罠
同日、放課後。
昨日と同じように、悠馬の寮には金髪の男子生徒の姿があった。まるで我が家のようにだらしなくソファに寝っ転がる連太郎。
その姿を見ている悠馬の瞳は、かなり冷たかった。
「それじゃあ、お前が何をし始めたのか聞かせてもらおうか?」
寝っ転がっていた連太郎は上体を起こすと、制服を脱いだ悠馬に向けて問いかけた。
外のどんよりとした景色を見ていた悠馬は、カーテンを閉めると歩き始める。
「おかしいとは思わなかったか?」
「悪人じゃないのに結界の契約破棄がされてること?そりゃあおかしいだろうよ。普通ありえない」
「違う。そこじゃない」
悠馬がそう答えると、じゃあ何だよ?と言いたげな連太郎は、ソファに寄りかかると悠馬の説明を待った。
「異能島の入学試験で、実技試験があるのは国立高校のみ。俺は美哉坂が実技試験で結界を使ってるのを見たし、その様子を伺っている奴がいるのも知っていた。だから今回美哉坂が狙われたんだと、そう思っていた。他に狙われた生徒たちも同様だって判断してた」
そう、今回狙われた生徒たちは、全員入学試験で結界を使ったのだと、悠馬も連太郎も考えていた。
「まさか」
連太郎も気づいた様子だ。自分たちが入試で行ったことは、他の生徒も全員していると、彼自身も思い込んでいた。
「中学校と私立高校には実技試験が無い。なのにどうして結界の情報が漏れてる?挙げられる可能性は2つだよな」
「被害者全員が入学後に結界を使ったか、この島を管理する側の人間に敵がいるのか」
連太郎が口を開く間も無く、悠馬は話を続けた。連太郎も、特に異論はないようだ。深く頷いている。
「前者はほぼありえないだろう。もし仮に結界を使ったのを目撃したとしても、契約神の特定は難しいし、そもそも結界を使ったその場面に出くわす必要がある。よっぽどの強運の持ち主でなければ、6人の結界を特定ってのは無理だろう」
「そして後者。これは今日、美月に調べてもらって確証が出てきた。学生データベースには、生徒の自己申告制で結界の情報登録もされているそうだ。加えて、寮から学校までのルートも記入されてるらしい」
「ってことは、そのデータベースを確認して、ピンポイントで下校ルートを狙ったわけか。確かに、全事件において目撃者が少ない、人通りの少ないルートまで熟知してないと不可能、況してや入学数週間で調べがつくような内容じゃねえな。でもひとつ忘れてるぜ?お前、上層部じゃなくて誰かが侵入したって可能性は考えないのか?」
連太郎は、もう1つの可能性を指摘した。もともと悠馬もその可能性を考えていたのだが。
「セントラルタワーを登るには、要所要所でカードと人体の認証が必要らしい。体型、体重、顔の確認とカードタッチ。他に侵入方法があるとするなら、扉を壊すくらいらしいが、その場合は即座に警報が鳴るそうだ。それに、この島の監視カメラに死角はないそうだ」
「なるほど!まじかよ」
「カメラに死角がないのに、なぜ犯罪者たちを捕まえられない?追跡できない?」
「中でカメラを操作してた奴がいるって事か。そしてそいつが、データベースを確認して結界や寮の情報を流した」
全てが繋がった連太郎は、嬉しげにソファの上に立ち上がると、一度大きくジャンプをしてから悠馬の目の前に着地した。
「でもどうすんだ?それがわかったところで事件は終息しねえよな?」
「ああ。だからお前に協力してほしい。今日からしばらく、その異能を使って美哉坂の動向を追ってほしい」
理事会のメンバーの中の裏切り者が捕まったところで、その部下が捕まるわけじゃない。結果的には解決に程遠いのではと尋ねた連太郎は、続けざまに飛んできた悠馬のお願いを聞いて、口をぽかんと開けてしゃがみ込んだ。
