幕間9
「暁悠馬…良い加減に起きて」
耳に入ってくる、明らかに不機嫌そうな声。
まだまだ寝足りない、だらけたい悠馬は、その声を無視して、両サイドにあった柔らく暖かなものを抱き寄せ、大きく息を吐く。
「まだ眠い」
悠馬に声をかけた女性、イギリス支部の総帥秘書、アメリアは、彼のだらけきった姿を見て心底後悔していた。
アメリアは怪我した箇所が箇所のため、数日は車椅子生活。
片手しかろくに動かせないものの、それでも総帥秘書としての役目を果たさなければならない彼女は、こうして今日も、通常通りお仕事をしている。
ちなみに今日は、ナティアとの戦闘に陥った3日後、つまり悠馬の留学期間が終わるその日だ。
金髪巨乳の美女と、そしてイギリス支部の総帥を両手に抱き寄せる悠馬の姿を見つめ、アメリアは舌打ちをする。
「コイツ、将来無職になったら絶対消す」
将来的にソフィアの脛を嚙るような男になるなら、社会的な制裁を加えてやる。
そんな怖いことを考えるアメリアは、眠そうに細い目を開いた悠馬を見て、作り笑いを浮かべる。
これでも悠馬は、命の恩人だ。
将来的に消すかもしれないが、今は優しく接しておかないと、恩を仇で返しているような雰囲気になってしまう。
ナティアの一件。
元戦乙女、死んでいるはずの彼女の行動は、大々的に報道されることはなかったものの、その日のうちにノーマン国王陛下が異能王へと連絡を行い、事後処理を行ってくれたおかげで、総帥秘書であるアメリアたちの仕事はいつもと変わらぬものだった。
ナティアはイギリス支部の地下牢へと投獄され、10日が経過すると同時に、生きたまま崩壊させられるようだ。
夢幻牢獄での10日間は、単純計算で240年。
ナティアはその間、醒めぬ夢の中を永遠に彷徨い続けることになる。
正直、考えただけで恐怖だ。
「おはようございます…アメリアさん」
「おはよう。毎晩ごめんなさいね。ソフィアが甘えっきりで」
「あはは…謝られるようなことじゃないですよ」
横で眠るソフィアの頭を撫でながら、悠馬は微笑む。
あれから悠馬は、ソフィアに自身の身体の状況を話した。
それが理由で付き合いたくないことも、付き合ったとしても長く生きれるかわからないということも。
まぁ、結果は現状を見てくれればわかるだろう。
ソフィアは悠馬とある約束を交わして、今のような関係になっている。
関係と言っても、ゴットリンクの際に口づけを交わしただけで、それ以外は添い寝しかしてないが。
「正直、感謝しても仕切れない。…こんな無防備な姿で、こんなぐっすりと眠っているソフィアは、今まで見たことがないから」
本来の姿を表せば迫害の対象となってしまうソフィアは、安心して眠ることなどできなかったはずだ。
いつでもセラフ化を使えるように神経を研ぎ澄まし、物音1つで目覚め、総帥を演じる。
そんな生活をし続けて、落ち着いて眠れるわけがない。
紫髪のまま眠る、心を許しきっているソフィアを見て、アメリアは悠馬と同じように微笑んだ。
「それは良かったです」
留学最終日。
悠馬は結局、自分の求めている答えのヒントを、見つけ出すことはできなかった。
イギリス支部で進んでいるセラフ化の研究においても、寿命が減りすぎた使用者の寿命を元に戻すことは、セラフ化を使いこなせるようになることという、矛盾した研究結果で終わりを迎えていた。
つまり悠馬がイギリス支部への留学を決行したのは、全くの無駄足であって、時間を無駄にしただけであった。
…いや、無駄足ではなかったのかもしれない。
新たな異能の使い方を学び、自身の右目を補う力を使えるようになり、そしてソフィアという、美女ともお近づきになれた。
決して無駄ではないし、正直残念なところはあるが、総合的には楽しい留学になったと思う。
「セラフ化の件は…貴方の知りたい情報を発見次第、連絡させてもらうね」
「すみません…何から何まで…」
「これくらい、当然のことよ。貴方は命の恩人で、救国の英雄と言ってもいいくらいのことをしてくれたのだから」
セラフ化の研究についても、今後の情報を教えるという約束を取り付けることもできた。
救国の英雄と言われ、悠馬は少し照れ臭そうに頬をかく。
「それと、留学が終わっても、いつでも遊びに来てもいいから」
「えっ!?いいんですか?俺暁闇だから、てっきりダメかと…」
