再び相見える
「久しぶりだね〜、少しは成長したみたいで、俺ぁすごく嬉しいよ」
「っ…どうしてお前が…此処にいる!」
悠馬が振りかざした神器を、片手で難なく受け止める黒髪の人物。
その人物の姿を目にした悠馬は、怒気のこもった声で問いかける。
はらわたが煮えくりかえるような感覚だ。コイツを見た瞬間、身体が燃えるように熱くなって、目は血が出そうになるほど痛む。
「どうしてって…そりゃあ、オクトーバーさんが捕まったら困るしね。仲間なら助けるのが筋じゃない?」
「仲間…だと…?」
悠馬の目の前に立っている人物。
それは悠馬が復讐を願い、悠馬を狂わせた元凶。
真っ黒な髪で、顔に残る大きな傷跡。
いつものようなふざけた笑顔を浮かべる人物は、悪羅百鬼そのものだ。
「オクトーバーさん?俺言ったよね?美哉坂夕夏には手を出すなって。ちゃんと忠告したよね?」
「すまない…悪羅…だが…私はより確実に、未来を掴みたい」
「ダメだよオクトーバーさん。それじゃあダメなんだ」
悠馬は右手で握る刀の力を強め、そのまま悪羅を斬り伏せようとするが、振り下ろした刀はピクリとも動かない。
「っていうか、いいの?悠馬くん、君、暁闇だってみんなにバレちゃったんじゃない?」
「そんなの今は関係ない…!なんでお前が…!どうしてお前が!」
「あはは。驚くよね〜、この俺悪羅と、オクトーバーさんが組んでるなんて、バレたら大問題だ!なので!」
悠馬の質問に答えるように独りよがりに話し始めた悪羅は、大きく目を見開き辺りを見回した。
殺意のこもった瞳。
いや、死を錯覚させたと言うべきか。
興味本位で窓から見ていた生徒たちは一瞬にして崩れ落ち、悠馬ですら震え上がるほどの狂気。
「っ〜!」
明確に見えた自分の死を感じながら、それでも戦意を喪失しない悠馬は、刀を引き、夕夏と朱理のいるところまで後ずさる。
「夕夏…朱理…大丈夫か?」
過呼吸に陥っている夕夏の背中をさすりながら、放心状態の朱理に目をやる。
さすがは世界一の大犯罪者、異能王殺し。
その殺気だけでも、レベル10能力者を震え上がらせるほどのものだ。
「ゆ…うまさん…お手伝いします…あの次元は…」
悪羅がその気になれば、この場にいる全員、一瞬にして殺される。
そのことを直感しながらも、朱理はいち早く恐怖から立ち直り、悠馬の横に立つ。
「ん。ありがと。夕夏を頼んだ」
「えっ…悠馬さん!」
立ち上がった朱理を押すと同時に、ゆっくりと開いたゲート。
そこに朱理を突き出した悠馬は、小さく微笑みながら、続いて夕夏をゲートの中へと入れる。
朱理の伸ばした手は、悠馬に届くことなく消えていく。
わかってる。わかってるんだ。今の俺は。
あの時は、異能祭の時は分かっていてもわからないフリをした。
コイツに負けたら、俺の存在意義が全否定されて、俺が生きている意味がなくなると思ったから。
でも今は違う。
俺はコイツに勝てない。少なくとも今は絶対に、この場に核兵器が降ってきたって、異能王が助けに入ったって勝てる気がしない。
だけどそれでいい。これでいいんだ。
もう誰1人として失わないために、今は負けてもいい。
この時悠馬は、初めて悪羅という憎き相手を前にして、復讐よりも大切な人を優先させた。
それは過去の自分との決別。数ヶ月前の悠馬とは全く違う決断。
「…良かったの?3人一緒なら、俺にダメージを負わせることくらいできたと思うけど」
「冗談はよせよ。何人いようが、お前が手を抜かない限り、現状お前にダメージを与えることなんてできない。そのくらい、わかってる」
「それ、建前でしょ。あの2人のこと、そんなに大切なんだ?」
悪羅を倒す術はない。
そう判断している悠馬が取った行動は、大切な人たちを安全な場所に避難させるということだけだった。
あとは自分1人で時間を稼ぐ
「お前には関係ねえだろ。雷切」
「前より数段速度も増したね。剣筋も鋭くなってる」
「ヘルヘイム!」
「前より範囲が狭まってる。周りの被害を考えたのかな?」
悠馬の攻撃を浴びながら、1つ1つを採点していく悪羅。
「クソが…!」
勝てるとは思っていない。
しかし、ここまで無防備な男に1のダメージも与えられないとなると、イラつきもするし、不安にもなる。
もし仮に、悪羅が夕夏を狙ったらどうなる?
