめよ」
そのことを知っていて、敢えて首を切り落とした死神。
再生は残念なことに、頭が胴体から離れた場合、発動することはない。
悠馬はシヴァの恩恵で人知を超えた再生力を持っているが、普通の異能の再生というのは、そうでないということだ。
「さてと。それで?戦乙女のお前たちがなぜこんなところで遊んでるんだ?」
一瞬にして場を制圧した死神。
先ほどまでの緊張感や場の雰囲気とは違い、死神の空間のようになった倉庫内で、セレスは口を開く。
「ここでは話せません」
「そうか」
「死神、お前どこに行ってたんだ?」
「野暮用だ。大したことじゃない」
互いに、鉄仮面の女のことはスルーして話す。
ここに戦乙女がいるということはつまり、緊急事態。
そこいらにいるようなモブの話で時間を使っていられない死神は、悠馬の腕の中で大人しくなっているセレスを指差す。
「それよりお前ら、どういう関係なんだ?」
「はっ!?」
「た、助けられただけです!」
死神の指摘を受けてから、セレスは悠馬を手で押す。
しかし残念なことに、悠馬はセレスをきちんとお姫様抱っこしているため突き放すことはできない。
死神の堅苦しい雰囲気が一変、セレスの行動で和んだ空間では、戦乙女たちのニヤニヤ笑いがはじまった。
それは死神なりの、雰囲気を緩和させるためのジョークなのかは知らないが、話題の切り替えは見事だ。
「ですが…感謝しています。…お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「暁悠馬です」
「悠馬さま…」
『さま…?』
死神の話術に関心をしていた悠馬は、セレスの様づけを聞いて硬直する。
当然、戦乙女たちもだ。
「はい。このご恩は必ず返しますので」
「あ、いや!いいですよ全然!気にしなくて!」
そもそも悠馬は、男子生徒たちからカツアゲをしにきただけだ。
セレスは成り行きで助けたものの、恩を感じられるようなことはしていないし、いいところは全て死神が持って行った。
悠馬の腕から降りたセレスは、深々と頭を下げる。
「と、とりあえず…俺は用があるんで!」
戦乙女からのお礼を受けた時の気まずさ。
それはきっと世界の誰もが知らずに死んでいくのだろう。
だから悠馬は、おそらく人類で初めてこの気まずさを感じるのだと思う。
まるでロードローラーに潰されたような圧と、居場所が消えていくような感じだ。
彼女のお礼になんと返事をすればいいのわからなかった悠馬は、全力で貨物倉庫の中から出ていく。
「…それで。本題に入れ」
これで邪魔者はいなくなった。
悠馬がいなくなり、ちょっと寂しそうな顔を見せたセレスは、それからすぐに表情を切り替え死神へと振り返る。
その表情はやけに重苦しく、そして彼女は、その重そうな表情で口を開く。
それはまるで、この世界の終わりを知った人間のような顔だった。
「8代目異能王、エスカさまの存在が消失しました」