異能や言動からして、もうイギリス支部には来ないでくれ、欲しい情報はやるから。などと言われると思っていた悠馬は、遊びに来ていいと言われて目を輝かせる。
「なんでダメになるの?貴方がいた方が、ソフィアもやる気出すだろうし、それに異能島も、貴方が来てくれたおかげで盛り上がっているから」
「ほほう…」
ソフィアは悠馬に良いところを見せたいと、今まで以上に仕事をやり込むだろうし、悠馬の留学していた第9高校、特に2年生は、たった2週間の悠馬の指導で、見違えるほど異能の使い方が上達している。
1人の学生を留学させるだけで、これだけ莫大な効果が得られるのだから、イギリス支部側としても、今後とも仲良くしていきたい存在でもある。
「ん…アメリア…悠馬。おはよう…」
「ソフィア…はしたない格好になっているわよ。直して」
「朝から注意はやめて…こっちも仕事尽くめで疲れているの」
「それは…まぁ…ごめんなさい」
ソフィアの言い返しに、アメリアは何も言えなくなる。
アメリアは昨日まで入院していて、その間総帥の仕事はソフィアが1人で切り盛りし、そしてアメリアが退院した今も、彼女は片手しか使えないため、ソフィアにはかなりの負担がかかる。
「でも、アメリアが無事で良かった」
「ええ…後遺症も残らず、数週間もすればこれまで通りに仕事もできるそうよ」
「うふふ…嬉しい」
なんだ、この微笑ましい会話は!
女同士、しかも親友同士の、百合と言ってもいい、猫の戯れたような声で話す2人を見て、悠馬は思わず赤面してしまう。
これはモンジが見たら、イギリス支部は百合国家だと喚き始め、移住を決意するくらいの仲の良さだ。
さすがは親友、距離感がかなり近い。
「…おはよう」
「おはよう、オリヴィア」
2人を邪魔しないように、小さな声で囁いて来たオリヴィア。
彼女の挨拶に返事をした悠馬は、ぴょんと寝癖が跳ねているオリヴィアの頭を抑え、サラサラの髪を弄る。
「後は帰るだけだな」
「そだね」
イギリス支部で知りたいことは全て知れたし、今から何処かへ行くという予定もない。
オリヴィアの言葉に返事をした悠馬は、ベッドから立ち上がるとリビングへと向かった。
***
「忘れ物はない?」
「大丈夫だと思います」
空港の出発ゲートの前で、まるで母親のような確認が飛んでくる。
不安そうに確認をしてくるソフィアを見た悠馬は、微笑みながら彼女へ手を伸ばした。
「えっ」
「必ず戻ってくるよ。次はちゃんと、右目も見える状態で」
「はいっ…その時は私を攫って…!」
悠馬に抱き寄せられたソフィアは、顔を真っ赤に染めながら、手を悠馬の背中へと回した。
これがソフィアと悠馬の交わした約束。
悠馬はセラフ化を使いこなせるようにならなければ、残り1年で死ぬ。
悠馬が死んだ場合、ソフィアは悠馬のことを忘れて、新たな恋を探す。
悠馬がセラフ化を使いこなせるようになって、寿命云々の問題がなくなれば、必ずソフィアを迎えにいき、その時改めて告白をする。
まぁ、これが所謂、戦いが終わった後にアイツに告白して結婚するんだ…ってヤツなのかも知れない。
ちょっとした不安、死亡フラグを感じる悠馬は、その不安をかき消すように、ソフィアを強く抱きしめた。
「暁悠馬、朝から熱いね」
「うぁ!?フレディ…」
ソフィアと熱い抱擁を交わしていると、遠くから声をかけられ、ソフィアと悠馬は飛び退くようにして離れる。
今日は休日だが、空港はガラガラだったため総帥とイチャイチャしてもバレないなどと思っていたが、案外そうでもないようだ。
「…と、サンデ?」
「うっへぇ…気まじぃ…」
サンデはフレディに引っ張られながら、気まずそうな表情を浮かべる。
当然だ、サンデはカーテナを盗んだ張本人であり、そんな彼が、カーテナ被害に巻き込まれた人の前に顔を出すのは、かなり気が引けるだろう。
しかもよりによって、今日は悠馬を送り出す日だ。
「ああ、行きたくないって言ってたんだけど、僕が無理やり連れてきた」
「ほへぇ…」
どうやら彼らの友情に亀裂は入っていないようだ。
3日前のナティアとの一件は、サンデとフレディの戦いが終わった直後に、悠馬とアメリアはフレディから連絡を受けて動いていた。
そのおかげもあって、アメリアもソフィアも大事に至らずに、こうして笑顔で悠馬を送り出せる日が来たわけだ。
