将来の夢
放課後、特別スイートルームへと帰ってきた悠馬は現在、正座をさせられ、俯き加減で座っている。
「…悠馬、どういうつもりなの?」
「ご、ごめんなさい…ソフィがメイド服なの忘れてて…」
説教口調のソフィアの横には、気まずそうなフレディが悠馬と同じく、正座で座り込んでいた。
悠馬は競技場の成り行きで、軽い気持ちでフレディを特別スイートルームへと招待したのだが、それが間違いだった。
スイートルームの中へと入ると、真っ先に出迎えてくれた、メイド服を着たイギリス支部総帥。
誰にも、特に自国民に知られたくなかったこんな姿を見られたソフィアは、今にもフレディを消しとばして何もなかったことにしたい気分だ。
フレディも、きっと失望していることだろう。
自国のトップであるはずの総帥が、まさか一介の高校生の奉仕をする立場に回っているなど、誰も知りたくはない。
悠馬の視力の問題を知った時よりも表情が暗いフレディは、これは夢なのだろうか?と頬をつねり始める始末だ。
「はぁ…フレディ・オーマー。わかっている?」
「はい?」
「この場所で見たことを周囲に言い触らしたら、来年の約束は無かったことにするから」
「い、言いませんよ!っていうか、総帥がメイド服着てたなんて、誰が信じるんですかっ!」
フレディが明日、学校内でソフィア総帥がメイド服着てご奉仕してたぜ!なんて言ったところで、周りの学生は「は?お前大丈夫?頭打ったか?」とフレディの頭を心配することだろう。
具体的に例えるなら、今の光景は、東京都知事がメイド服を着て、一般市民の家で住み込みバイトをしているようなものだ。
控えめに言って有り得ないし、誰も信じるはずがない。
「来年の約束?」
ソフィアの単語に反応を示した悠馬は、フレディがソフィアとなんらかの約束をしていることを知った。
「悠馬には関係ないから」
「俺…気になるな…」
関係ないの一言で一刀両断しようとしたソフィアに対して、悠馬はシュンとした表情で、柔らかなカーペットを弄り始める。
「ぁー…言う!言う言う!だからそんなにションボリしないで?ね?悠馬」
コイツ、本当にちょろい女だ。
悠馬へと飛びつき、まるで我が子を宥めるようにして頭を撫でるソフィアに、流石のフレディも目をぐるぐると回している。
夢ならば覚めてほしいような状況だ。
「フレディ・オーマーは、来年異能島を卒業したら、総帥見習いとして私が雇う予定なの」
「え…?見習いて…ソフィ、そんな年齢じゃないだろ」
総帥見習い、というのは、本来であれば40を過ぎた総帥がら自身の身体や異能に衰えを感じ始めてから若手を採用して、手塩にかけて次の総帥候補として育て上げるものだ。
ソフィアの年齢は20代だし、見習いを雇うには、あまりにも早すぎる。
年齢が4つ程度しか変わらない人物を総帥見習い採用しようとしているソフィアに強い疑問を抱く悠馬は、ムッとした表情の彼女を見て、口を噤んだ。
「総帥だと、結婚する余裕もないの。男だとまあ、全然余裕あるんだろうけど、女は…ね?」
結婚して主婦として夫に尽くしたり、子供を妊娠したり…
極論、結婚をする事は出来るだろうが、総帥である以上、子供を産むことも、主婦として夫に尽くすこともできないというわけだ。
なんて束縛された仕事なんだろうか。
改めて総帥という仕事が、どれだけの自由を奪うのかを知った悠馬は、彼女が20という年齢で総帥の座から降りようとしている理由を悟る。
20歳は女としても、最高の年齢のはずだ。
自由を謳歌するにも、男を侍らせて遊ぶにも、何をしたって若気の至りで許される、僅かな時間。
「それじゃあ、フレディがイギリス支部の総帥になるのか?」
「いいえ。あくまで候補。ちゃんと見極めて、器じゃないと判断したら、即クビかしら?」
「ひぅっ!?」
ソフィアの厳しい発言に、フレディは玉を握りつぶされたような、情けない声を上げながらその場に崩れる。
「フレディは総帥になりたいのか?」
「あ…うん…それが僕の将来の夢だから」
そんな将来の夢が、ソフィアの判断1つで終わりを迎えるのだから、本当に可哀想だ。
「でも、正直驚いてる。ソフィアさんが総帥になった時点で、ほら、僕たちの代から総帥が選ばれる可能性って、なくなるわけじゃない?」
年齢が近い人物が総帥に選ばれた場合、よっぽどのことがない限り政権交代は行われない。
つまりソフィアが総帥になった時点で、フレディの将来の夢というのは、ほとんど打ち砕かれたようなものだった。
しかし今、フレディに転機が訪れようとしている。
総帥の任期というのは、決まっているわけじゃない。
ただ、みんな総帥をしたがるわけで、大体の総帥は十数年間居座り続け、そして職務を終える。
つまり、ソフィアがいつどのタイミングで辞めようが個人の勝手だということになる。
特に次期総帥候補まで育て始めるのだから、誰も文句は言えない。
「あまり調子に乗ってると、即クビよ?」
「ひっ!」
「そもそも、フェスタでは微妙な順位だし、取り柄なんて、ほとんどないじゃない?」
キャラが全然違う!
