食い逃げ事件
茹だるような暑さが続く夏。
忙しく響く蝉の鳴き声が鬱陶しいほど反響し、炎天下の中を歩く茶髪の少年は、額に汗を流しながらどこか上機嫌に歩いていた。
夏の昼間、炎天下の中を歩くとなれば、普通ゾンビのようになってしまうのだが、何かいいことでもあったのだろうか?
悠馬の右手には、小さな箱が2つ入った袋が見える。
「喜んでくれるかな…」
すでに夏休みに突入し、勉強と言う名の地獄から抜け出した学生たちは、うちわを扇ぎながら悠馬の横を通り過ぎていく。
悠馬が今日購入したもの、というのは、彼女への誕生日プレゼントだ。
そして何故、プレゼントが2つあるのかと言うと、美月の誕生日祝いをしていないからだ。
別に忘れていたというわけじゃない。ただ、美月の考えで、誕生日は同じくらいの時期の人とまとめてやった方がいいんじゃない?ということになったのだ。
7月7日が誕生日の美月と、8月14日が誕生日の夕夏。
学生なら、美月が合同にした方がいいんじゃない?と言った理由は、財布の中を見ればわかるだろう。
ここ異能島は寮生活であって、6割以上の学生は基本的に、親からの仕送りを頼りに生活している。
それは夕夏だって、美月だって同じだし、友人の大半がそういう生活を送っているのだ。
そんな中で誕生日を2ヶ月連続、しかも夏休み期間に行うのは、正直かなり出費が増える。
誕生日の人の夜ご飯代をみんなで払ったり、誕生日プレゼントを購入したり、ケーキを買ったり。
そういうことを2度するのは、学生にとってはちょっとした苦でもある。
しかし合同で誕生会を開けば、出費はほんの少しだけ減る。
二度行くはずだった夜ご飯代が一度だけで済み、他は変わらないかもしれないが、浮いたお金で他のところに遊びに行くことができるのだ。
加えて言うなら、夕夏の誕生日はお盆に近いため、毎年祝える友人というのも限られてくる。
そういうデメリットを全てなくすことができるのが、合同誕生会である。
悠馬は美月にピアスを、夕夏にネックレスを購入し、かなりご満悦のご様子だ。
「あとは…」
道端で立ち止まる悠馬。
言い忘れていたが、ここはショッピングモールから少し離れた所にある大通り。
悠馬はポケットから携帯端末を取り出し、その画面に映っているお店を探すようにして周囲を見回した。
今回の誕生会は、悠馬が主催することとなっていた。
理由は単純で、彼女2人の誕生会だから。
こういうのは女子たちが手配するのだろう、などと考えていた悠馬だが、女子たちから「暁くんがした方が絶対喜ぶから!」と言われて、それが嬉しくて快諾してしまった。
本当にバカだと思っている。
何故なら悠馬は、外を目的なく出歩くのだって高校に入ってからが初めてだし、彼女ができたのだって約1年前だ。
それなりにデートも重ねたつもりではいるが、それでも流行に敏感な女子たちに比べると、情報量や経験において遥かに劣っている。
そんな自分がエスコートした店で、果たして喜んで貰えるのだろうか?
