クセの強い1年生
「あは♪」
遠くからさざ波の音が聞こえてくる、果樹園の中。
地図を片手に歩く少女は、横を歩く茶髪の男子を見つめると、嬉しそうな声を漏らした。
合宿2日目の昼。
地図を持って歩く悠馬と朱理は、その地図に記されている×マークの場所、つまり果樹園の中へと訪れていた。
これは去年と同じ、学年間のコネクション作りのために行われる、フィールドワークだ。
去年の苦い経験を思い出す悠馬は、隈の出来た瞼で朱理を見て力なく微笑む。
朱理と悠馬は、どの教員からのお節介なのかは知らないが、フィールドワークの班を一緒にされていた。
それは悠馬にとっては、かなり嬉しいことだ。
何しろ、フィールドワークを彼女と一緒に回れるということになる。
誰もが憧れるシチュエーション、誰もが恨むフィールドワークを行えそうな悠馬は、男子たちの非難の対象となっている。
多分、明日には無人島で悠馬の名前が記された藁人形が、数十体見つかってもおかしくはないだろう。
それも間違いなく、木に釘で打ち付けられている状態で。
「どうかしたんですか?元気がなさそうですけど」
去年はまだ異能島に入学できていなかったため、これが人生初のフィールドワークの朱理。
そんな彼女は、疲れ果てた悠馬を心配して声をかける。
「あ…いや、昨日ちょっと眠れなくて…」
「寂しかったんですか?」
「寂しかったと言えば寂しかったと」
危うく殺されそうになったことや、鏡花に夜遅くまで説教され、半殺しにされていたことを話すわけにはいかない。
特に朱理は彼女たちの中では1番物騒だし、悠馬が殺されそうになったなどと口にしたら、翌朝には桜庭愛菜の生首だけが、悠馬の部屋の前の廊下に飾られていてもおかしくはない。
サイコパス朱理。
悠馬のこととなると容赦しない彼女には、何も話せない。
「てっきり美月さんか夕夏が訪ねていると思いましたが…」
「来なかったな」
多分、昨日あの場に誰か訪れていれば、さらなる修羅場と化していただろう。誰も来なくてよかったと心底思う。
赤色の土の上を歩く悠馬は、両サイドに見えるパイナップルを見て立ち止まる。
「南国に来た気分になるよね」
「はい♪ なんだか、2人きりで新婚旅行に来た気分です」
集合時刻まで時間があるためか、朱理と悠馬以外誰もいないこの果樹園は、たしかに新婚旅行に来たような気分になる。
朱理の言葉を聞いて、ちょっと意識してしまった悠馬は、耳を赤くしながらバナナの木を見た。
「美味そう…」
パイナップルにバナナ、ドラゴンフルーツやパッションフルーツ、そしてマンゴーが並ぶ果樹園は、さすがは国の施設という言葉しか浮かばない。
実はここ、大金持ちが手入れしてる庭なんです。などと言われても信じてしまうような、綺麗な光景が目の前に広がっている。
きっと本土の学校に通う学生たちは、こんな無人島に訪れることもなく一生を終えるんだろうと考えると、ちょっと可哀想に思えてくる。
それほどに、この果樹園は完璧に見えた。
「今朝のフルーツバーも、ここで採れたものでしょうか?」
「多分そうだね」
今日の朝のバイキングを思い出す悠馬は、美味しくいただいた数々の南国系の果物を思い出し、ここに生えている植物を見て、採れたてだと判断する。
これも異能島に通う生徒たちの特権だ。
産地直送のような食べ物と、大抵なんでも揃っている夕食バイキングや、朝のバイキング。
みんなが異能島へ通いたがる理由の中に、もしかしたらこんなことも含まれているのかもしれない。
「ねぇ、なんでそんなに可愛いのに前髪で隠してたんだよ?俺だったらウェールカーム!だったのに!」
「あっ、邪魔者が来ましたね」
悠馬と朱理が2人きりで楽しく話す時間は、すぐに終わりを迎えてしまう。
なかなか癖の強い、ちょっと童貞っぽい大声を聞いた朱理は、顔を見る前から、その人物のことを邪魔者扱いしてしまう。
そして悠馬は、可愛いのに前髪…などという会話を聞いて、昨晩の出来事を思い出していた。
そういえば桜庭さんの前髪、ナイフで切っちゃったけど問題なかっただろうか?
