物語能力
悠馬が零へと変わる数分前。
ギリギリのところで美沙の救出へと降り立った八神は、どこからともなく湧いてくる勇気と、溢れ出る力に笑顔を浮かべていた。
以前の八神なら、この場に降り立つこともなく、そしてゲルナンに刃向かうことなどなく、悠馬や他の実力者に全てを託し、逃げ出していたことだろう。
ゲルナンから漂ってくるのは、強者特有の独特のオーラ。
彼が殺して来たであろう数多の影が、積み上げて来たであろう殺気が、彼の周りに渦巻いている。
しかし不思議なことに、それを目の当たりにしても、恐怖は湧いてこなかった。
ゲルナンのオーラは、悠馬のそれに近い。
積み上げて来た努力も、踏んで来たであろう場数も、辿った物語も全て違うのはわかっているが、八神には人を見るだけの目がある。
彼、ゲルナンの実力は、悠馬と何ら大差はない。
一言で言ってしまえばゲルナンが弱そうに聞こえるかもしれないが、それは全くの逆だ。
悠馬がおかしいから、ゲルナンが弱く聞こえるだけ。
今目の前にいる男は、紛れも無い強者だ。
「でも…俺だって憧れたんだ」
氷の異能で刀を生成している八神は、ゲルナンと睨み合いながら、小さな声で呟く。
異能王に憧れた。総帥に憧れた。軍人である、父に憧れた。
…そして、クラスメイトの暁悠馬に憧れた。
誰もが通るであろう、憧れに対する強い渇望、夢、理想。
一度それを全て踏みにじり、再び立ち上がった八神の瞳には、もう逃げ出す気などないように見える。
これからはもう、上を見据え、憧れに追いたくための努力をする。
走り始めた八神は、大胆不敵な笑みを浮かべると、氷の刀を構えてみせた。
「…いい目だな。少年。その覚悟、私に見せてみろ」
そんな八神の姿を見たゲルナンは、ガキだと言い切ったはずの彼を見直し、敬意を評した発言をする。
虚勢や見栄なら、誰だって張れる。
しかし目の前にいる男から出た言葉は、本気で、真剣にゲルナンを越えようとする気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
これほど滾る展開は、これほど心を熱く燃やすのは、いつ以来だろうか?
若い頃、誰もが抱くであろう、遥かなる高みにいる強者への渇望。
もうずっと昔に失っていた感情を思い出したゲルナンは、笑いながら蒼炎を発動させた。
「来い…!コキュートス!」
蒼炎が一直線に伸び、それを真正面から受け切るようにして、八神の放ったコキュートスが喰らいつく。
これがレベル10の力。
これが以前の自分とは全く違う異能。
八神の異能は、レベルを1つ上昇させたことにより、全く異なる強さの異能へと変容した。
今までのコピーという異能は、その日に見た異能を、最大2つ、半日使用できるだけという、あまり大したことのない異能だった。
それでも十分に強かったが、六大属性に比べれば、遥かに見劣りするものだ。
しかし今の八神の異能は、最大で4つ、自身の記憶している異能を発動させることができるという、ぶっ壊れも良いところの異能に変容した。
そして八神は現在、悠馬の氷と雷を発動させている。
「ほう…良い異能だ。氷と雷か」
「そりゃどうも。サンダードラゴン」
「蒼炎・プロミネンス」
八神の放った雷の龍は、ゲルナンへと噛み付く寸前で蒼炎のドラゴンによって相殺される。
いや、押されていると言うべきか。
サンダードラゴンを消しとばした蒼炎は、その余波で八神を包み込む。
「八神!」
全身を焦がすような、フライパンの上に乗せられたような、チリチリと焼けていく感覚。
美沙の声が響く中、八神は蒼い炎の中で、白い歯を見せて笑っていた。
「ふ…はは…その異能、貰うぜ」
「ほう…見たことのない異能だな」
