野望を抱く者たち
「はぁ…はぁ…」
夕暮れ時。
膝に手をつき、大きく肩で息をする見覚えのない顔の男子生徒たちは、額から大粒の汗を流し、その汗は頬を伝って地面へと落ちる。
「これ…明日もするのかよ…」
「もう無理だよ…」
第1異能高等学校へと入学した新1年生たちは、異能島の合宿の洗礼を受けていた。
去年の悠馬たちと同じく、50キロのランニングを終えた男子生徒たちの顔を見るからに、去年の南雲やアダム、八神のような余裕を持つ生徒が、誰1人としていないことが伝わってくる。
「クソ、2年はあんな楽しそうに遊んでるってのに」
「なんで俺らだけ走らされなきゃいけないんだよ」
砂浜で元気に、男女入り乱れてスポーツをしている2年生諸君。
そんな彼らを見る1年生たちは、去年、悠馬たちが同じように地獄のランニングをしていたことなど知らずに、嫉妬の眼差しを向ける。
「それに俺らの学年は、そこまで可愛い女子がいねえし」
「華やかさに欠けるよな」
「クソ、美哉坂先輩の乳揉みてえ…」
1年生の男子たちは、体操着でビーチバレーをする夕夏に、獲物を見るような視線を向ける。
「ったく…あんな女、俺にかかればチョロいぜ」
疲れ果てた1年男子諸君がたむろしている宿舎前で、1人自信に満ちた発言をする人物がいた。
「早乙女くん!」
「流石、イケメン様は違えな」
彼の名は早乙女修斗。
黒髪に黒目という、純日本人という言葉が相応しい彼は、爽やかに髪をなびかせて余裕がある風を演じているものの、その表情には、残念なことに余裕がない。
これは思春期特有の見栄を張るという行動だ。
周りの生徒たちが疲れている中、「あれ?この程度で疲れちゃったんですか?僕まだいけますけど?」というヤツだ。
彼が見栄を張っているなどと知らない1年男子たちは、八神や悠馬に勝るとも劣らない美形な早乙女に、一気に注目した。
恐らく、疲労していなければ第1異能高等学校の三大イケメンは、悠馬、八神、早乙女となることだろう。
それほどのイケメン度だ。
しかしながら、彼には欠点があった。
「まぁ〜、俺のテクにかかれば、この世の女なんて誰だって落とせるんだよ」
そう。
彼は通のような変態的な思考を持ち合わせ、そして見栄を張るのだ。
ドヤ顔を浮かべながら瞳を閉じた早乙女は、この世の女は〜の辺りで目を見開き、ニヤニヤと変態がよくする顔で笑ってみせる。
早乙女修斗。彼は残念なイケメンと呼ばれる側の人間だった。
容姿、異能、性格共に完璧な八神と、性格は少し難があるが、基本的な性格と、そして容姿、異能が完璧な悠馬。そして、容姿だけが完璧な早乙女。
「さすが早乙女くん!」
「俺にもそのテク教えてくれよ!」
三大美女の一角である夕夏を簡単に落とせると断言してみせた早乙女に、男子たちは食いつく。
もちろん、早乙女の今の話は嘘だ。
実は彼、実践経験をしたこともなければ、彼女ができたことすらない。
しかしプライドが邪魔して、周りには事実を言えず、見栄を張ってしまっているのだ。
つまるところ、彼は夕夏を落とせるテクなんて持ち合わせていないし、なんなら付き合うための話題作りですら、自分では考えられない。
「はっはっ、馬鹿め、お前ら、そのテクは俺が使うから完璧になるわけであって、初心者が使ったところで美人なんて落とせねえよ」
「そ、そうだよな」
「長年培った経験の結晶だもんな!」
完全に夕夏を落とせると誤解している残念な彼らは、早乙女を神のように信仰しているのか、疑うこともなく話を聞き入れる。
早乙女は今年の入学生の中で、2人いるレベル9のうちの1人だった。
つまりは、周りにいる男子たちよりも、実力的にも格上なのだ。
そんな彼が嘘をつくとは思ってもいないのだろう。
「はぁーぁ、男子たちがまた変な話してる」
「行こ行こ〜」
早乙女を囲むようにして騒ぐ男子たちに、ゴミを見るような視線を向ける女子たちは足早に去っていく。
ある意味1年の男子たちは、早乙女という人物を中心に纏まっていた。
「やばい、どうしよう?異能島は入学初日が肝心だって噂されてたし、ちょっと見栄張ったらみんな信じこんじゃったよ…」
運動後の汗とは別に、冷や汗をダラダラと流す早乙女は、自身の虚言を心底後悔していた。
日本支部異能島は、確かに入学すれば家族はお祭り騒ぎになるだろうが、それは入り口に過ぎない。
レベルが低い異能力者が入学できたところで、入学初日に出鼻を挫かれれば、高校の3年間は下っ端としての生活を強いられるわけだし、そもそも異能島には、自己中が集まる。
自分が将来は総帥になるんだ、異能王になるんだと、あたかもそれが当然かのように入学してくる生徒がたくさんいる中で生活していくためには、自ずと実力とアピールが必要になってくるのだ。
そのことを知っていた早乙女は、入学初日に自分が見栄を張ったことを、心底後悔していた。
中学ではプレイボーイで女子をとっかえひっかえしたと男子たちに嘘をついて、デタラメな知識を教えたりして、自分がすごいヤツなんだとアピールした。
その結果がどうだ?
