卒業式
春。穏やかな日差しと、雲ひとつない空の下を歩く暁悠馬は、入学当初と何ら変わらない通学路を歩きながら、周囲を眺める。
桜の花はまだ開花前らしく、残念なことにまだ蕾のままだ。
まぁ、卒業式といえば桜の季節などと言われるが、桜が咲く前なのが現実だ。
「卒業式、か」
悠馬は1人呟く。
無論、悠馬が卒業するというわけじゃない。
ただ、入学してから11ヶ月が過ぎ、そしてもうすぐ1年が経過することに、感慨深い何かと、悲しみを感じるだけだ。
「はぁ神奈しゃん、結局僕に惚れないまま卒業かぁ…」
「…誰の真似だよそれ」
背後から聞こえてきたふざけた声に、悠馬は冷たく振り返る。
こんなふざけた発言をする奴を、悠馬は1人しか知らない。
悠馬の背後に立っていたのは、もう見慣れた、というか、腐れ縁の連太郎だった。
反応されたことが嬉しかったのか、ニヤリと白い歯を見せた連太郎は、悠馬の横に並んで歩き始める。
「お前の真似」
「…絶対そんな発言してない」
「ははは!今日するかもだろ?」
「しねえよ!」
悠馬と神奈は小学校が同じだっただけで、それ以上の関係にはなったことがないし、それを望んだこともない。
ふざけた連太郎を全否定した悠馬は、不機嫌そうに歩く。
実に幸先の悪いスタートだ。
学校一、いや、異能島一面倒くさい男に絡まれたと、心の中で嘆く。
「にしても、面倒だよなぁ、何で3年の卒業式、全員参加なんだ?教えろよ悠馬ぁ」
「俺が聞きたいよ」
異能島の卒業式は、基本的に全員参加が強制される。
普通なら、次の学年である2年生だけ〜とか、3年生と関わりのある部活動生だけ〜とかで見送るのが主流だと思うが、帰宅部で上級生と関わりのない悠馬たちも、強制参加させられるのだ。
「俺ら3年と関わりあったか?」
「俺は神奈先輩と話したくらいだな」
あとは合宿で顔面に膝蹴りを入れた人くらいしか記憶にない。
悠馬にとっての3年生の記憶は、たったの3人だけだ。
「俺、誰も覚えてないんだけど」
どうやら連太郎はそれ以下だったようだ、微妙そうに頬に汗を流す彼は、ちょっとした気まずさを感じているのかもしれない。
「第一に、俺らみたいな1年が卒業式見にきて、先輩は嬉しいのか?」
「さあ?」
後輩いびりが好きだった先輩たちが、卒業式に後輩が現れて喜ぶとは思えない…気もする。
卒業式で乱闘になったりしないよな?
そんな不安を抱きながら、悠馬と連太郎は門をくぐった。
***
「卒業生代表、柊神奈」
生徒会長である神奈の答辞も終わり、式は残すところ退場のみ。
恐れていた乱闘などは起こらずに、3年の先輩方が涙を浮かべている姿に、ちょっとだけグッときてしまう。
あと2年もすれば、あそこには自分たちがいるのだ。
その時、あんな風に泣いているのだろうか、それとも笑って卒業しているのだろうか?
