留学の案内
合宿も終わり、次は異能祭!というタイミングの教室。
去年だったら、「俺がこの種目に出る!」と男子たちで揉めたり、リレーで1位になったら誰々に告白する!などと言い合って盛り上がっていたが、2年Aクラスの教室内は、いつもよりも静かだった。
第1異能高等学校、2年Aクラス…いや、ここ、日本支部異能島は、大きな問題に直面しているのだ。
その大きな問題、というのが原因で、生徒たちのテンションが低い。
「なぁ暁、お前の力でなんとかできねえのかよ?」
「え?なんで俺?」
「だってフェスタ優勝者だろ!」
なんの会話をしているのかわからないが、矛先は悠馬へと向いているらしく、男子生徒たちは懇願するような眼差しを向けてくる。
「無理だ」
そんな男子たちに対し、気まずそうに返事をした悠馬は、呆れた様子で黒板の文字を見た。
「今年の異能祭は中止か…」
ホワイトボードに、鏡花の綺麗な文字で記されている、来月に控えた異能祭の中止のお知らせ。
まだホームルームは始まっていないが、教室に来た時点でこの単語がホワイトボードに記されており、学生たちは阿鼻叫喚している。
まぁ、妥当な判断ではないだろうか?
後ろの席に座る悠馬は、横に座っているオリヴィアが黒いオーラを吐き出しながらどんよりとしているのを発見する。
どうやら彼女も、周りの男子と同じく異能祭を楽しみたかった学生らしい。
リア充の青春というものに憧れていたオリヴィアにとって、学校でいう運動会が延期ではなく中止になるというのは、かなりショックなことなのだろう。
この状況をなんとも思っていないのは、恐らくAクラスでは悠馬くらいのものだ。
多分BやCクラスでは、南雲や真里亞が悠馬と同類なのだろうが。
「お前ら、席につけ」
「鏡花ちゃん!異能祭中止ってマジなのかよ!」
教室の前の扉が開き、スーツの女教師、千松鏡花が現れる。
そんな彼女に対して、馴れ馴れしくちゃん付けで呼んだ栗田は、興奮気味に、怒り気味に抗議を始めた。
「お前の言いたいことはわかる。ちゃんと理由も説明するから、席につけ」
「で、でも…」
「ちゃん付けで呼んだことを見逃してやっているんだ。席につけと言っている」
「は、はひ…」
流石のヤンキーも、総帥秘書に睨まれればひとたまりもない。
蛇に睨まれた蛙のように震えた栗田は、大人しくストンと椅子に腰を下ろし、それ以降は反論も不機嫌な様子も見せずに、じっとしたまま動かなくなる。
鏡花はこの1年で、学生の扱いが随分と手馴れたようだ。
感心する悠馬は、メガネを掛けながら、見えていない右目を抑え、前を向く。
「おはよう。そして単刀直入だが、黒板に書いてある、異能祭中止のお知らせについて話していく」
「やっぱ嘘じゃねえのか…」
「まじかよ…楽しみにしてたのに…」
担任教師の鏡花が、明確に異能祭中止と公言したことにより、クラスメイトたちはどよめく。
異能島の三大イベントと言われる異能祭が中止になるなんて、誰だって嘘だと願いたい気持ちになるだろう。
鏡花もある程度のどよめきは黙認するつもりなのか、特に怒った気配もなく、クラスが静かになるのを待ってから続きを話す。
「理由としてだが、先日の合宿で起こった襲撃事件だ」
クラスメイトたちも異能祭が中止と聞いて、真っ先に無人島の襲撃を思い出したことだろう。
あれだけ大きな襲撃を受けていながら、犯人は捕まらずじまいで、何もかもうやむやなまま。
ニュースとしても話題にはなっているものの、全ては異能王や総帥が握っているため、進捗も何も、分かったものではない。
「寺坂総帥は、無人島で起こった事件が、異能祭でのデモンストレーションだった可能性を考えている」
「うわ…まじかよ…」
「絶対嫌なんだけど…」
それぞれが植え付けられたトラウマを思い出し、クラスメイトたちは身震いさせる。
あの規模の無人島襲撃、足も付かずに奇襲に近い状態で成功したアレがデモンストレーションで、本番は異能祭だなんて、想像したくもない。
何しろ、そう考えると無人島での戦力は、無くなってもいい戦力を割り当てたという可能性が出て来てしまう。
「だから我々日本支部のナンバーズは、今年の異能祭を自粛する方針で決定した」
生徒の安全の確保ができない上、犯人が見つかっていないのだから、そんな空間でのうのうとお祭りなんてやってられない。
本土からの来訪者たちも合わせると、襲撃が起こった際に、後手後手に回って、守りたいものも守れなくなってしまう。
「仕方ないよな…」
「こればかりはどうしようもできねえ」
「そだな」
無人島での恐怖を身をもって体験している生徒たちは、大人しく鏡花の話を聞き入れ、反論などしない。
きっと、ほかのナンバーズはうまくいっていないだろう。
こればかりは当事者たちしかわからない恐怖のため、ほかのナンバーズたちは今頃、反論や非難の嵐だろう。
悠馬は窓に映る空を見上げ、フェスタの代わりに何をするのだろう?という疑問を浮かべた。
「それと暁。お前、ホームルームが終わったら職員室へ来い」
「え、俺?」
「そうだ。重要な話がある」
鏡花の事務的な発言に、悠馬は背筋を凍らせる。
余所見してたのバレて怒られるとか?
