毒
3年生に課せられたミッションが完了し、下山を始める。
その頃にはもう、3年生も1年生も、分け隔てなく呑気な会話ができるほどになっていた。
3年生からしてみると、おそらく唯一の問題要素というか、不安要素は悠馬だったのだろう。
去年の合宿の出来事や異能祭、フェスタで実力を知っていた先輩たちは、最初こそ萎縮していたものの、大岩の辺りで悠馬と初めて話し、今はすっかりと打ち解けている。
「なぁー、暁、俺今、カラオケ屋でバイトしてんだけど、割引するから遊びに来いよー」
「お、行きたいです!」
先輩たちからも好待遇を受ける悠馬は、かなり充実しているご様子だ。
和気藹々と会話を進める悠馬は、すぐ後ろを歩くマナを見て、ほんの少しだけ歩くペースを遅くする。
「昨日はごめんね」
昨晩、告白と称して悠馬を殺そうとしたマナは、格の違いを見せつけられ、呆気なく敗北した。
いくら人を殺すために異能を習ってきたといえど、総帥と同程度の実力を持ち、しかも再生する化け物の相手は、齢10代の彼女には荷が重すぎた。
鏡花にも怒られ、半殺しにされ、流石にやりすぎたと思っている悠馬は、申し訳なさそうに謝罪をした。
「っ…昨日のことは忘れてください」
そんな悠馬に対して、マナは顔を真っ赤にして俯いた。
彼女だって年頃の女子だ。
暗殺者、裏の家系である以前に、立派な女の子である彼女は、〝昨日〟という単語を聞いて、顔が今にも燃え上がりそうなほど熱くなっていることに気づく。
マナは昨日の夜、何があったのかをイマイチ覚えていない。
覚えているのは、悠馬に告白をしたあと任務に失敗し、失禁しながら泣き崩れたことくらいだ。
学校の合宿で、男子生徒の部屋で小水を漏らすというのは、マナにとってもかなり堪えるものだ。
どうしようもない屈辱感と羞恥心を感じる彼女は、悠馬の言葉を聞いて今すぐ逃げたい気持ちになる。
「ああ…漏らしたこと?大丈夫、ちゃんと片付けておいたから」
「そ、そそそそそれのほうが問題なんですけど!」
彼女の恥ずかしさなど知らないマヌケな悠馬は、笑顔で親指を立てる。
まさか自分の小水を男の人、しかも先輩に片付けてもらっているなどと知らなかったマナは、顔を抑えながらその場でしゃがみこむ。
「一生の不覚、一生の恥…もうお嫁になんて行けない!」
もともと嫁ぎ先があったわけでもないのだが、恥ずかしさのあまり記憶を全て失いたい気分のマナは、半泣き状態で何か喚いている。
「あ、安心しろよ…他人に言いふらす気はないから」
「うぅっ…特に紅桜には言わないでください!」
昼間、他人の目がある空間だということもあってか、後輩らしく敬語を使ってくるマナ。
連太郎に言わないのは…どうだろうか?
そもそも連太郎の異能は聴覚強化だし、多分この話をしている時点で、彼の耳には入っていること間違いなしだ。
そのことを知っているため、1つ返事で返せない悠馬は、不安そうな表情で首を傾げた。
「桜庭さん、俺に敬語は使わなくていいよ。そっちの方が話しやすいでしょ?」
「あ、うん…そうだけど…」
「うん、そっちの方がずっといいや」
昨日の彼女の印象が強すぎたため、敬語を使っているマナを見るのは、ちょっとした違和感を感じる。
コレジャナイ感というか、人が変わったような、どうにもとっつきにくい感じだ。
そんな彼女に対して、タメ口で話していいと許可した悠馬は、立ち上がったマナを見て前を向く。
「私のことも、桜庭でも愛菜でも、貴方の好きに呼んで」
「おっけー、愛菜」
「…ところで暁先輩、あの黒髪の人と付き合ってるの?」
「え?うん、付き合ってるよ」
「へぇ…」
足早に悠馬の横へと並んだマナは、早乙女と話す朱理を見つめ、そしてなにかを考えているようだ。
「…あの人、美哉坂宗介の…」
「うん、娘の朱理」
裏の仕事に務めているマナはよく知っている人物だろう。
暮戸の一件を調査していた彼女たちにとっては、宗介の娘である朱理も一応のことマークされていた。
そんな彼女が異能島に転入しているのだから、マナが驚くのも無理はない。
暮戸の逮捕と同時に、宗介も逮捕された。
