オクトーバーの悪夢4
「いや、通用しないという表現は間違っているな」
鏡花は一度距離を取ると、一気に間合いを詰めてオクトーバーへと回し蹴りを放つ。
彼女の回し蹴りに対し、オクトーバーは右の脚を上げて対応した。
バキッという鈍い音が、夜の東京に響く。
「っ〜!」
「こういう表現が正しいかな。君の催眠の異能は、自身よりレベルの高い人間に暗示をかけるのに時間がかかる。例えば今のように…君は今、私に暗示をかけようとしているのだろう?」
「!?」
鏡花の異能の難点。
それは自身よりもレベルの高い相手、そして警戒心の強い相手に対して暗示をかけるのは、難易度が急激に上がるということだ。
暗示をかけられないと言うわけではないが、低レベルの者に暗示をかけるよりも、はるかに時間がかかる。
例で言うなら、神奈が異能祭で秋雨に暗示をかけられたのは、秋雨が神奈を警戒していなかったためだ。
しかし今は違う。
前総帥のオクトーバーが、鏡花の異能を知っている状態で警戒を怠るということはまずないだろう。
「安心しろ。日本支部を潰そうというわけじゃない。ただ、美哉坂夕夏を渡せと言っているだけだ」
「何が目的だ?何故夕夏が欲しい?」
「理由を言えば、差し出してくれるのか?」
「いや。あり得ないな」
鏡花の任務は夕夏の安全を確保すること。
オクトーバーにどんな都合が、どんな理由があったとしても、鏡花は任を解かれるまで、彼の話を聞いて態度を変えることはないだろう。
「ならば君に言うことは何もない。ここで眠っていなさい」
「断る…!私の生徒に手を出すな」
オクトーバーの拳が、鏡花の頬を掠める。彼女の動きは、右足が鈍い音を立ててからというもの、格段に遅くなっているようにも感じた。
ほぼ確実に足が折れている。
畳み掛けてくるオクトーバーにカウンターを放った鏡花の一撃は、難なく彼の手元に収まりねじ伏せられる。
鏡花の暗示は、オクトーバーには効かない。
少なくとも、このタイミングで都合よく暗示にかけることはできない。
「さらばだ。若い秘書」
「かはっ…」
生身の人間対、生身の人間。
結果は最初からわかっていた。
鏡花は異能が使えなくなった時点で、ただの腕が立つ女の子だ。
そんな彼女が、前総帥に勝てるはずもないだろう。
オクトーバーの膝蹴りをみぞおちに喰らい崩れ落ちた鏡花は、呼吸ができなくなり苦しくなった身体で、歪む視界の中、3人の影を目にする。
「どう…して…」
逃げてないんだ…
「悠馬くん!鏡花さんが…!」
どうやら完全に暗示が解けてしまったようだ。
完全に暗示から解けている夕夏は、大慌てで鏡花へと駆け寄ろうとする。
「夕夏…ダメだ!やめろ!」
ゲートを開いていた悠馬は、駆け寄ろうとする夕夏の手を引き、強引にゲートの中に引きずり込もうとする。
今の状態じゃ分が悪い。いや、場所が悪すぎる。
せめて異能島に、国家の目と鼻の先でなければ、オクトーバーを仕留めることができる。
「離して!悠馬くん!私は鏡花さんを助けたいの…!」
「わかってるよ!そんなこと!わかってんだよ!」
わかっている。
鏡花を助けたい気持ちだって、痛いほどわかっているつもりだ。
でも、オクトーバーの狙いは夕夏であって、その夕夏が鏡花を助けに行くというのは、カモがネギ背負ってやってきたようなものだ。
夕夏の実力は、お世辞にも強いと言えるものじゃない。
下手をすればレベル8にも負けるだろうし、ほぼ100%、連太郎よりも弱いと断言していいほどのレベル。
そんな彼女が助けに入ったところで、飛んで火に入る夏の虫。
オクトーバーにとって好都合に進むだけであって、最悪の展開になってしまうだけだ。
「揉め事かい?こちらとしては都合が良いが…」
意識を失った鏡花を見届けたオクトーバーの視線は、悠馬たちの方へと向く。
当然だ。
オクトーバーの目的は最初から夕夏であって、他の誰でもない。
そんな彼が、夕夏を差し置いて帰るなどということをするはずもなく、邪魔がいなくなった今、狙われるのは夕夏ということになる。
「……朱理、夕夏を頼む」
「…はい」
夕夏の手を離し立ちふさがった悠馬は、何もなかった空間から神器を取り出す。
「結界。クラミツハ」
「ほう…次は君が戦うか」
「当たり前だ。先に言っとくが…ここで手を引くことをオススメする」