悪羅とオクトーバーは、仲間だと言った。
夕夏は何かのカギを握っていて、オクトーバーはそれを欲しているということはつまり、悪羅だって、夕夏が何かに必要なことはわかっているはず。
なんとしても、ここで止めなければならない。ここに釘付けにさせなければならない。
悪羅は夕夏を使うことに消極的な様子だったが、悪羅がどういう人間かを知っている悠馬は、ふとした瞬間に夕夏が奪われそうで、失いそうで…そんな恐怖を抱きながら刀を振るう。
「太刀筋もいい。そこらの雑魚総帥よりもずっと強い。…でも、俺はお遊びに付き合ってられるほど、暇じゃないんだ」
そう言って悠馬へと手を伸ばした悪羅は、悠馬の振るった刀を片手で受け止め、軽々しく投げ飛ばした。
***
わかっている。わかっているはずなのに…
震えが止まらない身体が言うことを聞かない。
心と身体がバラバラになってしまったように、身体が脳の指示を聞いてくれない。
ぶるぶると震える夕夏は、真っ白になった部屋の中、1人うずくまっていた。
外の世界で最後に見た影。
それは間違い無く、悪羅百鬼その者だった。
悠馬の復讐対象であり、悠馬を狂わせた元凶。
世界で最も恐れられる犯罪者で、異能王すら凌駕する実力の持ち主。
「悠馬くんを助けないと…!なのに…!」
悪羅に向けられた殺気で、夕夏の心と身体はバラバラになっている。
真っ白な空間から現実に戻れない夕夏は、辺りを見回し、着物を着たピンク色の髪の少女を見つける。
「椿…さん…」
「…よぉ。ビビリ。お前があの女助けたいなんてワガママ言って走り出さなければ、お前の彼氏が全部、無事に終わらせてたはずなのにな」
夕夏が鏡花を助けたいなどと言っていなければ、悠馬はゲートで夕夏たちを避難させたあと、鏡花を助けに戻り、寺坂を呼ぶことも出来ただろう。
しかし夕夏がゲートへ入るのを拒んだせいで、悠馬はその場から身動きが取れなくなってしまった。
「そんな…」
「全部お前が悪いんだぞ?夕夏。お前が最初から、悠馬に全てを委ねていれば、あの悪者が現れることもなかった」
身動きが取れなくなった悠馬がオクトーバーを追い詰めたせいで、悪羅が現れた。
しかも、助けはほとんど望めない状況で。
本来であれば、寺坂という心強い味方をそばに置き悪羅と対峙できていたはずなのに、その可能性を絶ったのは夕夏だ。
「私の…せいで…」
「ま。いい子ちゃんのお前にはわからないよな。そういう奴は大抵、失って気づくんだ。私がそうだったから」
いい子ちゃんというのは、失うまで自分の過ちに気づかない。
全てが自分の思う方向に、良い方向に向いてくれるのだと、世界が平和になるのだと考えているから。
「失いたくない…」
「だろうな。でもお前じゃ勝てないし、邪魔だから悠馬に追い払われた」
「悠馬くんの側に居たい…」
「なら邪魔者は排除しないとな?あの悪者も、オクトーバーも」
夕夏になにかを選ばせようとしている椿は、ピンク色の髪を靡かせながら、嬉しそうにしゃがみ込む。
「お前に足りないものは、優しさでも実力でもない」
「ならなにが…私には足りないの…?」
「お前は全てを救おうとするから失敗する。天秤にかけるのを躊躇うから、大切なものを失う。お前にとって、敵は好きな人と同じくらい大切なものなのか?」