一抹の不安を抱きながらも、悠馬はきちんとリサーチし、最近ジワジワと人気になっているというお店へと向かっていた。
向かっているお店というのは、個人経営のパンケーキ屋さんだ。
基本チェーン店、大手の店しか入ってこない異能島ではかなり珍しい部類に入るだろう。
そんな珍しいお店が、先週くらいから突如としておいしいと噂になり始めたのだ。
まぁ、多分だが友達が多い生徒がパンケーキ屋さんに行って、SNSで投稿でもしたのだろう。
間近に控えた誕生会を成功させるため、悠馬はその噂のパンケーキ屋さんへと向かう。
「この辺だな…」
第1高校付近の路地裏と違い、少し小洒落た路地裏には、有名でない店の数々が並んでいる。
当然のことだが、国が運営する機関とあってか有名どころを大通りに出し、個人経営や下の企業は、路地裏に追いやられるようだ。
敷金なんかもあるのかもしれない。
だが、大きく違うところもある。
さっきも言った通り、雰囲気は第1高校付近の路地裏と比較にならないほど洒落ているし、知る人ぞ知る名所、隠れ家的な雰囲気を醸し出している路地裏で、マイナスなイメージは浮かばない。
大通りを左に曲がった先にある路地裏で、悠馬は並んでいるお店をひとつひとつ確認しながら進む。
「なんか、異能島じゃないみたいだ」
薄暗い路地裏にお洒落な店が並んでいる空間があるなんて知らなかった悠馬は、大手有名どころを集めたのが異能島、などという偏見を持っていたため、驚きを隠せない。
誰が考えたのかは知らないが、こういう作りはかなり良いと思う。
周囲を観察しながら歩いてあると、すでに中盤近くまで歩いていた。
来るまでにあったお店の大半が見たことのない店であったが、内装はかなり綺麗だし、店の外に出してあるメニューを見た限りではかなり美味しそうに見えた。
「今度、デートで行ってみるのもアリだな」
いつも彼女たちにエスコートしてもらっている悠馬は、今回の誕生会の準備で何かに目覚めたのか、次は自分がエスコートをしてみようなどと考えている。
きっと喜んでくれるはずだ。
勝手に妄想を広げる悠馬は、路地裏で1人ニヤニヤと笑い、自分の世界に入り込む。
右前のお店の扉が、勢いよく開いたことなど気づかずに。
「きゃー!!食い逃げよ!」
女性の悲鳴が聞こえ、悠馬は我にかえる。
しかしタイミングはすでに遅れていて、右前の店から出てきた4人組の男子生徒たちは、出てすぐに立っていた悠馬を睨みながら衝突する。
「邪魔だどけ!」
「突っ立ったんじゃねえよバーカ!」
「いてっ…」
4人組のうちの2人にぶつかられ、悠馬は尻餅をつく。
横でグシャッという不快な音が聞こえた気もするが、とりあえず走り去って行った生徒たちの方を振り向いた悠馬は舌打ちをする。
「チッ、なんだよアイツら…」
せっかく下見に来たのに、最悪の気分だ。
「そこの君、大丈夫?」
「あ、大丈夫です」
不意に背後から聞こえて来た声に、悠馬は首を正面に戻し、右前のお店から出て来た人物を見る。
そこにはおそらく店主であろう、エプロンを着た人物が立っていた。
さっきは食い逃げだなんだと騒いでいたし、災難なお店だ。
他人事のようにそんなことを考え、悠馬は開いている扉から漂うメープルの香りに硬直する。
「パンケーキ屋さん…」
ってことは、アイツらパンケーキを食い逃げしたのか?
「…ところで君、横の袋は大丈夫じゃないみたいだけど…」
「……」
悠馬は再び思考を遮られ、店主の指差した袋へと目を落とす。
そこには、つい先ほど購入した2人への誕生日プレゼントを入れた袋が、ぐしゃぐしゃになって、くたびれたように倒れていた。
「え?は?」
プレゼントが入っている小さな箱は男たちの体重で踏みつけられたことに耐えきれず、ぺしゃんこに潰れている。
状況が飲み込めない悠馬は、レッドパープルだった瞳を黒色に染め、犬がエサを探すように、箱の中を開く。
そこには黒色の宝石を施したピアスが、無残に砕け散っていた。
「ぶっ殺してやる!!」
悠馬は路地裏でそう叫び、鳴神を発動させた。
***
「きゃっ!」
「はは、ちょろいちょろい」
「余裕だな、次何する?」
先ほど食い逃げをしていた男子グループは、異能を使いながら大通りを駆け抜け、ニヤニヤと白い歯を見せる。
異能を持て余した人間がすることなんて、大抵が似たり寄ったりだ。
異能を使って万引きをしたり、食い逃げをしたり、周囲にイタズラをしたり。
現代では異能の使用はかなり厳しく制限されているものの、それでもこうして、バカみたいな騒ぎを起こす学生はごまんといる。
何しろ学生という身分上、逮捕されるということはない。
悪くても少年院送りということを知っている彼らは、自分が選ばれた人間だと思っていることも相まって考えが甘い。