「はぁー…お前、俺にストーカーしろって言ってんのかよ?何?風呂の音からトイレの音まで、もしかしたらしてるかもしれない慰め行為まで全部聞けってか?美哉坂夕夏にプライバシーは無いのかよ!」
「お前、人の命とプライバシー、どっちが重要だと思ってんだよ」
考え直せと言わんばかりに悠馬に向けて出来ない理由を口にした連太郎。
しかし悠馬はもう決めた様子で、表情を一切変えずにそう言い返してきた。
「俺は美哉坂が無事ならそれでいい」
「仕方ねぇーなー!なるべく聞いとくよ!でも、俺だって常に異能が使えるわけじゃねえからな!お前もちゃんと見張っとけよ!」
「ああ。わかってるよ」
吐き捨てるように叫んだ連太郎は、自身が床に投げ飛ばしていたカバンを手にすると、「ったく、災難だぜ」などと愚痴を呟きながら玄関へと向かっていく。
その様子を何も言わずに見送った悠馬は、静かになった寮内を歩き、脱衣所の扉に手を置いた。
「美哉坂…」
***
あれからどれくらいの時間が経過したんだろう?
いつもは綺麗に整っている亜麻色の髪はえらくボサボサで、少しだけ目元に隈ができている少女、美哉坂夕夏は、うずくまっていた布団から顔を出すと、ベッドの横に置いてある携帯端末を手に取り、時刻を確認した。
4月29日。時刻は20時を回った頃だった。
本来であれば、今頃悠馬の寮に行って料理を振舞っている頃なのだが、昨日あれだけ文句を言っておいて、何事もなかったかのように振る舞うということを、夕夏は出来ずにいた。
枕に顔を埋め、ため息を吐いた夕夏はゆっくりと身体を起こすと、疲れ果てたようにだらしなく歩き始めた。
昨日から全く変わっていない、荒れ果てた寮。倒れたテレビの液晶が床に飛び散り、叩きつけた花瓶の破片はそのまま。壁に掛かっていた絵画も、くの字に曲がり床に転がっている。
シャーペンや書類、教材で踏み場も無くなっているその寮の中を、彼女は教材を踏みつけながら歩いた。
もちろん、普段からこんなことをしているわけじゃ無い。
美哉坂夕夏という少女は、物を大切にする人間だ。割れた消しゴムの破片ですら捨てるときに何度も謝るし、物を壊すという概念はほとんどなかった。
そんな小心者の彼女が、気にするそぶりもなく物を踏みつけるというのは、よっぽど精神的に病んでいるのだろう。
キッチンへ入ると冷蔵庫を開き、ペットボトルに入ったお茶を取り出す。
それと同時に、彼女のお腹が鳴った。
「そういえば昨日の夜から、何も食べてなかったね…」
お腹を抑えながら、彼女はそう呟く。
夕夏は昨日の夜、ナポリタンを一口だけ口に運んで以降、ご飯を一口も食べていなかった。
特に気にしてはいなかったが、お腹が鳴ったことによりそれを思い出した夕夏は、お茶を取り出すついでに、冷蔵庫の中にあった切りかけのリンゴを取り出し、キッチンに置いた。
コップにお茶を注ぎ、リンゴをそのまま口にする。
きっと実家であれば、はしたないと怒られるその夕夏のお嬢様のカケラもない姿も、この1人の空間には誰も咎めるものなどいない。
「…美味しくない」
ついこの間までは美味しいと思っていた果物の味ですら不味く感じた。そのままリンゴをキッチンに置いた夕夏は、お茶を飲んで口の中に残ったリンゴの残骸を流し込む。
「うっ…」
無理やり流し込んだせいか、それとも急になにかを口にしたからか。吐き気に襲われた夕夏は、その場に座り込み、口を抑えた。
「寂しいよ…天照…1人は嫌だよ…」
いつもは返ってくる声は、いつもと違って返ってこなかった。瞳に涙を溜めて嗚咽を漏らす夕夏は、その場に座り込んだまま泣き喚いた。
そんな中で、寮の中で、何かのメロディが流れ始めた。彼女のテンションとは大違いな、思わず空気を読めと怒鳴りたくなるような着信音だ。
携帯端末から鳴り響くそのメロディを聞いた夕夏は、瞳に溜まった涙を拭うと、キッチンから立ち上がりリビングへと向かった。
いったい誰だろう?
