結界事件
時刻は22時を回った、第四区貨物倉庫の区画内。
綺麗に並べられたコンテナが、まるで舗装された道路のように道を示し、そこを歩く亜麻色の髪色をした女子生徒の姿が見える。
どんよりとした雲が空を覆っているため、月は見えない。等間隔に並べられた街灯だけが頼りのその中を歩いている少女の服装は、いつもと違うものだった。
悠馬の寮に着てくるような小洒落た私服でもなければ、制服でもない。真っ黒なジャージに身を包んだ彼女の姿は、グレた女子高生像、そのままだった。
これでタバコでも吸っていたら完璧なんじゃないかと思えるほどのラフな格好に、いつになく機嫌の悪い表情をした夕夏。
もしクラスメイトがこんな姿を見かけたなら、恐らく翌朝には美哉坂夕夏がグレたと大騒ぎになっていることだろう。
それほど、今の格好は美哉坂夕夏という少女の人物像からはかけ離れた姿だった。
とてもお嬢様とは思えない姿だ。
そんな格好をした夕夏は、自分の服装など気にするそぶりもなく、定期的にあたりを見回して警戒に当たっていた。
今日の呼び出し。夕夏と契りを交わした神である天照大神に会いたければこの場へ来いと言われていた夕夏は、約束通りに、律儀にこの場に訪れていた。
街灯がチカチカと点滅している場所を過ぎると、小さな展望台と海が見える。
「よお、遅かったな。美哉坂夕夏。5分遅刻だぜ?」
真正面に見えた海を見ていた夕夏に、ふと投げかけられた声。聞き覚えのないその声を聞いて右側を見た夕夏は、先日刃物で切りつけてきた輩と同じ服装をした面々が立っていることに気づき、一歩後ずさった。
真っ黒なローブに身を包み、フードを深くかぶっているため、顔は見えない。
潮風にあたりバサバサと靡くローブを目を細くして見つめた夕夏は、背後に控える輩の数をきちんと把握する。
7人。
放課後に襲われた時は3人しか居なかったが、今回はやけに多い。実験と言っていたから、何かするのだろうか?
夕夏が何をされるのかを考えていたら、つい先ほど口を開いたローブ姿の1人が、話を始めた。
「いやぁ、いいとこのお嬢ちゃんは羨ましいなぁ?うちらと違って、さぞかしエリート街道を歩いていたんだろう?」
嫌味のように毒づく声は、女性の声だった。しかし、口調が電話の相手とは違う。
「だったら何?私に恨みでもあるの?」
「ははは!無えな!全くない!だけどお前は目を付けられたんだよ。日本支部でも数えるほどしかいないレベル10の異能力者だからなぁ!」
「実験ってなんの実験なの!?」
「ああ…そりゃあこれだよ。結界。天照大神」
「な…は…?」
今なんて言ったの?目の前のローブに身を包んだ女が口走った言葉。
もちろん、聞こえなかったわけじゃない。ちゃんと聞こえていた。しかし、理解も納得もしたくはなかった。
目を見開いた夕夏は、自然と異能を発生させて炎を身に纏っていた。
なんで?なんで天照大神が別の人と契約してるの?私との契約を破棄したって事?
夕夏の心には、絶望と怒りが渦巻いていた。まるで友達から裏切られたような、見捨てられたようなそんな気持ちが夕夏を駆り立てる。
「実験ってのはコレだよ。お前から奪った結界で、お前と戦ってデータを取る。単純だろ?」
「許さない。ムスプルヘイムッ!」
悠馬の使った、ニブルヘイム、コキュートスと同じく、名前付きの最上位の異能を発生させた夕夏。
容赦なく放たれた一撃は、辺りを一瞬にして火の海に変え、まるで真昼のような景色を貨物倉庫内に広がらせた。
しかし、燃えるものは1つもない。地面がコンクリートということもあってか、十数秒が経った頃には、火は収まり、地面が鉄板の焼けたような音を立てているだけだった。
「いい火加減だったぜ?美哉坂ぁ」
炎の渦が消えて行く中。一撃で終わらせるつもりだった夕夏だが、微動だにせず立っていた女を見て、目を見開く。
いつの間にか、周りにいたローブの輩たちは貨物の上へと避難し、巻き込まれないように距離を取っていた。
そして女の、燃え尽きたローブから見えた顔を見た夕夏は、2歩後ずさる。
別に知っている顔だから、というわけではない。切って繋いだような継ぎ接ぎだらけの顔を見て、驚いただけだ。
フランケンシュタインと言われれば納得できそうな、そんな不気味な姿だった。
「なぁに人の顔見てビビってんだ?これぁ力を手に入れるためには仕方なかったんだよぉ。結界を使うためには、お前と同じ体細胞に身体を作り変える必要がある」
