使徒暴走
「それは本当なのかい!?」
オリヴィアの使徒発言に大きく反応を見せたフレディは、立ち上がると同時に大きな声をあげる。
使徒を何度か目撃し、戦った経験のある悠馬と、戦神のオリヴィアからして見ると大した驚きでもないのだが、初めて使徒を見ると、やはりみんなこんな反応になってしまうのだろう。
オリヴィアが無言のまま深く頷くと、フレディは外の景色を見て、蛇のようなものがビルを蝕んでいく光景を目撃する。
「あれが…使徒」
使徒は元々人。
そう認識しているフレディからして見ると、あの大きな化け物が人間だなんて、まるで信じられないのだろう。
最初はみんな、同じ反応だ。
あれが元は人間だったなんて言われても、今は化け物にしか見えないし、こんな光景、基本映画の中でしか見られない。
「騒がしいと思ったら…ほんと、この島は馬鹿ばかりなのね」
なにもかも失ったように、呆然と使徒が街を蝕んでいく光景を眺めていたフレディを我に返したのは、ソフィアの冷めた声だった。
「ソフィア総帥…」
一度も体験したことのない、未曾有の危機。
ギリギリの危機を回避し続けた悠馬とは違い、今までただの学生生活を送ってきたフレディは、その学生生活が終わりを迎えたような気がして、助けを求めるような目をソフィアに向ける。
総帥のソフィアならきっとこの状況を打破してくれる。
フレディはソフィアなら…と、勝手な期待を押し付けている。
まぁ、フレディの判断は誰だってしかねない、民衆がよくやる、「誰かがこの状況を打破してくれるだろうから、この場で助けを待とう」という奴だ。
ソフィアはそんな彼の姿を見て、呆れたような溜息を吐いた。
「…フレディ・オーマー。貴方はクビ。もう総帥見習いとして、私の元へ来なくていい。要らない」
「へ…?」
「戦…オリヴィア。手伝いなさい。あの使徒を駆除しに行く」
「仕方ないな…」
クビ宣告を受けて立ち尽くすフレディのことなど無視して、ソフィアとオリヴィアはその場から去って行く。
これは当然の結果だ。
悠馬はデバイスを手にしながら、わけがわからないと言いたげな表情のフレディを、無言のまま見つめる。
総帥はいつだって危機と隣り合わせで、常に誰かを助ける立場でなければならない。
だから今のフレディの他人任せな行動というのは、総帥としての器がないと自らアピールしたようなものだった。
自国の市民が危険に晒されている中、総帥が今のフレディのように、他人に頼りきりだったら?
きっとそんな国、すぐに滅びてしまう。
他人がどうにかしてくれる、誰かが助けてくれる。そんな甘えた認識を、総帥になる人間が常に持ち合わせているわけにはいかない。
総帥ならば、総帥候補になりたいならば、こういう場面では真っ先に行動を起こして、歯向かわずとも、誰かを助けるべきだ。
フレディの今の行動は、総帥として以前に、総帥候補としてもとってはいけない行動だった。
「フレディ…お前、そんなだったら総帥にはなれないぞ」
この答えを自分で見つけ出すのも、総帥になるためには必要なこと。
しかしこのままじゃフレディはソフィアの発言を鵜呑みにして、総帥見習いを諦めることだろう。
そんな彼を見かねてヒントを出した悠馬は、それ以上は何も言うことなく、外へと向かった。
「僕は…総帥にはなれない…?」
フレディの自問が、室内に重く響く。
***
「ソフィア、まさかとは思うが、使徒の研究に手を出しているとは言わないよな?」
「馬鹿なことを言わないで。私は踏み越えてはいけないラインの分別はしているつもりよ」
セントラルタワーから抜け出た2人は、走りながら会話をする。
どうやらあの使徒に、ソフィアは心当たりがないようだ。
念のための確認だったが、そのことを認識したオリヴィアは、彼女に対する警戒を解きながら、蛇のような頭を数万は持つ使徒を見る。
「知っているか?ソフィア」
「なにを?」
「使徒というのは、その器となった人間のイメージを模すらしい」
「なら、あの使徒はセンスがない人間が器になったのね」
巨人やムカデ、タコに蛇。
なにを思ってそんな形状になったのかは知らないが、確かに、人間のイメージでなり得る形状が多いのは確かだ。
「ま、だからと言って、なにか意味があるわけではないのでしょう?」
「ああ…ただの雑学というやつだ」
「私の緊張を解いているつもり?」
「…」
「馬鹿にしないでくれる?私は緊張なんてしてないから」