「ううん。悠馬くんの方が大事」
「お前にとって、敵は友達と同じくらい大切なのか?」
「ううん。友達の方が大事」
「なら躊躇わなくて良いだろ。お前が覚醒すれば、あの悪者を倒すことも、現状を打開することも簡単にできる。お前が異能を使えば、いつもの日常が戻ってくる」
夕夏がその気になれば、現状を打開できる。
そう明言した椿は、震えの止まった夕夏を見て、にっこりと笑ってみせる。
「私は…悠馬くんを助けるために。あの2人を捕まえたい」
「ん。でもダメだ」
「どうして!」
夕夏の出した結論。
夕夏の生き方を変えることとなるその決断を簡単にダメだと答えた椿は、彼女の頬をぺちぺちと叩きながら口を開く。
「今のお前は、前回の物語能力使用時ほど精神が安定していない。その状態で覚醒させれば、お前は死ぬだろう」
「なら…どうすればいいの!どうすれば悠馬くんを…!助けられるの…?」
結局、答えを選んでも振り出し。
最初のマスまで戻り、何も変えられない現状。
椿の言葉を聞いた夕夏は、怒りを露わにして声を上げた。
「簡単な話だ。私がお前のセラフになる」
「セラ…フ…?」
現代異能の最終形態、セラフ化。
椿の発言を聞いて目を見開いた夕夏は、何を言っているのかわからないと言いたげに頭を抱える。
当然だ。
セラフ化というのは、人生を賭して完成させるものであって、セラフ化しまーすと言ってなれるようなものではない。
現状の夕夏がセラフ化できるなんてことは、万に1つもないのだ。
「ああ。お前のセラフに私がなると言っている。そうすれば今の現状を打開できる。悠馬は助けられる」
「私が…セラフ化できるの?」
「ああ。お前のじゃないが、私のセラフ化は出来るはずだ。ただ…代償は大きいぞ?」
「代償…」
椿の笑顔を見た夕夏は、生唾を飲み込みながらその代償について考える。
寿命、身体、視力、幸せ、五感。
さまざまな不安が夕夏を襲いかかる。
「ま、欲望だな。お前の欲望を糧として、私が顕現する。つまり、お前が欲望を解放すればいいだけだ」
自制を止める。
自制だらけの夕夏が乱れる時といえば、大抵悠馬絡みだ。
悠馬に触れたい、悠馬とキスをしたい、悠馬と話したい、悠馬の側に居たい。
そんな欲望を、ただひたすら考えればいいだけ。
入学前の夕夏にとって欲望を露わにするというのは難しいことだったが、今はそうでもない。
大した代償ではなくちょっとだけ安心した夕夏は、首をこくっと縦に振り、椿を見つめる。
「やる。やるよ。それで悠馬くんを助けられるなら」
「はは。お前をこんなに簡単に決断させちまうんだから、恋っていうのは偉大だな。現実に戻ったら、セラフ化、椿と唱えろ」
「うん。わかった」
***
「はっ…」
真っ白な空間から意識が戻り、自身の寮の中を見渡す。
気づけば全身の震えは止まっていた。
夕夏が意識を元に戻すと、そこには焦った表情の朱理が映る。
「悠馬さんが…ここは総帥に…いえ…異能王に…」
どうやら夕夏の思考は、そこまで時間はかかっていないらしい。
「朱理。ここで待ってて。全部終わらせてくるから」
「ダメです。悠馬さんに、貴女のことを頼まれました。それは許しません」
焦っているというのに、言いつけ通り夕夏を保護しようとする朱理。
その胆力はさすがと言えよう。
