風呂といえば、この男だろう?
「くぅー…ふくらはぎも腕も、パンパンだぜ!」
昨日の砂浜でのトレーニングは、目立ちたい男子にとってはかなり堪えるものとなっていた。
湯けむり漂う大きな風呂の中、オレンジのような暖色のライトが大きな浴槽を照らしている空間で、黒髪小柄男子の桶狭間通は、自身の右腕を何度も叩きながら、筋肉痛をアピールしている。
今年は去年と違って、露天風呂ではない。
去年は吹き抜けの空間で風呂につかり身体を洗っていたわけだが、今年は室内ということもあってか、サウナやジャグジーといった、豪華な施設も充実している。
露天風呂がなくなった代わりとしては、割りに合わないなどの豪華な設備に、不満を漏らす輩は誰1人としていなかった。
しかしながら、そんな彼らにも1つ不満がある。
それは、男子たちが汚物のような視線を向けている通…ではなく、通の下半身だ。
去年と全く同じように、タオルすら巻かずに歩き回っている通は、小回りが利き動き回っているせいか、どうしても視線を向けてしまう。
動くものを見てしまう、そんな悲しい男子たちは、通のイチモツを見て、今年も深いため息を吐く。
「くそ…なんで男のブツを見せられなくちゃいけねえんだよ…」
「アイツ、恥ずかしくねえのかよ…」
見たくもない男のブツを見せられる男子たちは、口々に通のことを罵る。
しかし面と向かって、大声で通に文句を言う男子はいなかった。
その原因は間違いなく、去年注意をした際に、通が地団駄を踏んだカオスな瞬間を見ていたからだろう。
下手に注意をして、今よりもカオスな状態になりたくない男子たちは、持っていたタオルを目に置き、汚物が見えないように保護をする。
「あー!美哉坂さんのおっぱい揉みてえ!」
「それな!暁!てめぇ揉んだのか!」
「人の彼女をネタに使うんじゃねえよ!」
こう言う男子だけの空間になると、やはり原点回帰するようだ。
入学当初から男子たちの狙っていた夕夏の話題になったため、悠馬は不機嫌そうに声を荒げる。
誰だって、自分の前で彼女の身体の話をされたら、嫌な気持ちになるだろう。
「はぁーあ、俺もフェスタで優勝してりゃあ、美哉坂と付き合えたのかな」
「俺は篠原でも良かったけどな…」
悠馬が睨むと、比較的やんわりとした内容で夢を語り出す男子たち。
彼らは大浴場の中で、ぶくぶくと息を吐き出しながら、お通夜のような雰囲気を漂わせていた。
「なぁ暁ー、お前、國下とオリヴィアちゃんには手出すなよ」
「出さねえよ!多分…」
悠馬はお湯に浸かりながら返事をした。
さすがに、悠馬だって今の現状がわからないほど馬鹿ではない。
そもそも美沙は振ったわけだし、今は八神が狙っているし、連絡のやりとりだって控えているつもりだ。
一応友達の恋を応援している悠馬は、男子たちが恐れるような、このクラスの美女を全員俺のものにする!などということは考えていないのだ。
しかしながら、悠馬にも1つだけ懸念がある。
それは夕夏の、オリヴィアがオススメ発言だ。
最初は嫉妬か何かで、自分たちから興味を失わせないように、オリヴィアもいいんじゃない?と保険をかけているようなものだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
夕夏と日常的に会話をしていく中で、オリヴィアの話を聞き、そして悠馬はあることを思った。
彼女は転入直後から悠馬の寮に入り浸っているし、悠馬が呼べば、遊びそっちのけで寮へと来る。
もしかすると、もしかするかもしれない。
オリヴィアの好意に半分ほど気づいている悠馬は、なるべく考えないよう、煩悩を振り払うようにして、頭まで沈める。
これで、「え、好きじゃないんですけど…きっしょ死ねや」などとなったら笑えないし、自分から手を出すことはないだろう。
男子たちの疑惑の視線を横目に、悠馬は自ら手を出すことはしないと、心の中で決意する。
「そういや、今年のフィールドワークはどうだったよ?」
自信満々な通は、風呂へドボンと飛び込むと、ドヤ顔で、まるで勝ちを確信したように足を組む。
その光景を見た男子たちは、通に何かあったのか、女関係で何かあったのかと、食い入るようにして注目する。
「んだよ、俺だって、去年と違って先輩と仲良くフィールドワークできたもんな〜!」