つまり何が言いたいかというと、今回の1番の功労者は、おそらくフレディだということだ。
犯人を見つけ出し、そしてその背景を予測できた彼は、将来探偵をやるのもいいのかも知れない。
そんな適当な、無責任なことを考える悠馬は、目の前まで近づいてきたフレディに手を伸ばされ、その手を握った。
「また来てくれ。暁悠馬。君から学びたいことは、まだたくさんあるんだ」
「ああ、俺もまた、イギリス支部には来たいと思ってる」
「ほら、サンデも」
「お、おう」
悠馬とフレディの別れの挨拶が終わり、サンデは背中を叩かれて一歩前に出る。
彼の表情は、どこか気まずそうというか、視線が泳いでいた。
「よう、サンデ。退学か?」
「ち、ちげえよ!」
てっきり退学になると思っていたが、どうやら違ったらしい。
軽い冗談というか、デリカシーのないことを質問した悠馬は、憤慨するサンデを見ながら笑う。
「…色々忖度してもらって、1週間の停学になった」
「短いな…」
間違いなく退学になるような行動を取っていたサンデだが、誰かさんが頑張ってくれたのか、彼は退学を免れ、たった1週間の停学で済むようだ。
サンデの視線の先には、ソフィアがいた。
「ふん」
ソフィアがサンデの忖度を測ってくれたことは間違いないだろう。
この事件では半被害者、半加害者という立場にあるサンデの処遇というのは、かなり難しいものだったに違いない。
「ユウマ、また来いよ!俺も次は戦いてえ」
「お前が退学になってなかったらな」
「ならねえよ!」
最後の最後まで冗談を言った悠馬は、蹴ろうとしてくるサンデの右足を避けて、手を振る。
「それじゃあ、そろそろ時間だから。またね、ソフィ」
「ええ…」
悠馬との別れ。
しばらくの別れになるのか、それとも永遠の別れになるのか。
いくら総帥と言えど、好きな人を失うのは怖い彼女は、悲しそうな表情を浮かべていた。
「そんな顔すんなよ。毎日電話して来ていいからさ」
「本当!?」
連絡先も交換しているし、毎日だってビデオ電話してやる。
これが永遠の別れではないことを告げた悠馬は、一度アメリアと、そしてサンデとフレディに視線を送り、背を向けた。
「オリヴィア」
「なんだ?」
歩き始めてすぐ。
後ろに立っているであろう彼女たちの方を振り向かずに口を開いた悠馬は、横を歩くオリヴィアの返事を待ってから、真剣な表情を浮かべた。
「俺はまだまだ弱いから…オリヴィア、帰ってからも、鍛えてくれないか?」
「…ああ!任せておけ」
今回の一件で、自分がまだまだだということも実感した。
寿命だって、悠長に構えていられるほど長くはない。
今の悠馬に必要なのは、圧倒的強者との経験だと思う。
嬉しそうに返事をしたオリヴィアの声を聞きながら、悠馬はイギリス支部を出国する。
***
「さて、私たちも…」
アメリアの車椅子を押しながら、ソフィアは帰路に就こうとする。
「ソフィア総帥、待ってください!」
「…なに?」
そんなソフィアを呼び止めた少年、フレディは、真剣な表情で、足を震わせながら目を閉じた。
「僕をもう一度、総帥見習いとして雇ってください!」
「魔女」
「っ…」
「私はその言葉を忘れない」
「すみません…」
自身が魔女だと発言したことを思い出したフレディは、彼女からの評価が最低ランクまで下がっていることを悟り、拳を握る。
他人を容姿で判断する人間が、総帥になどなれはしない。
「でも、貴方がそれを忘れさせたいと言うのなら。来年の卒業式の翌日。総帥邸で待ってる」
「っ!はい!ありがとうございます!」
ソフィアの口から出た、フレディのクビ宣言撤回の言葉。
歓喜するフレディは、晴れた表情で両拳を挙げた。
「良かったの?」
「なにが?」
歓喜するフレディを無視して、ソフィアはアメリアの車椅子を押し進める。
そんな彼女に対して質問をしたアメリアは、不思議そうな表情を浮かべていた。
「ソフィア、貴女根に持つタイプでしょう?」
「そうね。でも、それと同じくらい、期待もしてる」
「え?」
「行動力っていうのかしら?彼には紛れもない才能がある。間違いなく、私なんかよりもずっと」
「そう。貴女がそう思うなら、止めない」
空港の中を歩くソフィアと、車椅子を押されるアメリア。
彼女たちの声は、誰の耳に届くでもなく、辺りの喧騒にかき消されていった。
明日から終章です(´༎ຶོρ༎ຶོ`)




