総帥邸見学、そして…
「おお…デケェ…」
レンガ調の大きな建物。
花蓮の寮ほどの大きさに、バスが数十台は止められるであろう、ひらけた草原。
そして綺麗に整備された木々に、石庭が目に入ってくる。
きっとここに修学旅行で来れたなら、みんな大はしゃぎすることだろう。
1人の男子生徒の小さな声を聞いて、バスから降りたAクラスのメンバーたちは、目を輝かせながら辺りを見回す。
「これが総帥邸…」
「俺たちが将来、ここにいる可能性があるんだよな?」
「いや、お前は無理だろ」
「わかんねぇだろ!」
ここが日本支部の最高到達地点。
小さい頃は誰もが夢に見た、総帥という管理職が仕事をする空間だ。
そんな景色を前にした生徒たちは、昔の夢を思い出したのか、将来はここに…などと考えている生徒も多いようだ。
まぁ、異能島に入学したということはつまり、総帥を志して入学した生徒は多いだろうし、総帥に近しいところで仕事をしたいと思っている人たちも多いはずだ。
「はい。静かにしろ!」
騒がしくなる生徒たちを纏めるのは、いつものような厳しい女性の声ではなく、重く太い男の声。
「声でけぇ…磯部…」
昨日の一件で鏡花は負傷をしてしまった。
寺坂曰く、足と肋骨を骨折したと聞いているし、しばらくは学校の教員としてのお仕事はできないだろう。
つまり今日、鏡花はAクラスの担任としてここへ着いてきていないのだ。
そしてその鏡花の代役というのが、体育教師の磯部。
磯部は真面目な性格で、ルールとトレーニングに口うるさく、男女から少なからず嫌われている。
お年頃の男女からしてみれば、口うるさく言われるのは嫌なのだろう。
特に、合宿でトレーニングをさせられた栗田や通は、磯部から距離を取り警戒したように睨んでいる。
実際のところ、磯部は真面目でスパルタなだけであって悪い噂などがあるわけではないが、女子たちは磯部の声がでかいと、ヒソヒソ話している。
「もう知ってる思うが、昨日鏡花先生が怪我をしてしまってな!今日は私がAクラスと同伴することになった!みんな、くれぐれもはぐれないように!」
「はー…い」
鏡花の時は元気に返事をする生徒たちも、磯部が話すと、反応が悪い。
これが入学から数ヶ月で培った、担任教師と専門教師の差というものなのだろう。
鏡花は厳しいが容姿は整っているし、男女から厳しいお姉さんとして人気がある為、磯部が可哀想に見えてくる。
呆れた様子でAクラスの行動を目にしていた悠馬は、視界にある違和感を感じていた。
「どうかしたの?悠馬」
目を閉じたり開いたり、片目を手で覆ったりと、謎の行動をしていた悠馬。
そんな彼を見た美月は、何かあったのかと悠馬の顔を覗きながら問いかける。
「あ…ううん。なんでもないよ」
そんな美月の心配とは裏腹に、いつものような笑顔を見せた悠馬。
その表情には一切の曇りがなく、晴れたものだった。
「そ?ならいいんだけど…私は湊たちと歩くから…遅れないようにね?」
「うん、いってらっしゃい」
磯部を先頭にして、適当な列になり進んでいくAクラスのメンバーたち。
その後方で話していた悠馬は、足早に去っていく美月を見送りながらゆっくりと歩き始めた。
***
「うわー、お城みたい!」
「夕夏のお父さんって、元々ここで仕事してたってことよね?」
「ここが仕事場だと、絶対に落ち着かないんだけど!」
高級感の漂う真っ赤な絨毯に、細部に施されている黄金の刺繍。
真っ白な壁にも洋風の白銀の刺繍が施されていて、磯部に続く女子生徒たちは大興奮だ。
男子はというと、喜んではいるが女子ほどではない。
これが女子の好みだったといった感じか。
オシャレな作りと、高級そうで清楚そうなデザイン。
どちらかといえばかわいい、美しいといった言葉が似合うデザインで、女子が興奮するのも少し理解できる。
男子はもう少し、かっこいいデザインだったら喜んでいたかもしれない。
「磯部先生、総帥は今日いるんですかー?」
「ああ!いる!ただ、彼も仕事柄上忙しいからね、案内は我々が任されている!」
総帥や、その他の仕事の人が学生たちを一人一人対応していたら、本来の仕事が終わるはずがない。
自信満々に胸を叩く磯部を見る限り、毎年こんな感じなのだろう、不安感を微塵も感じさせずに、落ち着いて道を進んでいる。
「おい悠馬〜」
「なんだ?連太郎」
男子も女子も、夢中で総帥邸の内部を見て回る中、悠馬へと投げかけられた声。
