イタリア支部の視察
11月。少し肌寒くなり、生徒たちは冬服へと移行していた。
入学当初と変わらぬ制服に身を包んだ学生たちの姿は、どこか懐かしさを漂わせている。
そんな光景を眺める茶髪の少年、暁悠馬は、隣の黒髪少女に腕を組まれながら歩いていた。
「おっ、暁くん、今日もアツいねー!」
「朱理ちゃんと距離近くない?何かあったの〜?」
「いつも通りかな」
登校中ということもあってか、同じ学年の生徒たちから声をかけられる。
冷やかしにも近いその発言を軽く受け流した悠馬は、嬉しそうに腕を組んでいる朱理を見て、ほんの少しだけ微笑んだ。
つい先日の出来事。
彼女の本音を聞いた悠馬は、朱理が自身にベタ惚れであることに気づき、そして朱理の願い通り彼女と行為に及ぶことにした。
そんなこともあってか、最近の朱理はやけに距離が近いというか、ベタベタと身体に触れてくる。
別にそれが不満とか、嫌だというわけではないが、ちょっとだけ緊張してしまう。
いつものように平静を装おうとしている悠馬だが、顔は少しだけ赤くなっているような気もする。
「悠馬さん、今日はスーツの人が多いですね」
「言われてみれば…誰か来るのかな?」
通学路を歩く学生たちと、その流れに逆らうようにして歩いていくスーツ姿の大人たち。
真っ白な肌、か細い腕でその大人たちを指差した朱理は、不思議そうな表情を浮かべている。
いつも通りならば、異能島の高校生の通学時間に、大人たちと道端で遭遇するという可能性は極めて低い。
大人と生徒でトラブルになったら面倒だし、変なことが起こらないようにするためにも、通勤、通学の時間帯はきちんと分けられているのだ。
だから通学中に大人と会うというのは、イベント時しか起こらないものなのだ。
しかし今日は平日。
何か異能島のイベントがあるのか?と聞かれればそうではないし、なぜ大人たちがこの時間にいるのか、理由はわからないものだった。
「今日はイタリア支部総帥のコイル・アルデナが来るのよ」
「うぁ!?」
呑気にスーツ姿の大人たちを眺める悠馬に背後からかけられた声。
警戒心など微塵もなかった悠馬は、突如として聞こえてきた声に体を震わせると、慌てて振り返る。
「赤坂…」
真っ黒な髪、小柄な少女。
一言で言ってしまえば地味という言葉が似合う彼女は、メガネを掛けた瞳で本を読みながら軽く頭を下げる。
「おはようございます、加奈さん」
「お、おはよ…朱理さん…」
まだまだ距離感のある2人。
朱理は大した距離感を取っていない気もするが、やはり加害者側の加奈からしてみれば、まだまだ距離感というものがあるのだろう。
いつも周りの生徒にする挨拶よりも緊張した様子で挨拶をした加奈は、本をパタリと閉じると、それをバッグにしまい朱理の横へと並ぶ。
「今日はアツアツなんだ。何かいいことでもあったの?」
「はい ♪ 最近は悠馬さんにたっぷりと可愛がられているので」
「うっ…」
何も隠すことはないのか、先日の出来事を普通に話す朱理。
そんな彼女の声を聞いて思わず吹き出しそうになった悠馬は、冷や汗を流しながら目を逸らす。
加奈はベラベラ話すタイプではないからまだ安心だが、これを学校内で言われたら大惨事だ。
学校に着くまでに、きちんと話をつけておく必要がある。
「へ、へぇ…」
「すっごく気持ちよかったんですよ ♪ 昨日だけでも、8回…」
「あ、朱理…それ以上の話はやめようか?」
何の回数とまでは言わないが、具体的な数を口にした朱理を止めた悠馬は、冷ややかな視線を向けて来る加奈を見て慌てて目を伏せる。
「あら。すみません、興奮しちゃってついつい…」
「別にいいよ。だって私たち、と、友達だし…こういう何気ない会話をするのも、楽しいし…」
友達の行為の話聞いて何が楽しいんだよ!
こっちからしてみると死ぬほど恥ずかしいわ!