「そ、それを言うなら俺もだぞ!後輩とも喋れたし!」
通に対抗するようにして、男子たちは彼の余裕をなくそうと試みる。
男のプライドなんて、こんなものだ。
ちょっと子供っぽいと言うか、対抗心メラメラで、ああ言えばこう言う、子供の喧嘩のような感じ。
反論する山田とモンジを見る通は、余裕こうな表情で両手をあげると、やれやれと言ったポーズをとり、叫び声をあげた。
「ははは!俺様は後輩女子と連絡先を交換したんだよ!」
「は!?」
「抜け駆けか!?」
「裏切ったのか!?」
この中で1番彼女ができないだろうと誰もが思っている通が、女と連絡先を交換したと聞いて、男子たちの中では明らかな動揺が走る。
何しろ彼らは、通よりも先に彼女ができればいいや…的なノリで今まで生活してきたのだ。
「ふははははは!俺様の時代だな!どうだ!羨ましいだろ!」
「く、くそぅ!」
「チクショウ!」
勝ち誇った高笑いをする通に対して、何も言い返す事ができない彼らは、温泉のお湯を手で叩き、悲しみを露わにする。
「これで俺様は今日の肝試しで、お前らよりも先のステージに進んでやるぜ」
後輩女子と連絡先を交換できた。
どんな事情で交換したのかは知らないが、ただ連絡先を交換しただけでこれだけはしゃげる彼を、尊敬したいものだ。
すっかり男子たちの中心に立っている通を見た悠馬は、遠くから呆れ気味な表情で、彼を見て笑った。
「おいおい〜、何隅でモブキャラやってんだ?」
「連太郎…」
悠馬に声をかけてきたのは、金髪男子、桜庭愛菜と立ち位置が近い、紅桜連太郎だった。
相変わらずふざけたように笑顔を浮かべ、何をしでかすかわからないその危険な瞳は、キョロキョロと周囲を確認し、悠馬の横に浸かる。
「あったけ〜」
「よし、じゃあ俺は上がるから」
「待て待て待て待て!」
連太郎が隣へ入ってきた直後に、逃げるようにして風呂から上がろうとした悠馬。
そんな彼を呼び止めた連太郎は、悠馬の手を掴むと、口パクで何かを伝えようとする。
「なんだよ?」
「今日のフィールドワーク、どだった?」
「別に…普通だよ」
「嘘つけ〜!彼女の朱理ちんと一緒だったのに、普通な訳あるかー!」
「うっ…」
フィールドワークは去年と違って、正直めちゃくちゃ楽しかった。
だって彼女はいるし、先輩とも仲良くなれたし、後輩とも仲良くなれた。
それは入学当初に思い描いていたような、理想の学年間の関係と言っていいような、そんな感じのフィールドワークだったと思う。
しかしそんなことを、連太郎に言いたくない悠馬は、図星を突かれ黙り込む。
「いやぁ、いいよなぁ、美哉坂朱理。とことん尽くしてくれてるみたいだし、俺が先に接触してたら、俺の物になってたのかな?」
「物じゃねぇよ…」
今はもう叶わぬことを妄想する連太郎に、悠馬は反論してみせる。
連太郎が女に興味を持つなんてことは基本的にないから、きっとこれもいつもの冗談のはずだ。
何しろ彼は、入学当初にいた夕夏や美月、そして美沙や真里亞を見ても、動じる気配も、惚れる気配も一切見せなかった。
他の男子たちが簡単に陥落していく中で、陥落した姿を演じながらも、心の中では彼女たちのことをカケラも好きになっていなかったのだ。
そんな彼が、朱理を狙うということはまずない。
さすがは裏で教育されただけあって、女に対しての耐性は一般人よりもかなり高いご様子だ。
「つか、お前は彼女とか好きな人いねえのかよ?」
「は?なんで?」
「お前なぁ…」
悠馬は惚ける連太郎を見て、呆れたように声を出した。
連太郎は元々裏の人間であって、異能島に入学を許されたのは、特例中の特例。
高校生活が終わってしまえば、連太郎は裏の人間として、元の仕事に戻らなくてはいけないわけだ。
つまり高校で出来上がった友人関係や、思い出というものは全て、高校卒業と同時に消えてしまうことになる。
彼は卒業すれば、同窓会で友人と再会することも、偶然道端で友人と再会することもないのだ。
思い出を失うということは、誰だって苦しいはずだし、連太郎だってきっと苦しいはずだ。
しかしながら、そんな彼にも、唯一手立てがある。
それは卒業までに、恋人を作って既成事実を作るなり、父親に認めさせるなりするということだ。
