黒の王
継ぎ接ぎだらけの女が、夕夏に向けてトドメを刺そうとした瞬間。
目を瞑り、全てを諦めていた夕夏は、継ぎ接ぎだらけの女が自身の頭に乗せていた足を退けたことにより、ゆっくりと、恐る恐る目を開いた。
直後、ドゴォン!という、まるでコンテナが倒れたような音がして、ビクッと震える。
目を開いた先には、先ほどまで夕夏の頭を踏んづけていた継ぎ接ぎだらけの女が、コンテナが凹むほどの威力で叩きつけられ、深くめり込んでいた。
どうして?何が起こったの?
何が起きてこのような状況になったのかわからない。全くの理解不能に陥った夕夏は、目をパチパチとしながら、優しく身体に触れてきた何者かに、ビクッと反応した。
「ごめん、美哉坂。少し遅れた」
「どうして…」
気絶している男子生徒をゆっくりの寝かせ、自身を抱き抱えてくれた人物の顔を見た夕夏は、彼の服の袖をギュッと握りながら、涙を流していた。
どうして?私、昨日あれだけ酷いことを言ったのに…君はどうして私を助けてくれるの?
***
時は遡り、10分ほど前。
美月と連絡を取り合っていた悠馬は、理事会側の裏切り者を見つけ出したとの話を聞き、少し上機嫌だった。
送られてきた画像は、音楽家のような髪型をした男だ。いや、今はそんなことはどうでもいい。
有名な医者だったと書いてあることから、恐らく結界を生きたまま破棄する研究なんかをしていたのだろう。
勝手にそう結びつけた悠馬は、続けて鳴り響いた着信音を聞いて、携帯端末ではなくスマホを取り出した。
「連太郎、動きがあったのか?」
「悪い!さっきまで風呂入っててよぉ、気づいたら美哉坂ちん、第四区の貨物倉庫の中にいるんだけど!」
「使えねぇ奴だな…!」
業務的ではなく、学校で過ごしているような軽いノリで話を進める連太郎に、先ほどまでの上機嫌はどこにいったのかと聞きたくなるほど不機嫌になった悠馬は、慌てて立ち上がるとそのまま寮を出た。
「お前、あとでお仕置きだからな?」
「え?なにそれ酷くね?なんかブラック企業で働かされてる気分なんだけどぉ!」
「少し黙ってろ。あとお前も早く来い」
「え?なんでなんで?1人で大丈夫っしょ?」
確かに、わざわざ連絡を寄越してくれたやつにお仕置きは良くないよな。と心の中で思った悠馬は、車の通りもない道路を走りながら、通話を続ける。
「あ、もしかして闇は使いたくない感じ?でも雷は?お前得意だろ、雷。師匠直伝だもんな!」
「使うなって言われてんだよ!だから普通に走ってんだろ!」
軽いノリで話す連太郎に若干イライラしながら、声を荒げる悠馬。怒る悠馬の声を聞いて、連太郎は楽しそうに笑っている。
「あ!そういや、親父から伝言貰ってたんだ!お前の師匠から、使いたいときに使えってさ!」
「お前、あとで覚えとけよ?」
昨日の時点でその伝言も貰っていたのだろう。だが、連太郎はふざけた性格だからか、重要なことは後になってから口にする。
特に、そこまでピンチじゃない時は、数秒前になってから言うほどだ。
さっきはお仕置きは悪いな。と思った悠馬だったが、後出しをしてきた連太郎に限界が来たのか、怒った表情で通話を切ると、全身に雷を纏い、一気に加速した。
雷系統の異能の、最高位の技である鳴神。夕夏が使っていたのは悠馬の今使っている鳴神と全く同じものなのだが、彼女のものと比べると、速度もキレも全くの別物だ。
軽々しく寮の屋上に飛び乗ると、遠くに見えた貨物倉庫が、真っ赤に燃え上がる光景が目に入った。
「もう始まったか…!」
間に合ってくれ。心の中でそう叫んだ悠馬は、眩い雷を纏いながら、第四区の貨物倉庫へと向かった。
***
そして現在。
本当にギリギリだった。もし連太郎が師匠の伝言を伝えなかったら手遅れになっていたかも知れない。
やっぱりアイツは一回締めるべきだ。連太郎のふざけた行動に憤りを覚えた悠馬だったが、表情はいつものままだった。
怒っているというよりも、間に合って安心しているというような、そんな感じだ。
夕夏を優しく抱き抱え、胸元で涙を流す夕夏に視線を落とす。
「どうしてって、そりゃぁ…俺、美哉坂のこと好きだからさ」
好きという表現があっているのかはわからない。
彼女と過ごす、家族のような温もりが好きだ。彼女の作る料理が好きだ。
だから助けたいと思った。だからここまで来た。
恋愛感情ではない気持ちを抱いて微笑みかけた悠馬を見た夕夏は、涙を流しながら顔を真っ赤にして、悠馬に抱きついた。
「バカっ!暁くんのレベルじゃどうにもならないよ!」
嬉しい気持ちもあるのだろうが、それ以上に不安もあった。夕夏は、自分が助けられたという安心感と、彼の好きという発言を聞いて心臓が飛び出しそうな、締め付けられるような感覚になったが、自己紹介の時の悠馬のレベルを思い出し、この場から逃げることを推奨する。
「心配ありがとう、でも大丈夫だよ」
悠馬がそう告げて、夕夏を安全そうなコンテナの影へと運ぶ。そこに夕夏を置いた悠馬は、すぐに中学生を夕夏の横に並べ、ほんの少しだけ笑顔を向けて呟いた。
「俺、こう見えても結構強いから」
その一言だけ告げた悠馬は、ボロボロの継ぎ接ぎだらけの女と、それを庇うようにして立っている6人のローブを眺める。
「チッ、ドクターの報告にあった黒の王か」
「イレギュラーだ、ここは一旦撤退を…」
その声を聞いていた夕夏は、黒の王という単語を聞き逃さなかった。
コンテナから少しだけ顔を出し、ローブの人物たちと悠馬の様子を伺いながら頭を回転させる。
入学試験の実技試験。それには3チームの王が存在していた。私は白の王で、暁くんが黒の王だったってこと?