案外真面目に聞いていた加奈を見て、心の中でそう怒鳴る悠馬。
「ところで加奈さん、話を戻しますが…どうしてイタリア支部総帥がここへ来るんですか?そもそも、イタリアって国でしたっけ?」
「………暁くん」
「あ、いや、ごめん!まだ国の話とかは出来てないんだよ!常識は粗方教えたんだけど、日本のこと教えるのでも手一杯で!」
イタリアを国として認識していなかった朱理。
彼女はずっと軟禁されていたわけだし、常識すら知らなかった為仕方のないことなのかもしれないが、朱理は異能島に入学してから2ヶ月経過している。
そんな中で、悠馬が国について教えていないことに失望したのだろう、加奈は呆れたような声を出していた。
事実、悠馬は国のことなど教えることを忘れていた。
まぁ、悠馬は常識を教えろとしか言われていない為、外国のことについてまで話すつもりはないと、その点を見落としていたのだ。
「イタリアは国よ。そしてね、各国の総帥は、フェスタの前に1つの国に訪れることを許可されているの。まぁ、休暇というか、視察というか…」
フェスタの前に各国の総帥は、異能島がある支部への旅行が許されている。
実際、その権限は使わなくてもいいし、強制的なものではないため、何か問題でも起こらなければ使われない権限なのだが。
しかし、逆に言えば問題が起こっている支部であれば、あの国の異能島はどのような政策を、どのようなシステムを取り入れているんだろうか?と、視察ができるというわけだ。
百聞は一見にしかず。
つまり、自国の異能島をより良くするために、他の異能島の良い所を取り入れようというわけだ。
そして今回、イタリア支部総帥のコイルが選んだのが日本支部の異能島だった。
ただそれだけの話。
「へぇ…だから大人が多いんですね。納得しました」
外国の総帥が来るとなると、厳戒態勢にもなるだろう。
粗相をしたら大変なことになるし、総帥を付け狙ってテロでも起こされたらひとたまりもない。
下手をすると国際問題になりかねない状況において、流石に大人の警備を用意しない、という考えはなかったようだ。
納得したご様子の朱理は、空いている右手の人差し指を頬に当てながら、加奈に微笑む。
「わかりやすい説明、ありがとうございます ♪」
「ううん。役に立てたならよかった」
この短時間でもほんの少しだけ、打ち解けた気がする。
変に会話をするよりも、何気ない会話を重ねたほうが親密度は上がりやすい。
会話を探して限定的な会話になるよりも、互いの話題の方が盛り上がりやすいわけであって、これは会話の定石と言ってもいいだろう。
朱理につられて微笑んだ加奈は、ちょうど第1の正門までたどり着くと、一歩だけ後ずさりほんの少しの距離を置いて歩き始める。
「加奈さん?」
「私、ほら…事情あるし。少し距離を開けとかないとさ」
バツの悪そうな顔をする加奈。
朱理はもう過去のことなど考えないようにしているかもしれないが、加奈は違う。
犯罪者の娘という烙印が押された加奈は、スクールカーストが比較的下の方になっていた。
そのため朱理や悠馬と通学していれば、調子に乗っている、媚を売っていると思われるわけであって、いい目で見られることはない。
形だけでもということで一歩だけ後ずさった加奈は、それ以降は口を開くこともなく、そして朱理は何も言わずに校舎の中へと向かった。
***
いつもと変わらぬ教室内。
仲のいいグループで固まり会話をしている生徒たちを横目に、悠馬は自身の席へとついた。
「なぁ悠馬、知ってっか?今日はな、イタリア支部総帥…」
「ああ、知ってる」
悠馬が席につくと同時に、背後から声をかけてきたのは通。
いつものように何気ない会話、しょうもない会話を始めようとした通が全てを言う前に話を終わらせた悠馬は、興味なさそうにカバンを机の横にかける。
「お!知ってたのか!いやぁ、イタリア支部総帥秘書って、すんげぇ胸でかくて、えっちなんだよな〜!彼女持ちのお前でも興味あることがわかって安心したぜ!」
「……」
朝からテンションが高すぎる。
イタリア支部総帥が来てるらしいぜ!的な話がされると思っていた悠馬は、まさか総帥秘書の話をされるとは思っていなかったらしく、目を細めながら黙り込む。
いつも通の言葉を適当にあしらっているため、それが裏目に出たというべきか。
この会話ではまるで、悠馬もイタリア支部総帥秘書に少なからず興味を抱いているみたいではないか。