きっと、横に座っている奴は卒業式でも盛大にやらかしてくれそうだ。
悠馬が隣に座っている黒髪小柄男子の通に目をやると、通は鼻ちょうちんを膨らませながら爆睡している。
自分に関係のない卒業式ということと、何の思入れもない先輩が卒業するからか、ぐっすりと眠っている。
「なぁ暁、この後少し時間あるか?」
通に目をやっていると、少し後ろの席から声がかかる。
珍しい声に驚いた悠馬は、先生に叱られぬよう、身体を半分だけ動かすと、その人物の話を聞いているそぶりを見せる。
彼は野球部に所属している山田だ。
文化祭の準備の時に、朱理のドーナツをくすねて死にかけたあのバカだ。
「まぁ、バイトしてないし」
特にする事はない。
暇だとは言いたくない悠馬は、何もすることがないという風の発言をして、山田の返事を待つ。
「実は野球部のマネージャーたちが、お前と写真撮りたいって言っててさー…お願いできるか?」
「別にいいよ」
写真を撮るくらい、拒否しなくていいだろう。
3年の男たちは嫌いだが、女子から嫌がらせを受けた記憶のない悠馬は、山田のお願いをすんなりと受け入れる。
「ケッ、羨ましい…」
「その写真ネットで拡散されて美哉坂さんと破局しろ」
「…お前ら全部聞こえてるからな!」
心の声が漏れ漏れのAクラスの男子たちの声を聞きながら、悠馬はツッコミを入れる。
それと同時に、鏡花に睨まれたような気がして悠馬は黙り込んだ。
式中に喋ってんじゃねえよ。と言いたげな表情でAクラス全体を見ている鏡花が、すごく怖い。
それからすぐに、3年生たちは体育館から退場していく。
中には号泣している生徒や、笑顔で後輩に手を振っている生徒もいる。
ちなみに悠馬は、全員わからなかった。
***
「暁!こっちだ!」
「あい」
山田に案内をされながら、悠馬は野球部の練習場である、第1高校校舎の反対車線にあるグラウンドへと訪れていた。
そこでは既に卒業生が集まっていて、おそらくは野球部なのだろう、そこそこ体格のいい生徒たちが、胸に花をつけて写真を撮っていた。
「きゃー!暁くん本当に来た!」
「やるじゃん山田!」
「写真撮ろ〜」
「ははは、俺暁と仲良いんで!」
そこそこ可愛い女子の先輩たちに、山田は調子に乗ったように返事をする。
悠馬はそれを聞き逃しはしなかった。
おいお前、合宿の時からよく俺のことを、顔だけのいけ好かない奴とか言ってただろ。
何が仲がいいだ!女の前でだけアピールしてんじゃねえぞ!
案外脆くて、そして芽生えやすい仲間意識に、悠馬は軽くショックを受ける。
多分明日には、山田との仲間意識なんてなくなっているのだろう。
「はぁー、うちらの代も暁くんみたいにレベル高くてかっこいい人いたらなー」
「な、こっち見んな!」
軽く自分たちの世代が不作だったような言い方をされた野球部の先輩方は、女子たちに反論をする。
「ま、そんなショボい男子のことなんて放っておいて、私らは楽しんじゃおう!」
「ほら、暁くん寄って寄って〜、山田、お前は写真撮れ」
「……は、はい…」
悠馬を囲むようにして、制服姿の先輩たちが近づいてくる。
そんな彼女たちの間に入ろうとしていた山田は、多分自分もその写真の中に入れるとでも思っていたのだろう、先輩方にスマホを渡され、絶望の色を濃くしている。
女子たちの間に入ると、制汗剤の混ざった甘い香りが、鼻をくすぐる。
ちょっとだけアピールをしたいのか、悠馬に自身の身体を押し付ける先輩方は、ポジションの奪い合いをしているように見える。
「撮りまーす」
死にかけの表情の山田は、そう呟くとすぐに写真を撮り始める。
それから数枚写真を撮って、悠馬はその場をすぐに離れた。
山田の殺気と、野球部の卒業生たちの殺気が強かった。
手を出すはずなんてないのだが、彼らからしてみると、悠馬は敵でしかない。
自分たちの狙っていた女子たちに囲まれ写真を撮る悠馬の姿は、さぞ羨ましかったことだろう。
「あっ、俺あの人たちの連絡先知らないや」
多分、あの写真は悠馬の手元には回ってこないだろう。
そんなことを考えていると、まだまだ騒がしい学園内から少し離れた校門に、水色の髪の女子生徒がいることに気づき、悠馬は手を振った。
「神奈さん」
「あはは。お久しぶり、暁くん」
いつも通り、ニッコリと笑ってみせる神奈。
その姿は、生徒会長をやめたといえど、品行方正な雰囲気そのままだ。
「どうしたんですか?こんなところに1人で」
まだまだ学園の敷地内も騒がしいことから、9割以上の3年生はこの場に残っているはずだ。
それなのになぜ、神奈はこんなところに1人でいるのだろうか?
