反転セカイ Ⅰ
「はぁっ…はぁっ…」
幾度となくコキュートスを放ち、地形が変動するほどニブルヘイムを発動させたオリヴィアは、幾重にも重なる氷を見つめながら、大きく息を切らしていた。
序盤から飛ばし続けたオリヴィアの体力は、5分程度で限界を迎える。
「それじゃあ、こっちもセラフ化使おうか?」
「っ!」
オリヴィアの氷の装飾が溶け始めると同時に、ディセンバーは回避をやめ、攻勢に出る。
「ほらほら!立ち止まってたらすぐ死ぬぞ!逃げてみろよ!」
「くっ!小賢しいぞ!」
「ははっ、俺はお前を殺すときだけは、プライドを捨てるって決めてたんだよ。こんなに早く復讐できて、俺は嬉しいよ」
4年前の戦争で、ディセンバーはオリヴィアに敗北した。
だからこそ今回は、負けるわけにはいかない。
男として、同じ女に2度も負けるのは恥。
特にプライドも実力もあるディセンバーにとっては、尚更だ。
オリヴィアは接近してくるディセンバーを睨み、一度悠馬を見る。
「…ここで死んだら…君の元へ行けるのか?」
体力は残っていない。
馬鹿みたいにポンポンと異能を発動させてきたオリヴィアは、戦神としての正常な判断を行えずに、自身の体力が無くなるまで異能を使い続けてしまった。
「君がこの世界にいないのなら、私はもう、生きたくない」
激昂したあと、少し落ち着いたオリヴィアは病みモードに変わる。
「ふふ、ははは!抵抗しないのはつまらないが、これで終いだ!地獄の底まで落ちろ」
瞳を閉じて、次の攻撃を待つ。
もう抵抗するだけの力は残っていないし、この世界に大切なものなんて、1つも残ってはいない。
悠馬を失ったオリヴィアは、ディセンバーの攻撃を、無抵抗で受け入れることを選んだ。
「地獄に落ちるのはお前だよ」
勝敗が決する直前にオリヴィアの前に降り立った影。
それはいつも見ている人物のオーラとは全く異なり、しかしながら、いつもと同じ、オリヴィアを落ち着かせる雰囲気を感じる。
「悠馬…?」
「そ。悠馬さんだよ。オリヴィア」
白銀のオーラに身を包み、茶髪から白髪に変貌している少年、暁悠馬は、エメラルドに近い翠色の瞳でオリヴィアを見つめ、彼女を抱きしめる。
「ごめんね。嫌な思いさせちゃったね」
「あ…ぁぁ…君は…君は…」
大切な人が生きていた。
それさえわかれば、彼の変貌なんて些細な話だ。
大粒の涙をこぼすオリヴィアは、悠馬を強い力で抱きしめ、そして全身を悠馬に委ねる。
「ちょっと待っててね。すぐ終わらせるから」
「…待て!不可能だ!君の力ではディセンバーに勝てない!」
悠馬の手がゆっくりと離れ、その手を掴み直そうとするオリヴィアの手は空を切る。
戦神に勝てなかった悠馬が、ディセンバーに勝てる可能性は、1パーセントにすら満たないだろう。
それがもし仮に、セラフ化を自由自在に扱えるようになっていたとしても、だ。
「…ガキ、どうやってグランシャリオを破った?」
悠馬…いや、零は、オリヴィアから手を離すと、ディセンバーと向き合い、単調な歩みで彼へと近づく。
「普通に粉砕した」
「ふざけたこと言うなよ。お前のレベル、異能じゃ、俺の氷は溶かせない」
「大層なプライドがあるようだけどさ?本当に、タネも仕掛けもないんだよ?お前のレベルが低すぎるから、相手にならないんだ」
「っ!コキュートスッ!」
零が煽るとその挑発に乗ったディセンバーは、大規模な氷の龍を発動させ、悠馬を一撃で飲み込もうとする。
その規模は悠馬の放つコキュートスの5倍ほどの大きさで、無人島を滅ぼすには十分すぎるレベルだ。
「反転セカイ…崩壊」
「なん…何をした!」
ディセンバーの放ったコキュートスは、呆気なくその場から消え去り、なんの焦りもなく、平然と立っている悠馬が視界に映る。
「崩壊させた」
「崩壊だと?」
今まで聞いたことのない、いや、今まで悠馬が一度も使ったことのない謎の異能。
ディセンバーの攻撃を粉砕してみせた零は、ニッコリと笑みを浮かべると、ひらひらと手を振る。
「っとと…なんかたくさん助けが来てるみたいだし…早々に終わらせるか」
「ふざけやがって…セラフ化」
「終わりだよ。白夜」
「っ!??!!」
クラミツハを手にした零から放たれた一撃。
それは真っ暗になった夜の世界を、まるで昼間のように眩く照らし、そして一瞬だけ昼間のような青空が、顔を覗かせる。
「…なん…で…お前が閃光の…」
「俺が神様だから、だよ?」
浄化の輝き。
聖系統において、秘奥義に位置する、覚者にだけしか許されない白夜。
それを放った零は、朽ちていくディセンバーを眺めながらそう言い放った。
「……お前も地獄に…」