ニヤァと笑った女は、夕夏の元へと駆け寄る。
「ありがとうね?夕夏お姉ちゃん?これからは私が美哉坂夕夏だから、よろしくぅ?」
「ふざけないで!」
身体を作り変える。その技術は前々から画期的だと医学界では話されてきた。体細胞を作り変えれば、持病は元に戻るのでは?同じ異能のものを量産できるのでは?と。
しかしながら、その話題は、人体での実験が行われる前に凍結していた。
別の生物で行った実験で、身体が破裂したり、絶命したりというなんらかのイレギュラーが発生してうまくいかなかった為だ。
細胞を作り変える方法は秘匿らしいが、まずは対象のDNAが必要だということだ。
夕夏は襲われたときに、血を奪われていた。
それを利用して作られたのが、今夕夏の目の前にいる継ぎ接ぎだらけの女ということになる。
女が放った炎を、同じ火力で焼き払った夕夏は、腹部に飛んできた拳をギリギリのところで回避してから雷の異能を放つ。
槍のように鋭い異能が継ぎ接ぎだらけの女をめがけ一直線に飛んでいき、バリッという音とともに、彼女へと直撃した。
「…気絶する程度です」
ローブを着ている面々に向けて、一応と言う感じでそう告げた夕夏は、その場から身動きを取らずに、コンテナの上にいる面々の方向を見ていた。
「みぃーやーさーかぁー」
「っ!?」
攻撃をもろに受けた継ぎ接ぎだらけの女の声が聞こえてくる。
背筋が凍るような感覚にとらわれた夕夏は、怯えた表情で背後へと数歩後ずさると、まるでゾンビ映画のようにして立ち上がる女を見て、思わず仰け反る。
「ダメージが…ないの?」
「いいやぁ…少しはあるよぉ?でも、私もこういうのは得意なんだよぉ!」
夕夏が放った鋭い槍のような雷の異能を数本発生させた継ぎ接ぎだらけの女は、容赦なくその異能を夕夏に向けて発射させる。
「さすがは天才肌。異能を使った経験はほとんどないのに、もうこれにも適応するんだ?」
ギリギリのところで回避を繰り返す夕夏。しかし、彼女のジャージにはほんの少しだけ、切り裂かれたような線が入っていた。
夕夏は元々、なんでもできる完璧少女だ。経験のないことだって、一度実践してみれば人並み以上には成果を残せるし、今だってそうだ。
人に向けて異能を放つのはまだ二度目だというのに、炎の異能の中で最高位に属する名前付き、ムスプルヘイムすら使いこなして見せた。
加えて並々ならぬ動体視力は、猛スピードで迫り来る雷系統の異能を回避するほどだ。
その様子を見ていた継ぎ接ぎだらけの女も、素直に感心したように手を叩き夕夏を褒めている。
「天照を返してください」
「それは無理なお願いだよ、美哉坂ぁ。返して欲しいんなら力づくじゃないと!」
そんな賞賛の声を無視して結界を返せという夕夏を煽る女は、無防備に夕夏へと駆け寄る。
夕夏は異能を発動させようとしたが、その無防備な状態を見て、異能を使うのを躊躇った。
この距離で異能を使うと、この人を殺してしまうかもしれない。そんな不安が夕夏の頭の片隅にはあった。
夕夏は、先程から火力を抑えて異能を使っていた。実技試験の時は、ルールに悪意のある火力でなければダメージを低減できると書いてあった為、安心して火力を上げていたが、今回は違う。
あまり火力を上げすぎると相手を殺してしまう。しかし火力を下げればダメージはない。
懐へと入ってきた女の拳をモロに食らった夕夏は、数メートルほど転がり、腹部を抑えてうずくまった。
「ううっ…」
「もしかしてお前、このまま無抵抗だったら私が諦めてくれるとでも思ってる?」
転がっている夕夏の髪を引っ張り、無理やり目を合わせた継ぎ接ぎだらけの女は、にっこりと笑みを浮かべると夕夏の顔に向かって唾を吐き捨てる。
「残念だけど、そうはいかないんだよねぇ。ドクターから、実験データが取れたらお前を殺せって言われてるから。戦わないと、お前この場で死ぬよ?ほら、全力で戦ってみせろよぉ!」
まるで弱いものイジメをしているような継ぎ接ぎだらけの女は、夕夏を煽り、腹部を何度か殴った後、彼女を投げ飛ばした。
「っあ?!」
直後。投げ飛ばしたはずの夕夏が目の前に現れ、女の腹部に向けて炎の異能を放った。
辺りには爆発のような音が聞こえ、落ちていた枯葉は一気に巻き上がる。
「…あまり調子に乗らないでください。私だってやる時はやります」