王のことなんて気にも留めていなかったし、詮索するつもりのなかった夕夏だったが、こんなにも身近に王がいたことに、驚きを隠せずにいた。
「ねぇ、逃げんなよ。お前らにもう逃げ場はないんだよ。ドクターって、あの売れない音楽家みたいな髪型した理事のことだろ?今頃もう捕まってるよ」
「っ!嘘をつくな!」
ありのままの事実を告げてあげた悠馬に対して、ローブの人物が、怒ったように悠馬の方を睨みつける。
「まぁ、嘘と思うんならそれでもいいんだけどさ?ちょっと質問してもいいかな?どうしても納得がいかないことがあって」
悠馬は自身の異能、氷で刀状のなにかを生成しながら、怒ったそぶりも見せずに質問をしようとする。勿論、相手からの返事など待たずに、だ。
「人から結界を奪うって、無理があるとは思わない?例え細胞を契約者と全く同じにしたって、契約自体は元となった人間のままなんだろ?それに、悪人との契約は全て破棄されるはず。なんで君らみたいな悪者が平然と結界を使えているのか、イマイチ納得できないくてさ」
悠馬の質問は、契約自体が生きているなら、向こうが神器を手にしていようが、善人である元の契約者が結界を使えるのでは?という疑問だった。
「でもまぁ、こういうのも考えた。もしかしてだけど、細胞を作り変える意外にも何かしてるんじゃないかって。例えば神器を身体のどこかに移植してる、とか?」
悠馬がそう告げると、ローブを着た人物たちは一歩後ずさり、それぞれ別方向へと逃げ始めた。
「ビンゴ!」
流石に血液から体細胞を作り変えたとしても、結界自体の契約は破棄されないというのは最初からわかっていた。いや、正確には悠馬は、自分自身の契約神と話をしていた。
だからこそ、夕夏や結界を奪われた他の生徒たちの契約は、まだ生きているのだと分かると同時に、疑問も浮かんだ。
ならば何故結界が使えなくなったのか。答えは簡単だ。神器を身体の一部に埋め込み、契約者に似せた肉体で無理やり使役しているのだ。
神器を手にしていない契約者と、契約者に限りなく近い肉体で神器を身体に埋め込んだ人間。優先されたのは後者だったというわけだ。
そしてこの偽装契約にも近い結界において、善悪の判断はない。最初の契約者が善人であれば、その契約者が死ぬまでは契約は続行、つまり結界を奪った人間が善悪いずれにせよ、元の契約者が悪にならない限り続行される。
だが、この方法なら契約を取り返すのも簡単だ。
簡単に言えば、神器を奪い返せばいいだけ。
タネさえわかれば簡単な結界の略奪方法に内心で感心しながら、ボロボロの体で逃げ出した継ぎ接ぎだらけの女を追う。
コンテナの間をすり抜け、吹き抜けになっている倉庫をの中へと入り、氷でできた刀を片手に、悠馬は彼女を冷たく睨みつけた。
「こんばんは。俺もあんまり痛くはしたくないからさ?神器が身体のどこにあるのか教えてくれない?そこだけ綺麗に切り落とすからさ」
冷たい目でニッコリと微笑んだ悠馬は、継ぎ接ぎだらけの女を倉庫の端へと追いやる。
女は吹き抜けになっていたから逃げ切れると思ったのだろう、しかし吹き抜けの倉庫の先に見えたのは海だった。
「お、おい!私だってようやく手に入れた力なんだ!これでようやく誰にも馬鹿にされずに…」
「知らないし興味ない。結界が欲しいなら神器を探して自分で契約すれば良かっただけの話だろ。お前らはそれを面倒くさがって、楽に強くなれる方法を探しただけだ。なにがようやく手に入れた力だ?笑わせんなよ」
「お前らみたいな規格外の化け物には凡人の努力なんてわかるわけねえだろ!」
「論点をすり替えるなよ。俺が咎めてるのは、他人から奪った力で強くなってるってことだ。今すぐあるべきだった場所に返せ」
自分は努力してもどうにもならなかったからと言い訳をする継ぎ接ぎだらけの女に対して、悠馬は容赦のない口ぶりで女を脅しにかかる。
「ふざけるなぁ!ムスプルヘイムっ!」
継ぎ接ぎだらけの女は、起死回生の一撃と言わんばかりに、近づいて来た悠馬を焼き払おうと、炎の異能の中でトップクラスに位置するムスプルヘイムを放つ。