その話については、裏でも話が回っているだろうが、朱理がどこへ行ったのか、誰のお世話になっているのかというのは、全て総帥である寺坂が情報を持ち、裏の人間にも、メディアにも知られないようにしてきた。
朱理に自由な生活をさせるために、寺坂は監視のない空間を見事につくりあげたのだ。
「…貴方、どうやって付き合ったの?」
「普通に」
「普通って…」
マナは当然のことながら、朱理が暮戸にされてきた数々の辱めを知っている。
女としてはかなりおぞましい、聞くだけでも男性恐怖症になりそうなことから、ちょっとした嫌がらせまで。
朱理が男性恐怖症に陥っていてもおかしくない、いや、男性恐怖症に陥っているのが当然なはずなのに、そんな彼女と普通に付き合うなんて、まずあり得ないだろう。
ふざけたことを抜かす悠馬を訝しそうに見つめるマナは、呆れ気味な溜息を吐いて、悠馬の袖を掴んだ。
「まさか脅してないよね?脅してるなら今すぐ解放して。貴方の容姿なら、代わりなんていくらでも手に入るでしょ」
朱理の過去を悠馬が知らず、脅して付き合っていることを考えたマナは、昨日の恐怖を堪え悠馬を睨む。
彼女の手はちょっとだけ震えていて、悠馬に向けて強気な発言をしながらも、恐れているのだということは誰にでもわかるほどだ。
そんな彼女を見て、悠馬は微笑んだ。
「大丈夫。俺は朱理の過去も知ってるし、それに朱理だって俺の秘密を知ってる。脅してなんかないよ」
「そ、そう…よね。良かった」
「ところで、愛菜の異能ってなんなんだ?」
話題を変えた悠馬は、昨日抱いた疑問を口にする。
昨晩の戦闘において、マナはほとんど異能を使わなかったというか、異能を使う前に制圧したため、彼女の異能を見たのは、毒ガスのようなものだけ。
彼女の異能について詳しく知りたい悠馬は、興味津々なご様子だ。
「あのね…他人に、しかも女性に異能を聞くって、どれだけ非常識なことか知ってる?」
「へ?」
悠馬は異能社会の常識というものを知らなかった。
異能社会、つまり現代においては、異能というものが重視される割には、自身の異能というものを、他人に言いふらすような輩はいない。
まぁ、異能島を見てもらってもわかるだろうが、レベルを言いふらす輩はいても、異能を言いふらすようなバカは居ないのだ。
何しろ異能は、自身の身体の一部のようなものであって、それを暴露するのは、住所や身長体重をバラしているような、もっと神経質な人だと、スリーサイズを他人に言いふらしているようなものなのだ。
だから普通、男が女に向かって、君の異能ってなに?と聞くのは非常識であって、セクハラ発言でもある。
2年男子の中では、もうすでに友達関係が出来上がっているため、互いに異能名で言い合ったりしているが、今思えば、悠馬は一度も女子たちが自身の異能について話していないことに気づく。
「ごめん…」
「私の異能は毒よ」
自分がどれだけ非常識な発言をしたのかを、なんとなく察した悠馬は頭を下げる。
そんな悠馬に対して、マナは案外すんなりと、不意打ちのようにして、自身の異能を答えた。
「やっぱ毒なのか…」
「ええ…まぁ、人によって毒の抗体とか云々が面倒な異能よ」
「たしかに」
毒なんて異能、普通に考えれば他人に向かって使用できるようなものではないし、加減を間違えば、簡単に人を殺せてしまう異能だ。
それは六大属性なんかよりもずっと危うい、世間からは恐れられるであろう異能。
加えて言うなら、おそらく毒の異能は使用者の知識によって使える幅も決まってくるだろう。
相手の抗体の程度や、知識に左右されるその異能は、様々な意味で不完全と呼べる、現代で言われる没異能というやつなのかもしれない。
「あとはまぁ、私が異能を言うと、大抵の女子は離れてく」
「だろうなぁ…だって昨日までのマナ、なんか不気味だったし」
陰キャラという言葉が似合いそうな長い髪、地味子と言われそうなほど存在を隠している彼女が、「実は私、毒の異能を使うんです…」なんて言ったら、殺されそう、なんか頭のヤバそうなやつ。と思われるのは仕方のないことだろう。
それは異能が原因、というよりも、昨日までのマナの雰囲気が原因と言ったほうがいい。
