オクトーバーの悪夢3
「はぁ…はぁ…」
人通りのなくなった暗い道路を、ただひたすらに走る。
まるで異能島の夜かと尋ねたくなるほどの人通りの無さは、ほぼ間違いなく、近くに総帥邸があるからなのだろう。
海外のお偉方からも見られやすい総帥邸の近くで、夜遅くまでスーツの会社員がトボトボと歩いているのは見栄えが悪すぎる。
先進国として、総帥がいる国として、名誉を保ちたいであろう日本支部が、総帥邸の周りで残業を許すはずもない。
時刻は21時59分。
約束された門限の時間の1分前だ。
だというのに、悠馬は現在、ホテルにはたどり着いていなかった。
「すみません、私が連れ回した挙句、靴擦れまで起こしてしまって…」
そう言って申し訳なさそうに謝るのは、悠馬が背中でおんぶをしている黒髪女子の朱理。
悠馬と朱理はあの後デートを満喫したのだが、楽しい時間というのはあっという間で、集合時間を忘れてしまっていた。
幸いなことに、集合時間は過ぎていなかったため、こうして今のように走っていたのだが、朱理が靴擦れを起こしてしまったため、悠馬が朱理をおんぶして走っているのだ。
「ううん。気にしなくていいよ。こういうのも、ちょっとデートっぽくて楽しいから」
もう集合時間に間に合わないとは知っているが、それでも走る悠馬。
こういうのも、なんだか青春の1ページみたいで、はしゃいでしまう自分がいる。
時間ぎりぎり、間に合わないとわかっていても、好きな人と一緒に走るというのは、案外楽しいものだ。
ようやく大通りへと出た悠馬は、自分たちが泊まる予定のホテルを発見し目を輝かせるが、それと同時に、ホテルの前に立っている教員を発見し引きつった表情を浮かべる。
担任教師の千松鏡花だ。
ルールに厳しい鏡花が立っているということはつまり、かなり嫌味なことを言われるだろうし、長ったらしい説教を食らう羽目になるだろう。
それが嫌な悠馬は、徐々に走るペースを遅くすると、トボトボと歩き始める。
「はぁ…はぁ…!お先!」
「お先〜!」
「え?あ?」
歩き始めた悠馬を追い抜いて行く、複数の女子生徒たち。
それは美沙や夕夏、湊や美月といった女子軍団だ。
悠馬ほどは疲れていないように見えるが、それでも全力疾走してきたのだろう、息の上がっている女子も多い。
「俺も走っとくか…」
女子たちに連れられ、再び走り出す悠馬。
これは赤信号、みんなで渡れば怖くない作戦だ。
集団で怒られれば、単体で怒られるよりも時間は省略されるし、怒りも分散される。
効率的には、1人で怒られるよりも複数人で怒られた方が、かなり良いものになるのだ。
「…お前ら、私はきちんと集合時刻を伝えたつもりだったが…聞こえてなかったか?」
道路を走り、ホテルの前へとたどり着いた御一行を待ち受けていた鏡花。
「げっ…」
悠馬と違い、鏡花が立っているなどと気付いていなかった美沙は、あからさまに嫌な表情を浮かべている。
時間に厳しい鏡花と、時間にルーズな美沙。
その2人の性格は真反対で、水と油と言っても良いだろう。
異能島内では制服を注意され、授業態度を注意され、遅刻を注意される美沙にとって、鏡花は天敵と呼べる。
「げっ…とはなんだ?國下。お前、私がなぜ集合時間を告げたのか分かってるのか?」
「そ、そりゃぁ…変な人に引っかからないようにですよね?わかってますよそのくらい!」
口調だけは自信満々に、目を泳がせながらそう話す美沙。
どうやら彼女は、4割近くは理解しているものの、6割近くは理解できていないらしい。
「本土は異能島よりもセキュリティが緩い。それは極論を言えば、悪い犯罪者も日本のどこかにいるということだ」
「それがどうかしたんですか?」