夕夏は本日、風邪という名目で学校を欠席していたため、クラスの女子や、連絡先を交換している男子からのメッセージは届いていた。
それがなぜ通話じゃなかったのかは、考えれば簡単な話だ。風邪を引いて欠席をしている友達にわざわざ電話をかける。
そんな無神経なこと、相手からすれば迷惑だし、好感度も下がる。こっちはキツイのに、余計な連絡をしてくるな。鬱陶しいと思う人もいるだろう。
いつもの夕夏なら、それでも元気に電話に出ようとするが、今日は違う。
鬱陶しい着信音を聞いて、こんな常識のないことをしてくるのはいったい誰だと言わんばかりに携帯端末の発信者を見た夕夏は、首を傾げた。
本来であれば発信者の名前が記されている場所には、非通知という文字があった。
それを見た夕夏は、余計に苛立つ。
わざわざ非通知にしてまで掛けてくるとは何事だ。どれだけ常識がないんだと。
怒りに身を任せ、応答のボタンをタップした夕夏は、携帯端末を耳に当て、怒った表情で受け答えをした。
「もしもし?」
「美哉坂夕夏だな?」
夕夏の受け答えに対して返ってきた、機械的な声。おそらく変声器でも使っているのだろう、男か女かもわからない、幾重にも合成されたその声は、不気味な感じを醸し出し、声を聞いた夕夏は、全身に鳥肌が立っていた。
「誰ですか?ふざけてるなら切りますよ?」
「待ちさない。お前の結界、今頃どうしてるだろうな?天照大神は」
合成のかかった声が、夕夏が一番気にしていることを口走る。
その声を聞いた夕夏は、目を見開いて携帯端末を睨みつけながら叫んだ。
「返して!私の結界を!天照を返して!」
「そうだな。合わせるくらいはしてやろう。テスト実験を兼ねてな。今日の22時。第四区貨物倉庫の敷地内にてお前を待つ。こなければそこで、お前と天照大神はお別れだ。二度と会うことはないだろうから、お別れの準備でもしておくといい。あとは遺書でも残しておけばいい」
場所と日時の指定だけして、ブツッという音とともに、相手からの電話は切れた。
「っ!なにが実験よ…!絶対に許さないんだから!」
時計を見た夕夏は、携帯端末をベッドに叩きつける。
相手が誰だろうと関係ない。何が何でも天照大神を取り返して、元の私に戻るんだ。
自分の心にそう言い聞かせる夕夏だったが、その心の隙間には、恐怖や不安、怯えといった感情が渦巻いていた。
二日前、刃物で切りつけられた時に感じた痛みは本物だった。
あの場面で相手に殺す気があったならすぐに殺されていただろうという恐怖と、いつか殺されるんじゃないかという不安。もしかするともう二度と、元の生活には戻れないんじゃないかという怯えが、自身を説得させようと何度も言い聞かせてくる夕夏の言葉を惑わせ、全身の震えが止まらない。
「ダメだ…私…怖いんだ…本当は怖いよ!まだ死にたくもない!天照とももう一度話したい!どうすればいいの?どうすれば!」
天照大神ともう一度話しはしたいけど、会いに行けば殺される可能性もある。
極限の選択を迫られた夕夏は、頭を抱えて塞ぎ込んだ。
「どうすれば…私はどうすれば…」




