混沌とした記憶の中で
なんで?どうして?いや、わかってる。
わかってるんだ。
だけど理解はしたくない。脳がそれを全力で拒んでいるのがわかる。
4年前、新博多で起きたテロで、悠馬の弟である暁悠人は、確かに死んだ。
死んだはずだったんだ。
ならばこの場に、いま目の前にいる男は一体、何者なんだ?誰なんだ?
エミリーのこと、アメリカ支部兵のことを思い出す悠馬は、怒りや憎悪といった感情を増長させ、真っ黒な瞳で手を震わせる。
今目の前に立っている暁悠人は、悠馬の知っている暁悠人ではない。
4年前から全く成長していない彼を睨む悠馬は、神器を軽く振ると、深い溜息を吐いた。
「……今の俺の気持ちがわかるか?キング」
「はぁ?わかるわけねえだろ」
今まで感じた不快感の中でも、断トツで不快になった瞬間は、今日この日以外あり得ないだろう。
それは悪羅に復讐を誓ったあの日なんかよりも、悪羅と再会した去年の異能祭なんかよりも、はるかに気分が悪いものだ。
何しろ自分の弟の死体が犯罪行為に使われているのだ。
それは兄として、家族として許せないことだろう。
「最悪の気分だよ…この世界をまるごと破壊したいくらい最悪の気分だ」
驚きや怒りを通り越して、すぐに感情は何も湧かなくなった。
ただあるのは、おかしくなるくらい冷静な自分の脳内と、目の前にいるゴミが1つ。
感動の再会を喜ばない、喜べない悠馬は、光のない真っ黒な瞳を細めると、鳴神を発動させる。
黄金色の雷が体外へ迸り、そして体内へと収束していく。
「アダム、アルカンジュ。逃げろ」
「え?俺まだ…」
「悠人の異能は厄介なんだ…それにこれはオレの問題だ。俺1人でやらせてくれ」
「アダムくん…」
悠馬の色のない瞳を見たアルカンジュは、これから起こることを、そして何をしようとしているのかを察したのだろう。
察しの悪いアダムの手を引いた彼女は、有無を言わせずに山を降り始めた。
「ねぇ、キング、あの孤児の人たちは良かったの?」
「あ?アイツらはすぐに片付けれるから良いんだよ。それよりも、今はコイツだろ」
2対1という、数的不利を自ら作り出した悠馬。
光のない真っ黒な瞳で、神器を地面に突き刺したその姿は、どこか気の抜けたような、敵意すら感じられないものだった。
フェスタでの怨み、そして恥をかいたキングは、アダムたちなんかよりも、ずっと記憶に新しい悠馬を見つけて、かなり嬉しそうだ。
風化された記憶なんかよりも、今記憶に残っている、怒りが収まっていない対象を見つけられて嬉しいのだろう。
「じゃ、やろうか?兄ちゃん…俺」
開幕の狼煙というべきなのか、悠馬に戦いを始めようと申し出た悠人は、横に突然現れた影に慌てて振り向く。
「ぐっ…」
悠人の横に立っていたキングは、突然迫ってきた人物の攻撃をくらい、数メートル吹き飛んだ。
「……お前らの異能はもう知ってるんだよ」
さっきまで敵意すらむき出しにしていなかった悠馬は、気づけば悠人の横に立ち、キングの指先を斬り落としていた。
「……飛んだ人格破綻者だ」
「結界クラミツハ」
その悠馬の姿は、弟である悠人ですら見ることのなかった、4年間の成れの果て。
今目の前に立っている男は、悠人が知っている優しいお兄ちゃんなんかじゃなくて、狂い果てた人格破綻者なのだと、改めて実感させられる一撃だった。
「でも、兄ちゃんは俺の異能を知ってるだろ?」
「掌握」
悠人の質問に対し、即答する。
彼の異能は掌握と言って、相手の異能を認識することによって、異能を発動させれなくするという異能だ。
加えて言うなら、相手の性格や行動を掌握することによって、自由自在に操ることや、動きを停止させることも可能。
そんな優れた能力だが、逆に言えば掌握されなければ無能力者も同然。
悠人そっちのけでキングへと攻撃を仕掛ける悠馬は、あることを考えていた。
何も感じない自分が心底嫌になる。なぜ何も感じないのか、それが闇堕ちが原因なのか、それとも元々自分がこう言う人間だったのかももう、わからなくなってしまった。
大切だったはずの家族。漫画や小説の主人公はきっと、こんな風に悲劇の再会を果たしたら、戦えなくなるんだろう。
大切な家族を傷つけたくない、何か救える手段があるはずだって、きっと試行錯誤して、そして仲間からの攻撃をかばったりして…元の関係に戻っていく。