元生徒会長だし、それなりの人気もあるだろうから、ハブられたりいじめられたりはしていないはずだ。
「少し、歩きませんか?」
「いいですよ?」
卒業証書を片手に、駅とは真逆方向を指差す神奈。
彼女の意図はわからないが、それを承諾した悠馬は、歩き始めた神奈の横に並ぶ。
まだ少し寒い風が吹き抜け、葉のない木々を揺らす。
そんな中を歩く神奈の姿は、少しだけ色っぽく、そして大人の女性のようにも見えた。
「学校は楽しいですか?」
「はい、おかげさまで」
「ま、当然ですよね。何しろあんなに可愛い彼女がたくさんいて、つまらないなんて言った日には男子から殺されそうですし?」
「うぐ…」
悠馬の学校生活が楽しいのは、まぁ当然のことだろう。
可愛い彼女が4人もいて、お金にも不自由ない上に友達もそこそこいる。
勉強だって、スポーツだってレベルだってトップクラスの悠馬が、つまらないわけないだろう。
「そういえば会長は、卒業後は進学ですか?」
「もう会長じゃありませんよ?」
「神奈さん」
「私は新東京の国立大学に進学します」
神奈は生徒会長を退任しているため、訂正した悠馬は、驚きの表情を浮かべる。
いや、妥当といえば妥当なのだが、当然のように国立大学というところが凄い。
さすがは国立の第1異能高等学校の生徒会長を務めていた人物だ。
「なので明日には、この島ともお別れですね」
「寂しくなりますね」
知り合いがどこか遠くへ行ってしまうのは、すごく悲しい。
特に異能祭でフィナーレを共に戦い、そして小学校も同じだった先輩ともう会えなくなるのは、友達がどこかへ引っ越してしまうような、そんな沈んだ気持ちになってしまう。
「なので今日、私をヤり捨てるということもできますよ?」
ニコニコと笑いながら、さらっと爆弾発言をした神奈。
確かに彼女の言う通りだ。
悠馬は卒業まであと2年の時間がある。
神奈と関係を持てば、実質ヤり捨てたような形になること間違いなしだ。
口をぽかんと開けた悠馬は、一度立ち止まると、笑顔そのままに前へ進んでいく神奈を慌てて追いかける。
「しませんよ!?」
「冗談ですよ。私だって、好きでもない人とはしたくありませんから」
「ははは。なんか振られた気持ちになりますね」
神奈からのお誘い、に限りなく近かったためか、彼女に少なからず気があるんじゃないか?などという期待を抱かなかったわけじゃない。
もちろん、期待と承諾は全く別物のため、悠馬が受け入れるのかはわからなかったが、好きでもないと言われた悠馬は、苦笑いを浮かべる。
三振をしたような気持ちだ。
「暁くんは将来の夢は決まりましたか?」
「…異能王。って言ったら、笑いますか?」
「笑いませんよ。だって、君なら本当になれそうな気がしますから」
「はは。世辞が上手いですね」
将来の夢と聞かれて、悪羅への復讐よりも先に異能王が浮かんだ。
それがどうしてなのか、悠馬自身わからなかった。
「いや、本当に。だって史上最年少のフェスタ優勝者ですから。そんな後輩を恵んでもらった私は、鼻高々ですよ?」
史上最年少のフェスタ優勝者。
悠馬はその事実を知らずにこれまで過ごしてきたわけだが、悠馬の決勝での試合タイムも、そして年齢も、歴代でトップに躍り出るものだった。
史上最年少で決勝の試合は史上最速での決着。
戦乙女のマーニーが言ったように、悠馬に期待している人はたくさんいるし、神奈もその中の1人だった。
「応援してますよ」
「ありがとうございます」
悪戯っぽく微笑んだ神奈は、すぐ後ろを歩いていた悠馬の方を振り返りながら、そう囁いた。
「それじゃあ、そろそろ。私は本土へ帰る準備をしないといけないから、これにて退散させていただきます」
「神奈さんのこと、陰ながら応援してます」
唯一の知り合いと言ってもいい、3年生の先輩の卒業。
最後のお別れと言わんばかりに大きく手を振った彼女を、悠馬は応援の言葉で見送った。
「さようなら。暁くん」
「はい。またいつか」
彼女の瞳には、少し涙が溜まっているようにも見えた。
卒業ということもあって、色々と思うところもあるのだろう。
神奈は悠馬の方を振り向かずに、いつも通りの歩調で歩みを進めた。
「言えなかったな〜」
静かな帰り道。
遠くから聞こえてくる同級生たちの賑やかな声を聞く神奈は、1人呟いた。
「私は昔の暁くんが好きだったんですよ」
卒業証書を強く握りしめながら、1人観念したようにつぶやく。
神奈は以前に、悠馬に惚れていたことがあった。
もちろん、それは悠馬が闇堕ちする以前の話であって、今の悠馬が好きなわけじゃない。
「随分と変わり果てましたけど…それでも、君は根っこのところは変わってません」
小学校時代の悠馬を知っている神奈は、1人嬉しそうに呟き、そして満足そうに走り始めた。
「君ならきっと、立派な王様になれますよ。たくさんの思い出をありがとうございました。暁くん。また機会があれば、その時は…少しお茶でもしながら、昔話をしましょう」
その声は、悠馬に届くことなく風に吹かれ消えていく。