「そうだな、それなりに場数も踏んだし、次はあの女の要望に沿った練習でもして見るか?」
「ってことは誘拐?まだちょっと怖いな」
「バーカ、だから練習するんだろうが」
食い逃げを行い、そしてさらに誘拐をするなどという物騒な話をする彼らは、周りの被害など御構い無し。
慌てふためく生徒たちを見下しながら、口々に意見を出し合う。
「練習つっても、ブスは嫌だぜ?」
「まぁ、誘拐だもんな。ブス誘拐しても面白みねぇし」
「やっぱり、花咲花蓮だろ」
大通りを抜け、再び小さな路地裏へと入った彼らは、1人の人物の声を聞いて、ギョッとした表情を浮かべる。
「お前、あの暁の女だぞ?」
「フェスタ優勝者で、第1牛耳ってるって噂だしな」
流石の彼らも、人は選ぶ。
悠馬の彼女である花蓮を狙うリスクを知っている彼らは、食い逃げなんかよりも悠馬の方が怖いらしい。
「でも、最終的に俺らが誘拐しないといけない奴は、美哉坂夕夏だろ?」
「それは…」
「そうだけどよ…」
夕夏を誘拐することを最終目標としている彼らは、微妙そうな表情を浮かべる。
「それに、俺らが誘拐したって、あの女が回収してくれるならバレねえだろ」
「そうだな。レベルが高い方がいいって言われてるし、容姿とかも考えると花咲が良いよな」
「あー、あの巨乳揉みてえ」
花蓮を誘拐する。
その方針で決まった彼らのポケットには、イギリス支部でナティアがばら撒いていた、注射器が見え隠れしている。
「誰を誘拐するって?」
4人が会話を切っり、ちょうど1人の男子が跳躍した瞬間に響いた声。
ドシャッ!という鈍い音を立て、地面に叩きつけられたような音が響いた路地裏には、4人の男子以外に、もうひとりの人物がいた。
跳躍していた男子の顔面に蹴りを入れ、地面に叩きつける。
無表情のまま路地裏に立つ悠馬は、プレゼントを破壊させられたこと、そして花蓮の誘拐を画策していることを知り、より一層不機嫌になる。
「ひっ…!暁…」
「まじかよ…」
地面に叩きつけられた1人がピクリとも動かないことに、3人は後ずさりながら声をあげる。
どうやら彼らは、パンケーキ屋さんで悠馬と激突したとは思っていないようだ。
「じょ、冗談に決まってるじゃないですか」
「さすがに、誘拐なんてしませんよ」
「ハハ」
この異能島の学生の中で頂点に君臨する悠馬を前に、3人は必死に弁明をする。
「そう。でも許さない」
「は?」
「なんでっすか!」
誘拐云々と言う話を聞いたところで、悠馬は下手に手を出せない。
なぜなら相手は実行段階に移っているわけでもないし、悠馬は録音をしていたわけでもない。
それに、学生が誘拐を画策していたと話したところで、警察には相手にされないだろう。
話は聞かれたといえど、悠馬には手を出されないと判断していた男子たちは、壁を殴る悠馬を見て唖然とする。
ドン!という凄まじい音と共に、悠馬が拳を打ち付けた壁がほんの少しだけ動いたように見えた。
壁には悠馬の拳の跡が残っていた。
「パンケーキ代…払え…それと40000円…誕生日プレゼントを壊した代金、いますぐ全部寄越せ」
「に…」
「逃げろ!」
一斉にポケットから注射器を取り出した彼らは、それを用いて悠馬に対抗するのではなく、逃げの一手を選択する。
「逃がさねえよ!」
鳴神を発動させた状態だった悠馬は、注射器がなんであるのかをすぐに悟り、氷の槍を生成する。
彼らもあのお方と繋がりのある、回し者というわけだ。
ソフィアの噂通り、注射器は全世界で流行し、特に力を求める学生たちの中で大きな広まりを見せているようだ。
「チッ…」
「あんなバケモノと戦ってられねえよ」
「クソ、とりあえず逃げるぞ!3手に別れろ!」
実力を噂で聞いている彼らにとって、悠馬は本物のバケモノという言葉が相応しい。
若干の尾ひれは付いているだろうが、それでも注射器で得られる恩恵よりも悠馬の方が強いと判断する彼は、バカだが賢明なのかもしれない。
「待てよ…金は置いていけ」
しかし悠馬は、彼らのことなど見ず知らずで、手加減しない理由はあっても、手加減する理由はない。
ピアスを壊したこと、そしてネックレスを踏みつけたこと、冗談でも花蓮を誘拐云々と話していたこと。
そのどれもが許せない悠馬は、〝先輩〟としての威厳を見せるために、拳を打ち付ける。
「ガッ…!」
「テメェらも逃げてんじゃねえよ!全員ポケットの中見せてみろ!有り金全部出せ!ほら!ジャンプしてみろ!」
これではもう、どちらが食い逃げんしたのかなんてわからない。
側から見ると、路地裏で暴力を振るった悠馬が、後輩たちからカツアゲをしているような光景だ。
真っ黒な瞳で、後輩に説教と言う名のカツアゲをしようとする悠馬は、逃げ惑う彼らを執拗に追いかけ回す。




