この借りは本戦で
「おい、暁…」
「なんだよ」
キングとヴァズの階段を降りる音が聞こえなくなり、しんと静まり返った非常階段の踊り場。
そこで倒れこむようにして血を流している覇王は、悠馬に向かって声をかける。
「お前、なんでボコられてんだよ」
悠馬の身体能力の凄さを、覇王はよく知っている。
猛スピードで迫る氷の弾丸を見切り、刀で斬ったり、常人では見切れないような速度で迫ってくる異能を、いとも容易く斬り伏せるほどだ。
そんな悠馬が、ヴァズの拳を一度も見きれなかった。などという可能性は万に1つもない。
ボコられるのは自分だけでよくて、悠馬がカウンターも仕掛けず、ひたすら殴られ続けていたことに理解ができない覇王は、不服そうに訊ねた。
「別に…俺、喧嘩はあんまり好きじゃないんだよ。相手を一方的にボコボコにしたって言ったら、夕夏が怒るし」
「んだよその理由…自慢かよ」
「そう聞こえたなら悪かった」
ふざけた理由を説明した悠馬に、呆れたように吐き捨てた覇王は、痛む身体を動かし上体を起こす。
「お前、怪我は?」
「右手が折れた」
「は!?お前明日からのフェスタは大丈夫なのかよ!」
「大丈夫だよ…治そうと思えば、すぐに治せる」
ヴァズの蹴りで骨が折れた悠馬は、声を荒げる覇王をうるさそうに見つめ、額の血を拭う。
「そうか…」
「とりあえず、もう帰ろうぜ。このまま会場に戻ったところで騒ぎになるだろうし、これ以上事を大きくはできない」
「そうだな…そこはお前と同意見だ」
悠馬の意見を承諾した覇王は、ボロボロの制服で立ち上がると、近くにあった扉に手を掛けて廊下へと出る。
「俺はお前のこと、少し誤解してたかもしれない」
「誤解?」
廊下の先を歩く、覇王の声。
振り向きもせず話す彼は、何か思うところでもあるのか、珍しく元気なさそうに話を始めた。
「ああ。俺はお前のこと、クズ野郎だと思ってた。お前の周りにはいつも可愛い女がいるし、たくさんの仲間がいる。レベルだって、容姿だって俺よりも上。正直大っ嫌いだ」
「…よく言われるよ」
「でもそんなお前が、俺が起こした不祥事で、何も言わずに付き合ってくれたのは…正直、ありがとうと思ってる」
覇王1人であの場に行っていれば、異能を使っていたのは間違いなしで、そうなっていれば大問題に発展していたはずだ。
色々なストッパーとして、そして一緒にボコボコにされて親密度が上昇した覇王は、少し照れ臭そうに話を進める。
「別に。感謝されるようなことじゃないだろ。それにわかってるよな?」
「ああ」
『この借りは本戦で、きっちりと返す』
同時に呟いた2人の瞳には、闘志がメラメラと湧いていた。
キングやヴァズがバカにしたような、ビビりなどという言葉が似つかわしくないほど交戦的な瞳。
2人の男の心には、火がついていた。
前を歩く覇王から視線を横に向けた悠馬は、偶然開いた扉の中を、扉から現れた存在を見て立ち止まる。
部屋のプレートには、イギリス支部総帥様控え室と記されていた。
「決勝は俺とお前、2人で決着だ。わかってんだろうな?暁」
控え室の中へと、口を塞がれ引き摺り込まれる悠馬。
そんな悠馬のことなど知らず、ひたすら前を歩き続ける覇王は、返事のない背後を見て立ち止まった。
「アイツ、どこ行った?」
振り返った先には、つい先ほどまでいたはずの悠馬の姿はなかった。
***
「見たな…」
「ひっ…え、誰!?」
真っ赤な絨毯に、豪華なシャンデリア。
王室のように黄金の椅子や、黄金のテーブルが配置されている室内に引きずり込まれた悠馬は、冷や汗を流しながら仰け反る。
なんなんだこの女(?)は。
覇王と話をしながら帰っていたはずの悠馬は、ちょうど横を向いた時に現れた薄い紫色の髪色をした女と目が合い、そして室内へと引きずり込まれた。
「貴方、乙女の変身前を除くなんて、死ぬ覚悟は出来てるのよね?」
「へ、変身…?」
「そ、こういうこと」
変身などというわけのわからない話をし始めた紫色の髪の女は、悠馬がセラフ化を使用する時のように光のようなものに包まれると、金髪へと変貌する。
「イギリス支部総帥…ソフィアさん…」
豊満な胸と、金髪の髪。紫色の瞳を目にした悠馬は、それが何者であるのかを悟り、脂汗を流す。
なんなんだこの状況は?一体どうなってる?
