わかっていたこと
朝。
単調なアラームが鳴り響く大きな室内。
寮よりも少し大きなベッドで眠っていた悠馬は、まだ疲れの取れていない体を強引に動かし、アラームを停止させる。
合宿の時と違い1人部屋ということもあってか、人の声は聞こえない。
どちらかというと、いつも寮で目覚めるような朝を迎えることのできた悠馬だが、彼は目を覚ますと同時に、呆れたような、嫌なことがあるような表情を浮かべる。
「憂鬱だ…」
その原因は、昨晩の出来事だ。
悠馬は昨晩、オクトーバーとの戦闘において闇の異能を使用した。
その過程で悠馬は、クラスの友人に、同じ学校の同じ学年の生徒に闇の異能を見られてしまった。
異能祭で夕夏に闇堕ちだと知られた時ほどのショックはないが、それでも心が沈むのには違いない。
世間では暁闇として畏怖の対象、化け物、良くも悪くも話題に上がってしまう存在だとバレてしまった。
きっと、大半の生徒は既に悠馬が暁闇だということに気づいている。
今まで友として、知人として接してくれていた生徒たちが、果たして今日からはどう接してくるのか。
この学校に、在学し続けることはできるのか。
そんな不安を抱く悠馬は、外へ出たくないという強い抵抗感を持ちながらも、寝間着から制服へと着替え始める。
「まぁ…それでも俺は、普通に行くけどな…」
相手がどんな反応をしようが、いつも通りに接する。
別に今まで、自分の人格を偽って生きてきたわけじゃないし、隠していたのは闇堕ちだということだけだ。
だから闇堕ちがバレたからといって、性格が豹変することも、周りを脅し回るということもする気はない。
悠馬は入学当時から今までのように、話しかけられれば返事をして、遊びに誘われれば遊びに行くだけだ。
悠馬がすることに変わりはない。
姿見の前まで歩いて行き、寝癖を直した悠馬は一度深呼吸をすると、鏡の前でニッコリと笑って見せ、ため息を吐く。
「さて。行くか」
今日の日程。
総帥邸見学という隠しイベントを目前にした今日の日程は、単純なものだ。
ホテルで朝食バイキングを済ませ、クラス毎にバスに乗り込み、総帥邸へ向かう。
総帥邸へ着いたら夕方近くまで見学をして、そのあと異能島へ帰還という形。
バカでも覚えられる、単純なプランだ。
そして今から悠馬が向かうのは、朝食のバイキング。
昨日の一件が落ち着いてから始めて、友人やクラスメイトたちと会う機会でもある。
少し緊張すると同時に不安を抱く悠馬は、強張った表情で扉の前まで歩き、そして意を決したように扉を開く。
目の前に広がる、真っ赤な絨毯。
昨日と変わらず、高級そうに見えるホテルの廊下には、生徒たちの姿があった。
しかし、昨日までと違うこともある。
悠馬が扉を開くと同時に、そそくさと去って行く生徒たち。
目が合うと同時に視線を逸らした彼らは、話しかけることもなく、異物を見つめるような眼差しだけを残して去って行く。
当然の結果だ。
「俺だって立場が逆だったら、多分そうなるもんな…」
悠馬が周りの生徒と同じ立場だった場合も、今の生徒たちと同じような行動をとるに違いない。
だって、人殺しかもしれない奴と仲良くなれるだろうか?
今まで仲良くしていても、実は過去に人殺しをしたんだ…暁闇なんだ。と言われて、これからも仲良くやっていこうと思えるか?
