赤い教室の女2
夜の廊下に、コツコツと足音が響く。
終盤に近づいているのか、無言のまま階段を降るグレー髪の少女、湊と、赤髪の少年、南雲は、特に会話をすることもなく、階段の先をライトで照らしていた。
まぁ、男嫌いの湊と、馴れ合いを好まない南雲のペアならばこうなることは予測できただろう。
過去に何度か言葉を交わしているといえど、決して惹かれ合うわけでも、打ち解けるわけでもない2人は、雰囲気こそ悪くないものの、言葉は交わさない。
「アンタがこういう行事に参加するのって、珍しくない?」
沈黙を破ったのは、湊だった。
普段から友達といるところをあまり見かけない南雲が、こういう大勢で集まってワイワイするイベントに参加するのは、かれこれ去年のバーベキュー以来じゃないだろうか?
その時も一匹狼というか、ぼっちでいる時間が大半だったように見えるが、そこは大目に見るとして、今回で2回目。
「クク、そうだな。こういうのは去年、オマエと話したバーベキュー以来だ」
「それも全部、陸軍に入るため?」
おそらくこの島で、唯一南雲の秘密を知っている湊は、核心を突くように問いかける。
南雲の学生生活というのは、いくら陸軍に入って、父の過去を調べるためと言えど、人を拒絶しすぎている。
「なんだ?文化祭の時みたいなお説教か?」
「そうじゃない。アンタに何を言ったところで変わらないのは、もうわかってるから」
南雲と湊の間には、一時的に付き合っている説が流れていた。
その原因は、文化祭当日に、2人で歩いているところを数多くの学生が目撃したから。
しかし実際、彼女たちが話すことといえば、みんなが話しているような他愛のない話なんかよりも、はるかに荒んだ話だ。
結論から言うと、文化祭のあの日に2人が一緒にいた理由は、湊の男嫌いの克服の練習だ。
「クク、オマエこそ、文化祭から何の連絡も寄越しやしねえし、変われてないんじゃねえのか?」
バーベキューの時に変わりたいなどと話していたが、湊は現在も男との関わりを持とうとしていないし、文化祭以降南雲に対しても音信不通だった。
もう克服するのは諦めたのか?と挑発的な笑みを浮かべながら確認して来た南雲に、湊はブスくれた表情で立ち止まった。
「正直、怖い。暁とアンタは別だけど、今更異性との距離感って言ったって、わかるわけないじゃない…」
一度は踏み出してみたものの、数年間関わって来なかった異性と触れ合うのは、距離感もわからないし、不安になる。
湊は今、一歩踏み出して、そこで立ち止まっている状況だった。
「なら練習すればいい」
「練習?」
「暁と付き合え。オマエは暁をいつも目で追ってる。きっと異性との触れ合い方だって、アイツなら教えてくれるはずだ」
「な…!アイツのことは好きじゃない!ただ美月とどうなってるのか気になるだけ!」
正直、悠馬に惚れているんじゃないかと遠回しに言われるのがかなり心外だ。
悠馬に対して恋愛感情のカケラすら抱いていない湊は、南雲の言い回しに対し、不服そうに地面を蹴る。
「…ならどうするんだ?オマエのペースだと、このままずっと立ち止まったままだぞ?」
自分のペースがダメなら、他人のペースで試した方がいい。
約1年間立ち止まっている湊を見兼ねた南雲は、その迷いをかき消すための策を提案する。
「ならアンタ、南雲が付き合いなさいよ」
「は…?なんでオレが、オマエなんかのためにそこまで協力しなくちゃならねえ?」
自分のペースがダメなら他人のペースでと提案したのは南雲だが、何もオレと付き合えと言ったわけじゃない。
適当に好きじゃない男子と付き合って慣れろと言う趣旨で発言をした南雲は、湊の頭の悪い解釈方法に額に手を当てた。
「…アンタ、私に絶対手出さないでしょ」
「そりゃ、好きでもない女に手出すなんて、出す方が稀だろ」
「そう言うところ。アンタとなら、別に付き合ってもいい」
「ク…クク…聞くがお前、どうして上から目線なんだ?」
「なに、お願いしろって言いたいの?」
お願いをする側の立場、本来であれば告白をしている側の立場であるはずの湊の発言に、南雲は気のない声で返事をする。
「どうせ、お願いしたところでバカにするんでしょ?」
「どうだろうな」
「…どう言う風の吹き回し?」
自分から話しておいて聞きたくはないが、いつもの南雲なら、そんな面倒なこと手伝わねえよと言う一言で全てを解決するはずだ。
なぜ南雲が拒絶しないのか、それを疑問に思う湊は、南雲へと詰め寄る。
「オレはオマエにカケラも興味がねえ。オマエもオレに、興味がねえ。もし仮に、オマエがオレに本気で惚れているなら、当然断るが…そうじゃないなら、別に断る必要はねぇだろ?」
南雲は一定以上の距離を置いて接しているだけであって、その領域を踏み越えられなければ、拒絶することはない。
つまり本気で恋をしていない湊と付き合ったところで、彼女が踏み込んでくる領域は決まっているし、ただのお遊びに過ぎないということだ。
「…本気?」
「オマエがその気なら、オレは構わねえぜ?なぁ湊、付き合ってみるか?」
月夜に照らされる踊場で、南雲はいつものように白い歯を見せる。
これは自分の男嫌いを克服するための、特訓だ。
だというのに、不覚にも彼の姿に、少しだけドキッとしてしまった自分がいた。
「なんかムカつく…」
美月もこんな気持ちだったのかな?