でも悠馬には、そんなことできない。
「俺は主人公にはなれない」
闇堕ちで人殺しで、今だって、ほら。
こうして家族だったはずの存在を自分の手で消し去ろうとしている。
冷静に、いつもしてきたことのようにキングを追い詰める悠馬は、悠人が近づいてしたところで上段斬りをする。
「くっ…酷いなぁ兄ちゃん…いや、裏切り者…」
「っ…」
「自分だけのうのうと生き延びて、再会したらいきなり殺そうとする…あり得ないだろ…死んだ俺たちの気持ち、考えたことある?」
「黙れ!」
ただ1つ、何も感じない自分にも、わかることがあった。
悠馬はきっと、彼の…弟の話を聞けば、簡単に靡いてしまう。
いくら彼が死んでいると言えど、今目の前に立って会話をしているのは、紛れも無い、自身の弟なのだから。
だから会話を続ければ、きっと…
例えそれが間違いなのだと、もう死んでいる人だとわかっていても、悠人について行ってしまうと思うから。
そう考えると、恐怖や不安、悲しみといった感情が込み上げてきた。
今まで家族と過ごしてきた日々が脳裏に過ぎり、共に笑いあった幸せな日々がフラッシュバックする。
「セラフ化…」
自分の気が変わらないうちに、寝返らないうちに、決着をつける必要がある。
茶色の髪が真っ白な髪へと変容し、そして真っ黒だった瞳は、綺麗な翠色へと変容する。
瞳から涙をこぼす悠馬は、歯を食いしばりながら叫び声をあげた。
***
「はぁっ…はぁっ…」
オリヴィアは無我夢中で走る。
それは過去の記憶を振り切るために、過去の恐怖から逃げるために。
必死の形相で山を下るオリヴィアは、木の根に足を躓かせ、派手な音を立てて前へと転ぶ。
「っ…誰か…助けてくれ…私を助けてくれ!」
ここから逃げないと、過去が迫ってくる。
あんな恐怖もうゴメンだ。嫌だ。
ようやく人並みの幸せを手にしたはずのオリヴィアは、その幸せが脅かされ、パニックに陥っていた。
おそらく、この場で彼女が戦えば、事態は早々に鎮火する。
しかしそれがわかっていないオリヴィアは、ポロポロと涙をこぼしながら、その場に蹲った。
「私は誰も殺してない…仲間は誰も死んで無い…私は戦神じゃない!私は…私は!」
気休め程度の現実逃避を行うオリヴィアは、近づいてくる白髪の少年に反応することができなかった。
「オリヴィア!?お前、こんな所で…いや、今はそれよりも…緊急事態だ!お前の力が必要だ!」
「や…がみ…」
この島で唯一、オリヴィアの過去、そして精神状態を知っている八神。
そんな彼が現れたと知ったオリヴィアは、大粒の涙を流しながら、八神へとしがみついた。
「助けてくれ!アメリカ支部の…4年前の…私は殺してない!みんな死んでない!」
「落ち着けよ!」
オリヴィアが何を話しているのか、何を伝えたいのか、八神には分からなかった。
精神が不安定なオリヴィアの話は、色々と混濁していて、何が伝えたいのか一切わからない。
しがみつくオリヴィアの肩を掴んだ八神は、彼女の両頬を手で掴むと、綺麗な蒼色の瞳をじっと見つめる。
「残念だけど、俺はヒーローじゃない。お前を救うことはできないし、正直今は、それどころじゃない」
悠馬とオリヴィアの間に現れた死んだはずのアメリカ兵たち。
各所では、それと似た光景が広がっていて、正直首が回らない。
特に、力がある悠馬とオリヴィアのペアの助力なんてしている暇がない八神は、彼女の救いの声になど耳を貸さず、手を離す。
「オリヴィア。お前は何か勘違いしてる」
「勘違い…?」
「…戦争になったら、人を殺すことは悪じゃない」
「っ…そんなはず…!」
「お前は多くの人を救ったんだ。戦神として」
「多くの人を殺したの間違いだ!私は…私は!」
「…俺はお前に救われた。…俺が生きてるのは、お前があの日、俺の前に降り立ってくれたからだ…」
「な…にを…」
訳がわからないと言いたげな表情を浮かべるオリヴィアを見た八神は、自嘲気味に笑ってみせる。
オリヴィアにとっては、八神のことなんて記憶に残らない程度の、救った記憶なんて残らない程度の認識だったんだろう。
薄々わかっていた。
きっと彼女は、多くを殺し、多くを救ったが、その過程で罵られること、恐れられることはあっても、感謝されることがなかった。
「…オリヴィア。俺はあの日、確かに戦神に救われたんだ。だからあまり、自分を責めないでくれ」