「落ちないね。負け犬の遠吠えは他所でしてくれ」
4年前と同じように、死に際に相手に揺さぶりかけようとするディセンバー。
そんな彼の言葉に聞く耳など持たない零は、トドメと言わんばかりに首を薙ぎ、オリヴィアがいる方へと振り返った。
「悠馬…悠馬悠馬悠馬!」
「オリヴィア…ごめんね」
零には悠馬としての記憶がある。
悠馬の記憶がある零は、泣きじゃくりながら飛びついてくるオリヴィアを優しく包み込む。
「悠馬…すまない…私が、私がもっとしっかりしていれば」
「ううん。君が気にする必要なんて、ないよ。だから泣かないで」
「……うん…うん」
彼女の柔らかい肌に触れながら、異能を使いすぎて冷たく震える彼女の肌を撫でる零は、周囲の何かに気づき目を細める。
「どこのどいつだ?覗き見とはいい趣味とは言えないぞ」
オリヴィアとの2人きりの空間。
彼女の傷を癒すために必ず必要なこの瞬間において、敵意や殺意、そして興味の視線を向けられた零は、不服そうに神器を構える。
そして声をかけるや否や、零の首元には、3本の神器が向けられていた。
「…俺的にはてっきり味方だと思っていたが…殺し合うか?」
オリヴィアにだけは危害を加えるつもりがないのか、3人の女性は、悠馬の首元にだけ神器を向けている。
それは下手に動けば切り落とすぞ。という威嚇であり、そして自分たちが優勢だと指し示しているようなものだった。
「戦…乙女…」
舞い降りた人物たちに大きく目を見開いたオリヴィアは、悠馬を掴む力を強くして強張る。
青色の髪に、ちょっとSっぽい表情の女性。
彼女のことは、悠馬の記憶を見ている零でもわかる、マーニーだ。
確かフェスタでは、最終日に看病してもらった。
「待ってください!悠馬は!彼は!」
「アンタは黙ってなさい」
「っ…」
マーニーにひと睨みされ、オリヴィアは発言権を失う。
今のオリヴィアは戦神ではなく、ただの女子高生なのだ。
たかだか国立高校の女子高生が、戦乙女に対し待ってくださいと言ったところで、聞く耳を持たれないのは当然のことだった。
「…何者ですか?」
「暁悠馬。第1異能高校学校2年Aクラス。加えていうならフェスタ優勝者。これでわかる?」
「マーニー、絶対違うだろ…」
「ええ…フェスタの時と雰囲気が違いすぎる」
零の弁明に聞く耳など持たない戦乙女たちは、より一層疑惑の視線を強くして、悠馬を睨む。
「信じてくれないんですか?」
「私の知る限り、彼は覚者を屠るほどの実力を持ち合わせていない」
「…あの時、手を抜いていたと言っても?」
「白夜を放つ学生なんて、いるはずがない」
「マーニーさん、一晩一緒に過ごしたじゃないですか。そのことも忘れちゃったんですか?…寂しいな」
『なっ!』
零の問いかけに対して、戦乙女が全員、そしてオリヴィアまでもが硬直する。
当然だ。
戦乙女というのは、極論を言えば、異能王と関係を持つためだけに存在をしている。
つまるところ、マーニーは8代目異能王であるエスカと関係を持つことを大願としているわけであって、そんな彼女が、一介の学生と関係を持ったともなれば、誰だって驚くだろう。
こいつ尻軽いな。将来有望なら誰でもいいのか?と呆れられても、仕方のないような発言にとれる。
「このガキ!訂正しろ!馬鹿が!看病してやっただけでしょうが!」
「えぇ…あれだけ身体のことを気遣ってくれて、看病しただけぇ〜?今日はツン要素強くないですかぁ〜?」
化けの皮が剥がれたマーニー。
ついさっきまでは、結構言葉も控えめで、暴言など控えていたが、今の彼女はフェスタの時、部屋の中で話していた彼女に限りなく近い。
「はあー…マジ死ね。なんなのアンタ。雑魚のくせにナルシストだし…わかった、認める。認めるわよ。確かにアンタは、あの時のキモ男よ」
「マーニー…それは、関係を持ったってことを認めるの?」
「ヒロインレースから電撃退場!?」
「ち!が!う!アンタら三下は黙れ!マジで!」
「き、キサマ!いくら戦乙女といえど、一介の学生に手を出すとは…!分別すらないのか!これだから盛りのついた二十代後半の女は…!淫魔め!」
悠馬を敵視していた戦乙女たちは、神器をマーニーへと向け直すと、オリヴィアまでもが、その揉めごとに参加する。
なんだこのカオスな光景は。
おそらくこの中で1番立場が上であっただろうマーニーが、零のおふざけになって、格下の位置にまで下落した。
「アタシ盛ってないわよ。風評被害も甚だしいわ。確かにそこの雑魚をひん剥いて風呂に一緒に入ったけど…」
「な…!それ俺知らないんだけど!」
え!?風呂って、風呂だよね!?