よく聞いた、中学校の時から聞き覚えのある声を聞いた悠馬は、左目を隠しながら返事をする。
「お前、さっきから何してんの?」
「いや、大したことじゃないんだけどさ」
つい先ほどから、いや、バスに乗車している中盤あたりから目をずっと触っている悠馬。
そんな悠馬に疑問を抱いたのは、美月だけではなかったようだ。
「なんか、目の調子がおかしい気がするんだよ」
「どういう風に?」
「見えにくいっていうか、視野が狭くなったっていうか…狭窄って言うのか?」
目が見えにくくなった。
セラフ化を使うごとになんらかの体の異変を起こしてきた悠馬は、自身が感じる違和感を口にする。
「ふーん?病院行った方がいいんじゃねえの?俺は専門家じゃないからわかんねーけど、なんか異変感じたら、すぐ病院に行けっていつも親父が言ってたよん」
「お前の親父が?」
「おん。今の時代、異能の反動で病気になる奴もいるらしいからな。ふとしたときに、手遅れだったら嫌だろ?」
異能が日常となった現代。
昔は、食生活やちょっとした体の違和感を感じたって、そのうち治るだろ。程度の軽い気持ちで見過ごしてきた人の方が多い。
しかし現代では、自身の異能による反動、つまり無茶をしすぎて、身体になんらかの障害を引き起こす場合があった。
一言で言うと、異能が身体と馴染んでいない。
本来馴染むはずなのだが、身体と異能が馴染まなかった結果、なんらかの重大な病気を引き起こすことがあるのだ。
裏で仕事をしている紅桜家はよく知っている内容なのだろう、病院に行った方がいいという結論を出した連太郎は、目を抑える悠馬を見てハッと口を開く。
「お前、夜にエッチなことのし過…」
「その口、溶かすぞ?」
「冗談だよ冗談!悠馬は器がちっちぇなぁ!」
「そんなにしてねぇから!」
連太郎の適当な考察に声を荒げる悠馬。
そもそも、そういうことのしすぎで視力が悪くなったなど、聞いたことがない。
「ったく…こっちは真剣だってのに…」
「あはは〜!おっと、みんな曲がったぞ〜」
2人が会話をしている真っ最中。
角へ曲がり始めた生徒たちを見た連太郎は、彼らの元へ戻ろうと足早に去っていく。
「はぁ…」
そんな光景を背後から見ていた悠馬は、溜息を吐くと同時に鈍い痛みに襲われた。
「っ…」
頭が痛い。
それがただの頭痛なのか、それとも異能の反動なのかはわからないが、ヤケに頭が痛む。
「頭痛…?」
今日は不調ではない。どちらかといえば好調だったし、風邪をひいて熱があるというわけでもない。
偏頭痛だって持ってない悠馬からして見たら、なぜ頭が痛いのか、理解できなかった。
「…気持ちが悪い…」
廊下の壁へと寄りかかった悠馬は、口元を押さえながらそう呟く。
胃がムカムカする。
吐きそうだ。
「悠馬さん…?」
吐き気と頭痛と葛藤する悠馬に、不意に聞こえた声。
気分最悪の状態で振り向いた先には、朱理の姿があった。
「朱理…なんか気分悪くて…」
「トイレならあちらにありましたよ。連れて行きます」
ゆっくりと手を差し伸ばし、包み込んでくれるように抱きしめてくれた朱理に連れられ、トイレへと向かう。
きっと、悠馬が口を抑えていたため吐きそうだと判断したのだろう。
「朱理はどうして後ろにいたんだ…?」
悠馬は最後尾を歩いていた。
つい先ほどまで連太郎と話していたし、他の生徒たちから遅れているのも明白で、後ろには生徒などいないと思っていた。
それなのに、どうして朱理は後ろにいたのか。
「お手洗いに行ってました」
「ああ…そういうことか」
それならトイレの場所を知っている理由も、遅れていた理由もわかる。
単純な答えを聞いた悠馬は、納得したような反応をしながら、青い色で描かれた人のマークを目にし、朱理から手を離す。
「それじゃあ…ここで待ってて」
「ついていきますよ?」
「さ、流石に大丈夫だよ」
男子トイレに着いて行くと明言する朱理を拒絶する。
気分が悪いと言えど、流石に彼女を男子トイレに連れ込むような度胸がない悠馬は、その申し出を断ると一人でトイレへと向かった。
「風邪か…?」
頭痛に吐き気。
頭痛だけならまだしも、吐き気まで催しているため、風邪の可能性を考えながらトイレの中へと入る。
そこには1人の男が立っていた。
姿見の前で、道化の仮面を外している男の姿。
その男の姿を見た瞬間、悠馬は頭痛のことも吐き気のことも、目の違和感すら忘れ、反射的に鏡の死角へと隠れる。
「ど…なんで…」
どうして?なんで?