「拉致被害」
まだ何も理解できていないご様子の美沙に呆れた鏡花はそう話すと、頭を抱え悠馬を見る。
お前はわかっただろ?と言いたげに。
確かに、ここまでくれば悠馬は理解できる。
つまり鏡花が心配していたのは、集合時間を守らずに遊び呆けた挙句、犯罪者に捕まって実験台にされることだったのだ。
日本支部本土は、異能島と比較して見るとセキュリティが非常に緩い。
空港ではちょっとした犯罪歴は見逃されるし、前科があったとしても、入国自体は許されることが多いからだ。
対する異能島のセキュリティは、前科がある時点で島への入場が不可能になり、基本的に一般人でもお偉方が選択した人物しか入場できないシステム。
そんな島から年に数度、餌という名の学生が本土へ向かってやってくる。
島への侵入はできないが、本土で待機している犯罪者たちの中には、この状況を狙う輩もいるはずだ。
鏡花はそれを危惧しているのだ。
「毎年異能島の学生は、誘拐に近いことをされている。まぁ、強引な手法に出るやつは中々いないが、特にお前のような気の抜けた奴は、すぐに連れてかれるだろうな?」
「わ、私だって男くらい選びますよ」
「まぁいい…この人数の説教は面倒だ。誰が遅刻の原因になった?」
「私です」
鏡花に質問をされ、間髪入れずにそっと手を挙げる夕夏。
そんな彼女を、驚いた表情で見る女子たちを見るからに、夕夏が原因というわけではなさそうだ。
まぁ、さしずめ女子たちを庇いたいのだろう。夕夏の性格の良さが滲み出ている。
「他の奴らはホテルに戻れ。暁と朱理、そして夕夏だけ残れ」
「せんせー、私も…」
「戻れ」
「はい…」
みんなで遅刻したのに、夕夏1人だけに説教を聞かせるわけにはいかない。
そんな美沙の善心なのか、それとも気まぐれか、立ち止まって残ろうとした彼女を追い払ったのは鏡花だった。
鏡花に睨まれ、夕夏に頭を下げながら去っていく美沙。
彼女を見送った夕夏は、今から怒られることを想像してか、少し震えているように見えた。
夕夏の家は前総帥の家であって、ルールだってそれなりに厳しい。
性格を見るからに、大抵の約束事は破らないであろう彼女にとって、こういった説教というのはあまり慣れていないはずだ。
「まったく…まず暁。お前は何してた?」
「…朱理とデートしてました」
「ほぉ?いい度胸だな?」
「?」
鏡花の異能、催眠によって、朱理と夕夏は彼女が総帥秘書であるということを忘れているだろうが、悠馬は違う。
今のいい度胸というのは、間違い無く、夕夏を放って時間も忘れてデートとは、ふざけた奴だな。覚えとけよ。という意味のはずだ。
それを瞬時に悟った悠馬は、顔を青くして俯く。
「すみません…」
「暁、夕夏、朱理。お前たちはレベル10。世界でもトップに位置付けられているレベルを手にしているんだ」
「はい」
「特にお前たちは、他国からも犯罪者からも狙われる可能性が高い。この門限は、お前らを守るために設けられているんだ。自分の身を守るためにも、二度とこういったことはするんじゃないぞ」
レベルが高い学生ほど狙われやすい。
悠馬は狙われても大丈夫だと思っているだろうが、自分が狙われている自覚を持てと言いたいのだろう。
鏡花の話に頷いた3人。
「まぁ、今日は怒る気はない。だが、次は怒るぞ」
「すみませんでした」
案外早く終わった説教。
ホテル前で説教を食らっていた悠馬は、何気なく道路の先を見つめ、そして奇妙な違和感を感じて目を細める。
「…?」
時刻は夜の22時8分。
人がいなくなるにはまだ早すぎる時間帯で、悠馬たちが走っているときは、まだ人の姿はあった。
しかし、今は4人を除いて誰もいないのだ。
