女の匂い
「災難な1日だった…」
覇王のせいでアメリカ支部と揉めてボコボコにされ、帰り道でイギリス支部総帥の弱みを握ってしまい、死刑という脅しまでされた。
こんな最低最悪の1日があってたまるものか。
夢ならばどうか覚めてほしい。
クソみたい(悠馬視点)な1日を送った悠馬は、ホテルの部屋へと入ると電気を付ける。
「1人の部屋」
1人の部屋、その響きだけで思わず笑みが溢れてしまう。
その理由は合宿の時の一件を思い出したからだ。
名前順で偶然部屋が同じになったアダムと碇谷は、想像以上に騒がしくなんだかんだで楽しかったものの、面倒でもあった。
2人の喧嘩など特に、仲裁に入らなければならないし、遅刻をしたら怒られるしで災難続きだった。
しかし今回は、そんな不安がない。
なぜならフェスタの代表生徒たちは、1人一部屋、そこそこ大きな部屋が割り当てられるのだ。
フェスタの代表は明日から大きな大会を控えているわけであり、プレッシャーやその他の重圧、様々な思いを秘めて明日に備えなければならない。
そんな彼らがうるさい生徒と同じ部屋に割り当てられた際、果たしていつもと同じようなパフォーマンスができるだろうか?
英気を養うどころか、疲労して大会に臨むことになってしまうに違いない。
だからフェスタの代表選手である悠馬は、1人部屋を手に入れている。
ちなみに他の観客である学生たちは、2人部屋らしい。
多分名前順的に碇谷とアダムは同じ部屋だから、今ごろ揉めている頃だろう。
そんなことを考えながら、1人の時間、至福の時間を楽しもうとする悠馬はスキップ混じりに部屋の中へと入っていく。
「うわ!」
「わー!」
誰もいないと思っていたはずの室内から、悠馬へと飛びかかる金髪の少女。
美しい声で悠馬を驚かせてみせた彼女は、悠馬へと抱きつくと笑みを浮かべる。
「おかえり、悠馬。随分と遅かったじゃない」
「え…そんなに遅いか?」
悠馬を抱きしめながら話す、金髪の少女花咲花蓮は、悠馬が遅かったと話す。
「ええ。だって一ノ瀬先輩たちは、20分くらい前に帰ってきてたし…」
「まじか…」
アメリカ支部の連中に殴られたり、殴られたり、殴られたり、イギリス支部の総帥秘書に脅されたりしていたから、まさか前夜祭が終わっているとは思わなかった。
「それにアンタ…女の匂いするし…誰?」
抱きついている花蓮は、悠馬の体からほんの少しの香水の匂いを嗅ぎ当て、鋭い眼差しで睨む。
花蓮はハーレムは歓迎だが、自分の与り知らないところで悠馬が女とイチャイチャするのを好まない。
特に自分が知らない女とのこっそりイチャイチャは、花蓮は大っ嫌いだ。
「イギリス支部の総帥と話したんだよ…そのくらい」
「いや、触ったか密着したでしょ。そんな簡単に香水の匂いが付くはずないわ」
「…ごめん、これいうと俺死刑になるらしいから…言えない…でも、手は出してない。向こうだってその気はないと思う」
「そ?ならいいけど」
「それに、ホテルに帰ったらこんなに可愛い彼女がいるのに、外で遊ぶわけないだろ…」
花蓮が隠れていたことは驚きだが、こんなに可愛い彼女がいて、美月や朱理、夕夏がいるのに、外で他の女と楽しんでます。などとなるわけがない。
花蓮たちが思っている以上に彼女たちを溺愛している悠馬は、花蓮の抱擁に応えるように、彼女を強く抱きしめる。
「花蓮ちゃんのおっぱい、柔らかい」
「悠馬、それ、血?」
ふざけたことを呟く悠馬を無視して、悠馬の制服に付着している血痕を見つける。
服の裾に、拭ったように付いている血液は、少し切った。というレベルではないほどの出血量に見える。
「前夜祭でどこかのお馬鹿さんが盛大にやらかしてね」
「…そのお馬鹿さんが頭に浮かんでくるんだけど…」
多分花蓮の想像している人物で間違い無いだろう。
日本支部の異能島の代表選手の中で、一番問題を起こしそうな生徒といえば、お調子者の覇王しかいない。
同じ学校、同じクラスということもあってか、すぐに覇王を想像した花蓮は、呆れた様子で額に手を当てる。
「最悪。私の彼氏巻き込むとか、まじありえないし。悠馬、痛くない?大丈夫?」
甘々の花蓮は、覇王のことを罵りながら悠馬の心配をする。
「うん、花蓮ちゃんも知ってるだろ?俺はシヴァの再生があるから」
「それでも心配なものは心配なの!もう、目を離すとすぐにボロボロになるんだから」
毎度ボロボロになる悠馬を見ている花蓮は、不安そうに制服の襟を正し、そしてボタンに手をかける。