悠馬には甘々でデレデレなソフィアが見せる、総帥としての一面。
真里亞以上の火の玉ストレートを投げ続ける彼女の姿は、まさに鬼畜お姉さんという単語が似合いそうだ。
「ごめんなさい…」
「貴方に託されるであろう、カーテナも可哀想よね」
「ぐうの音も出ません…」
ソフィアからボロカスな評価を受けるフレディは、すでにメンタルブレイクしているようだ。
言い返すこともなく、ただ項垂れて大人しく話を聞いている。
「ソフィア。そこまで言うなら、君がカーテナを使えばいいじゃないか」
話は脱線しまくり、メイド服の件からカーテナのお話へと変わっている3人に、オリヴィアが横槍を入れる。
「私はカーテナには興味ないの。それにアレ、六大属性にしか対応してないから、私の異能じゃお飾りにしかならない」
「そうか」
「そう。それに、私はデバイスを使わないから」
特にデバイスなど興味もないソフィアは、使わないの一言で、自国の特産品を蹴散らす。
きっとデバイスを作っているスウォルデン工房なんかがソフィアの発言を聞いたら、肩をがくりと落とすことだろう。
「それで…悠馬。話は逸れたけど、私に恥をかかせたいの?」
「ごめん…本当にごめん…」
話が最初の内容に戻ったことを察した悠馬は、言い訳をすることなく、深々と頭を下げる。
これは完全に、悠馬の不注意で起こった事故だ。
下手をするとイギリス支部を揺るがしかねない珍事に、悠馬は軽いパニック状態で対応をする。
「ぼ、僕からも質問いいですか?」
「何かしら?」
「暁悠馬と…その、ソフィア総帥は、どういった関係で…」
イギリス支部の国民からしてみると、最も気になるところだろう。
留学生の専属メイドを総帥がやっているなんて聞いたこともないし、そんなことをする可能性があるとするなら、それは一種の特殊なプレイのようなものだ。
「お前、メイド服似合いそうだからここにいる間はずっと着ててくれよ。その方が唆る」
「くっ!なんて恥ずかしい格好を!」
なんて言う、羞恥プレイにも似たアレだ。
何か良からぬ誤解をしているフレディは、悠馬とソフィアの関係に疑問を抱いている。
総帥をやめるのだって、結婚云々などという理由みたいだし、可能性は十二分にあるだろう。
フレディの疑問に対して顔を真っ赤に染めたソフィアは、両手で頬を抑えながら、その場でしゃがみこむ。
「将来の夫婦」
「違うからっ!」
「そうだぞ!この女の言うことに騙されるな!」
まるで初々しい女の子のように将来の夫婦と発した彼女の姿は、嘘偽りなどなく、本気でそう言っているようにも聞こえる。
しかし、悠馬とは付き合ってもいないし、当然のことだが結婚の約束をした覚えもない。
ソフィアの飛躍し過ぎた発言に訂正を入れる悠馬とオリヴィアは、顔を真っ赤にしてソワソワとするフレディを見る。
「そ、そうなんだ…?」
「けどまぁ…」
全然、アリなんだよな。
総帥って点を除けば料理できてお掃除もできる可愛くて美しい女性だし、正直ストライクゾーンだ。
最初こそ頭の悪そうな女だと思っていたが、話していくうちに案外頭が良いことはわかってきたし、夕夏ほどとは言わないがハイスペックであることは事実。
まぁ、こんなこと言ったらソフィアが調子に乗りそうだから絶対に言わないんだけどさ。
何かを言いかけてやめた悠馬は、座り込むソフィアを見て、軽く笑う。
「ソフィ、着替えてきたら?」
「ええ…そうさせてもらおうかしら」
いくらなんでも、これ以上メイド服姿で自国の市民の前をうろつくのは御免だろう。