大半の生徒は早乙女の話を嘘だとは思わずに、こうしてまるで格上を見るような眼差しで、持て囃してくる。
もちろん悪い気分はしないのだが、自分が嘘をついてることがいつバレるんだろうか?と、ふとした瞬間に不安になってくる。
「そういや、アイドルの花咲花蓮のカレシって、第1にいるって噂になってたよな?」
「あー、見たぜ!俺画像も保存してる!」
「俺が同学年だったら、ぜってぇ付き合ってたわ」
不安を抱く早乙女とは真逆に、勝手に話題を変え始めた男子たちは、花蓮の話へと移った。
ここでなぜ、彼らがここまで無知なのかを説明しよう。
異能島という島で生活する上で、入学者の情報というのは、基本的に表に出ることがない。
つまり、異能祭のフィナーレで優勝したからと行って、本土に帰った時、有名人のように見られるかと言ったらそうではないし、フェスタで優勝したって、新聞で取り上げられることはない。
だから悠馬が異能島の中でいくら有名になろうが、本土で知名度を上昇させることはないのだ。
そんな理由で、彼らは悠馬と花蓮が付き合っているという情報も噂程度で、そして悠馬の実力なんてものは、まず知らない。
「早乙女、ちょっと痛い目見せてやろうぜ?」
「そうだな!早乙女はレベル9だし、そこらへんの奴らなんてけちょんけちょんだろ!」
悠馬の実力を知らない彼らは、花蓮と付き合っている悠馬がなんかムカつくから。という理由で、名前も知らない悠馬を標的にする。
え、なんでこんな話になったの?
自分の世界に入っていた早乙女は、勝手に先輩をボコそうという話をしている男子たちを見て、唖然とする。
「早乙女なら余裕だろ!」
「なあ?」
「あ、当たり前だろ!そんなヤツ、俺の手にかかればちょちょいのちょいだ!」
またしても見栄を張ってしまった早乙女は、引きつった表情のまま男子たちに背中を叩かれ、「ははは…」と消え入りそうな声で笑い続けた。
***
2年や3年よりも先に宿舎の中へと入った、1年の女子生徒たち。
男子たちも徐々に宿舎の中へと入っていく中で、1人の女子生徒は、木の陰に立ち尽くしていた。
「……」
大きめのフレームのメガネに、鼻まで隠れそうな長い前髪。
貞子、というか、地味キャラにしか見えない彼女に唯一素晴らしい点があるとするなら、それはかなりスタイルがいいということくらいだ。
2年生でも3年生でもない彼女は、当然のことながら新1年生、つまりは早乙女たちと同じ学年だ。
そんな地味な彼女は、黒くて長い前髪を搔き上げると、美しい青い瞳で、ビーチバレーをする2年生へと視線を送る。
彼女の顔は、夕夏に勝るとも劣らない美貌を兼ね備えていた。
真っ白で、美しくて凛々しい顔立ちの彼女は、さっきまで華やかさが欠けるなどと言っていた男子の言葉など忘れるほどに、可愛い。
「……」
きっと、彼女が前髪を切っていれば、1年生の男子たちの視線は、彼女1人に集まっていただろう。
今の2年生のように、美女たちがひしめき合う学年ではないため、なおさらだ。
「誰見てるんだ〜?貧乳ちゃん」
そんな彼女に近く、1つの影。
見ず知らずの女性に向かって貧乳と発言した失礼な男、それは悠馬や八神もよく知る、金髪のふざけた人物、紅桜連太郎だった。
面白い人物を見つけたと言いたげな彼は、ニヤニヤと笑いながら、彼女へと近づこうとする。
「…紅桜。私に干渉しないで。それと胸は関係ない」
近づいてくる連太郎と目があった少女は、髪を下ろし、メガネをかけると、貞子のような姿で話を始める。
連太郎の言った通り、確かに彼女はスタイルが抜群なのだが、胸はアルカンジュと同等程度だ。
「んなこと言わないでよ、ほら、俺らって同じ裏の人間じゃん?マナちん」
「……貴方と私が同じ?笑わせないで」
へらへらと笑いながら、同じ〝裏〟と表現した連太郎。
それは文字通り、彼女が日本支部の紅桜家を筆頭とする、裏側の家系に生まれた存在であることを示していた。