なんだかむずがゆいような、その場でジタバタしたい気分になる湊は、南雲から手を伸ばされ、視線を逸らしながらその手を握った。
「…あくまで克服するための特訓だから…変なことしたら退学にする」
「クク、残念だが、オレはオマエに興味ねえよ」
「アンタ、どういう人が好きなの?」
「オレか?オレは美哉坂の黒い方が好みだな。あれはオマエなんかより遥かに歪んでいて、オレや暁と同じように、仮面を被って生きている」
「なに…?仮面って、なんか厨二臭いんだけど」
朱理は南雲や悠馬と同じように、悲惨な過去を背負いながらも、それを悟られまいと仮面を被って生活している。
同族は惹かれ合うものだ。
異能祭の時から朱理に興味を示していた南雲は、湊から辛辣な言葉を受けながらも表情を崩さずに階段を下り始める。
「まぁ、どうでもいいだろ。好みなだけで、惚れてねえんだからよ」
「…まぁ。正直興味のカケラもない」
「なら聞くな」
***
「くしゅん…」
「大丈夫?まだ寒いのか?」
月明かりとライトのみが頼りの廊下で、くしゃみをした朱理。
つい先ほど、冷えてきたと口にしていた朱理がくしゃみをしたということもあってか、悠馬は空いている左手で彼女の背中をさする。
現状、すでに朱理に上着は貸しているし、もう貸し出せるような温かいものは持っていない。
「いえ、突発的なヤツです。…これが俗にいう、噂をされているというヤツですかね?」
おそらくただのくしゃみだが、誰が言い始めたかもわからない冗談を口にした朱理。
彼女なりに、全く問題ないということを伝えたいのだろう。
「朱理は人気だからね…」
クラス内外問わずに、朱理はかなりの人気を博している。
その原因となったのは、栗田が異能祭の時に盗撮した写真がSNSで出回ったのと、文化祭の時のドーナツ屋さんで見せた、美しい立ち振る舞いなどが原因だろう。
今や夕夏と並び、いや、夕夏よりも人気かもしれない朱理が噂をされるのは日常茶飯事で、正直な話悠馬も心配しているレベルだ。
何しろ朱理は自分の連絡先というプライバシーに無頓着で、広められようがなにをされようがアカウントを変えることもなく生活している。
つまり朱理を狙おうと思えば、誰だって連絡先を手に入れられる状況になっているのだ。
「人気なんていりません。私は悠馬さんにしか興味がないので」
しかしまぁ、悠馬の心配も杞憂に終わることだろう。
朱理は悠馬に完全に惚れているし、文字通り、異性では悠馬にしか興味を抱いていない。
過去が過去なだけに、彼女が今から男を乗り換えるという展開は絶対にありえないのだ。
「あはは、朱理もデレデレだよね、悠馬くんに」
「それは当然です。惚れるなという方が無理があります」
「あ、あんまり恥ずかしいこと話さないでくれよ…!誰が聞いてるかもわからないんだしさ!」
「すみません」
「ごめんね」
朱理と夕夏のお話を男子に聞かれていたら、全部悠馬へとツケが回ってくるし、自分を話題に上げられて好き、惚れていると言われるのは、かなり気恥ずかしい。
どちらかというと後者の方が優っている悠馬だが、前者を建前にして2人の会話を中断させる。
「悲鳴1つ聞こえませんね」
「と、当然だよ!だって私たちが毎日通ってる学校なんだよ?!」
毎日通っている学校でお化けが出たら、たまったもんじゃない。
1年以上この学校に通い、そして怪奇現象の1つにすら遭遇したことのない夕夏は、朱理のつまらなさそうな声に過敏に反応する。
「…まぁ、外装からしても新築ですからね…」
第1高校、というよりもナンバーズの高校のすべては、300年近く前の異能島創設当初からずっと同じまま、というわけではない。
当然のことながら、何度かは建て替えられているだろうし、今現在の校舎は300年前の水準で建てられるとは到底思えない。
内装や外装をとっても、築300年でないと判断した朱理は、突然後ろを振り返る。
「どうかしたの?」
「…いえ、足音聞こえませんか?」
廊下は化学実験室などの前で、室内からは人体模型も見える。
そんな空間で奇妙なことを言い始めた朱理は、悠馬の手を強く握る。
「…」
