桜
「はぇ〜、朱理ちんは鬼畜だなぁ…そして悠馬は…こりゃやべぇな…」
周りの戦闘音など御構い無しに、いつものように呑気に道端を歩く金髪の男。
紅桜連太郎は、横を歩く黒髪女子の手を引きながら、お散歩気分で歩いていた。
「…あのね。紅桜くん。今の状況わかってる?」
そう問いかけるのは、ちょっと不服そうな赤坂加奈。
彼女は連太郎のことが気になってはいるものの、流石にこんな状況で楽しめるわけもなく、訝しそうな眼差しで睨んだ。
「うん、わかってる。バッチリマズイ状況」
「貴方は動かないの?」
「勘弁してくれよ…こんな面倒ごとに毎度毎度首を突っ込んでたら、命幾つあっても足りないし、そもそも俺はこの国の裏だぜ!?」
毎度毎度首を突っ込んでいるし、この国の裏だなんてことは御構い無しに問題を起こしまくっているような気もするが…
矛盾アリアリの発言をする連太郎に、加奈は呆れた様子で溜息を吐いた。
要するに、彼は面白そうじゃないから自分は手を出さない。ということだろう。
いつも通りいい加減な彼の行動に、安心しながらも呆れる加奈は、嬉しそうな、ムカついていそうな表情を交互に浮かべ、近づいてくる影を見る。
「ばびゅーん」
ただの作業と化している、ゾンビ急襲イベント。
加奈が反応すると同時に操られた亡骸を駆除した連太郎は、携帯端末を取り出して、どこかへと電話を始めた。
「もしもし?親父か?ちょっとマズイ状況になってて…ああ。最速で無人島に来てくれ。裏を連れて来た方がいいと思う」
「貴方ね…まさかこの国の裏を動かすつもり?」
電話の内容を聞くからに、連太郎は自分の父親、つまりはこの国の裏のトップである紅桜焫爾へと応援を要請した。
総帥よりも、異能王なんかよりもお目にかかれない存在を呼び出した連太郎に驚きを隠せない加奈は、仰け反りながら話す。
「んあ?だって、足音だけ聞くにざっと数千はいそうだし…それにパニクって怪我をしてる生徒もいる。相手の目的もわかってない」
「だけどね…」
相手の目的もわかってなくて、数が多いからって、真っ先にこの国の裏に要請しちゃう?
普通、警察に連絡をするのが優先なんじゃない?
連太郎のまさかの行動にドン引きの加奈は、少しだけ彼に対する好感を減らす。
「……それに、やべぇのが紛れてる」
「やばいの?」
「ああ…多分、この島ではオリヴィアしか勝てないのが2人…いや、片方は悠馬でも…いや、今の悠馬には無理か」
「なんでオリヴィアさん?それに、今の暁くんには何か制限でもあるの?」
オリヴィアの過去も、悠馬の緑内障も知らない加奈は、理解ができずに首を傾げる。
「ま、オリヴィアは強いんだよ。悠馬よりも。そして悠馬は、今病気にかかってて、フルパワーじゃ戦えない」
「濁すのね」
「それぞれのプライベートな話だから。流石にお友達の加奈ちんにも言えないよーん」
オリヴィアが戦神だということも、悠馬が緑内障だということも、言ってしまえば取り返しのつかないことになる。
言ってみたいな、言ったら面白そうだなー。などと思った連太郎だが、ここは心を鬼にして、言葉を濁す。
「へい、大丈夫か、1年生」
会話に夢中になっていると、泣きながら蹲っている1年生の男女ペアを見つけ、連太郎は声をかける。
「せ、先輩…!こいつらなんなんですか!」
「んー?テロ?なのかな?」
「テロ!?」
「もう帰りたいよぉ!」
安心して、明日の昼には帰れるから。
1年生の心情など知らない連太郎は、純粋に今日が合宿最後の夜だということから、明日の昼には帰れるよ。と励まそうとする。
そんな連太郎の肩を引っ叩いた加奈は、1年生に手を伸ばすと、優しい声をかけた。
「…私たちが来た道を走って宿舎まで逃げて。そうすれば、すぐに他の生徒や先生が見えてくるはずだから」
「は、はい…」
「わかりました…」
流石についていくよ。とは言わないが、来た道は連太郎が全部駆除しているし、安全だと言えるだろう。
自身の異能を使用して、そのことを把握している加奈は、1年生を立ち上がらせると、軽く背中を押して彼らを見送った。
「なに?加奈ちん」
「貴方ね…いきなりテロとか言ったら、あの子達だって余計パニックになるでしょ。少しは言い訳考えて落ち着かせなさいよ…」
「でも、先輩の誰かの異能って言ったら、調子に乗って触ろうとするじゃん?そしたら大惨事だし」
「それも…そうね…」
どちらにしろ、1年生には影響が出かねない話だ。