「は、はは…!偉そうなこと言ってるからそんな風になるんだ…ぐっ!ぁぁぁあ!」
置いてあった木材に火が燃え移り、悠馬の影が見えない。それを見た継ぎ接ぎだらけの女は、原型を留めていないほど焼き焦げたと判断したのか、勝ち誇ったように笑って見せたが、直後に飛んできた、先ほどまで悠馬が手にしていた氷の刀が肩に突き刺さり、悲鳴にも近い声を上げた。
「すごいな。美哉坂の血を使ってるから異能まで美哉坂と同じになったのか?こりゃ大革命だ。というより、人権的に大丈夫なの?この実験」
まぁ、ダメだから凍結されたんだろうし、ダメだからこうして秘密裏にコソコソと手を回していたんだろうけど。
肩に刺さった氷の刀を引き離そうとする女は、その氷の刀を素手で掴むと、自身の指も凍ったことに驚き、さらに絶叫した。
「こ、殺さないでくれ!唆されんだ!楽に強くなれるって!お前の言ってた男に!だから私は協力したんだ!こんな醜い顔に!こんな醜い体になって!代償を払って力を手にしたんだ!見逃してくれ!結界は美哉坂に返していいから!!まだ死にたくない!助けて!!」
泣き叫ぶという言葉が相応しいその光景。狩る側から狩られる側に変わってしまったその少女は、ボロボロになった継ぎ接ぎだらけの顔で、命乞いを始めた。
これじゃあまるで、こっちが悪人みたいじゃないか。夕夏の助けに入った側の悠馬だったが、泣き叫ぶ継ぎ接ぎだらけの女を見て、バツの悪そうな表情を浮かべ、彼女の肩に刺さった氷の刀を引き抜いた。
「いいよ。俺も鬼じゃないし。これからきちんと罪を償うなら酷いことはしない」
「ひ、左肩の鎖骨の、少し下に…神器の一部分を埋めてる…で、でも!し、心臓のすぐ近くだから…今取り出すと死ぬ!だから少し待って欲しい!」
ありのままの事実を話しているようだ。鎖骨の少し下、心臓の少し上を抑えながら話をする女の表情には、恐怖が刻み込まれていた。
「うぅーん、じゃあもうすこし質問していい?」
今この場で夕夏に結界を返して上げたかった悠馬からしてみれば、大きな誤算だ。
こいつを今すぐ殺して神器を回収して夕夏を大喜びさせたいところだが、先程の約束を反故にするわけにはいかない。
「なんでも答える…!」
彼女はそう即答した。元々唆されて、自分が力を手にして調子に乗っていただけなのだから、死を確信した今、忠誠心もクソもないのだろう。
「みんな同じところに埋め込まれてるのか?」
「ああ…他のところに埋め込んだ奴らは、みんな結界を使えなかった。だから今ここにきてる奴らは、私と同じところに埋め込まれてるはずだ」
なるほど、心臓と神器を直接繋いでいると考えた方がいいか。なんて無理やりな事をしてるんだ、あのヤブ医者は。
音楽家から売れない音楽家へ。そしてヤブ医者へとあだ名を変更された男の顔を思い浮かべながら、若干不機嫌そうな表情をした悠馬は、徐々に瞳の色を失い、感情を失ったような笑みで継ぎ接ぎだらけの女を見つめた。
先程とは全く違う、別人のような悠馬の表情を見た女は、全身に走る悪寒と、絶望を深く感じながら叫び声をあげた。
「命だけは助けてくれるんじゃなかったのかよ!?」
「うん、助けるからこれは脅し。ここから逃げたら…わかってるよな。俺の異能は沢山あってね…一度記憶した場所や見たところには何度も行き来できる、ゲートっていう異能もあるんだ。もしお前が逃げたら…お前の痕跡を辿って地の果てまで追ってやるよ」
女の肩を叩き、耳元で囁く悠馬。女は絶望のあまり、声も出せない状態で首をコクコクと頷かせた。
「あと、今回は大目に見てるけど。次は無いからな?もしお前がこれで懲りて無いとわかったら。今度こそ殺す。わかった?」
悠馬が最後の一言を告げる頃には、彼女は完全に意識を失っていた。
その手のプロでも無いただの初犯なら、この程度だろう。
倒れ込んだ女を抱きかかえた悠馬は、氷で檻のような物を生成し、その中に女を閉じ込めると、元の色の瞳で一言だけ呟いた。
「あと6人、か」




