軋み始める世界
「なぁ暁、お前は無理してるようなら付いてこなくてもいいんだぜ?」
大通りを走りながら、男勝りな性格の女は優しげな言葉を発する。
セレスの誘拐というのは、正直悠馬にとっては全く関係のない、いわば他人事に近い。
流れで手伝ってくれているようなら、別に強制するつもりもないし、元の日常に戻ってくれて構わない。
しかし意外と気遣いのできる彼女に対して、悠馬の表情は変わらなかった。
「手伝うっていうか、残りの3万ほどを徴収しないといけないので…」
正直金ならあるし、カツアゲをしなくてもいいのだが、そんな優しい心で犯罪者たちを許す気はない。
戦乙女たちの後を走る悠馬の意思は揺るぎないようで、真剣な眼差しで彼女たちを見た。
「それじゃあ、この島で隠れられそうなところ教えてくれる?」
「貨物倉庫とか、倉庫系は定番ですよ。あとは自身の寮ですかね」
定番と聞かれれば、やはりその辺りだろう。
貨物倉庫は大きな荷物が多いし、見晴らしがいいわけではない。
加えて言うなら、倉庫内には一切使われていない区画もあるため、その区画を把握していれば勝手に入って溜まり場にもできるわけだ。
チンピラやちょい悪たちが好んで集まる場所でもある。
そして次に寮だが、これが1番安全だろう。
寮はオートロックかオートロックなしか自分で設定できるし、極論を言えば自分が通したいと思う人物しか部屋に上げないということもできる。
監視カメラだってないし、窓を締め切れば声だって聞こえないだろうし、何をやってもバレない確率の高い空間でもある。
しかしこの場合、一直線に寮に帰る、ということはないだろう。
理由としては、セレスを背負って歩いていた場合はかなり目立つことと、尾行されていた場合、寮の中に入れば袋の鼠になる。
さすがにそこまで考えないバカではないはずだ。
おそらく複数のフェイントを交えて寮に帰るか、他の場所で誰かと落ち合うか。
「隊長から連絡ないよ〜」
「マメな隊長が連絡も寄こさずどこかにいなくなるなんて、こりゃあもう確定だな」
隊長である彼女が、隊の足並みを乱すような行動を取るわけがない。
何年も共に仕事をしている彼女たちは、セレスの性格を熟知しているのか、勝手に行動したという可能性を真っ先に消す。
「暁少年、近くに貨物倉庫はある?」
「あー…あります」
メガネの女性に聞かれ、悠馬はふと去年のことを思い出す。
そういえばアメリカ支部の調査隊みたいなのが来た時に、ショッピングモール寄りの雑木林に潜水艦を止めていた。
そしてその小さな砂浜の先には、フェンスで覆われた貨物倉庫があったはずだ。
とても印象に残っていたバースとの一件だったため、悠馬はすぐに思い出すことができた。
「案内してもらえる?」
「はい、いいですよ」
悠馬が貨物倉庫の場所が分かると判明し、戦乙女たちは隊列を変える。
メガネの女性が右手をグーの形にして挙げると、戦乙女たちは彼女の後ろに2列に並び、悠馬の後ろへと続く。
どうやらこのメンバーの中で最も地位が高いのは、メガネの女性のようだ。
きっとセレスがいなくなった時や誰かが抜けた時のマニュアルも決まっていて、寸分の狂いもなく動けるようになるまで練習しているのだろう、動きに一切の無駄がない。
洗練された動きで隊列を整えた彼女たちは、それがごく普通のことであるように、表情1つ変えない。
「なにか?」
「あ、いや…洗練されてるなって…ほら、隊長もいない状況だから、てっきり頭が決まってないのかと…」
「はは、私らはそういう不測の事態に取る行動も決めてんだよ」
「もちろん、いつもみたいに落ち着いては対応はできないけどね〜」
隊長が誘拐されるなんて事態、今までなかったし、練習くらいでしか起こらない出来事だったろう。
悠馬の褒め言葉に自慢げに話す彼女たちは空を見上げる。
「にしてもあちぃな…日本支部の夏ってのは、こんなに暑いのか?」
「そうですよ」
海外の人たちからしてみると、この暑さはかなり堪えるだろう。
何しろ、暑いだけならまだいいものを、ジメジメとした湿度が空気中に停滞し、サウナのような状態を作り出している。
しかもただのサウナと違って、上から太陽が照りつけ、そして地面は焼けたアスファルト。