夕夏の身体には無数の稲妻が走り、それは身体の中へと出入りしていた。
彼女が今使っている技は、自身の体内を無理やり雷で動かして、一時的に身体能力をあげる技だ。
下手をすれば自身の許容量を超え感電してしまうため、普通の人間が使わない技でもある。
もちろん、夕夏のはまだまだ微弱で、ほんの少し身体能力を上げただけに過ぎないのだが。
それでも夕夏の動きは、つい先ほどとは比べ物にならないほどキレを増し、物理的な攻撃力も反応スピードも格段に上がる。
「それが奥の手か!美哉坂ぁ!」
嬉しそうに叫び声をあげた女は、先ほど夕夏が放ったムスプルヘイムの劣化版のような異能を使い、辺り一面を炎へと変えた。
それを見た夕夏は、自分に迫り来る炎を軽々避けると、コンテナの上に飛び乗り女との距離を一気に詰める。
これなら勝てる。これなら相手に後遺症を与えることもなく、自分も死ぬことなく穏便に済ませられる。
コンテナの上を走り抜ける夕夏は、勝ちを確信しながら彼女の背後目掛けて飛び降りた。
ゼロ距離からの電撃。相手の許容量を超えたところで異能を中止すれば、大した後遺症も残らず、気を失わせるだけで済む。
そのことを知っていた夕夏は、継ぎ接ぎだらけの女を掴もうと手を伸ばした。が。
女が振り返ると同時に、もう1つの影が現れ、夕夏は手を引っ込めた。
バランスを崩し、地面に転がる夕夏。
その姿を見た継ぎ接ぎだらけの女は、面白おかしく笑って見せると、夕夏の顔に蹴りを入れる。
「いやぁ、流石にレベル10といきなりバトルってのは無理かぁ」
「卑怯ですよ!」
最初から夕夏に負けることを想定していたのか、それとも保険だったのか。
まるで身代わりのようにして、夕夏へと向けられたのは、この島の制服を着た中学生だった。
気絶しているのだろう、目は閉じられ、力なく継ぎ接ぎだらけの女に持ち上げられている。
「おっと動くなよ、美哉坂。動けばこのガキを殺す」
気絶している男子中学生に向けて、雷の異能を放とうとする女を見た夕夏は、悔しさを露わにしながら、大人しく立ち上がることをやめた。
「助かるぜ?美哉坂。お前の物わかりが悪かったら、このガキが本当に死ぬところだったからなぁ?」
勝ち誇った女は、夕夏の頭を踏みつけながらそう呟く。
「ところで美哉坂。もうすぐ死ぬって気持ちはどんな感じだ?怖いのか?」
「死…」
戦いのせいか、アドレナリンが出ていた夕夏は、死の恐怖など忘れて戦っていた。震えもいつの間にか止まっていた。
しかし、絶望的な状況に立たされ、冷静さを取り戻すと全身に寒気が走った。
私が動くと男の子が死ぬ。私が動かないとわたしが死ぬ。
どちらにしろ誰かが死んでしまう。
私はまだ死にたくない。まだ普通に暮らしたい。天照とも会いたい。
でも、私がそれを願うと、目の前にいる男の子が死んでしまう。
この子の親御さんはどう思う?友達はどう思うだろうか?
それを考えるだけで、ゾッとしてしまう。
どちらを選んでも、後悔が残るのは確実だった。
止まっていた震えが再び起こり、夕夏は全身を震わせながら、懇願するように継ぎ接ぎだらけの女にお願いをした。
「殺さないでください…私も、この子も…お願いします…」
「それは無理なお願いだなぁ、美哉坂。私らはお前の死体が欲しい。お前が逃げ切るには、ガキを見殺しにするしかないんだよ」
「お願いします!まだ死にたくないんです!」
まだ死にたくない。この島に入学して、まだ全然遊べてない。この島を回れてない。みんなと過ごしたい。みんなと遊びたい。天照と話したい。暁くんに謝らなくちゃいけない。
「私にはまだしたいことがたくさんあるの!だから!」
「バーカ、そんな話聞いて私らが助けてくれるとでも思ってんのか?」
泣き叫びながらお願いをする夕夏を一蹴したのは、継ぎ接ぎだらけの女の一言だった。
一度目を見開いた夕夏は、何かを悟ったように瞳を閉じた。
ごめんなさい。お父さん、お母さん。結局ワガママばっかり言って、2人の邪魔者でしかなかったね。
ごめんなさい、天照。貴女とずっと友達でいれたらって、私、今でも思ってるから。
ごめんなさい。暁くん。君には最後まで謝れなかった。またいつか、どこかで巡り会えたら、その時はきちんと謝らせてください。
様々な思いが胸の奥から溢れ出し、嗚咽を漏らす夕夏。
その姿を愉快な表情で見ていた継ぎ接ぎだらけの女の攻撃が、無慈悲に夕夏へと振り下ろされた。