今更になって、女の命とも言われる髪を無断で切ったことを、謝罪したくなる。
いくら殺されそうになったからといえど、流石にあれはやりすぎた。
実力的にも、毒以外で負ける可能性のなかった悠馬は、何もナイフで髪を切ることはなかったんじゃないか?という罪悪感に駆られる。
「…うるさいのよ。嘘つき童貞」
「はっ!?俺は童貞じゃねぇし!」
悠馬はその言葉を、声を聞いて、朱理の方へと向き直った。
「面倒ごとになったら、すぐに帰ろっか?」
「そうですね。2人で逃げましょう♪」
悠馬が帰りたい理由。
それは悠馬たちが入ってきた果樹園の反対側から入ってきた、2人組の1年生男女の、女の方に原因していた。
彼女は昨日、悠馬がめちゃくちゃ怖がらせてしまった桜庭愛菜だった。
ナイフで髪を切られたせいか、若干斜めのパッツンになっているマナは、不機嫌そうに横の男子を睨む。
朱理は悠馬の発言の真意を知らずに、面倒になったら逃げる気満々だ。
「ってか、なんで俺が童貞だと思うんだよ!」
「だって発言全部嘘くさいし、信憑性ないし。それに昨日、夕食のバイキングで女子と手が当たった時、トレー全部吹き飛ばすほど驚いてたじゃない」
「洞察力!!!じゃなくて、俺は真実しか言ってねえから!」
そしてマナの横にいるこの男、早乙女修斗。
相変わらず口からでまかせを並べる彼は、プライドが先行して、童貞だということを知られたくないようだ。
顔はいいのに残念系男子の早乙女は、マナのトゲのある言葉に、怯みながらも反論している。
「どうだか」
「ってかさ、なんでそんなに突っかかってくんの?」
「声をかけてきたの、貴方じゃない」
悠馬と朱理に気づかない2人の会話は続く。
「わかった!俺のことが好きだから、ちょっとアピールしてんだろ?なんだよ、可愛いやつだなぁ!」
「は?」
自分からウェルカムなどと言って話しかけてきたというのに、何故かマナが好きでちょっかいをかけたという話で進んでいる。
そんな早乙女の発言が理解できない様子のマナは、額に青筋を浮かべながら、頬をピクピクと動かしている。
あ、こいつ殺されるわ。
イケメンナルシストの早乙女を見る悠馬は、マナが殺意を抱いていることを悟りながら、心の中で合掌する。
「元気でね。名前も知らない男子生徒」
「ギャァァア!」
やはり、殺されてしまったようだ。
早乙女の断末魔のような声を聞いた悠馬は、目の前にグロテスクな光景が広がっていないことを願いながら、目を開ける。
「わお…痛そう…」
目を開いた先では、マナが早乙女の右腕を、回らない方向に無理やり曲げようとしていた。
もちろん、脱臼や骨折はしない程度だろうが、それにしたって激痛のはずだ。
目を大きく見開き、カッコいい顔が台無しになっている早乙女を見た悠馬は、口を手で押さえながら、痛みを想像する。
「ギブ!ギブギブギブギブ!ごめん調子乗ってました!」
ギブを連呼しまくった早乙女は、冷や汗をダラダラと流しながらマナの手を叩く。
そんな彼を見たマナは、呆れ気味に手を離すと、調子に乗っていた早乙女を睨みながら溜息を吐いた。
「次、何かふざけた発言をしたら、貴方が嘘つき童貞だってこと、みんなにバラすから」
悠馬に髪を切り落とされるまでは、男子たちに目もくれられず、日陰で生きているような存在だったマナ。
家が裏の家系ということもあって、なるべく注目されたくなかった彼女は、余計に関わってきそうな早乙女に警告を出し睨みつける。
大抵の男なら、弱みを握られた後、ふざけた発言をするなと言われたら関わりを切ることだろう。
なにしろ、何が基準でその弱みを暴露されるのかわからないわけで、その基準がわからない以上、相手の気分を害するわけにはいかない。
そう考えると、話しかけない、関わらないことがベストだろう。
「な、なんでも買ってあげるから、仲良くしよ?ね?ほら、俺はそんな事実…じゃなくて嘘広められたら困るわけだし?」
しかし自分の弱みを握られた早乙女には、関わらないという選択肢がなかった。
入学してから早くも1ヶ月が経過し、クラスどころか学年の男子たちの話題の中心、ちょっと先を行くイケメン男子だと思われている早乙女からして見ると、何があろうと事実を広められるのだけは避けたい。
実は女の子に触ったこともないし、彼女もいない、加えて言うなら異能なんてほとんど使ったこともないなんて事実が広まれば、男子たちからは冷ややかな視線を向けられるだろう。
「嘘つきチェリーボーイ」
「新品未使用」
「妄想発電王」
勝手に自分の付けられるであろうあだ名を想像する早乙女は、頭を抱えながら苦肉の策に出た。
ふざけたことを言わなければ広めないと話したマナに対して、賄賂の提案をしたのだ。
「言っとくけど、私はその辺の安い女と違うから、並大抵のものじゃ喜ばない。それでも私に交渉するの?」
「うぐ…当たり前だ!男に二言はねえ!どんとこい!」
鋭い視線を向けてきたマナに、早乙女は一歩後ずさる。
並大抵のものじゃ喜ばないと言われた彼は、自身の保身と、そして財布の中の金を天秤にかけた結果、保身に走った。
高級ブランドバッグでも、高価な腕時計でもなんでも来いよ!
