その悲劇は始まりに
木々が騒めく音と、色々な所から聞こえてくる悲鳴。
至る所から戦闘音が響いてくる中、茶髪の少年、悠馬は周囲を警戒していた。
「また阿保が暴れ始めたのか?」
去年のように、どこかのバカが暴れ始めたのだろうか?
そんなことを考える悠馬は、不安そうに周囲を見渡すオリヴィアの手を握りしめ、下山を始めようとしていた。
オリヴィアの実力は知らないが、ポンコツなところを鑑みるに、戦闘向きではないのだろう。
実際は悠馬よりも数十倍強いし、下手をすると異能王クラスの実力者である戦神なのだが、それを知らない悠馬は、彼女を安全なところに避難させるのが最優先だと考えている。
幸いなことに、山の上に悠馬の恋人たちはいない。
つまり、オリヴィアを安全な場所に避難させると同時に、彼女たちと合流して全員を安全な場所に連れていけるのだ。
確実で安全なプラン。
「悠馬…これは…」
「ん、大丈夫だよ、去年もこんなことあったから…バカが騒いで、これから退学になるって言うイベントだ」
不安そうなオリヴィアをなだめるために、ちょっとした冗談を交えて話す。
これで落ち着いてくれるといいんだけど…
そんなことを願っていると、オリヴィアは一瞬だけ、クスリと笑った。
どうやらちょっとはウケたようだ。
しかし悠馬の余裕も、冗談も、そこで終わりを迎えることとなった。
一瞬だけ強い腐乱臭が鼻の中を突き抜け、悠馬は眉間に皺を寄せ、吐き気を堪える。
「……アメリカ兵?」
風の吹いた方向を見た悠馬は、そこでノソノソと動き回りながらこちらを伺う、死人のようなアメリカ支部兵の存在に気づいた。
そしてオリヴィアは硬直した。
「あ…あ…」
その悲劇は4年前のあの日に。
今、オリヴィアの目の前に立っているアメリカ支部兵の装備は、4年前のものであって、更に事細かに言うのなら、それは第5次世界大戦で使用された装備だった。
その装備を現在も使っている部隊は、アメリカ支部のどこを探したって、世界のどこを探したってないはず。
分厚い雲から顔を覗かせた月明かりで、徐々に露わになってくる旧装備に身を包んだ人物たち。
「いや…嫌…!」
そんなわけ…そんなはずない。
身の毛もよだつような、夢でも見ているような感覚に囚われたオリヴィアは、悠馬から手を離すと、無我夢中で走り始めていた。
「オリヴィア!」
あり得ない。あり得るはずがない。
だって、今目の前に立っていた人物たちは、あの日、あの時確かに死線を共にし、そして朽ちていった仲間たちだ。
死んだはずの人間、オリヴィアが戦神として、ずっと気に病んできて、そして重荷になった人間たちの姿がそこにはあった。
それを見た時点で、オリヴィアはパニックだ。
もともと精神状態が限界に近く、こんなところまで逃げてきて任務を怠っていたというのに、そんな彼女がいきなり見るには、あまりにも刺激の強い光景だった。
悠馬の声など耳に入らないオリヴィアは、その場から転げ落ちるようにして姿を消した。
「チッ…追いたい所だが…そうはさせてくれねえよな」
逃げるオリヴィアを追いかけたい所だが、どうやらそうはさせてくれないらしい。
ゾロゾロと近づいてくるアメリカ支部兵たちを見て舌打ちをした悠馬は、炎を纏いながら攻撃を始める。
「悪いがこの人数の軍人を相手に手加減はできねえからな」
アメリカ支部の軍人の強さを知っている悠馬は、最初から手加減などしない。
以前のバースの実力から見るに、舐めてかかれば返り討ちに合う可能性だってあるだろう。
「ムスプルヘイム」
山の中で、周囲一帯に火を放つ。
それは山の中を昼間のような明るさに変えると同時に、アメリカ支部兵を一瞬にして炎の渦に巻き込み、木々を焼き払う。
「…」
燃え盛る炎がうねり、炎の燃える音が周囲に響く。
並大抵の人間なら、いや、普通の人間なら、こんな炎の渦に飲み込まれてしまえば悲鳴を上げている頃だろう。