いや、そもそも変身ってなに?
この状況を全く飲み込めていない悠馬は、目をグルグルと回しながらソフィアに押さえつけられる。
「なぜ私がソフィアだと気づいたのかしら?」
「ぇ…だってその見た目…」
「ぐ…ぁぁぁぁぁあっ!ミスった!失敗しちゃった!きゃぁぁぁぁあっ!」
「わぁぁぁぁあっ!」
突如として声を荒げるソフィアに、パニックな悠馬も同調するように声をあげる。
「なにやってるんですか?ソフィア総帥」
「こ、この者に私の素顔を見られてしまった!殺してもいいだろうか?どう思う、アメリア!」
ドレスアップしているソフィアに声をかけられた、意見を求められたのは、イギリス支部総帥秘書のアメリア。
イギリス支部は日本支部やイタリア支部とは違い、男女の総帥&秘書のシステムではなく、女女の総帥&秘書システムを取っている。
それは単純に、トップのソフィアが女で、ソフィアが横に置きたい男がいなかったから。
悲鳴をあげるソフィアを冷めた目で見つめるアメリアは、コツコツとハイヒールを鳴らしながら罵る。
「バカですよね。ほんと、ソフィアはバカ。え?一部始終見てたけど、自ら男を引きずり込んで墓穴掘るって、貴女、それでよく2年も総帥できたよね」
「ううっ!だってだってだって〜!私、セラフ化してない状態の素顔を見られたの初めてで驚いたの!パニックっていうの?わかるでしょ?」
「わからない。全くわからない」
2人はイギリス支部の異能島の同級生であり、その時の親しさを理由に、ソフィアはアメリアを総帥秘書として大抜擢した。
そしてここで悲しい事実なのだが、ソフィアはとんでもなくポンコツだ。
総帥の仕事だって、大抵はアメリアが付き添いでいなければろくに出来ないし、特にイギリス支部の内政についてなんて、アメリアに丸投げ。
能力だけでこの立場までのし上がってしまったソフィアが唯一できるのは、クールで冷徹、あたかも自分で全てを取り仕切っているように見せる、完璧を演じるだけのお仕事だった。
しかしそれも、ここで終わりを迎えた。
「っていうか!え!?なんでそんなに長時間セラフ化できるんですか!?」
パニックから徐々に冷静さを取り戻してきた悠馬は、声を荒げる。
セラフ化というものは普通、一度使用すれば5分程度しか持たない上に、かなりのインターバルを必要とする。
だというのに目の前にいるイギリス支部総帥のソフィアは、金髪の姿がセラフ化状態だというような発言をした。
つまりテレビでスピーチや会合、色々なところへ赴いているときは常にセラフ化をしているということになる。
ソフィアのセラフ化の継続時間が、5分やそこら出ないことを意味している。
「私は12時間セラフ化できるのよ。そこらへんの総帥と一緒にしないでもらえる?」
「ソフィア、それ言って良かったの?」
「あぁぁぁぁ…」
悠馬の質問にドヤ顔で答えたソフィアは、アメリアに指摘され、瞳に涙を溜める。
「12時間…」
1日の半日をセラフ化で過ごせるなんて、聞いたことがない。
どのようにしてソフィアがこのような極地にたどり着いたのかはわからないが、おそらく人類で最も長い時間セラフ化を使えるのは、悠馬の目の前にいるソフィアだろう。
「…なんでずっとセラフ化してるんですか?」
「高校時代よく馬鹿にされたの。お前の髪は紫だ、魔女だって…だから…名前も変えて…イギリス支部総帥として頑張ろうって思ってたのに…のにぃ…」
日本支部では魔女と言われたところで大したことはないし、傷つきはしないだろうが、どうやらイギリス支部は違うようだ。
魔女裁判や魔女狩りといった記録が残っているイギリス支部において、紫色の髪だから魔女だと言われ馬鹿にされるのは、いつか私も史実のようになるのではないか、迫害されるのではないかと、ビクビクして過ごしてきたのだろう。
彼女は紫色の髪であることに、コンプレックスを抱きながら高校を卒業した。
染めればいいのに…
心の中でそう呟いた悠馬だが、紫色の髪色のソフィアを思い出し、その言葉を口に出すのをやめる。
「紫髪のソフィアさん、普通に可愛いと思いますよ。似合ってますし、ほら、せっかくご両親から貰った髪ですし」
「うんうん、そうなの。だから私、お母さんにもらったこの髪を染めなかったの」
常にセラフ化を使ってるあたり、お母さんのこと全否定してるような気もしますけどね。
特に人前では金髪になってる時点で、髪染めてるのとほぼ同じじゃね?