無理だ。
暁闇という称号を手にしている時点で、その称号を知られた時点で、以前の関係には戻れない。
最初からわかっていたことだし、それをわかった上で、悠馬は闇を解き放った。
逃げるようにして去って行く生徒たちを見ながら、悠馬は小さなため息を吐いた。
一歩歩くと、みんなが距離を置く。
昨日までではあり得なかった、日常が崩れ去ったような感覚だ。
恐れるようにして道を開け、言葉を交わすことなくその場をやり過ごそうとする生徒たち。
関われば何かをされると思っているのか、彼らは恐怖の視線を悠馬へと向ける。
「お、おは…よ…暁くん」
少し怯えたような声。
いつも挨拶をしてくる女子だって、悠馬が振り返った先では、怯えた表情で挨拶をしていた。
「おはよう」
そう、これが全てが崩れ去った後の日常なんだ。
やっぱり闇は隠していて正解だったんだ。
入学当初の自分自身の考えが間違いでなかったことを肌で感じながら、ゆっくりと歩みを進める。
この調子だと、通や八神、碇谷やアダムだってみんな同じ反応、態度をとることだろう。
それは少し寂しいな…
心の中でそう呟いた悠馬は、彼らの怯えた姿を想像し、少しだけ表情を曇らせる。
異能島に入学してから仲良くなれた友人たちに恐れられるというのは、誰だって悲しい。
自分の存在意義がなくなってしまったような、そんな気持ちになってしまう。
「…でも大丈夫か…」
以前の悠馬だったら、この状況を絶望していただろうし、学校に行きたいとも思わなかっただろう。
しかし今の悠馬は、以前とは決定的に違う感情を、気持ちを、考えを持っていた。
今の悠馬には、暁闇だと知りながらも接してくれる友人と、恋人がいる。
それは両指で数えきれるほどの数しか居ないが、それでも心強い味方であって支えだ。
真里亞に南雲、連太郎、花蓮、朱理、夕夏、美月…
まだまだ、暁闇だと知っても話してくれる生徒はいるのだ。
捨てたもんじゃない。まだ居場所はある。
そんな希望を抱く悠馬の耳に聞こえてくる声は、あまりにも無慈悲なものだった。
「暁くんって…暁闇だよね?」
「今まで私たちのこと、どう思ってたんだろ?」
「怖いよね〜、半分犯罪者みたいなものじゃん」
最初からわかっていたこと。
周りから心無い言葉がかけられることも、想定していた。
悠馬には聞こえていないつもりなのか、ヒソヒソと話す女子たちの声は、やけに静かな廊下に響いていた。
沈む気持ちを抑えながら、トボトボと歩いて行く悠馬。
そんな悠馬は次の瞬間、背中に走った鈍い衝撃とともに、前方へと転ぶ羽目になった。
ドサッという後とともに、バランスを崩した悠馬がうつ伏せに倒れる。
「った…何すんだよ!」
「はっはっはっ!いつもの悠馬だ!」
背後からの飛び膝蹴り。
一歩間違えれば、後遺症が残ってしまってもおかしくないほどの衝撃だった。
痛みと衝撃のあまり声を荒げた悠馬は、誰がこんなことをするのかと消去法で考える。
こんな容赦のない飛び蹴りをかましてきて、そして高笑いをする男を悠馬は1人しか知らない。
危うくへし折れそうだった腰を抑えた悠馬と、悠馬が声を荒げたことにより、慌てて距離を取る生徒たち。
そして背後から飛び膝蹴りを入れてきたのは、当然のように通だ。
「お前…今の骨折れそうだったぞ!」
悠馬の方を見向きもせず、飛び膝蹴りに満足し仁王立ちしている通。
そんな彼へと近づいた悠馬は、通の頭を拳でグリグリして、ホテルの廊下へと倒す。
「ぎゃぁぁぁあ!いてぇ!やめろ!タイム!ギブギブギブギブ!」
悠馬に頭をグリグリされ、まるで陸に上げられた魚のように暴れまわった通は、悠馬が手を離すと呼吸を荒くしながら立ち上がる。
「良かったぜ。お前は何も変わってねぇ!」
「え…?」
立ち上がりざまに、通が呟いた一言。
それを聞き逃さなかった悠馬は、通が無茶して、恐怖を抑えて飛び膝蹴りを入れてくれたことに気づく。
「通…お前…」
そんな彼の優しさに気づいてしまった悠馬は、危うく涙を流しそうなところで、後頭部にのしかかった柔らかい物体のせいで涙が治る。
「おっは〜、悠馬。昨日はほんと、ありがとね〜!てか悪羅とオクトーバー生はやばくなかった?」
悠馬の頭の上に胸を乗せながら流暢に話す美沙。
その姿を見るからに、美沙は悠馬が暁闇だと知っても、微塵も恐怖を感じていないようだ。
まぁ、美沙は加奈の一件の時だってまるで興味がないようにいつも通りに接していたし、彼女の行動はそんなに驚くことでもない。
「お姉さんがお礼してあげようか?胸で挟もうか?」
美沙はいつもと変わらぬ表情で、悠馬をおちょくってくる。
両手で胸を押さえ、まるで何かを挟むような動作を見せる美沙はニヤニヤと笑う。
「結構です!俺は夕夏にご褒美をもらいます」
「ほぅ?それは夜の営み?するの?ヤるの?」