当然のことだが、サウナのようにほぼ全裸で動き回るわけにもいかないし、服を着ている状態のこの暑さは、正直日本で生活してきた人でも厳しいものがある。
ミンミンと鳴く蝉の鳴き声も徐々に鬱陶しいものに変わっていき、男勝りな性格の女は眉間にしわを寄せる。
「夏は来れたもんじゃねえな…」
「ですね。この時間帯に歩き回るのは、キツイですよ」
海外から来てすぐなら、尚更だ。
暑さと湿度、そして先ほどまでの戦闘で身体に発生した熱は、戦乙女にとっても堪える。
雑木林へと差し掛かり、ちょうど反対側に貨物倉庫が見え始めると、その暑さは少し楽になった。
「潮風…」
「暑いけど…マシ〜」
貨物倉庫や潜水艦が止められる場所があるということは、当然海に近い。
ちょうど海沿いのショッピングモールの通りへと出たため、先ほどまでの暑さは潮風で幾分が緩和された。
嬉しそうなガーネをメガネの女性が小突き、彼女はしょんぼりとする。
仕事中、というか緊急事態につき、1人はしゃいで輪を乱すことは許されないようだ。
先ほどまで休憩に向かっていたというのに、こんな緊急事態に巻き込まれ休憩なしで働かされるんだから本当に可哀想だ。
「あ…そういえば、貴女方戦乙女は、何をしにこの島へ?」
ハプニングの連続ですっかりと忘れていた、戦乙女がここにいる理由。
普通来日するというなら、大々的にニュースで報道されるわけだし、異能島だって万全の体制で彼女たちを迎え入れたはずだ。
しかしそれが上手くいっていない。
戦乙女は普通に道路を歩いていたし、報道もされていないし、終いには隊長が誘拐。
グダグダというか、大問題だというのに、寺坂や死神は一向に現れないし、彼女たちは何が目的で来たのか。
悠馬が疑問を突きつけると、メガネの女性は一瞬だけ迷った表情を浮かべる。
「…残念ながら、極秘事項だから話せない。いくらフェスタ優勝者だからといって、この問題に一般人を突っ込むことはできないの」
「私たちがここに来てることは、秘密だよ〜?」
「わかりました」
もうバレバレな気もするが、彼女たちの状況を察するにかなり重要な任務をしているのだろう。
案外察しのいい悠馬は、彼女たちにそれ以上の質問はせず、大人しく道案内に専念する。
「ここですね」
潮風香る貨物倉庫。
潮風の影響なのか、置いてあるコンテナは結構な数錆びているため、ここだけ異能島じゃないような、古い雰囲気を醸し出している。
「お邪魔します」
貨物倉庫の扉は鍵が設置されておらず、メガネの女性がフェンスでできた扉を押すと、軋みながら開く。
鍵も付いていないし、非行少年たちからしてみると絶好の溜まり場に違いない。
警戒しながら前へと進む彼女たちは、手で合図を出し合いながらそれぞれ2人1組で進んでいく。
「すげぇ…」
正直な話、戦乙女は女だし、そこまで高水準は求められないだろう、なんて甘いことを考えていた。
レベルや成績、容姿がいい女性たちで固め、異能王はすごいんだぞとアピールしているなどと失礼なことを考えていたが、先ほどの隊列といい、今の合図の出し合いと言い、もはや軍人のソレに近い行動に恐れ入る。
これが異能王の側近である戦乙女たちに求められる水準。
これほどの領域に至るまでに、一体何年を要したのか。
最長でも3年でこの領域に至っていることは確実なため、彼女たちの才能や努力がどれほどであったのかを、思い知らされる。
しかし、彼女たちの実力を見せつけられて圧倒されている場合ではない。
今日の本題、今の事態を思い出した悠馬は、1人取り残された入り口で、黄金色の雷を纏う。
鳴神だ。
一度全身から放出した雷は、地面に落ちていた葉っぱに触れるとパチパチと音を立てながら、悠馬の体内へと収束していく。
その雷が全て体内に収まり、雷が身体の外に放出されなくなったのを待ってから、悠馬は跳躍した。
鳴神を使用した状態の跳躍力は、レベル10身体強化系異能力者とほぼ互角、もしかするとそれ以上になる。
助走も付けずに跳躍した悠馬は、いとも容易くコンテナの上に着地し、そこから見える水平線と、古びた貨物倉庫を見つける。
ここは異能島の内部だが、基本学生たちの立ち入りは禁じられている。