「ちょ、花蓮ちゃん…せめて風呂には入らせて」
「ば…!何勘違いしてるのよ!そういうのじゃないから!普通に、制服綺麗にしないといけないから脱がせてるだけだから!」
彼女に自身のボタンに手をかけられる。
密室のホテルで、絶対に誰も来ないであろう室内でそんな雰囲気になってしまえば、やることは1つだろう。
淡い期待を抱きながら、風呂に入ればオッケーというような発言をした悠馬は、直後に玉砕しションボリとする。
「そ、そんなにあからさまにションボリしないでよ!なんか私が悪いみたいじゃない!」
悠馬が勝手に期待をして、勝手にショックを受けているのに、なぜか申し訳ない気持ちになってくる。
私が悪いの?と言いたげな花蓮は、ションボリ悠馬の足を軽く踏み、そして悪巧みをしていそうな、ジトっとした眼差しで笑みを浮かべる。
「ねぇ悠馬、知ってる?」
「なにをさ…俺はもうなにも期待はしないよ」
「フェスタの決勝戦の後、夜には花火が上がるそうよ」
「へぇ…そうなんだ…すごいね…」
もう変な期待をして、空振りはしないぞ。
そんな絶対的な意思を持っている悠馬は、可愛い恋人、花蓮のお話だというのに冷たくあしらってみせる。
「2人で抜け出して、どこか高いところから、一緒に見ない?」
「はい!はいはい!見たいです!一緒に見たいです!」
彼女からの嬉しい申し出に、さっきまでの反応と態度はどうしたのかと訊ねたくなるほど、過敏な反応を見せる悠馬。
彼は制服のボタンを外してくれた花蓮に半裸の状態で抱きつくと、頭を優しく撫でる。
「いやぁ、嬉しいな、まさか花蓮ちゃんから誘ってくれるとは思わなかったよ」
「まぁ、バレたらかなり叱られるとは思うわよ?」
「そんなの大丈夫だよ。だって担任、今は鏡花先生じゃないし」
現在は担任教師が代理の磯部となっているため問題ない。彼に対し鏡花ほどの恐怖を感じていない悠馬は、何の迷いもなくホテルを抜け出す決意をして、花蓮に微笑む。
「悠馬がそう言ってくれると、嬉しい…」
きっと、抜け出すのはルール違反だから、規則はきちんと守ろう。などという言葉をかけられる事も考えていたのだろう。
悠馬の反応を見て嬉しそうな花蓮は、頬を赤らめながら、上半身裸の悠馬を抱きしめる。
「ところで悠馬、色々揉めたとか、イギリス支部の総帥と何かあったとか言ってたけど、明日からのトーナメント表は見たの?」
「み、見てないです…」
前夜祭で発表されたはずのトーナメントを、悠馬は確認していなかった。
まぁ、パーティー会場では色々あったし、確認できていないのは仕方のない事なのだが、トーナメントが発表されることすら忘れていた悠馬は、申し訳なさそうに答える。
「悠馬は明日の3回戦、エジプト支部のファラーナ?って人と当たることになってる。上手くいけば、3戦目で覇王をボコボコにできるはずよ」
覇王をボコボコにする大前提で話を進める、鬼畜な花蓮。
花蓮も覇王には悩まされているし、悠馬がボコボコにしている姿を見て鼻で笑いたいのだろう、そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。
「はは、アイツ、決勝で〜なんて言ってたけど、案外早く当たりそうだな」
ついこの間から、お前には決勝で勝つ的なことを言いつづけていた覇王だったが、残念なことにその夢は実現しないらしい。
どちらも上手く勝ち残れば、3回戦で激突することだけを知った悠馬は自信に満ちた笑みを浮かべながら話をする。
「八神と戀先輩、一ノ瀬先輩は?」
「その3人は悠馬とは違う山に入ってるから、当たるとしたら決勝になるわね」
「そっか。よかった」
寺坂に釘を刺されたせいで、現状炎と氷しか使えない悠馬に戀の相手は荷が重いだろう。
異能祭では鳴神を使用していたため、戀の衝撃波を受けずに済んだが、今回は常人、つまりは普通の人間と同じ速度で走り回るわけであって、戀の攻撃の回避は難易度が上がる。
可能なことならば、決勝でも当たりたくない存在のため、戀が向こうの山で戦ってくれるのは、悠馬的には喜ばしいことだ。
「第1の生徒も、第7の生徒も、悠馬と戀先輩の決着を見たいらしいけどね」
「はは…それは勘弁してほしいな」
「ま、後のトーナメント表は自分で確認しときなさいよ?流石の私でも、全部記憶してるわけじゃないから」
「うん、ありがとう花蓮ちゃん」
明日の試合相手だけ分かっていれば十分だ。