「自信過剰、だな」
悠馬が抜刀する姿を眺めながら、鼻で笑ってみせるオクトーバー。
彼からしてみれば、悠馬は鏡花以下の存在、ただの高校生、弱者としてしか視界に映っていないのだろう。
結界を使おうが、所詮は高校生のお遊戯。
力を手にして調子に乗っているようにしか映らない。
一度背後を見た悠馬は、朱理が夕夏を抑えているのを確認し、ため息を吐く。
「これで俺も、晴れて犯罪者だなぁ…」
刀を構えながら、独り言をつぶやく。
出来れば別の場所で戦いたかったが、そうも言ってられない。
夕夏が背後にいる以上、下手に背中を向けることが出来ない悠馬は、ここで戦う、ここで犯罪者になる決意をしながら頬を緩める。
「ま…いいや。それで大切な人を守れるんなら。それでいいんだ」
「独り言かい?随分と余裕そうじゃないか」
「余裕そうに見えてるなら良かったよ。本当は余裕なんて、微塵もない」
悠馬はオクトーバーの異能について、何も知らない。
宗介のようにうまく行くのかすらわからない。
緊急事態のため心の準備も、なにもかも出来ていない悠馬は、冷えた体を温めるように両足を交互に地面から離し、深呼吸をする。
「さてと。流石に刀相手に、素手は厳しいな。悪いが少年、異能を使わせてもらうよ」
「どうぞご勝手に」
後出しで異能を使われて、形勢が逆転するのは御免だ。
最初から相手の異能を確認できていた方が、後でパニックになることもなく安定して戦える。
戦いというのは、どれだけ冷静でいられるのか、どれだけ落ち着いて、いつも通りの状況判断ができるのかが重要になってくる。
相手の後出しに翻弄される可能性が薄くなったという点で少しの安心感を得た悠馬は、オクトーバーが取り出した銀色の粉を見つめ、眉間に皺を寄せる。
何の異能だ?
あの粉が、異能を使えば何かに変わるのか?
鉄粉?なのだろうか?
よくわからないカプセルに入った物体を目にする悠馬は、その物体が何のために使われるのか、何の異能なのかを理解できずに頭をぐるぐると回す。
考えられる異能は、宗介と同じく物体を操る系の異能、もしくは妨害系の異能くらいだ。
「さ。少しグロテスクになるかもしれないな」
「っ!?」
オクトーバーが鉄粉の入ったカプセルを地面に叩きつけると同時に、中に入っていた鉄粉たちが道路へと巻き散る。
「形を変えろ。粉たちよ」
視界を遮る系の異能。
そう判断した悠馬は、慌てて左腕で視界を守るが、それと同時に右足に感じた激痛に口元を歪める。
「ぐっ…!」
まるで刀が足に刺さったような、そんな不快な痛み。
次々に体に突き刺さるその鋭い痛みを感じる悠馬は、叫び声を上げる暇もなく、最初からその痛みが通常であったかのような錯覚を抱き始める。
「ははは。相変わらず、私の異能は人を守ることはできないな。加減も出来ないし、少し刺激が強い」
悠馬に突き刺さる、無数の剣。
それは串刺しという呼び方がふさわしいほど無残に、そして凄絶に広がっていた。
ポタポタと剣先から流れ落ちる、悠馬の血液。
これがオクトーバーの実力。
これがオクトーバーの異能。
彼の異能は形状を戻すという、どこにでもありそうな、大したことのなさそうな異能だった。
しかしながら、彼はその異能で総帥という立場にまで上り詰め、こうして悠馬を圧倒するほどの実力を手にしている。
彼の異能の凄さは、その形状を戻すという過程の中にある。
本来、形状を戻すと言われれば、壊れたもの同士をくっつけて、本来あった形に戻す。というものを考えるだろうが、オクトーバーの異能はそういう類の異能とは一線を画す。
彼の力は、パーツの一部品さえあれば、そこから全てを作り直すことが可能なのだ。
つまるところ、剣先を削った鉄粉さえあれば、それから元の剣を作り出すことも可能ということになる。
もちろん、生物を元に戻すということは出来ないが、無数の剣先の屑を手にしていれば、オクトーバーは無限武器貯蔵庫と言ってもいいほどの軍事力を得ることができるのだ。
しかも鉄粉は風に舞い、人の肺の中にも侵入する。
効果範囲は20メートルと少し狭い領域内だが、それでも20メートル以内に入ってきた人間を確実に殺すことが出来るのだから、一定条件下では最強と言ってもいいだろう。
「痛ってぇなぁ…もうすぐで意識飛ぶとこだったし…」