しかし悠馬が放ったムスプルヘイムの中に、悲鳴をあげる軍人は誰1人としていなかった。
まるで何事もなかったかのように、平然と歩いているような影だけが、炎の中に映る。
何かがおかしい。
ここにいる全員が炎系の異能持ちだとは思えなかった悠馬は、おもむろに口を開く。
「おい、お前らバースって知ってるか?」
アイツだって、腐っても副隊長だ。
悠馬がバースのことを知ってるとなると、何かを聞き出そうとしてくるはずだし、反応するに違いない。
行方不明になったはずの副隊長の名を告げた悠馬は、アメリカ兵たちの反応を見て、深いため息を吐いた。
無反応だった。
「操られてるのか?」
おそらく上司であろう副隊長の名を出されても反応を見せず、そしてレベル10異能力者のムスプルヘイムを喰らっても、悲鳴1つ上げずに動き回る。
それはまるで、誰かに操られていて、自分たちに痛覚や意識がないように見えた。
ポツポツとムスプルヘイムの炎を抜けて、焼け焦げたアメリカ兵たちが悠馬の近くへと出てくる。
その姿を見た瞬間、息を呑んだ。
彼らはムスプルヘイムという超高温の中、燃え盛る炎の中を突き進んでいたからか、人によっては目玉まで失い、人によっては腕の肉が完全に焼け、骨が見えていた。
「っ…?!まさかこいつら」
兵士たちの服を見た悠馬は、仰け反ると同時に、険しい顔で周囲を確認する。
こいつらはおそらく、死んでいる。
悠馬が異能を放つずっと前から死んでたんだ。
焼き爛れた皮膚の隙間から見えてくる蛆や、そして悠馬が放ったムスプルヘイムでは負わないはずの大怪我。
腹部に穴が空いていたり、眉間に弾丸の跡があったりと、それは絶命していなければおかしいレベルの大怪我だ。
「死人を操る異能か?」
そう考えると、なぜ声を上げないのか、なぜ反応を見せないのか、なぜ致命傷を受けても動けるのかの説明もつく。
きっとこの異能の使用者は、とんでもないクソ野郎だということも分かった。
死者が永遠の眠りについてなお、その身体を動かし続けるのは、死んだ人々への冒涜だ。
特になんの意思もなく、自分の都合だけで動かす死人なんていうのは、冒涜の中でもトップクラスに胸糞悪い、社会のゴミのする行動だ。
さすがの悪羅でも、死者を操って自分の持ち駒にするなんてことはない。
自分の願い、祈りなんて関係なく動かされるアメリカ支部兵の亡骸を見つめる悠馬は、同情と哀れみを感じながら、何もない空間に手を伸ばすとクラミツハを呼び出す。
「…せめて、死んだ後に犯罪者にならないよう、すぐに楽にさせるから」
こんな望んでもない事態で犯罪者になるのは、きっと死んでいる彼らにとっても御免だろう。
犯罪者の烙印が押される前に、彼らの動きを止めると決めた悠馬は、神器を鞘から引き抜き、銀色の刀身を月夜に反射させる。
彼の瞳は冷たく、冷静なものだった。
なんの迷いもなく、兵士たちの首を切り落とす。
ムスプルヘイムを放って分かったことだが、彼らは生半可な火力や攻撃じゃ止まってくれない。
肉を裂く感覚と、強い腐敗臭。
不快な感覚を覚える悠馬は、目を細めながら、息を止めた。
「胸糞悪いな…」
いくら死人といえど、人を手にかけているのには変わりないし、気分がいいなんて思うはずがない。
何が目的なのかはわからないが、こんな非人道的な行為をする奴がボスなら、ろくなことはしでかさないだろう。
「さて、オリヴィアを追うか…」
女子なら誰でもパニックになるであろう展開に逃げ出したと考えている悠馬は、首を切り落としてから動く気配のないアメリカ兵たちを横目に、山を下ろうとする。
悠馬が下山を始めようとするとすぐに、目の前には白髪の女が立っていた。
「…誰だ?お前」
道を塞ぐようにして、悠馬に背を向けて立っている女の姿。
さっきのアメリカ兵を操っていたボスなのか?
