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ここは日本の異能島!  作者: 平平方
戦神編
256/474

試練

 腹部を抑える銀髪の少女、篠原美月は、今まで感じたことのない恐怖と不安感に駆られていた。


「みみみみみ美月ぃ…」


 それは今現在、自分自身の過去と、悠馬に救われて幕を閉じたはずの過去と向き合わなければならない状態に陥っているからだ。


 桜は去年から行方不明になっていたはず。


 それは地元の警察や、父親から聞いた話で確定しているし、目撃情報も聞かなかった。


 いわゆる神隠し的な、手がかりも何も残さず、彼女たちは行方不明になってしまったのだ。


 だというのに、今目の前には、その桜がボロボロの亡骸のような姿でノロノロと歩いている。


 その姿はすでに死んでいることを確信させる、グロテスクなものだ。


「美月さん…よく向き合ってください。彼女の目を見て…」


 レベルは美月の方が上だというのに、美月は桜に対して苦手意識というか、自分の方が弱いという負け癖をつけてしまっている。


 中学時代のように怯えて蹲る美月に対し、朱理は優しい言葉を囁く。


 内容は優しくはないが、口調的にはかなり優しい。


 まるで甘い誘惑をしているような、好きな人に言いよっているようなそんな口調だ。


「む…無理だよ!私は桜には!」


 二度と会いたくなかった。


 もう二度と会わなくていいと思っていた人物と再会を果たした美月は、朱理の言葉を拒絶した。


 美月の心の傷は、たった1年やそこらで完治するものではなかった。


 ようやく塞ぎかけていた傷を強引に開かれたような感覚の美月は、目尻に涙を溜めながら過呼吸に陥る。


 朱理が今から行おうとしているのは、荒療治だ。


 強引に傷を開いて、そこから数年経てば消えるであろう菌を取り除いて、すぐに完治させようとする。


 たしかに時間は短縮できるだろうが、その代わりに相応のリスクを伴う治療方法だ。


「美月ぃ!おお前だけ入学しててて…幸せかぁ?」


「っ!」


 入学試験の時のように、桜の罵る大声が森の中に響く。


 その言葉を聞いて耳を塞いだ美月は、ノロノロと動きながら風の異能を発動させる桜を見て、目を見開いた。


「えっ…」


 桜は今まで、美月に対して数多くのイジメをしてきたわけだが、そのイジメにおいて、異能を使ってくるということは一切なかった。


 だからこそ美月に異能を使うという選択肢は浮かばなかったわけであり、異能を使って応戦ができなかったわけだ。


 しかし今の桜は、暴力を振るう前に、風の異能を発動させた。


 それから導き出される答えは、こちらを本気で殺しにきているということだ。


 レベル8でも、異能は加減をしなければ人を殺せるし、後遺症を残すこともできる。


 薄緑に濁った片目で美月へと焦点を合わせた桜は、躊躇いなく異能を放った。


「あうっ…」


 桜の異能によって、美月は背後にあった大木に背中をぶつけ、地面へとずり落ちる。


 綺麗だった皮膚は風の異能の烈風によって切り裂かれ、傷口からは赤い血液が流れ出る。


 朱理の存在には気づいているはずなのに、美月しか狙わない桜の様子からするに、彼女は最初から、美月を狙うためだけにここに来たのだろう。


 そんな桜の姿を見た朱理は、口元に笑みを浮かべながら、木の陰へと隠れる。


 これは美月の試練だ。


 いつまでも悠馬に寄生をして生きていくだけの彼女では、すぐに限界がきてしまう。


 いつかぶち当たるであろう、そしてぶち当たって乗り越えられなくなるであろう壁を想定する朱理は、美月の助力は一切しない。


 ここで試練を乗り越えてもらわなければ、悠馬に負担をかけてしまうだけだ。


 身体が竦んで動けない美月に近づく桜は、黒ずんだ、腐った肉のようは右腕を伸ばし、銀髪を掴む。


「い…痛い…!離して!」


「死ね…ししし死ね死ね死ね」


 美月の耳元でそう呟く桜は、彼女に対して相当執着しているようだ。


 それはイジメというレベルを超えて、狂気の沙汰、病院に行った方がいいんじゃないか?と言いたくなるほどに。


 いつでもカウンターを仕掛けられる距離だというのに、何も仕掛けない美月を掴む桜は、彼女の腹部へと蹴りを入れ、地面に転がす。


 自分がやらなきゃならないことはわかってる!


 わかってるはずなのに!