それが唯一、連太郎が自由にできることであり、そして最低限のこと。
決められた人物との婚約をせずに、決められていない、自分で選んだ人物と婚約する、唯一の方法である。
連太郎とて、そのことは知らないわけがないだろう。
「おいおい、俺は今、結構楽しいんだぜ?」
「そりゃ、顔見てたらわかるよ」
「んま、正直気になる女はいるけどさ、あと1年と半分も学校生活は残ってんだ。何も急ぐ必要はないだろ?」
ニカッと笑ってきた連太郎を見て、悠馬は黙った。
確かに、連太郎の言う通りなのかもしれない。
連太郎の言う通り、異能島での生活は残り1年半以上もあるし、急ぐ必要はない。
ただ、コイツが本当に付き合えるかどうかとなってくると、ちょっと不安になる。
連太郎の性格を知っている悠馬は、夜葉あたりなら可能性あるんじゃないかな…?などと考えながら、連太郎の言葉を思い出した。
「ん?気になる女がいるぅ!?」
衝撃の事実を告げられた悠馬は、危うく風呂に沈みそうなほど驚き、慌てふためく。
「お前にぃ!?」
自分で質問しておいて失礼だが、まさか連太郎に気になる女がいるなんて、誰だって想像もつかないだろう。
いつも適当にちょっかい出して、痛い目にあって、コイツは好きな人ができないんだろうな。程度で彼の生活を見てきた悠馬は、驚きを隠せない。
「お前が聞いてきたんだろうが…」
「いや、そうだけど!そうなんだけどさ!」
誰がこの男に、気になる女ができると予想できるだろうか?
特に悠馬は、中学校からの腐れ縁のため、彼に好きな人、気になる人ができるなんて、想像もしていなかった。
「誰だよ?!」
「言わねえよーん」
「は?自分だけ言わないつもりかよ?」
彼女のことで散々いじられた悠馬は、お前だけ言わないのは不公平だろ。と言いたげに睨みつける。
「え〜だってぇ〜…ちょっとマニアックな女だぜ〜」
少し照れたような、ふざけた口調の連太郎は、動揺というか、照れていることがバレないようにするためか、視線を悠馬から逸らし、短く息を吐いた。
「でも、俺と付き合うってことは、知りたくないことを知るってことだぜ」
「そこなんだよな…」
気になっている人を言う前に、そう話す連太郎を見て、悠馬も問題点があることに気づく。
連太郎と付き合い、そして結婚するとなると、この国の裏を知ることになってしまう。
それは普通に生きてきた女の子からすればかなり酷なことだろうし、簡単にいえば、自分の問題に、彼女を引きずりこむことになってしまう。
そんな理由もあるからこそ、連太郎は手当たり次第、女に手を出すと言う真似はしない。
「特に、お前のことを何も知らないやつだったら、驚くだろうな」
連太郎があの紅桜家と知らずに付き合えば、後々別れ話を切り出されてもおかしくはない。
そう考える悠馬は、自分が思っているよりも事態が芳しくないことを知る。
「せめて知ってる奴ならな」
「ま、加奈ちんは知ってるしその点はクリアしてるんだけど」
「そうだな…赤坂なら問題なさそうだ…ん?」
「ん?」
連太郎が何か重要なことを言ったような気がして、悠馬は硬直する。
コイツ、今サラッと気になってる人の名前言わなかったか?
ガバッと振り返った悠馬を見た連太郎は、ニヤリと笑顔を浮かべると、顔を抑えた。
「え?おま…赤坂…?」
連太郎の性格からはかけ離れた、そして最近までは悠馬の近くの席にいた人物の名前に、驚愕する。
何しろ連太郎は、毎度毎度、加奈にちょっかいを出してはこっ酷くやられていたし、恋人と言うよりは、犬猿の仲という単語の方が似合いそうなカップリングだ。
理解が及んでいない悠馬は、目をぐるぐると回しながら、額に手を当てる。
「まじで?」
「まじ。フェスタでも7万くらい貢いだし」
「…やべぇな、お前」
貢いだ、と言うか、言い合いに敗北して奢らされたわけだが、連太郎の言い方を聞いていると、あたかも自分が奢ってやったような言い方に聞こえる。
その言葉を聞いて、連太郎と加奈が実は仲がいいと誤解した悠馬は、意外な関係を知り口元を緩める。
「まさかお前にも、好きな人ができるとはな〜」
「まだ気になってるだけだ!」
1年前とは違い、すっかり立場が逆になってしまった連太郎と悠馬。
2人の声は、騒がしい男子たちの声によって、誰の耳に届くでもなく消えていく。