オリヴィアの余計な気遣いに気づいたソフィアは、不服そうにそう告げる。
ソフィアの実績は総帥の中でも極めて少ないため、ちょっとした気遣いをしたつもりだったが、どうやら不要だったらしい。
「ねえ、どうするんだ?」
「悠馬!?」
「君は部屋で眠っていてくれても…!」
微妙な空気が流れ始める2人に追いついた悠馬が質問をすると、2人は驚いたように甲高い声を上げた。
2人は悠馬を巻き込まずに戦いを終わらせるつもりだったが、人生そう簡単に物事は進まない。
彼女だけを戦地に向かわせることを好まない悠馬は、2人の横に並び、口を開いた。
「手伝うよ。アルバイト的な?」
「ははっ、君は相変わらずだな…使徒退治をアルバイトとは…」
「悠馬。危なくなったらすぐに逃げてね?」
「うん」
2人+1人で3人になった悠馬たちは、遠くに見える使徒の元へと急行する。
***
「すげぇ!すげぇすげぇすげぇすげぇ!なんだよこれ!まるで神にでもなった気分だ!」
ビルや寮を軽々と破壊できるだけの力、そして学生たちを圧倒できるだけの恐怖。
極上の愉悦に浸るこの使徒…いや、アイベルは、奇妙な笑い声を上げながら周囲を破壊して回る。
使徒というものが、なぜ破壊をして回るのか。
その理由は、人間の本質的なところにあるのかもしれない。
規則によって縛られ、ルールによって縛られ、暗黙の了解によって縛られ、法律によって縛られる。
現代社会において、縛られるということは至極当然のことであり、その枠組みから外れたものは犯罪者であったり、異物として見られることが多い。
人間はみな、異物として弾かれるのが嫌だから、周りの人間と同じ行動をとる。
みんなと同じように生きていれば、異物として見られる可能性は低くなって行くから。
しかし誰にだって、心の奥では、自分もルールを破りたい、アイツは俺と同じ考えだったから賛同できる。という瞬間は来るはずだ。
誰にだって歪んだ一面はある。
いや、この世界に歪んでいない人間など、いるはずがないのだ。
使徒になるということは、それらからの解放。
法律や規則によって縛られてきた自分自身を、圧倒的な力で錯覚させ、破壊を楽しむ。
それはきっと、人生で最も楽しい瞬間だろう。
何しろ、今まで自分を縛ってきたルールを軽々と捻り潰し、自分を見下してした連中を叩き潰せる。
あたかも自分がルールになったかのように、錯覚する。
そうして自我を失って行く。それが使徒だ。
逃げ惑う小さな人間たちを見下ろしながら、アイベルは笑う。
「はは…はははは!」
しかしそれはもう、人の笑い声というよりも、不気味にこだました、何か得体の知れない生物という単語が似合いそうな声だった。
マンションを数多の蛇のような顔で噛み付き、まるで砂のお城を崩すように、いとも容易く崩壊させる。
「楽しすぎるだろ!オイ!」
力を得た人間がすることなんて、大抵は良くないことだ。
アイベルが注射器一本で人格を変貌させたように、人間は時に、武器の1つで人格を大きく変える。
人間はいくらだって残酷で、そして卑怯で最悪な存在になれるのだ。
自尊心を肥大化させ、そして力こそが全てという認識のアイベルは、逃げ惑う学生を蹂躙しながら突き進む。
今は誰だっていい。
今はこの力に酔いしれて、優越感に浸り、逃げ惑うゴミを一匹一匹潰して行くのが、最高に幸せだ。
悠馬への逆恨みや、自身の野望よりも場の楽しさを優先させるアイベルは、さらに肥大化していき、道路を侵食する。
フレディがつい最近整備されたと話していた異能島の景観をぶち壊すようにして。
きっと、この光景を建設会社が目にしたら発狂することだろう。
どれだけの労力を割いて建設したと思っているんだ!と。
だが、そんなこと御構い無しのアイベルは止まることを知らない。
子供がアリを潰すように、学生たち一人一人を捉え、そして吹き飛ばして行くアイベルの姿は、すでに使徒、バケモノでしかない。
いくら人格があるといえど、それは使徒なんかよりもはるかにタチが悪く、神宮のように特定の誰かを狙っているわけでもないから、とんでもない被害につながる可能性がある。
「止まれ。ゴミ」
そんな極上の愉悦に浸っていたアイベルは、どこかから声が聞こえたような気がして、声の主を探す。
この姿、この力を見ても強気な奴なんて、珍しい。
誰もが一目散に逃げ出しても仕方のない使徒を目の前に、いったい誰だろうか?