 過去のことを想像する美月は、自分が桜を仕留めなければならないことはわかっているが、身体が思うように動かない。


 これが3年間イジメられ続け、調教に近いことをされてきた美月の、無意識下の怯えだ。


 ようやく前へ進み始めたはずなのに、また逆戻りしてしまった美月は、目を強く閉じ、唇を噛んだ。


 このままやられっぱなしでいいの?


 自分自身に問いかける。


 中学校の3年間、散々イジメられて、散々見下されて、そして高校では接触を断つことによって救われて…


 逃げ続けたままでいいの?


 ダメに決まってる。


 逃げる事は悪い事じゃないというが、逃げ続ける事は悪い事だ。


 時に自分の弱さを認め、そして足を止めて向き合うことも、この世界には必要なことなんだ。


 ずっとイジメられ続けて、ようやく救われて、逃げ続けた。


 でも今日、この日も逃げれば、自分がどうなってしまうのかはわかる気がする。


 桜はもう死んでいる。


 つまり、この瞬間を逃せば永久に会う事はないだろうが、そうなった場合、私に何が残るだろうか?


 喜び?幸福感?満たされる感覚?


 きっと全部違う。


 私の中に残るのはきっと、甘えだけだ。


 逃げ続ける女に残るものなんて、そのくらいしかない。


 それじゃダメなんだ。


 今向き合わないと、この最後のチャンスで立ち向かわないと、いつまでたっても私は昔の私のままだ。


 誰かに救われることを願って、信じて、それをひたすら待つだけ。


 そんな私はもう終わりにしたい!


 結論に至った美月は、震える手を自身の両手で包み合い、瞳を閉じた。


「悠馬…私に力をください…」


 それはおまじないのようなものだ。


 唱えることによって悠馬から力がもらえるわけでも、なにかが発動するわけでもない。


 ただ、そうすることによって、ほんの少しだけ勇気が湧いてくる。


 それだけでいい。


 好きな人のことを想い、想像し、そして過去の自分と、トラウマと向き合う。


 近づいてくる桜を見た美月は、深々と頭を下げた。


「ありがとう。桜。全部貴女のおかげだよ」


「ななななにを…」


 それが桜の、最後の言葉だった。


 月が照らす夜に、1つの首が宙を舞い、重力に負けて地面へと落下する。


「貴女のおかげで、悠馬と出会えた。たくさんの友達ができた。だからもう、弱い私は…過去は必要ありません」


 そう、もう桜のことを気にするのも、今日でおしまい。


 これからは、そんなこともあったな。程度の認識に変わっていくんだ。


 人は悲劇を乗り越えて成長していく生き物だ。


 その悲劇には大なり小なりの物語を含むのだろうが、悲劇を体験しない人間には、成長なんてない。


 月夜に照らされる美月の姿は、どこか寂しそうな、それでいて爽やかに見えた。


「…やりましたね。美月さん」


 篠原美月、レベル10。

 自身の過去と、イジメという悲劇と向き合うことによって、甘え続け、逃げ続ける自分を切り捨てた彼女は、試練を乗り越え、覚醒する。



 ***



「私が…たくさんの人を救った…?」


 オリヴィアは木の根元に座り込み、八神の言葉を繰り返し脳内で再生させていた。


 そんなこと、今まで考えたこともなかった。


 たくさんの人を殺して、たくさんの人を不幸にしてきた。


 時には死にたくないと泣きわめく敵国の人間を追い詰め殺し、敵かどうかもわからない相手に対しても、力を振るった。


 それはアメリカ支部が勝利へと近づく為、そしてこの戦争を、早く終わらせるためだけに。


 端的にいってしまえば、早く楽になりたいから、みんなを殺したということだ。


 オリヴィアが軍人として溜め込んだ感情というのは、誇らしさなんかではなく、罪悪感だけだった。


 だから自分に助けた人がいたなんて、自分のおかげで救われた人がいるなんて、想像したこともなかった。


「私の薄汚れた手でも…何かを救えたのか?」


 いつも失ってばかりだった。


 親しくなった軍の味方も数を減らし、きっと立場が違えば仲良くなれていたであろう敵国の人間を殺し…自分に良くしてくれた連合国の味方ですらも、帰ってくることはなかった。


 彼女が人生を振り返った中で見つけるものというのは、夥しい数の死。


 自身が積み上げてきた罪悪感と言う名の感情が、オリヴィアに対して忘れるなと迫ってくる。


 そんな私でも、何かを守れたのだろうか?

 救えたのだろうか?