だから貨物倉庫に何があるのかなんてわからないし、見栄えがいいように整備がされているわけでもない。
学生たちが使う施設、表で見える施設だけ整備されている異能島では、こうした端にある貨物倉庫や工場は使い古されていくだけのようだ。
「まぁ、関係ないけどな」
見た目がいくら古かろうが、きちんと稼働しているならなんら問題はない。
最低限のパフォーマンス、最新とまではいかなくても、従来と同じパフォーマンスが出来るのなら、なんの問題もない話だ。
黒ずんだ貨物倉庫の考察を終えた悠馬は、子供が川の間にある石をジャンプし、水に濡れないよう対岸に渡るように、コンテナの上へと飛び乗っていく。
こんなことをするのも、1年ぶりかもしれない。
なんだか夕夏の結界事件と似ているような気がして、彼女との馴れ初めを思い出してしまう。
「いやぁ、思えば、すげぇ事件だったよな…」
例えるなら、今の状況に限りなく近い事件だった。
前総帥の娘である夕夏を襲い、そして死ぬまで実験の道具にしようとした、非人道的な行い。
しかもその事件の主犯が理事だと言うのだから、日本支部に激震が走ってもおかしくない事件だった。
幸いなことに悠馬と連太郎がその事件に関与し、美月の協力もあって大事には至らなかったが、今考えてみると大事件だ。
過去の思い出に耽りながら、ぴょんと飛び跳ねた悠馬は、遠くに見えた貨物倉庫に男子生徒が立っているのを確認し、全力で走り始める。
「ガキが…ナメてたら痛い目見るってしっかり教えてやるよ…!」
これが異能島の洗礼だと、痛みを持ってきっちりと思い知るがいい。
鳴神で急加速した悠馬は、さっきまでのように単調に飛び跳ねるのではなく、助走をつけて遠くへ、遠くへ飛ぼうと跳躍を続ける。
「よぉ、ガキ…!」
跳躍を続けてたどり着いた、男子生徒の元。
悪人のような形相で白い歯を見せた悠馬は、悪魔のような笑みで蹴りを入れた。
「ぐぅっ…!?」
背中からの蹴りに、男子生徒は反応しきれず前方に派手に転ぶ。
多分だが、今の転び方からして顔面が削れていることだろう。
「よし、財布ゲット〜」
蹴りを入れた直後に手を伸ばし、財布を奪っていた悠馬は実に嬉しそうだ。
男子生徒から奪った財布を片手で投げ笑っている悠馬の姿はおそらく、今ここへ現れた人がいるなら10人が10人、悠馬が悪者だと誤解することだろう。
現に悠馬、容赦がない。
大人気がないというか、なんというか…
「貰ってくぜ?」
他人から奪い取った財布の中をすぐに確認する彼の姿は、完全に小物悪党のソレだ。
お札を抜き取った悠馬は、蹴りを入れられてからピクリとも動かない男子生徒に財布を投げつけ、倉庫内を見る。
「…おー…見つけた」
ここまで推理がうまくいっていると、将来探偵にでもなろうかな?なんて考えてしまう。
実際運だけで見つけたようなものだし、誰でも考えつくような場所なのだが、それでも自分の仮説が当たると嬉しい。
貨物倉庫の隅で意識を失っているのか、目を閉じたまま動かない翠髪の女性を見つけた悠馬は、お札をそのままポケットにねじ込むと走り始める。
とりあえず、この件については全て片付いたと思う。
食い逃げ犯4人からのカツアゲも終わり、3人はもう動けないような状況で路地裏に放置してるし、今の男は逃げたところで、仲間に売られることはほぼ間違い無い。
1番の問題だったセレスを発見した悠馬は、彼女の下まで駆け寄ると、優しくお姫様抱っこをしてあげる。
「うわ…すっげぇ綺麗…」
翠色の長い睫毛と、そしてプリンのように滑らかに見える肌。
これが女神様です。と言われたら、多分昔の人たちは絶対に信じ込んで信仰を始めていただろうと思えるほどの美しさだ。
フェスタの時に一度顔は合わせているものの、ここまで間近でセレスを見ていなかった悠馬は、その美しい寝顔に見惚れる。
夕夏や花蓮よりもちょっとだけ重みは感じるが、それは彼女の美しさを前にすれば些細なことだ。
これでセレスティーネ皇国の第一皇女なんだから、この世の全てを手に入れた女と言ってもいいのかもしれない。
頭脳、身体能力、レベル、地位、夫は異能王…
セレスのスペックに驚愕していた悠馬は、彼女を抱えたまま、不意に氷の槍を無数に生成し背後を攻撃する。
「バレバレなんだよ」