「な…!」
アイベルは視界に映った、声の主を見て動きを硬直させる。
イギリス支部総帥のソフィアが、何故ここにいるのか。
大通りに立っているソフィアを見たアイベルには、真っ先にその疑問が浮かぶ。
当然だ。
ここは異能島であり、本土からも離れている。
本土で仕事をしているであろうソフィアが到着するにはあまりにも早すぎる。
ソフィアが悠馬の専属メイドのようなことをしていたことなど知らないアイベルは、怖気付いたように後ずさろうとするが、次の瞬間、無数の蛇の首をソフィアへと向けた。
「ソフィアァァアッ!先ずはテメェが生贄だ!」
「…それで倒せると思ってるの?」
車なんかよりもずっと早い速度で迫り来る蛇の首は、ソフィアの目の前までたどり着くと、重力に負けたように地面に押し潰され、動かなくなる。
ソフィアには傷1つ付けれていない。
「さすが総帥だなぁ!重力か!」
「イチイチ言わなくてもわかるでしょ。私の異能なんて、ネットで調べればすぐに出てくるし」
「チッ、調子に乗りやがって」
アイベルはソフィアの見下したような発言が気に食わなかったのか、先ほどよりも手数を増やして、ソフィアを襲おうとする。
身体強化系の異能しか使えなかったアイベルにとって、小細工は必要のないものだった。
小細工は弱者のすることであって、身体強化系という純粋な力では、策を弄する必要はない。
そんな考えのアイベルの攻撃は、ソフィアに届くはずがないだろう。
無表情のまま立っているソフィアを、360度四方から狙ったアイベルの攻撃は、彼女の異能である重力に負けて、呆気なく地面に押し潰される。
力を手に入れたといえど、所詮はその扱いを知らない子供だ。
総帥であるソフィアの前で、慣れていない力は役に立たない。
「…どこで道を踏み外したのかしら?この島の教育が不満だったの?」
圧倒的な実力差を見せつけて、ソフィアは訊ねる。
正直、使徒に人格が残っていることは驚きだったが、ならば何故破壊して回るのかという理由には繋がらない。
「俺は人を笑顔にするよりも、人を恐怖のどん底に叩き落とすほうが好きだったらしい。ただそれだけの理由さ」
まともな理由だったのなら、今後のことも考えて意見を取り入れなければならない。
使徒を前にして冷静なソフィアは、帰ってきた期待外れな返事を聞いて、大きく落胆した。
「そう…それは私の方針以前に、貴方の人格の問題だわ。それじゃあ」
何か明確な理由があったのなら、誠心誠意謝罪して、この状況を打破しようとしていたかもしれない。
しかしアイベルの答えは自身の人格がおかしいと明言したようなもので、ソフィアの心には響かなかった。
興味を失ったように、目的を失ったように背後を向いて帰り始めたソフィアに対して、アイベルはチャンスと見たのか、ヘビの首を数百、いや、数千を向けて、一斉に襲いかかる。
「死ねェッ!」
「さようなら」
ソフィアが別れを告げると同時に、使徒となったアイベルは、プレスをかけられたようにペシャンコに潰れる。
それはグロさなどは一切なく、干物が出来上がったような光景にしか見えない。
「とんでもな…」
援護する気満々だった悠馬は、見知らぬ寮の上から呟く。
ソフィアが寺坂やオクトーバークラスの異能しか使えないと思っていたが、さすが常時セラフ化してるだけあって、とんでもない強さだ。
「凄まじいな。イギリス支部の総帥は」
「ああ…」
立ち去っていくソフィアを眺めながら、オリヴィアに返事をする。
こんなに呆気なく、こんなにすぐ片付くものなのだろうか?
なんだか事が上手く進んでいるような気がした悠馬は、その謎の違和感を感じて首をかしげる。
「ま、いっか」