「大丈夫だよ。朱理。ちゃんと全部助けるから。そしたら…また一緒に、みんなでご飯食べようね?セラフ化。椿」
夕夏がそう告げると同時に、室内は閃光に包まる。
亜麻色だったはずの髪色はピンクに。茶色のはずだった瞳は、桜色に。
朱理の話を無視した夕夏は、セラフ化を発動させた。
セラフ化を遂げた夕夏…いや、椿は、ニヤリと笑ってみせると右手を伸ばす。
「物語。ゲート」
悠馬の黒い渦とは違い、白い渦のようなものが、夕夏の全身を包み込んだ。
白い渦の先に見えるのは、新阿久津ヶ丘の大通り。
つい先ほどまでいた空間に舞い戻ってきた夕夏は、後を追ってきた朱理のことなど目にもくれず、剣戟を浴びせている悠馬を見つめる。
「厳しそうだな。どれ、加勢してやろう」
悠馬と悪羅では、力に差がありすぎる。
加勢をすると呟いた椿は、一瞬にして見えなくなると次の瞬間、悪羅の間合いに入り、拳で腹部を貫く。
「動きにくいな…やっぱ、胸が邪魔だ…」
「くっ…」
「は…?」
悪羅の腹部にポッカリと空いた穴と、胸が邪魔だと呟く椿。
刀を振るおうとしていた悠馬は、そんな信じられない光景を目にして、情けない声を上げた。
なんだ今の?っていうか、夕夏?
「くぅー…随分と早い覚醒…いや、まだ不完全だね…安心したよ」
悠馬の疑問など知らず椿を見つめる悪羅は、ピンク色の髪を見つめながら不完全だと呟く。
「ほう?腹に穴を開けられて、そんな余裕な声が出せるとは…人間も進歩したなぁ」
「オクトーバーさん。帰るよ。流石にこれ以上はマズイ。邪魔者も入りそうだしね」
「ああ…わかった」
椿の乱入。
それと同時に撤退を指示した悪羅は、黒い渦のようなものを開き、その中へと消えていく。
「じゃあね。椿、悠馬くん。また会おう」
「お…おい!お前!どうして私の名前を…!」
腹部にポッカリと穴を開けたまま、ゲートの中へと消えていく悪羅。
そんな彼を見送った悠馬は、深追いをしようとする椿の手を握り首を振った。
「夕夏…なんだよな?」
「詳しくは後で話す。まぁ、無事で良かったよ」
椿が乱入したためか、すんなりと手を引いた悪羅。
もともと何か争う予定でもなかったのか、なんの被害もなく難を逃れた悠馬は、セラフ化を解除してその場に膝をつく。
「暁くん!大丈夫か!」
「おっと…総帥サマか…」
ビルの上を駆け抜けるスーツ姿の人物。
悠馬へと近づこうとしていた椿は、瞬時に髪色を亜麻色に戻し、夕夏へとバトンタッチする。
「悠馬くん!良かった…無事で…」
「夕夏…こっちのセリフ…」
「全く…寺坂、お前が鏡花が〜、と喚くから、遅れてしまったじゃないか」
遅れて降り立つ2つの影。
悠馬は、鏡花をゲートでセントラルタワー最上階へと送り届けてきた。
死神なら、それだけでも状況を理解してくれるだろうと、そう願って。
しかしながら、どうやら寺坂が鏡花のことを優先したのか、遅れて到着したことに怒っている様子だ。
「し、仕方ないだろ!鏡花は大事な総帥秘書なんだ!」
「はいはい。他所でやれ他所で」
鏡花と寺坂がアツアツなことなんて、死神にとってはどうでもいいことだ。
一度夕夏と朱理の方へと視線を向けた死神は、2人の元気な顔を見れたことに安心し、溜息を吐きながら寺坂の声を聞き流した。
悠馬くん、そんなにセラフ化使って大丈夫?