連太郎の言うことも一理あるため、強く言い返すことはできない。
「ところで加奈ちん、なんで俺についてくんの?」
「…それは…」
いくら肝試しのお化け役としてペアになったからと言えど、この緊急事態において、そのペアが有効なんてわけがない。
もともと1人で動く予定だったはずの連太郎は、中々離れてくれない加奈を不思議そうに見る。
「怖いならあの1年生たちと戻りなよ」
彼女になにも強いることのない連太郎は、そう告げるとトボトボと歩き始め、そして近づいてくる足音を聞いて、溜息を吐いた。
「なに?俺が何か問題を起こすとでも?」
「違う。1人にさせるのは不安だから…」
顔を真っ赤に染めて、彼女の加速する心音が耳に伝わってくる。
恥じらうようにして服を掴む彼女の姿は、連太郎をドキッとさせるには十分すぎた。
何しろ連太郎は、風呂で話した通り加奈が気になっている。
危うく鼻血を吹き出して気絶しそうなほどの衝撃を受けた連太郎は、なるべくいつもと同じ表情で、作り笑いを浮かべた。
「う、嬉しいなぁ…俺のこと、そんなに思ってくれたの?好きなの?惚れたの?」
「…こっちは真剣に心配してるの!1人にして、貴方が死んだらこっちの気分まで悪くなるじゃない!」
連太郎がいくら裏の人間といえど、それ以外は、普通の人間と変わりはしない。
なにを食べれば死ぬのか、どこを攻撃されれば死ぬのか、なんてのは、誰だって同じなのだから。
だから加奈が、連太郎を周りと同じように心配するのは当然のことであって、そして連太郎にとっては、意外なものだった。
今までかけられたことのなかった言葉。
自分には無縁だと思っていた言葉を、気になっている人からかけられた連太郎は、微笑みながら加奈の頭を撫でた。
「心配してくれたんだ。ありがとう」
「っ…こっちの気分が悪くなるからよ…」
そう。こっちの気分が悪くなるから言ってるだけ。
自分の気持ちに素直になれない加奈は、自身が何を言ったのか脳内で想像し、再び顔を赤面させた。
***
死臭の立ち込める海辺沿いを、2人の男女は無言のまま歩く。
いつもは磯臭いと感じる海の匂いが、今日この瞬間だけは、死臭を紛らわしてくれる、心地の良い風だと感じさせてくれる。
それは学生としての平穏が、普通の人間としての生活が、徐々に遠のいていくようにも感じた。
ここは悠馬や八神、連太郎に朱理などがいる場所とは、真逆の位置。
つまり、肝試しの正規ルートで行くと、折り返し地点を過ぎた、スタート地点よりもゴール地点が近い場所ということになる。
「…桜庭さんは…この臭い大丈夫なのか?」
ほんの少しだけ前を歩く少女、桜庭愛菜に対して問いかけるのは、残念系イケメンの、早乙女修斗だ。
いつものような口からデマカセや、冗談を言う余裕のない彼は、吐き気を催す死臭が鼻に入り、口元を押さえながらマナを見る。
「ええ。私は慣れているから」
何食わぬ顔で歩いている彼女の姿は、今日のお昼ごろ、フィールドワークを回った時と何ら変わらない。
普通、こんな状況に陥ってしまえば、早乙女のような不安や恐怖を隠せないのが普通だろう。
異常なまでに落ち着いているマナを見る早乙女は、彼女に何かあるのではないかと、違和感を感じる。
「慣れる、って?」
「文字通り、この臭さに慣れてるってこと。貴方の方は大丈夫なの?さっきから、顔色が悪いけど」
裏では、腐った人の死体を見ることなんて、よくあった。
例えば、以前からマークしていた犯罪者のアジトへと乗り込んだ時、そこは既に何者かの奇襲を受けていて、転がっているのは数日前から放置されている死体。とか。
決して慣れるものではないが、この臭いで吐き気すら感じなくなっているマナは、表の人間である早乙女の質問の意図を汲みきれずに、質問で返す。
「俺は…残念だけど、この臭いはちょっと…」
慣れるとか、そう言う次元の臭さじゃない。
もともと嫌いな磯臭さを心地いい、いい匂いだと錯覚してしまうほどの香りに、すぐに順応するなんてことはまず無理だろう。
「そう。安心して。貴方がゲロを撒き散らしても、他人に言いふらしたりしないから」
「そ、それはありがとう?」
そんな心配していなかったが、とりあえず感謝しておこう。
マナが早乙女の気を紛らわすために発言した冗談だったが、彼女は表に来てから、まだまだ日が浅い。
連太郎ほど上手に相手を励ませないマナは、自分の語彙力の乏しさ、そして面白さの欠如に、歯がゆい思いをする。
どうすればうまく相手と話せるんだろうか?