余裕のあるオクトーバーの話を聞き、不快そうに目を動かす悠馬。
彼の瞳の色は、レッドパープルから漆黒へと変容し、色のなくなった瞳でオクトーバーをじっと見つめる。
「動かないことをお勧めするよ。少年。君は幸いなことに、鉄粉を吸い込んではいない。肺をやられていれば死んでいたかもしれないが、今の君なら一命を取り留められるかもしれない」
動けば助からないかもしれないが、このまま助けを待てば、助かるかもしれない。
そんな曖昧なことを口にするオクトーバーは、意識を失っていない悠馬に少し驚きはしたものの、すぐに興味を失ったのか目を逸らす。
「さて。美哉坂夕夏。抵抗すれば、お友達を彼のようにする」
「っ…ぁ…」
目の前に広がる悠馬の血溜まりと、そしてボロ雑巾のように穴だらけになった悠馬の姿。
その光景は、悠馬が再生するのだと知っていても、わかっているのだとしても、刺激の強すぎるものだ。
目を見開きながら一歩後ずさった夕夏は、自分が愚かなことを考えたせいで、悠馬に大怪我を負わせてしまったという罪悪感と、そして恐怖に苛まれる。
「ではでは。私がお相手しましょうか?オクトーバーさん」
「っ…!」
夕夏を脅すオクトーバーに向かって、何のためらいもなく異能を発動させた朱理。
頬に手を当てながら、嬉しそうに黒い何かを蠢かせる彼女は、オクトーバーの驚いた顔を見つめる。
「闇…」
オクトーバーの頬から鮮血が流れ出る。
今日初めて、オクトーバーが負ったダメージだ。
「あは♪ 私ね、結構強いんですよ。さぁ、始めましょうか?殺し合いを」
朱理がそう告げると同時に、彼女の背中から無数に伸びた闇は、次々とオクトーバーを襲う。
鉄粉を取り出す暇も、カウンターを与える隙もないほど短い間隔で、何度も。
「時間は稼ぎますよ。悠馬さん」
「なるほど…その闇…レベル…もしかすると、君が暁闇だったのか?」
朱理のレベルは、間違いなく10。
暁闇と言われれば、男。というイメージが強いため、女という可能性は視野に入れていなかったが、ここまで綺麗な闇堕ちを見てしまうと暁闇だと錯覚もしてしまう。
「さぁ?どうでしょう?ですが、私が暁闇じゃなければ、貴方は暁闇本人と戦った時、かなり苦戦をすることでしょう」
「何が言いたい?」
「さぁ?ご想像にお任せします」
ニッコリと笑って見せる朱理だが、彼女の周りからはドス黒い闇が溢れ出て、絶え間なくオクトーバーを襲っている。
悠馬でも、流石にここまで自在に闇を操ることは出来ないだろう。
彼女の心の闇の深さが垣間見える異能でもある。
「厄介な…」
闇を攻撃したところで、実態があるわけでも、朱理本人にダメージを与えれるわけでもない。
この闇を止めるには朱理本人をどうにかする必要があるが、近づけば近づくほど闇は強く、そして濃くなっていく。
一歩ずつ、一歩ずつ後ろへと追いやられるオクトーバーは、初めて眉間にしわを寄せ、そして隙を伺おうとする。
「どうですか?どうですか?」
無数の闇が蛇のようにうねうねと、オクトーバーの隙の出来た箇所に噛み付こうと、何度も食らいついてくる。
それをギリギリのところで回避し続けるオクトーバーは、周りの様子など確認する余裕もなく、朱理の攻撃を回避することだけに全てを集中させる。
これだけの闇、これだけの異能。
これが永久に続くとは思えない。
異能と消費する体力というのは、比例していく。
今の朱理の異能は、例えるならばレオと同じ異能だと考えていい。
常に形状を保ち続け、絶え間なく動かすことによって絶大な力を発揮しているが、裏を返せばバカみたいに体力を消耗している。
これを回避すれば、回避し続ければ朱理の体力はすぐに尽きる。
「愚かな女だ」
朱理が短期決戦を望んでいることを悟ったオクトーバーは、彼女を愚かだと言い、時間稼ぎを図ろうとする。
「さて、どちらが愚かでしょう?」
「っ?」
朱理のそんな声が響き、オクトーバーは意識を外へと向ける。
先ほどオクトーバーが発動させた串刺しの剣山は、溶岩にでも触れたかのように溶け、鏡花の姿も悠馬の姿もない。
「ありがとう朱理。もう大丈夫だ」
オクトーバーの耳に聞こえてきた声。
それはつい先ほど、確実に大怪我を負わせたはずの人物の声だった。
相手が悪くても、異能を使えばお互いに犯罪者…生きにくい世の中ですね…