「そんなの…無理だ…」
オリヴィアは崩れ落ちるようにして、そう囁いた。
彼女を救うことは多分できない。
時間もないし、正直時間を割いている余裕がない。
崩れたオリヴィアを見下ろした八神は、彼女がそれ以上、何も言わないと判断し、走り始める。
「待ってろよ…國下」
八神は自分が今最も守りたい人の元へと、最短距離で駆け抜ける。
***
悲鳴や木々の倒れる音、様々な異能を発動させる音が響き渡り、混沌とした無人島。
そんな中で、黒髪の少女はいつもと変わらぬ表情で、周囲の状況を認識していた。
「美月さん、大丈夫ですか?」
「え?うん…一応慣れてきた…」
彼女たちの周りの地面には夥しい数の亡骸が散乱し、強烈な死臭を漂わせていた。
おそらく、こんな空間の空気を吸えば、僅か数秒で嘔吐してしまう人が大半だろう。
何食わぬ顔をしている朱理と、落ち着いている様子の美月は、蠢くヤツらを見つめながら、深い溜息を吐いた。
「情報、聞き出せないね」
「はい…動きは単調で倒しやすいんですが、腐敗が進んでいるからか受け応えが…」
朱理と美月は、相手が死んでいると知るとすぐに攻撃を仕掛けた。
しかしながら、問いかけに応じる者はいなかった。
倒し続けた結果、夥しい数の亡骸が転がっている空間で、2人は顔を見合わせ溜息を吐いた。
何が楽しくて、女2人でゾンビを狩りまくっているんだろうか?
何の意味もない、ただの作業と化した現状に呆れる美月は、続いて現れた、哀れな子羊を発見する。
「みみみ見ーつけたぁ…」
「…言葉を…」
「喋った」
まだ位置が遠くて様子までは伺えないが、間違いなくさっきまで倒していた人物たちと同質の存在。
しかしながら言語を話すことのできた存在に、ちょっとした違和感と不安を抱いた美月は、木の陰から出てきた人物を見て驚愕した。
肌の色は腐ったような色をしていて、目玉は片方飛び出ている。
しかしながら、着ている制服や、その容姿を目に焼き付けていた美月は、それが誰なのかをすぐに察した。
「さくら…?」
それは1年前、美月を虐めていた、入学試験で悠馬によって落とされた少女の成れの果てだった。
驚きのあまり尻もちをついた美月は、震える手を背後に隠し、叫び声をあげる。
「なんで!」
行方不明になったはずの桜との再会。
何故ここにいるのか、などということは、考えなくてもわかる。
彼女も周りの亡骸と同じく、死んでいるのだということくらい、見た目でわかってしまう。
過去のことを思い出し、もうないはずの傷の跡を抑える美月は、苦しそうな表情で顔をしかめた。
「あら…桜と言えば…美月さんのお話の…」
12月のクリスマスで美月の過去を知った朱理は、現在相対している人物が何者なのか知り、口元を隠して歪んだ笑みを浮かべた。
「ちょうどいい機会ですね」
異能のレベルというのは、どうやったら上がるものなのだろうか?
その話に関しては、異能が発現した時代から、今の今まで、長らく議論されてきた問題だ。
結論から言うと、人間の異能のレベルというのは、上がりはする。ということしかわかっていない。
つまり生まれ持ったレベルが9だったとしても、連太郎のように10に近いレベルに到達することが可能なのだ。
そして朱理は、ある見解を持っていた。
人のレベルは、そう簡単には上がらない。
異能島に通う、エリートたちですらレベルが上がっていないのだから、そのことに関しては、語らずともわかるだろう。
ならばどうやって、レベルは上がるのか。
確かに異能島の学生たちは、他の学生たちと比べ物にならないほどの経験値を手に入れている。
問題は経験値だけじゃないのだ。
その経験値を昇華させるだけの試練を、生徒たちは手にしていない。
要するに、わかりやすいピンチに陥っていないのだ。
いつだって人間のレベルが飛躍的に上昇するのは、戦争の時だと相場が決まっている。
それはわかりやすいピンチに陥って、経験値を昇華させたのだ。
そして今が、そのわかりやすいピンチだ。
おそらく経験値的には10に到達しているであろう美月を昇華させるのに必要なのは、過去のトラウマ。
この助けの来ない無人島には、現在面白いほどピンチが転がっている。
ここで美月のレベルを上げてみよう。
自分の導き出した見解が気になる朱理は、そっと一歩後ずさって、美月の背中を押した。