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
道化の仮面を持っているということは、それはつまり死神ということだ。
悠馬は死神の素顔を目撃したことになる。
いや、それだけで驚いているわけではないのだが。
悠馬が驚いている理由。
それは、死神の顔が、自分自身の顔だったからだ。
つまり、暁悠馬が2人存在している。
何故なのか?
確かに、違和感は感じていた。
悠馬のセラフ化を真似た時、死神は異能を真似することが出来ると明言していた。
しかしながら、セラフというのは1人に1つ。
いくら死神の異能が素晴らしいものだとしても、悠馬のセラフ化を真似るということは不可能なのだ。
だからあの時、悠馬はその違和感を感じながらも、なるべく考えないようにしてきた。
自分自身が、この世界に2人いる可能性なんて。
死神が何故、事あるごとに協力してくれたのか。
死神が何故、重要な局面で接触してきたのか。
まるで朱理のことを救えなかったように話していたのか。
大金を付与してきたのか。
その全ての謎が解けた悠馬は、全身から血の気の去って行くような感覚に囚われながら、その場から逃げ出した。
死神は少なくとも、自分より先の未来を知っている。
それがどういう結末なのかわからなくても、自分が考えることくらい、手に取るようにわかる。
もし仮に死神が、以前暁悠馬として生きていたとするなら、そして未来から来たというのなら…それは…
「誰かが死んでる」
自分の身近な人間の誰かが死んでしまったという可能性が高い。
思えば、死神がいなければ、どの局面だって切り抜けることは出来なかった。
異能祭の一件、アメリカ支部の一件、宗介の一件。
そのいずれにおいても、悠馬はピンチに陥り、死神に助けられて来た。
死神がいなければ、悪羅に殺されていたかもしれない。
死神がいなければ、美月を救えなかった。
死神がいなければ、朱理は助けられなかった。
死神はいつも、悠馬を導く形で何かをして来た。
この先でもこんな出来事が続いているのだろうか?
それとも、死神の…いや、暁悠馬の回避したかった未来は回避できたのだろうか?
自分が何をするために姿を偽り、死神として生活しているのか。
何をするためにこの時間帯に訪れているのか。
そのどれもがわからない悠馬は、逃げるようにして朱理の元へ急ぐ。
「悠馬さん?どうかしたんですか?」
「あ…いや…なんでもないよ?」
青ざめた表情で走って来た悠馬。
そんな彼を見た朱理は、不思議そうな表情で悠馬を出迎える。
「あ、朱理を待たせるのは悪いと思ったから…急いで戻って来た」
適当な言い訳を口にする。
実際は自分の未来を想像し、恐怖に負けて逃げて来たわけだが、そんなことを口にできない悠馬は、作り笑いを浮かべながら話す。
「そんなこと…私のことなんて、気にしなくて良かったんですよ?まだ気分が悪いなら…」
「大丈夫!吐き気も治ったよ!」
まだ気分が悪いなら、遠慮をせずにトイレへ行ってもらって構わない。
そう言いたげな朱理が、全てを言う前に会話を遮る。
気づけば悠馬の身体の異変は、つい先ほどまでの違和感が嘘だと思えるほど、夢と感じるほど嘘のように消えていた。
視界の違和感は感じるものの、吐き気と頭痛はすでになくなっていた。
「そうですか?では、行きましょうか?」
「朱理、そっち逆だよ」
「……私としては、クラスメイトと回るよりも、悠馬さんと2人きりで回りたいんですけど…」
デートをしたいと言う、朱理の願望。
逆だと指摘された朱理は、頬をぷくっと膨らませながら、悠馬を軽く睨んで見せる。
「流石に総帥邸でデートは無理だよ…怒られそうだし」
そもそも、総帥邸でデートしたなんて聞いたことないし。
磯部にも寺坂にも怒られること間違いなしだ。
朱理の申し出をやんわりと断った悠馬は、それでも逆走しようとする朱理の手を繋ぎ、クラスメイトたちが向かった方向へと歩き始めた。
物語は折り返し地点を通過しました!
そして総帥邸見学が終われば、いよいよフェスタです!