お馬鹿なソフィアのお話を聞く悠馬は、笑顔が引きつっている。
「あのー?ソフィア?なに知らない少年と打ち解けてるの?」
髪のことを慰められて、すっかり悠馬に心を開いているソフィア。
そんな彼女を冷たい目で見ていたアメリアは、いい加減目を覚ませと言いたげにソフィアへと詰め寄る。
「そうだった。お前はどうしてこの部屋に侵入したの?それ相応の覚悟は出来てるのかしら?」
「いや、連れ込んだのソフィアだから。謝罪しなさいよ。ごめんなさいでしょ」
「ご、ごめんなさい…」
「あ…はい…」
まるでお母さんのようにソフィアに謝罪をさせたアメリアは、ぺこりと頭を下げたソフィアを見てため息を吐く。
「貴方は日本支部のフェスタ代表、暁悠馬ね。このワンフロアは総帥専用になっていたはずだけど…どこから入ってきたの?」
「色々あって…非常階段から出たら、このフロアの廊下でした。すみません、勝手に廊下に侵入しちゃって…」
「非常階段ね…いえ。階段の鍵が開いていたのは、こちらの不手際だから。貴方の責任じゃない。気に病まないで」
アメリカ支部とのいざこざについてはなにも話はせずに、ここのフロアへたどり着いた経緯だけを話す。
そんな悠馬の話を、怒らずに聞き終えたアメリアは、一応メモを取りながら深く頷いてみせた。
「そ、それじゃあ俺はこの辺で失礼させてもらいま…」
「待ちなさい?」
「はい、なんでしょうか?」
悠馬を止めたのは、ソフィアではなくアメリア。
まるで鏡花のような、そんな圧のかかった止め方をしたアメリアの方を振り返った悠馬は、何か良くないことが起こりそうな気がして、作り笑いを浮かべる。
「もうわかってると思うけど、ソフィアの秘密。つまりは常にセラフ化を使っていて、実は紫髪だったなんてことを周りに言いふらしたらどうなるか、わかるよね?」
「…はい?」
「内乱罪。もし貴方がこのことを言いふらし、イギリス支部が不利益を被った場合。貴方は死刑になると思っておいて」
「ひっ…」
衝撃の脅し。
まさかソフィアの秘密を握っただけでそんな事態に陥るとは思っていなかった悠馬は、血の気の去っていく全身で礼をする。
「言いません!失礼しました!」
勢いよく扉を閉めた悠馬と、その場に取り残されたソフィアとアメリア。
「アメリア、今の少年のこと、調べて」
「は?」
アメリアの方を振り返ることなく話を始めたソフィアは、セラフ化を解除する。
金髪から紫髪に戻った彼女の頬は、少し赤く染まっているように見えた。
「はじめて…初めて髪色を褒められたの…」
「…ソフィア…貴女の夢を打ち砕くようで申し訳ないけど…褒めたからといって、彼が貴女のことを思っているわけじゃ…」
ソフィアの反応を見てから、アメリアは申し訳なさそうに進言する。
彼女の表情から察するに、アメリアはソフィアが簡単に靡いたから呆れているわけでも、忘れさせようとして発言をしているわけではないように見えた。
彼女の表情に見え隠れする曇り空は、もっとこう、イギリス支部に深く根付いてしまった黒い部分を案じて。
「いいから…私、あの人がいい…」
「わかった。少し調べる時間を頂戴」
本来絶対にやってはならない、他国の学生を調べ上げるという違法行為。
それはソフィアのためなのか、それとももっと別の、悠馬の異能を見透かしてのことなのか。
拒絶することもなく総帥であるソフィアの指示を受けた総帥秘書のアメリアは、その場からピクリとも動かない紫髪の女性を見て、小さく呟いた。
「それで貴女が救われるなら、私は…」
例え犯罪者になろうと、貴女の力になってみせる。
このままヒロインにはさせないです。ソフィアさんたちのお話は、もう少し先で触れていきます。