ゲルナンの放った蒼炎は、八神を包み込んだ後に収束し、彼の体内へと収まっていく。
身体にピリピリと雷の筋が流れ、所々に蒼炎を発生させる彼の姿は、まさに鬼神。
父親の名を継いだと言われても納得の行く姿に、ゲルナンは拍手で応えた。
「鳴神に蒼炎。そして氷の刀。君は何を目指す?」
黄金色の雷を放出し、蒼炎は優しく八神を包み込む。
青い氷の刀身を月夜に反射させた八神は、真剣な眼差しで口を開いた。
「…まずはお前を超える」
「先ずは…か…そうか。良いだろう。残念ながら私には時間というものがない。与えられた任務もある。次で終わらせるぞ」
「…ああ…わかるよ。アンタさっきから焦げ臭い」
「っ!?」
夕夏は2人の会話を聞いて、全力で頭を回す。
ゲルナンほどの実力者が、ゲルナンほどのレベルの人物が、自分の異能に身を焼かれるなんてことは、絶対にありえない。
なにしろ元軍人で、総帥と互角に戦ったような人間が、そんなあからさまなデメリットを持っているはずがないし、第一、そんなデメリットがあるならレベル10に分類すらされていないはずだ。
八神に言われて見てみると、たしかにゲルナンの肉体は、蒼炎を使った後も煙を燻らせていた。
死人は生きている人間と違って、食事も水分も必要ない。
それは簡単に言えば、食費がかからず燃費がいいのかもしれないが、この状況においては、1つのデメリットがある。
炎系統の異能力者は、自身の炎耐性の他に、肉体の水分量も重要となってくる。
まぁ、生きている人間ならばそんなことを気にせず炎を放てるのだが、死人となると話は変わってくる。
常に脱水症状のような乾いた肉体で、炎の異能を使い続ける。
それは自滅にも近い行動であって、ゲルナンは炎の異能を使うごとに、自身の肉体に残されていた僅かな水分を蒸発させ続けていたということになる。
つまり彼は、自身の中に残された水分量でしか、戦うことはできない。
彼には体力切れよりも先に、人体の発火が待っているということだ。
そのことに気づいている八神は、残り数度異能を使えば、彼は灰になると決め込み、鳴神の上から身体強化系の異能を発動させる。
「セラフ化」
「っ…!キツイな…」
次で決めると言うから、全力で何かをしてくるのはわかっていたが、まさかセラフ化を使ってくるとは思わなかった。
セラフ化を使用していないゲルナンと、3つの異能を併用させた八神の実力は、ほぼ五分。
しかしながら、八神はゲルナンの蒼炎でダメージを負うことを考えれば、元の状態でも、ゲルナンに軍配があがると言ってもいいだろう。
元からそういう状態だったにもかかわらず、ゲルナンは八神に対して、セラフ化を使った。
ゲルナンは八神にある可能性を見出していた。
コイツは近い将来、必ず成長して、総帥と同程度の実力をつけるに違いない。
そんな人物を前にして、手を抜くことなんてできはしないだろう。
未来の担い手を摘むのは些か心苦しいが、任務のため。
蒼く揺らめくツノのようなものを額に二本生やしたゲルナンの姿は、青鬼という単語がふさわしいように見えた。
「それが…セラフ化」
「では…参るぞ」
一瞬の視線の交錯。
特に何を語るでもなく、氷の刀を構えた八神は、大きく揺らぐ炎に目を見開いた。
「陽炎」
「っ!」
ジュウッという、肉の焼かれるような音とともに、八神は思わず膝をつき、自身の手に走るズキズキとした痛みを感じ、刀を落とす。
氷でできた刀は、原型を留めていないほど溶け出し、そして蒸発していた。
「…」
「やるな…」
八神が氷の刀を落として数秒の間が開き、ゲルナンは呆れたように笑ってみせた。
それと同時に、彼の右手はボトッと音を立てて地面へと転がる。
刹那、八神はゲルナンの右手を見事に切り落としていた。
有言実行というべきなのだろうか?