ここまで呼んでフレディを追い返すことのできない悠馬は、ソフィアを奥の部屋へと追いやると、豪華な椅子に寄りかかり、天井を見上げた。
「驚いたよ…まさか君が、ソフィア総帥とそんな関係だったなんて」
「まだそんな関係にもなってない」
「まだってことは、ちょっとはその気はあるんだろ?」
「…まぁ」
「恥じることじゃないよ。あんなに美しい人に言い寄られて靡かない奴は男じゃないと思う」
少し顔を赤くした悠馬を見て、フレディは恥じることじゃないと言う。
確かに、ソフィア相手にその気になるのは、もう仕方のないことなのかもしれない。
だって、表のスペックだけで言うなら夕夏や花蓮を遥かに凌駕しているように見えるし、オリヴィアですらソフィアを恋敵として危険視するレベルだ。
これに少しでも靡くな、ピクリとも反応するなと言う方が無理がある。
「目のことは…話してるの?」
「……話せる内容じゃないだろ」
「まぁ、そうだよね…」
彼女たちにすら話せていないことを、そうベラベラと他国の総帥に話せるわけがない。
ソフィアが恋愛感情を抱いているのは知っているし、それに漬け込んでセラフ化の情報まで得ようとしているのに、それからさらに彼女の負担になるような発言をするわけにはいかない。
「…それに…この状態を受け入れられたら多分…」
「ま、惚れるよね」
「ああ…」
目が見えない、寿命が近いから恋が冷めたと言われればこちらも安心してさよならできるが、オリヴィアのように、寿命を知ってもなお側にいたいなどと言われてしまえば、間違いなく惚れてしまう。
男という生物は、弱みに付け込まれるとイチコロだ。
とくにそれが美人からの誘いだったら尚更。
もしソフィアに受け入れられたら…と考えたら自ずと出てくる結論に、悠馬はこの事実を口にすることができない。
「悠馬。君はもう少し、周りに甘えることも覚えたらどうなんだ?」
色々なことを内面に溜め込み、彼女たちの前ではいつも通り笑ってみせる悠馬の姿。
今はオリヴィアという少女に内面の不安や恐怖をぶつけてなんとかなっているものの、1人の少女になにもかもぶつけるわけにはいかない。
流石に彼女たちには内面の不安を話すことはできないだろうが、オリヴィアと近い、総帥という立場のソフィアならば、きちんと受け止めて慰さめてくれるはずだ。
このままいくと悠馬の精神に限界がくるのではないかと危惧したオリヴィアは、思い切って口を開いた。
「ん…」
生きていくためには、必ず必要なことだ。
思っていることを全部口にする機会も、内面の苦しみを吐露する機会も、なにもかも…
彼女たちには重荷を背負わせたくはないが、ソフィアならきっと、きちんと受け止めてくれる。
そんな予感が、オリヴィアの中にはあった。
「ちょっと、真剣な会話中にごめん…」
フレディの全く興味のない真剣な会話が始まった真っ最中、話の腰を折るのが申し訳なさそうな表情で手を挙げた彼は、異変を感じたように外を見る。
「さっきから、なんかすごい音しない?」
「…?」
自分たちの世界に入って会話をしていたからか、全く気づかなかった。
フレディに指摘されて耳をすませば、建物が崩れるような音が遠くから聞こえてくるような気がした。
「なんか工事でもやってるのか?」
「いや…イギリス支部の異能島は最近改装が終わったばかりだから…その可能性はないよ」
「それじゃあ…」
どうして
そう言おうとした瞬間、窓の外から大きな影が見えたような気がして、オリヴィアは目を見開いた。
「まさか…使徒なのか?」
彼女の発言に、悠馬とフレディは凍りついた。