気づけば、廊下にいる生徒たちからはかなり注目されている。
そんなこと気にすることなく、配慮の欠けた発言をしまくる美沙。
彼女が夜の営みという発言をしたことによって、男子たちの目は鋭いものとなっていた。
「ば…!頭撫でてもらうだけでも十分だよ!」
夕夏に風評被害を与えるわけにはいかないし、美沙の質問を大声で否定した悠馬は、少しだけ顔を赤くすると美沙を振り払う。
「あはははは!まだ童貞なの?本気で私が捨てさせてあげようか?」
「うるさいなぁ!関係ないだろ!」
童貞ではないが、美沙には関係のない話だ。
みんなの前で童貞と言われたのが嫌だったのか顔を真っ赤に染めた悠馬の様子は、側から見ると完全に童貞のソレだ。
童貞じゃないけど。
「そっかー、そいじゃ、お先〜」
悠馬がバカみたいなことを叫んだことにより、先ほどまで不穏な空気だった廊下には、少しだけ笑いが戻っていた。
「おっす悠馬〜、お前、昨日のが本気なら、異能祭の時のアレは許されなくねえか?」
美沙が通り過ぎ、悠馬の横に座る通が美沙の尻を見つめている時。
まっ金髪の髪色をしたBクラスの少年、アダムは悠馬の頭を何度もチョップしながら問いかける。
「え…?何が許されないんだよ?」
異能祭は結果的に優勝しているし、そもそも悠馬はフィナーレで脱落したわけじゃない。
何ならフィナーレで最後まで生き残り、第1を優勝に導いたと言ってもいいだろう。
そんな悠馬が、許されないことをしたと言うアダム。
不思議そうな表情を浮かべる悠馬は、彼の次の言葉を待った。
「だってお前、異能祭で手を抜いたってことだろ?最初から闇を使えば、タイムアップにもならなかっただろ!」
いや、無理だろ。
確かに闇を使っていれば、戀を圧倒することも、一ノ瀬を圧倒することもできたかもしれない。
しかしそれをしていれば、間違いなく今のような状況に陥っていたはずだ。
文化祭などのイベントを共に乗り越えたクラスメイトでもこうなるのだから、異能祭の時に闇を使っていれば、今以上に恐れられていたに違いない。
そんなことを考える悠馬とは裏腹に、ヒソヒソと話し始める男子たち。
「言われてみれば…」
「最初から本気出せよ!」
「やる気あんのか!あんだけハラハラさせといて、奥の手は隠してたのか!」
「くそ!夕夏ちゃん返せ!」
アダムの意見を聞いて、便乗するように騒ぎ立てる男子生徒たち。
廊下のあちこちから、悠馬に対する罵声が上がっていた。
「あ…いや、だってさ…確かに手は抜いたけど…」
そりゃあ、闇を使えば余裕で勝てていたかもしれないけど、結果は勝ってるわけだしいいんじゃね?
そう言いたげな悠馬だったが、男子生徒たちは悠馬の意見など求めていない様子で、怒気を強める。
「ごめんなさい…」
「許さん!」
「お詫びで花咲花蓮と別れろ!」
「何でそうなるんだよっ!」
ギャーギャーと騒ぐ生徒たち。
その雰囲気は、いつものソレと同じだ。
ただのクラスメイト同士が、学年同士の友人たちが、過去のことなど気にせずに気楽に思ったことを口にする。
それには遠慮なんてものはないし、お互い我慢をしているわけでもない。
「…ありがと。みんな」
***
「ふふ…」
「どうしたの?朱理」
総帥邸へと移動中のバスの中。
隣に座る朱理が笑ったこともあり、夕夏は不思議そうに首をかしげる。
「いえ、悠馬さんって、意外と友達多いんだなぁと思ったので」
「そうだね」
悠馬が自分のことをどう思っていようが、悠馬と今まで関わってきた生徒たちなら、きっと彼のことをわかってくれる。
それはすべて、悠馬の努力の成果だ。
友達を作り、時にいじられいじり返し、バカをして騒ぐ。
暁闇だと知られても、それでもまだ、悠馬の周りにはたくさんの友達がいる。
チョコレート菓子やお菓子の屑を投げられる悠馬を横目に見る夕夏は、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていた。
「おいお前ら!前よりエスカレートしてる!これはイジメだと思う!」
ゴミを投げつけられる悠馬。
今朝の出来事など嘘だったかのように、クラス内、いや、バスの中は賑やかになっていた。
もちろん、その中心には悠馬がいる。
「ぎゃははは!喰らえ暁!てめぇ俺らの篠原ちゃんを奪った復讐だ!」
栗田がそんなことを口走りながら、ポッキーを投げつける。
クラス内では、悠馬と美月が付き合っていたという情報も広まり、悠馬は各方面から文句を言われている真っ最中だ。
「やめ!ぁぁあ!くそ!制服にチョコついた!どうすんだよ!今から総帥邸なんだぞ!俺不登校になるぞ!」
「はははは!」
制服に栗田のポッキーのチョコをつけられた悠馬。
それはいつものような日常で、いつもよりもちょっぴり過激な日常。
彼の悲痛な叫びが、バスの中に響き渡る。