異能島と言えば、日本支部でも最高水準の異能の指導が行われる他に、同レベルの生徒たちと競うことで、さらなるレベルアップを推進することができる。
しかしながら、裏である連太郎や、マナと呼ばれた彼女には、そんなことは関係ない。
この日本支部の裏側である彼らは、異能島で習うような生ぬるい異能の使い方を求めてはいない。
暗殺するため、スマートに処理を行うための異能を必要とする彼らは、任務以外で異能島に入学することはまずないと断言してもいい。
連太郎はこういうふざけた性格だし、親に無理を言って入学させてもらっているが、普通の裏の人間なら、こんなところでのんびり生活なんてしていない。
況してや、こんな真面目そうなマナが、連太郎のようなワガママを言うはずがないだろう。
彼女が入学していることを知らなかった連太郎は、自分の知らないところで裏が動いていることを知って、こうしてマナに接触したのだ。
「不良品」
「オイオイ、極貧…一応言っとくが、俺は紅桜家の人間であって、お前ら桜庭家よりも格上だぜ?それに、実力的にも俺の方が上だ。加えて言うなら俺は先輩、舐めてたら潰すよ?」
加奈や悠馬にボロカスに言われてもヘラヘラとしている連太郎だが、どうやらマナの発言は気に食わなかったようだ。
裏には裏の、やり方がある。
本来であれば格上の紅桜家に対して、無礼な発言をする家系なんて存在しないし、況してや裏の人間ならば尚更、紅桜家には気を使う。
舐められたらおしまいの裏社会において、年齢も異能も家系も下の人間に、不良品などと言われることは本来あってはならないことであって、発言をしてはならない、タブーである。
彼女の首へと右手を伸ばした連太郎は、首を掴むと同時に徐々に力を入れて、彼女を脅す。
「事実でしょう。闇をひた走る私たちが、光を求めるのは間違ってる」
「はぁ?俺が光を求めてるって言いたいのか?」
裏の人間の連太郎が、表を求めていると言いたいマナは、首を絞められながらも、謝罪することなく強気な姿勢をとった。
「貴方の任務は暁闇の殺害。日本支部の不利益になるかもしれない彼を排除するのが、貴方の役目でしょう」
「……それで?」
「5年もかかって殺せてない上に、親しい仲になってるなんて論外だと言っているの」
「なに?紅桜家のやり方が気に入らない?」
「ええ。紅桜家じゃやり方が生ぬるいわ。だから私たち、桜庭家は、紅桜家を除いた裏で話をつけた」
「…お前ら、随分と勝手だな」
トップであるはずの紅桜家をハブって、秘密裏にコソコソとしている裏の家系たち。
本来連太郎に課せられたはずの任務を、紅桜家では果たせないと判断した彼女たちは、上に判断を委ねずに、勝手に動き出したと言うことだ。
「紅桜家こそ。なぜそこまでして、暁闇を殺さないの?」
いつでも殺せるほどの近さにいると言うのに、殺すどころか情報を与え、あろうことか紅桜家現当主である連太郎の父ですら、悠馬に肩入れしている。
殺さなければならない相手と仲良くやっているのが、裏の人間からすれば理解ができないようだ。
「殺さないんじゃない。殺せないんだよ」
「言い訳?」
「桜庭愛菜…お前にいい機会をやるよ。お前は悠馬を殺すために異能島に入学したんだろ?」
連太郎の問いに、コクっと首を縦に振るマナ。
その反応を見ていた連太郎は、ニヤリと笑みを浮かべると、ゆっくりと手を離した。
「今日の夜、告白と称してお前の前に悠馬を連れてく。自分が紅桜家より正しい、優れていると思うなら、そこで悠馬を殺してみろよ」
「…なぜ桜庭家が表で有名にならないか、知ってる?」
「任務を失敗したことがないから」
紅桜家の次に権力を持っているのが、現在連太郎の目の前にいるこの女の家系、桜庭家。
裏では誰でも知っていることを尋ねてきたマナに、連太郎はやる気のない声で返事をし、そして去っていく。
「でも今日は失敗するよ」