一緒にって、その時目覚ましとけばマーニーさんの全裸見れてたわけ?
自ら地雷を踏み抜いたマーニーに、零は思わず顔を赤くする。
これは想定していなかった事態だ。
「てかアンタら黙りなさいよ。今どういう状況がわかってんの?」
『っ…』
「失礼…」
「しました」
完全にお怒り状態のマーニーは、調子にのる戦乙女2人を黙らせる。
どうやらこの3人の中で、最も地位が高いのはマーニーのようだ。
「そういえば…マーニーさんたち戦乙女はどうしてここに?」
「…この無人島に、セラフ化反応が5つ出た」
「なるほど」
上空を見上げた零は、空中に浮かぶ庭園を見て、納得の表情を浮かべる。
つまり戦乙女たちは、このあまりにもセラフ化反応の多すぎる無人島で、何かが起こっていると予測したわけだ。
しかしそれと同時に、疑問も浮かんできた。
確かにこの場では、ディセンバーにオリヴィア、そして悠馬がセラフ化を使っていた。
それは第5次世界大戦でも起こらなかった、セラフ三つ巴の大乱戦とも言える状況であって、セラフが同時に3人も相対するというのは、いや、3人以上も同じ空間に存在するというのは、前例がない。
おそらくこれが、史上初の出来事なのだ。
「…ここにセラフ化反応が3つあった。そして使用者は、その容姿からするに暁、そしてディセンバー…そして…」
この場に残されたオリヴィアを見たマーニーは、眉間にしわを寄せる。
悠馬は百歩譲って、フェスタ優勝者だし、セラフ化を使えると言われても、納得はできる。
しかし目の前の女はどうだ?
ぱっと見タダの学生なのに、セラフ化を使えるというのか?
警戒心を強めるマーニーは、零の伸ばした人差し指を、唇に当てられる。
「な…にを」
「この場において見つかったセラフは2人。ディセンバーと暁悠馬のみ。あと1人のセラフ化反応は、状況から鑑みるに、不具合だと断定。わかった?」
「は…い…」
零が勝手に話をまとめると、マーニーは光のなくなった瞳で、その話に返事をする。
「マーニー?」
「君らも。ここにはもう誰もいない。ここで起きたことは何も問題がなかった。そうだよね?」
「はい…何の問題もありません。これより我々戦乙女は、学生の保護に当たります」
「悠馬…何をしたんだ?」
「暗示をかけた。これでもう、変な詮索をされることはない」
鏡花と全く同じ、催眠の異能を発動させただけ。
しかしそれは、戦乙女に暗示をかけるほどのレベルで、鏡花のそれとは似て非なるものだとすぐにわかる。
「何を話しているの?付いて来なさい。雑魚虫」
「は、はーい、ごめんなさい」
暗示をかけられたとは知らないマーニーは、零とオリヴィアがべらべらと話す姿を睨みながら、山を下り始める。
「何か重要なことを…忘れた気がする」
マーニーは何か違和感を感じながら、白髪になっている少年を睨む。
「マーニーさん、残り2つのセラフ化反応が気になるんですが…」
「そっちはセレスとエスカ様が向かわれているから。心配いらないわ」
「異能王直々かぁ…」
「わかったら黙って付いて来なさい」
「はい…」
オリヴィアの手を引きながら、悠馬は山を下り始める。
誰がセラフ化を使っているのかはわからないが、異能王が向かっているなら、もう大丈夫だろう。
「椿…君なら問題ないよね」
終わりが近づいて来ました。
ハッピーエンドで終わるのか、あるいは…