心の中でそう叫んだ早乙女は、ニヤリと笑ったマナを見て、死を覚悟した。
「ビ○コ10箱でどう?」
「え?ビ○コ?」
数万円から数十万円の出費を想像し、冷や汗を流し震えていた早乙女は、衝撃の事実を聞いて首をかしげる。
めっちゃ安い女じゃん!
異能島のショッピングモールでは、ビ○コは1箱90円で売っているし、10箱買ったところで、900円にしかならない。
千円札で余裕で足りるし、なんならもう1箱おまけしてあげようか?というレベルで低価格な商品を要求してきた彼女に、驚きを隠せない。
「わかった。合宿終わったら買ってくる」
「え!?いいの?10箱も?」
「あ…うん」
目をキラキラと輝かせる彼女を見ていると、自分が想像しているビ○コと、彼女が想像しているビ○コが全くの別物ではないのかと不安になってくる。
良かった、この女が安くてチョロい女で。
千円で自分の嘘を片付けることが可能だと知った早乙女は、頬を緩めながら調子に乗る。
「ついでだ。もう1箱おまけしてやるよ」
「ありがとう!」
暗殺や裏の仕事を生業とするマナにとって、ビスコは愛用の食べ物なのかもしれない。
ま、どうでもいいけど。
目の前で繰り広げられている、バカな男と安い女の話を聞いていた朱理と悠馬は、微妙そうな表情で、一応作り笑いだけ浮かべる。
もしかしたら今年の1年に、まともな奴はいないのかもしれない。
そんな不安すら頭によぎる。
「あっ…とと…」
そしてようやく、会話に夢中だった早乙女は、先にいた悠馬と朱理に気づく。
「どうもー…早乙女修…っ!お姉さん!」
うわ、イケメン先輩だわ…
こういう奴嫌いなんだよな、大抵の1年女子は入学してすぐにこの男に夢中になるんだろうし、2年の女子先輩方も、大抵食い尽くされてる。
ケッ、これだからイケメンは。
悠馬を見た早乙女は、心の中でそう罵りながら、悠馬の隣にいた女性を見て、猛スピードで手を握った。
真っ黒な髪に、黒と紫の瞳。
真っ白で病的な肌に、か細いその腕。しかしながら病弱といった体系ではなく、胸は豊満で、顔色もいい。
1年女子たちの中で噂になっている朱理を見た早乙女は、目をハートにして声をかけた。
「はい?」
「先輩ではなく、お姉さんと呼ばせてください!可愛い!好きです!」
出会って1秒未満で告白。
おそらくギネスワールドレコードに載るほどの速度で告白をした早乙女は、自分が童貞だということも、女の子に触ったことがなくすぐに挙動不審になることも忘れ、懇願するように朱理を見つめる。
この人と結婚したい!いや、絶対にする!
どうやら彼は、朱理の可愛さに一目惚れしてしまったようだ。
悠馬とフィールドワークが一緒だと知り目を見開くマナと、そして告白を見て唖然とする悠馬のことなど知らない朱理は、ニッコリと笑顔を浮かべて、口を開いた。
「…構いませんよ?ですがお付き合いはできません」
「えっ」
早乙女の最大の武器は、顔。
初対面では惚れられること間違いなしの早乙女は、人生で初めて出鼻から挫かれ、固まった。
「私には、既に身も心も差し上げた方がいるんです。ですので、貴方にどれだけ魅力があったとしても、お付き合いはしません。諦めてください♪」
現状、というか、未来永劫、悠馬以外の人を好きにならないと断言できる朱理は、一切靡くこともなく、そう斬り伏せる。
「かはっ…」
最速でフラれた早乙女は、その場で血反吐を吐きながら(演技)倒れ込んだ。