「し、仕方ないじゃない!私は任務で異能島に入学したんだから…目立たないようにしないと…」
「今日目立ってるけどね」
「誰のせいだと思っているの?」
「ごめんなさい…」
悠馬がナイフで髪を切ったせいで、マナはその可愛い顔が1年生全体にバレ、現在騒ぎになっている。
目立たずに任務を遂行しようとしていたマナは、自分のしでかしたことを棚に上げて話す悠馬を冷たく鋭い眼差しで睨み付け、溜息を吐く。
「ほんと、最悪。貴方のせいで、何もかも狂った」
「俺のせいかよ…」
「暗殺はまぁ…私に落ち度があると思うけど、この髪は、100パーセント貴方のせいでしょう」
「……いや、いやいやいやいや…」
いきなり殺そうとしてきといて、髪を切られたからお前のせいで狂った!って、なんて図々しい野郎だ。
殺されてないだけでも感謝しろと言いたげな悠馬は、引きつった作り笑いでマナを見つめ、引っ叩く。
「痛!」
「殺さなかっただけ感謝して欲しいんだけど」
「うっ…」
マナたち裏の人間には、裏の流儀がある。
流儀というか、規則のような、掟だ。
特に桜庭家は今まで一度の失敗もなく、名前すら噂になっていない家系のため、掟というものがかなり厳しい。
例えば、任務に失敗した時点で名前を捨てなければならなかったり。
マナは悠馬の暗殺に失敗したと報告した時点で、苗字を捨てなければならない。
そんな彼女にとって、任務の失敗は死と同義だろう。
何しろ、苗字を捨てるということは、家を捨てるということだ。
つまりもう、桜庭家にはいられない。
行き場を失っているマナは、それでもその事実だけは告げぬよう、何気ない会話で繋いでいく。
「失敗したら行くあてはあるのか?」
「は…?」
そんなマナの隠した不安を言い当てるように、彼女の顔も見ずに訊ねた悠馬。
悠馬だって、連太郎という友人がいるおかげで、裏については凡人よりも詳しい。
マナが任務に失敗すれば、なんらかの罰が下されるだろうと知っていた悠馬は、思い切って問いかけてみる。
「ないなら、俺を頼れよ。ほら、俺は連太郎とも仲良いし、異能島の統括も知ってるから…死ぬことはできないけど、根回しはできるから」
マナの任務のために死ぬことはできないが、彼女の人生を今以上の状況に持って行くことは、簡単にできるだろう。
悠馬は現総帥の寺坂と、そして元総帥の総一郎に貸しを作っている上に、死神や、裏の筆頭である焫爾とも知り合いだ。加えて言えば、警視総監の篠原とも知り合いである。
そんな悠馬ならば、行くあてのなくなったマナに行き場を作るくらい、造作もないことだ。
笑顔を向けた悠馬は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているマナを見て、背中を叩く。
「学校生活、楽しみたくない?」
「……その質問は卑怯だと思うの」
「はは、ごめん」
誰だって、何かのために全てを捨てた人間だって、周りの人間のようになりたい、周りの人間と同じことをしたいと願う時はある。
例えば暁闇だって、復讐のために全てを捨てようとしたが、周りのように、何気ないことで笑い合いたいと願った。
戦神だって、青春を歩むことを願った。
連太郎だってそうだ。
そして、マナも同じように、普通の学校生活には、心のどこかで憧れていたはずだ。
思春期、みんながみんな自分とは何か、何をすべきなのか、どうすればいいのかを考える年頃で、人生を一本に絞り込める人間なんて存在しない。
「…私だって、普通の学校生活をしてみたい」
誰だって、普通の学校生活には憧れる。
オリヴィアと同じように、ただの学生をしてみたいという思いがあったマナは、思い切ってそう話すと、悠馬の方を向く。
その表情には、決意が滲み出ているように見えた。
「ん。わかった」
裏のことなら、焫爾と寺坂を頼れば、マナの高校生活3年間くらい軽く保証できるだろう。
こんなところで寺坂の貸しをなくすのはちょっともったいないような気もしたものの、そんなことよりも、マナに自分と同じような、学校生活の楽しさを知ってほしい悠馬は、そんな願いも込めて承諾してみせる。
「ありがとう」
「どうも」