様々な憶測を立てる悠馬は、少なくとも2年の中にこんな容姿の奴がいなかったことだけ把握しているため、敵意を剥き出しにする。
「あか…つき…」
聞き覚えのある声。
数ヶ月前、耳障りな調子に乗った声を聞いていた悠馬は、それが誰だったのかを必死に考え、そして振り返った人物を見て立ち止まった。
「……お前、エミリーなのか?」
それはフェスタの前夜祭で初めて出会った、アメリカ支部の代表選手。
決していい思い出とは言えないだろうが、強い印象を受けたのは確かだ。
清々しいほどのクソ野郎で、あのキングの彼女。
窶れたその顔を見た悠馬は、構えた神器を下ろすと、疑問を口にした。
「私…は…エミリー…」
途切れ途切れながらも話すエミリーは、勝手に動こうとする右手を強引に押さえつけながら歩みを止める。
「…死んでるんだよな」
アメリカ支部の飛行機事故で、偶然生き残るなんてことはないだろう。
さっきまで戦っていたアメリカ支部兵の亡骸と同じく、きっとエミリーも、すでに生命活動は停止しているはずだ。
「うん…殺された…」
「……このクソみてえな異能を使ってるのは、誰だ?」
理由はともかく、エミリーは会話を行うことができる。
そのことを知った悠馬は、自身の意思で命令に抗おうとしている彼女に向けて問いかけた。
「わからない…光ってて…誰かわからないの…」
「そうか」
「お願い…あか…つき…私を殺して…私が…私のままで…いられるうちに…」
悠馬と会話を交わすエミリーの瞳からは、涙が出て溢れていた。
それが死のせいで勝手に流れるものなのか、それとも人として、自分の意思で涙を流したのかはわからないが、それでも彼女は、確かに泣いていた。
その原因は、言うまでもなくわかるだろう。
きっとエミリーも、時間が経てばあのアメリカ支部の軍人たちのように、物言わぬ兵士として都合のいいようにこき使われ、そして死後も汚名を着せられるのだ。
「……遺言は」
「ありが…とう…ごめんなさい」
彼女はすでに死んでいる。
だから今から彼女の首を切るのは、彼女の願いだあって、別に悠馬が気に病む必要はない。
だけど、どうしても考えてしまう。
フェスタでどれだけの悪印象を植え付けられようが、彼女だって1人の人間として、生を全うしてきた。
そんな彼女がこんな所で、こんな最悪の幕引きで人生を終えるのが、果たしていいことなのだろうか?
悠馬にはそれがわからない。
いや、わかりたくない。
ただ、1つだけ断言できることがある。
「…お前をこんな目に合わせた奴は…俺が殺すから」
人の死を冒涜する奴に、生きる価値はない。
例えそれが復讐だったのだとしても、だ。
自分がよく知っている分野、よくわかっているからこそ、こんなにも腹の奥で何かが渦巻き、気分が悪くなる。
最悪の気分だ。
涙を流すエミリーの首を薙いだ悠馬は、最後に彼女の口がありがとう。と呟いたのを目にする。
これからやることは決まった。
オリヴィアを探しつつ、この異能の使用者を発見して殺す。
指先一本ずつ斬り落として、歯を一本ずつへし折って、ジワジワと痛めつけて殺してやろう。
自分のやることを決めた悠馬がゆっくりと振り返ると、そこには駆ける2人の姿が目に入る。
「アダム…アルカンジュ…」
何かから逃げるようにして、そして何かの攻撃を擬似聖剣で防ぎながら、アダムは悠馬の方を見た。
「悠馬!悪い!ちょっと手伝ってくれ!」
「…そっちもそっちで大変そうだな」
結界使用時のみレベル10のアダムが逃げているということは、相手もそれなりの実力者なのだろう。
最初から躊躇う気などなく、ただただ不機嫌な悠馬は、遠くに見えたアダムの姿を追う影に向かって、雷の槍を放つ。
それは人の目には見えない速さで山の中を突き抜け、落雷のような轟音と共に、アダムに迫る影へと突き刺さる。
「痛えなぁ…暁ぃ!お前もこの島にいたのか!ははは!お前らほんと、運命なんじゃねぇか!」
突き抜けた雷のダメージなど見せずに、面白おかしく笑ってみせる白髪の男。
悠馬はその人物の容姿、オーラ、発言を聞いて、目を細めた。
「お前は生きてるんだな。キング」
エミリーとは全く違う、人の気配というか、生きている人間の気配を感じる。
愉快そうなキングへと神器を向けた悠馬は、もう1つ降り立った影を睨みつける。
「やっぱ、家族だからなのかな」
「……なに?」
何を言いたいのか、言葉の意図が全く理解できない悠馬は、ローブ姿のもう1人の人物をじっと見つめた。
その悲劇は始まりに。
ローブへと手をかけた人物が、身に纏っていた布を全て取っ払うと同時に露わになった表情に、悠馬は目を見開いた。
それは4年前、全てが狂ったあの日に失った大切な家族の姿。
もうこの世にはいるはずのない、大切な弟の姿。
「よっ、久しぶりだね。兄ちゃん」
「ゆ…うと…」