朱理の反応を見る限り、彼女は夕夏を驚かすためにそんなことを言っているわけではないようだ。
「も、もう!変なこと言わないでよ、足音なんて…」
廊下に響く、夕夏の声。
朱理の発言を全否定したかった夕夏は、否定をする直前で、耳に入ってきた音を聞いて口を噤んだ。
ペタペタペタと、廊下を歩いているのか、階段を登っているのか、足音が聞こえてくる。
そんな足音を聞いて、真っ先に朱理と夕夏の頭に浮かんだのは、真里亞の話した後ろから迫ってくる女の話だ。
今日の昼間にしていたタイムリーな話を思い出した夕夏は、カタカタと身体を震わせながら悠馬を見る。
「後続だよね?ね?」
「多分」
「た、多分なんて言わないでよ!」
どうやら後続の人だと断言して欲しかったようだ。
悠馬の多分という発言に慌てふためく夕夏は、空いている右手をブンブンと振り回しながら後ろを指刺す。
「近づいてきてますね…いえ、最初から近かったというべきですか?」
ペタペタと響く足音は、たしかに付近を歩いているように感じる。
少なくとも、階段から反響して今いるところに響いているというわけじゃなさそうだし、振り向いた先にも、誰かがいるというわけでもない。
この状況は、なんだか不安になってくる。
お化けを信じていない朱理は、誰かからじっと見られているような、そんな気がして身体を震わせる。
「寒い…」
本能が、直感が訴えかけてきているような気がする。
これは本当にヤバいやつだと。
「はは、2人ともここで待っててくれよ。俺が見てくるから」
2人の様子を見かねた悠馬は、ちょっとした不安を感じながらも、2人を安心させるため確認に戻ろうとする。
「紐、結んで行ってください」
「あ、うん」
「いいですか?何もなかったら、すぐに戻ってきてください」
「ひ、引っ張ったら走って戻ってきてよ!?」
「うん、わかった」
2人はこのまま不安を感じながら前に進みたくはないようだ。
悠馬の提案を受け入れた夕夏は、彼にお願いをして、去って行く姿を見送った。
「お化けかぁ…」
花蓮との遊園地デートを思い出しながら、悠馬はライトすら持たずに歩みを進める。
あの時はお化けと言うよりも、得体の知れない何か、別の時間軸に迷い込んだと言った言葉が相応しいのかも知れない。
正直、ちょっと怖い気もするが、まぁ大丈夫だろう。
軽い認識で歩いていると、すぐに廊下の端までたどり着いた。
学校の廊下なんて、たった数百メートルだし、数分としないうちに端から端まで歩くことができる。
「誰もいないじゃん」
悠馬が歩き始めてからというもの、足音は一切聞こえなかった。
幻聴だったのか、それともどこかの足音が反響していたのかはわからないが、少なくともこの階層には誰もいないらしい。
なんの成果も得られなかった悠馬は、元来た道を戻ろうと振り返り、そして先にいる2人を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
このまま何事も起きずに帰るのは少し勿体ない気がする。
せっかくの肝試しイベントを、ただ廊下を歩いただけで終わらせたくない悠馬は、ちょっとしたイタズラを思いつき、気配を消して歩き始める。
きっと気配を消した悠馬が背後から2人に抱きつけば、ちょっとは驚いてくれるだろう。
こういうのを青春と言うんだと思う。多分だけど。
2人の反応を楽しみたい悠馬は、上履きの音まで消して背後までたどり着くと、そっと手を伸ばし、2人の胸に触れた。
「っ!」
「きゃぁぁあ!」
直後、朱理と夕夏は、異能を発動させながらカウンターを仕掛ける。
それは悠馬が思っていた反応よりも遥かに想像を越えた、度を越した反撃だ。
夕夏の右拳と、そして朱理の左拳を腹部に受けた悠馬は、内臓が破裂したような気がして、遥か後方に吹き飛ぶ。
「ぐっ…」
ああ、多分これが死ぬってやつだ。
あまりに凄まじい彼女たちの反撃に吹き飛んだ悠馬は、薄れゆく意識の中であるものを目撃する。
それは化学実験室の扉から顔を覗かせている、ボサボサの髪の、返り血で染まった女性。
大きく目を見開き、もはや人間とは思えない形相で立っているその存在は、悠馬と目が合うと、歪んだ笑みを浮かべた。