しかし夕夏は、その光景を見て、どちらがより負けに近いのかを理解した。
このままじゃ八神くんは負けてしまう。
何故そう思ったのかはわからないが、なんとなく、夕夏の頭には、この先の未来が浮かんでいた。
「私が…助けないと…」
ゲルナンのセラフ化を見たとき、心の中から熱く滾る何かを感じた。
八神に守られたとき、夕夏は強い焦燥感を感じた。
またいつものように守られるだけなのか。と。
もう守られるだけの人生は嫌だ。
大切な人のそばにいたい。大切な人の横を歩きたい。
胸を張って、同じ実力で、大好きな人に誇れる彼女になりたい。
「……セラフ化…椿」
「っ…夕夏?」
八神とゲルナンの激戦の行方を見つめていた美沙は、目の前で訳の分からない言葉を呟いた夕夏を見て、狼狽する。
真っピンクの髪色に、桜色の瞳。
それはゲルナンの蒼色とは対をなしているような、月夜にはよく生える色だった。
「……夕夏さん」
「ごめんね。八神くん。ここからは私がやるから」
セラフ化にはセラフ化を。
軍人として生活をしたことのある八神なら、その言葉をよく知っているはずだ。
悔しいが、今の自分じゃセラフ化状態のゲルナンには、どう足掻いても勝つことはない。
その確証がある八神は、「まだ戦える!」などという、噛ませ感のある言葉は発さずに、黙って夕夏を見た。
彼女のオーラは、いつものような善人のそれに近い。
誰をも優しく包み込み、宥めてくれるような、そんなオーラだ。
しかしながら、いつもと違い、そのオーラには少しの冷たさも感じた。
まるで一方の敵には容赦しないという思いの表れのような、悠馬以外を全て切り捨てるような。
「…それがあのお方の欲していたものか…」
セラフ化を見たゲルナンは、一目でそれが何であるのかを察したのだろう。
無言のまま歩みを進める夕夏を見て、左手を伸ばす。
「…まずはありがとうございます。ゲルナンさん。私が自分の意思でこの領域に至れたのは…貴方のセラフ化を見れたからだと思います」
以前は椿に不完全で危険だと言われたが、今は自由自在に、何の疲労感もなくセラフ化を使いこなせている。
それはゲルナンのセラフ化を見て、自分のセラフ化と近しい何かを感じたからなのかもしれない。
「美しい…セラフだ。私が生きていたのなら…是が非でもお前を手に入れる」
「生憎と私は…ゲルナンさん、貴方よりもずっと強い人の恋人なので。その要望には答えられません」
「ふっ…しかし今は、任務のためだ。死んでくれ」
少しの心残り。
もし仮に、今目の前にいる美哉坂夕夏と同じ時代に生まれていたのなら、必ず彼女を手に入れようと足掻いていたはずだ。
こんなに美しく、そして完璧な女性は、未だ嘗て見たことがない。
冷ややかに笑ってみせた夕夏は、ゲルナンの放った蒼炎に包み込まれる。
「夕夏!」
「夕夏さん!」
八神と美沙の悲鳴にも近い叫びが森の中に響く。
「大丈夫だよ。少し暖かいだけ」
「っ!?」
さっきは蒼炎を浴びて悲鳴をあげていたというのに、夕夏はいつものように、何事もなかったかのように蒼炎から抜け出し、2人に微笑みかける。
その姿は1年生の時から何1つ変わっていない彼女の姿に見えたが、どこか少し、遠くへ行ってしまったような気持ちにもなった。
「…覚者の領域に至ったか。深淵を見たのか?」
「私が見ているのは幸せな未来だけです。その世界に、深淵なんてものはありません」
「世迷言を」
表情1つ変えない夕夏の理想を、世迷言だと一蹴する。
誰が思い描く幸せにだって、当然踏みつけられ、そして地の底に沈んでいった人間は数多く存在する。
そういう概念の集合体が深淵であって、それを見ない人間が覚者の領域に至るなんてことは、あり得ない。
ふざけたことを抜かす夕夏に対して、現実をつきつけようとするゲルナンは、最後の蒼炎を発動させ、そして自身の身を焼き始める。
「共に退場してもらおうか」
炎に対する耐性を得たのなら、それ以上の火力で焼けばいいだけだ。
元々夕夏を殺すことが任務だったゲルナンは、何のためらいもなく、自爆という道を選ぶ。
「…物語。ゲルナンは異能が暴走し、自身の異能に身を焼かれ自滅。その暴走に関する被害は、なし」
「っ!!?何を…!何をしたッ!」
夕夏が未来を記すようにして呟いた言葉。
それと同時にゲルナンの放とうとしていた蒼炎は、一瞬にして彼の身を包み、焼き始める。
まさに暴走。
夕夏の記した通りの結末が、そこには広がっていた。
「さようなら。ゲルナンさん。貴方のおかげで、私は大切な人たちを失わずに、前へ進める」