鏡花に呼ばれると聞いて、良くないことしか思い浮かばず、青ざめた表情を浮かべた。
***
「なんかしたかな…」
二階の廊下を歩きながら、悠馬は自問自答する。
最近、なにかをしでかしたという記憶は一切ない。
そもそも今日は、合宿が終わってから2日しか経っていないし、そのたった2日の間に問題を起こすバカなんて、いるはずもないだろう。
流石の悠馬だって、こんなごく短期間で問題を起こそうなんて発想に至らないし、問題に巻き込まれる可能性も低い。
「考えてもわかんねえや…」
思い当たることがなかった悠馬は、そのまま階段を降り、職員室前まで歩みを進める。
職員室の扉の横には、黒いスーツに身を包んだポニーテールの女性が暇そうに立っていた。
今日呼び出しを行なった張本人の鏡花だ。
「随分と早いな」
「いや、そりゃあ呼び出されたら慌てますよ…」
からかうような鏡花に、不服そうに答える悠馬。
誰だって担任教師から呼び出されたら、焦るし慌てるだろう。
それはどの時代になっても変わらないし、特に自分が良いことも悪いこともしていないときは、尚更だ。
「冗談はさておき…ここんじゃなんだから、こっちでじっくり話すとしよう」
「はあ…」
そう言って鏡花が指差したのは、応接室。
本来異能島で使われることはないだろうが、学校が客人をもてなしたり、保護者を呼び出した時に使う、あの応接室だ。
扉を開けると、そこには教室の半分ほどの細長い部屋が広がっていた。
中心にはガラスのテーブルが置いてあり、そのテーブルを跨ぎ、向かい合うようにして革製のソファーが設置されている。
ソファーは年代物なのか、少し赤黒く、傷が付いているように見える。
「座れ」
「はい」
鏡花に指示され、大人しく座る。
初めて入った応接室に興味津々の悠馬は、キョロキョロと室内を見回しながら、掛け軸や絵画を観察する。
ソファーは悠馬が腰をかけると、ものすごい勢いで沈み込む。
高いソファーに稀にある、座った瞬間に深く沈み込みすぎて、腰悪くするんじゃねえの?となるやつだ。
「コーヒーとお茶…水もあるが、なにが良い?」
「え?最後の晩餐か何かですか?」
担任教師からの言葉とは思えない、耳を疑うような発言。
今まで見せたことのない鏡花の優しさに驚く悠馬は、冷や汗を流しながら、どういう風の吹き回しだ?と首をかしげる。
いつもの担任教師なら、たかが生徒にこんな高待遇を用意するわけがない。
もし仮にこんな高待遇を用意する可能性があるとするなら、それは鏡花と寺坂が付き合えた時くらいだろう。
「…三択だ。質問に質問で返すな」
「で、ではお茶で…」
選んで飲んだ途端、タダな訳ねえだろ!とか言って、変なことやらされたりしないよな?