どうすれば、こう言う時に相手を笑わせることが出来るんだろうか?
その方法を、マナはまだ知らない。
「っ!桜庭さん!」
マナが考え事をしていると、早乙女の声が耳にり、顔を上げる。
顔を上げた先には、急接近する亡骸の姿があった。
早い。
さっきまでの亡骸とは全く違うキレで動くソレは、意識を内面に集中させていたマナを目掛けて、一直線に近づいてくる。
毒は効かなかった。
当然のことだが、死んでいる人間に毒ガスを吸わせようが、体全身が痛む毒を浴びせようが、死んでいるのだから、痛覚なんて存在しない。
マナの異能と操り人形の死人というのは、相性的には最悪だったものの、幸いなことに、マナには裏で培った暗殺術、そして近接格闘術があった。
だから毒の異能が通用しないという状態にもかかわらず、いつものように安心できていたのだ。
しかし今は違う。
集中力を切らしてしまったマナは、近づいてくる亡骸に対して反応が遅れ、顔を殴られる。
「っ!」
動きとしては、高校生が喧嘩で相手を殴っているような、とても洗練されたとは思えないほどの拳だ。
もし仮にこれが本物の軍人の拳だったのなら、今の一撃で殺されていたかもしれない。
そんなことを考えるマナだったが、決して痛くないわけじゃなく、頬を抑える。
完全に油断した。
旧日本支部軍の軍衣に身を包んだ人物の拳を受けたマナは、その人物を軽く睨みつけると、蹴りを入れる。
体制を低くして、相手の重心がかかっているであろう箇所に、ピンポイントで蹴りを入れる。
そうすれば、いくら痛覚のない亡骸であっても体制は崩れるし、体制が崩れれば、後は首の骨を折れば終わる。
亡骸は首を切断、もしくはへし折ると、行動が止まることをマナは確認していた。
一連の動作を手慣れた様子で繰り出したマナは、直後バキッと、何か硬い物に当たった音と、自身の足に響いた鈍い痛みに、顔を歪めだ。
「うぅ〜…」
相手の足が硬すぎる。
硬化系の異能だろうか?
さっきまでの亡骸は、動きも鈍くて異能も使えない、単調な雑魚でしかなかったが、どうやら今目の前にいる亡骸は、違うようだ。
明らかに状態のいい亡骸を見たマナは、続けざまに繰り出される蹴りを転がり回避し、足を抑えた。
綺麗だったはずの足は真っ赤に腫れ上がり、内出血を起こしている。
自分が蹴りに力を入れたから仕方のないことだが、間違いなくヒビは入っているだろう。
「うおおおお!離れろっ!」
これからどうするべきか。
足に怪我を負ったマナがそう考えようとした矢先、マナの背後から飛び出した黒髪の男子、早乙女修斗は、右手を伸ばしながら異能を発動させた。
亡骸はマナに集中していたため、行動が一歩遅れはしたものの、早乙女の手を受け止めようとして、左手を伸ばした。
そうして発動する、早乙女の異能。
元々腐食していた亡骸の肉体は、見る見るうちに腐り果てていき、そしてさっきまでの亡骸よりもずっと、悪い状態になっていく。
その臭さといったら、マナでも表情を歪めるもので、そしてその腐食の光景は、見るものに強いトラウマを与えた。
元々死んでいて、腐りかけの人間にさらに腐食という異能をかけたのだ。
その光景は、人間の想像を絶し、少年少女の心に、強い恐怖心を植え付ける。
早乙女が触れた左手から、朽ち果てていく亡骸。
辺りにはすぐにハエが群がり、この肉体の状態がどれだけ悪いのか、そして臭いのかは、容易に想像できる。
「さお…とめ…」
早乙女の勇姿を目にしていたマナは、塵と化していく亡骸を見送り、口元を抑えた早乙女へと視線を戻した。
「うぷ…おぇぇぇ…」
早乙女は吐瀉物を撒き散らす。
初めて人に向かって腐食を発動させてしまった。
例えそれが死人で、亡骸なのだとしても、今目の前に広がっている光景は、彼の罪悪感を苛ませるには十分すぎるものだった。