 八神に言葉をかけられるまで、想像もしていなかった。


 戦争で人を殺すということは、もしも話ではあるが、その人が殺したであろう人物たちを救ったということになる。


 つまりオリヴィアが殺さなければ、もっと多くの被害者が出ていたかもしれない。という状況だって、必ずあったはずなのだ。


 だから戦争で人を殺すのは、決して悪ではない。


 それは人を救うため、自身の存在を肯定する為、自身が生き延びるために、必ず行わなければならない唯一の手段なのだ。


 オリヴィアが敵国の人間に手をかけたのは、間違いでも、過ちでもない。


 そう考えると、少しは気持ちが楽になった。


「…ありがとう。八神」


 自分にも何かを救えた。

 奪うばかりの人間じゃなかったんだ。


 そんなことを考え、少しの安堵を覚えるオリヴィアの脳裏には、ある人物の姿が浮かぶ。


 その人物は銀髪で、血を吐きながら笑っていた。


「お前はバケモノだ。人を殺すしか脳のない、人間の形をしたバケモノなんだ。人並みの幸せを感じれると思うなよ?お前は一生、死人に恨まれ続けて生きるんだ」


「っ…」


 そう。

 この言葉こそが、オリヴィアの心を壊した原因。


 覚者として力を振るったオリヴィアに対して、ある男が死に際に言い放った一言だ。


 覚者であるバケモノは、人並みの幸せを感じてはいけない。


 殺した人間の恨みを、一生背負いながら生きていかなければならない。


 彼の言葉は、死んだ後もオリヴィアに重くのしかかっている。


 いや、死に際だからこそ、オリヴィアに重荷を背負わせたのだろう。


 彼女の人生を狂わせ、精神的に追い詰めて自殺へと導くために。


「はぁ…ヤツはもういない…」


 脳裏で再生された言葉を発した人間は、もういないんだ。


 だから大丈夫なんだ。


 深呼吸をして自身にそう言い聞かせたオリヴィアは、ゆっくりと立ち上がると、静かになった森の中を見渡す。


「戻らないと…」


 少し落ち着いた気がする。


 精神的な落ち着きを取り戻したオリヴィアは、少し震える手を背後に隠すと、下ってきた道のりを登り始める。


 悠馬の元へ戻らなければならない。


 さっきはパニックになって逃げ出してしまったが、きっと悠馬は心配しているはずだ。


 あんな亡骸に悠馬がやられることはまずないだろうが、自身を探して体力を消耗したり、怪我をするのだけは嫌なオリヴィアは、山を見上げて歩き始める。


 八神に暖かな言葉をかけられて、自分を責めなくていいと言われて、少しだけ落ち着いた。


 八神は何をするために慌てていたのだろうか?


 少しの心残りと、不安。


 今まで八神の慌てた姿など見たことのないオリヴィアは、まだこの無人島に、自分の知らない何かがあるのではないか、という可能性を考える。


 なんとなく、ただなんとなく、山頂付近に漂うオーラが変わった気がした。


「悠馬が負けることは…ないだろう」


 フェスタ優勝者であり、そしてオリヴィアは戦神として、悠馬と決勝戦後に決闘を行なった。


 悠馬の実力をある程度把握しているオリヴィアは、彼の力を総帥と同程度だと位置付けている。


 てっきり最初は、日本支部軍の非正規の軍人、つまり八神のような存在だと思っていたが、どうやらそうでもないらしいし、ますます気になってくる。


 少しの勇気を手に山を登るオリヴィアは、ヒンヤリとした空気が漂う山頂付近で、歩みを遅めた。


 寒すぎる。


 季節は5月、まだまだ暖かいとは言えないが、氷の覚者であるオリヴィアが寒いと感じる季節ではない。


 なのに今、この付近は、オリヴィアが寒気でぶるっと震えるほど、温度が低下していた。


「悠馬…?」


 ガサゴソと木の奥から聞こえてくる音に、オリヴィアは目を輝かせて近づいた。


 まずは最初に謝ろう。

 逃げ出してしまってごめんなさい。と。


 脳内でかける最初の言葉を考えるオリヴィア。


 彼女の思考は、木の奥を見ると同時に、停止することとなった。


 辺り一面、氷の大地。


 まるでシベリアの永久凍土のような、戦地に赴いたような空間。


 その先に見えたのは、氷漬けになっている茶髪の少年だった。


「ゆ…」


 その場で崩れ落ちる。


 広がる光景は、オリヴィアが想像もしていなかった、悲惨な光景だった。


「よぉ戦神…なぁに自分1人だけ幸せになろうとしてるんだ?あ?」


「……なんで……お前がここにいる…ディセンバー…」


 降り立った影。


 氷漬けの悠馬になど目もくれず、オリヴィアだけを見つめる銀髪のその人物は、ロシア支部元冠位・覚者 氷帝のディセンバーだった。


 それはオリヴィアにとって忘れたい過去。


 4年前、第5次世界大戦で、八神を救った際にできてしまった心の傷の物語。

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