「ふぅん?悠馬って、やっぱり巨乳が好きなんだ?」
「ひっ…」
悠馬が心の中でそんなことを考えていた矢先、聞き覚えのある声が聞こえたような気がして、全身の血の気が去っていくような感覚に囚われる。
悠馬の机の前の、教室の入り口から入ってきた銀髪の女子生徒。
紫色の瞳の奥を黒く染めた美月は、機嫌悪そうに悠馬を睨む。
「ち、違うよ!?言葉のあやだよ!うん、俺巨乳好きなわけではないし!」
確かに、ないよりもあった方がいいのかもしれないが、好きになってしまえばそんなことはどうでもいい。
胸があろうがなかろうが好きなものは好きだし、嫌いになることなんて万に1つもない。
しかしそれは男側からの見解であって、女子である美月が、そんな気持ちを知るはずもなく…
「もう知らない」
「ぁぁぁぁ…」
逃げるようにして自分の席へと向かっていく美月。
そんな彼女に手を伸ばした悠馬は、届かない手を見つめながら半泣き状態で項垂れる。
「はっ、振られてやんの」
「お前のせいだろ!クソ!」
バカにしたような声で、鼻で笑いながら呟いた通を叱責する。
一体誰のせいでこんなことになったと思っているんだ。
悠馬が適当にあしらったことにも原因はあるものの、その原因の元を作った通は到底許されるものではない。
こいつはドーナツ屋さんのお姉さんにしばかれてしまえばいいんだ。
悠馬はそんな物騒なことを考える。
「はい、みんな、席につけー!」
もう慣れてしまった日常。
人間、慣れというのは案外早く来るものだ。
あたかも自分の教室、自分が担任であるかのように教室へと入ってきた体育教師、鏡花の替である磯部は、いつものような大きな声を上げながら教卓に立つ。
生徒たちも、最初こそ「うるさい」「熱血ウザい」と言っていたものの、すでに慣れてしまったためか、小声で愚痴も言わずに席につき始める。
「よし、みんな元気そうだな!ははは!」
席に着いた生徒の顔を見ながら、高笑いをする体育教師。
いつもよりもやや上機嫌の磯部は、机をバン!と叩くと、不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「今日はみんなも知ってるだろうが、イタリア支部総帥がここ、日本支部の異能島に訪れている!」
悠馬は初耳だったが、どうやら告知はされていたようだ。
気合の入っている磯部は、生徒たちが喋り始める前に間髪入れずに話を再開する。
「君らにとっては、フェスタ前の敵国、ライバル、そんな対抗心が芽生えているかもしれないが、くれぐれも粗相のないように!わかってるだろうが、君らが何か問題を起こせば、下手すれば戦争だからな!」
フェスタ前。
アメリカ支部をぶっ倒せ!イタリア支部をぶっ倒せ!他の支部は全部ぶっ倒して、日本支部で上位を独占しようぜ!という雰囲気が流れ始めている日本支部の異能島の生徒たちは、何をしでかすかわからない。
変な生徒、調子に乗った生徒ならばきっと、イタリア支部の総帥が気に食わないから少しイタズラしてみようぜ!などと言って、ふざけた行動をとる生徒も出始めることだろう。
そんな生徒たちに釘をさすように、下手をすると戦争という脅しをかけた磯部は、シンと静まり返る教室内を見て満足そうだ。
「日本支部のマイナスに繋がるようなことはしないでくれよ?異能島の学生ということはつまり、この日本支部、国1つの評価を背負っているんだ。それを忘れないでくれ」
異能島から将来の総帥や、異能王が排出される可能性は極めて高い。
だからこそ各支部は、異能島を見てその国のあり方を評価するのだ。
つまり、異能島に変な輩が多ければ、日本支部そのものの評価がガタ落ち。日本支部全体の評価に関わってくる。
総帥も何も、国のメンツが保てなくなるというわけだ。
学生だというのにそんなプレッシャーをかけられた生徒たちは、少しだけ嫌な顔をしているものの、この国の名を背負う自覚はあるようだ。
気を引き締め直したような、入学直後のような空気になった教室内では、誰もおちゃらけた話をしようとはしなかった。
「ホームルームは以上!みんな、頼んだぞ!」
みんな表情を見て、これ以上何も言わなくていいと判断した磯部。
磯部は話を締めくくると、元気よく教室を飛び出しその場を後にした。
昨日の話はもう少しストレートに書きたかったです…