不安になりながらも、三択だと脅されたため、お茶を選択した。
「…今日ここへお前を呼んだ理由は、少し長くなるから、今日の1限は受けられないと思え」
「ちょっと待ってください。それは良い知らせですか?悪い知らせですか?」
「安心しろ。場合によっては良い知らせで、お前にとって悪い知らせになることは、まずない」
「よかった…」
どうやらなにかの問題に巻き込まれた、などというわけではないようだ。
急須のお茶をコップに注ぐ鏡花。
コップからは湯気が漂い、見ただけで暖かいものだとわかる。
応接室の中に茶葉の香りが漂い始め、少しお腹の空いたような気分になった悠馬は、慣れた作法でお茶を注ぐ鏡花に、感心していた。
鏡花は総帥秘書以外でも、給仕の仕事なんかも似合いそうだ。
顔は可愛いというか美人寄りだし、スタイルも良いし、姿勢も正しい。
一家に一台欲しいくらいだ。
「飲め」
「…飲めて…」
半ば強要のようにお茶を差し出す鏡花に、給仕のセンスのかけらもないことを悟る。
こいつはダメだ。
一家に一台普及したら、返金祭りになっちまう。
担任に言われた通りお茶を受け取った悠馬は、鏡花が向かいのソファーに座るのを待ってからお茶を飲んだ。
「さて、本題に入ろうか」
そう鏡花が切り出した直後に、1限開始のチャイムが鳴り響く。
彼女の言った通り、いや、彼女は最初から1限に間に合わせるつもりはなかったようだ。
「なんでしょうか?」
「最近、変わったことはないか?」
「変わったこと?」
質問に対し、悠馬は首を傾げた。
変わったことなんて、ほとんどない。
教室の景色も変わってないし、彼女たちだって、クラスメイトだって変化していないように見える。
大きな変化を感じていない悠馬は、数秒の間を開けた後に、口を開いた。
「無いと思います」
「お前の身体にも?」
「っ!?」
「…私だって担任だ。お前の身体のことくらい、もうわかっている」
「…それで?それがどうかしたんですか?」
際どいところを突かれた悠馬は、バツの悪そうな表情で目をそらした。
1番知られたくはなかったこと。
緑内障が末期症状に変わり、そして寿命が残り1年未満だということを悟られた悠馬は、額に汗を浮かべる。
「……心配なんだよ」
「意外ですね…てっきり早く死ねと言ってくるのかと思いましたけど」
「大人をからかうな。これでも私は、お前のことを評価しているし、借りだってある。お前は今ここで退場するには、惜しすぎる」
「と言われましても…」
鏡花に評価されるのは素直に嬉しいが、もうどうしようもない。
寿命が残り1年ということが発覚した時点で、鏡花に何を言われようが、何を期待されようが、結末は定まってしまっているのだ。
「本当に。お前は将来、総帥や異能王としてこの世界を担っていくと思っている」
「いや、いやいや…」
いつになく悠馬のことを好評する鏡花は、否定気味の悠馬を見つめ、書類を投げた。
悠馬は知らないのかもしれないが、現総帥の寺坂だって悠馬の実力には一目置いているし、卒業後は総帥のお仕事を教えて、悠馬に次期総帥として働いてもらおう。などと考えているレベルだ。
学力的にも申し分ないし、レベル的にも申し分ない。
そんな優良物件を、簡単に失うのはあまりにも惜しすぎるだろう。
「これは?」
「なんだと思う?」
「退学案内?」
「お前は馬鹿か。お前を退学にするなら、先に栗田を退学にしている」
茶封筒に包まれた大きな書類。
それを投げた鏡花は、さらっと最優先で退学させるなら栗田だと取れる単語を吐き、タバコを口に咥えた。
「いいか?」
「どうぞ」
普段はタバコの香りなどしない鏡花だが、ごく稀にタバコを吸っているところを目にするため、悠馬は鏡花に1つ返事で答える。
カチンっとライターの火が灯る音が聞こえ、室内はお茶の香りから、タバコの香りへと変わって行く。
「吸うか?」
「学生に勧めないでくださいよ」
「どうせ死ぬなら、一本くらい黙っておいてやるぞ?」
「な、何勝手に死ぬ前提で話進めてるんですか!」
「なに、お前が死にそうな顔をしていたからつい、な」
「失礼な…!」
確かに、そんな顔をしていたかもしれないが、死ぬのを前提に話をされるのは心外だ。
タバコを片手に微笑む鏡花を睨みながら、悠馬は茶封筒に手をかけた。
「その封筒の中身は、イギリス支部からだ」
「んんんん…?」
イギリス支部と聞いて、悠馬の脳内には真っ先にソフィアが浮かんできた。
テレビでは完璧に見える彼女は、実はとんでもなくポンコツで、失言をしまくる、オリヴィアよりもお馬鹿な女の人だ。
一抹の不安を抱えながら封筒を開けた悠馬は、そこに記されていた文字を見て、硬直した。
留学の案内
そう記されていた。