どうせ明日の試合会場でトーナメントの時間はわかるわけだし、1試合目の時間に遅れなければどうとでもなる。
花蓮からの試合情報を聞いた悠馬は、花蓮の頭をなでなですると、彼女の腰に手を回す。
「ねぇ花蓮ちゃん、八神は見かけた?」
「八神?って、あの白髪の私のファンだって言ってくれた人?」
「うん」
「彼、どうかしたの?」
決勝でしか当たらないはずの、八神の心配をする悠馬。
悠馬は八神のことを気にかけていた。
境遇かトラウマなのかはわからないが、フェスタを拒絶するような彼の姿を、前夜祭にすら参加してこない彼は、一体何を背負っているのか。
思えば入学してからも、他人を羨ましがり、謙虚で、八神が自信にあふれていた姿なんて、ほとんど目にはしなかった。
普通あれだけの容姿でレベル9なら、調子に乗っていてもおかしくないはずだ。
「実は八神、前夜祭も欠席しててな。アイツ、アメリカ支部がばら撒いた情報で拍車がかかってフェスタに出場したから、ちょっと気になって」
「ふぅん、そうねー。悠馬も私も、夕夏だって縁のない話だけどさ」
「うん?」
「レベル10以外の異能力者って案外、自分とレベル10の差を知ってしまったら、こういう試合には出たくないと思うわよ」
レベル10と9の実力の差の開きは、たった1でも、大きく違う。
たしかにレベル9でも、レベル10にタメを張るほどの実力を持つ能力者、頭脳を持つ人々はいるものの、それはレベル10の人数よりもはるかに少ないわけであり、普通のレベル9異能力者は、レベル10に対抗しうるほどの実力を持ってはいない。
だから本当に身の程を知っているレベル9能力者にとっては、フェスタとは地獄絵図のそのものなのだ。
レベル10という、バケモノの檻の中に突然投げ込まれた、レベル9異能力者。
八神は自分の実力を知ってるからこそ、フェスタ出場を望まなかったのだ。
悠馬には縁のない話。最初からレベル10だった悠馬には、八神の気持ちは一生わからないものだ。
強者は弱者の気持ちをわかろうとしても、完璧に理解することはできない。
それはどんな異能を持っていたとしても、変わることのない、不変の真理だ。
「わからないって顔してるわね」
「うん…でも少しはわかる」
悠馬だって、最強なわけじゃない。
悪羅にはぼろ負けしたし、使徒状態のバースにだって追い詰められた。
だから少しは、弱者としての恐怖も重圧も、わかっているつもりだ。
負けたくない、負けたら全部失う、約束を果たせない。
様々な気持ちが渦巻き、そして自分自身を恐怖のどん底に叩き落とす。
「まぁ、アンタにできることはないわよ」
「うん、わかってる」
レベルの話は、他人がどうこうできる問題じゃない。
悠馬が励ましたから、協力したからと言ってレベル10になれるわけでもないし、八神が救われるわけでもない。
結局悠馬にできるのは、八神を見守るだけだ。
明日から開催されるフェスタで、八神がどう動くのか、棄権するのか、戦うのか。
その決断を下すのは八神だ。悠馬ではない。
「ごめんね花蓮ちゃん、うちの学校の話につき合わせちゃって」
「ううん。八神くんは悠馬のお友達だし、それにもう、私だって他人じゃないからね。友達として、知恵を貸すことはできる」
「あはは…ありがとう」
八神と何度か顔を合わせたことがある花蓮は彼のことを友達だと明言し、悠馬に微笑みかける。
そんな花蓮に、もしかして八神に取られるんじゃないか?と不安そうに微笑み返した悠馬は、心音を加速させながら腕に力を入れる。
「なに?他の男の子の話されると不安なの?」
「多分嫉妬…かな」
「悠馬って嫉妬するんだ」
花蓮を他の男に取られたくない。他の男に気があったら不安だ。そんな気持ちを持っている悠馬は、小馬鹿にしたような花蓮を見てしょんぼりとする。
「もう、アンタって心配性よね。大丈夫、ほーら!」
そんな姿を見ていた花蓮は、悠馬をベッドに押し倒すと同時に、自身もベッドへとダイブする。
「か、花蓮ちゃん!危ないだろ!」
「あはは!今日は2人でたっぷり楽しみましょう?」
悠馬くんの嫉妬について補足ですが、悠馬は花蓮ちゃんに八神の話をした際、「しまった」と思っています。
その理由は八神はもともと花蓮のファンであるため、自分の心配の影響で花蓮が八神を気にかけて、それから恋愛に発展する…?というあらぬ妄想をしてしまったからです。嫉妬と言うよりも不安という表現に近いかもしれないです。
ま、そんなことありえないんですけどね!