まるで人避けされたような、別の空間に隔離されたような。
「鏡花先生、総帥邸付近って、夜は人少ないんですか?」
「なんだいきなり?総帥邸の周りは、基本的に0時近くまで観光客で賑わってい…」
悠馬の指摘。
辺りを見回した鏡花も、異変を感じ取ったらしい。
最初はちょっとした違和感だが、気づけば大きな違和感だ。
いくら夜と言えど、この人通りの少なさはどうかしている。
「夕夏、朱理、ホテルの中に…」
「それは困るな。女性」
ホテルの中に戻っていろ。
鏡花がそう告げようとした直前、何もなかった空間から、鏡花へと手が伸びていく。
その得体の知れない手を避けた鏡花は、ポケットから警棒を取り出し、鋭い眼差しで手の方を睨む。
何もない空間から、突如として現れた人物。
金髪に薄い水色の瞳。
身長は180センチほどで、体格は権堂と同じ程度。鍛え抜かれたようなゴツゴツとした肉体だけを見ても、彼が只者でないということはすぐに理解できた。
悠馬はその男の顔を知っていた。
悪羅ではない。
悪羅ではないが、悪羅の次に知っている存在。
世界的な犯罪者で、世界大戦の原因となり総帥の資格を剥奪された男。
各国の優秀な人材を拉致し、実験として非人道的行為を繰り返した男。
「オクトーバー・ランタン…」
夕夏の掠れたような声が、静寂に包まれた道路に響く。
「やぁ。君が美哉坂夕夏かな?悪いが彼女を貰っていくとしよう」
「暁!朱理と夕夏を避難させろ!できるだけ遠くに!」
「いや!立場逆だろ!お前…!」
鏡花の異能は、催眠のただ1つ。
確かに催眠という異能は、異能の中でもかなり強い部類に属しているし、単体でも絶大な効果を発揮することだろう。
しかしそれは、撹乱においての話だ。
近距離、肌と肌が触れ合う程度の距離で殴り合いながら、しかも総帥に催眠をかけるのはほぼ不可能と言ってもいいだろう。
何しろ鏡花の催眠は、総帥と同クラスとされる悠馬が打ち破れたのだ。
総帥に効果がある可能性が薄い。
鏡花が負ける可能性が高いのだ。
そう感じている悠馬は、自分がオクトーバーと戦って、鏡花に避難誘導をさせるべきでさないのか?という意見が浮かんでいた。
それが最善の選択。
「ここは本土だぞ…!学生のお前が異能を使えばどうなるかくらい、わかるだろ!」
異能島と本土の違い。
それは異能島のルールよりも、本土のルールの方が厳しいというものだった。
異能島では道端で異能を使った場合、停学や厳重注意、悪くて退学程度で済まされる。
しかしながら本土というのは、無資格の者、つまり総帥や総帥秘書、国家公認の存在以外が異能を使えば、即逮捕、犯罪者になってしまうのだ。
しかもタチの悪いことに、この法律は相手が犯罪者で、自分が一般人だったとしても適応されてしまう。
赤坂邸ではそんなこと気にも留めなかったが、ここは総帥邸の近所。
国家の目と鼻の先で異能を使ってしまえば、寺坂だって見過ごすことはできないだろう。
「お前、何しにここに来た?」
「君は確か…今の総帥秘書か…君の方こそ、こんなところで何をしている?」
悠馬が一歩後ずさり、夕夏と朱理の手を握ったタイミング。
ちょうどその瞬間に会話を始めた鏡花は、警棒を振るいながら、オクトーバーへと尋ねる。
「私がすることは、君には関係ないさ」
「っ…なら捕まえるだけだ」
異能を使わない近接格闘。
鏡花が異能を使って来ないことに合わせてか、オクトーバーも異能を使わずに、鏡花に応戦してみせる。
「千松鏡花。君のことは知っているよ。いや、日本を蔓延る犯罪者なら、誰でも知っているだろうけど」
鏡花が右手で振るった警棒を受け止めたオクトーバーは、涼しい顔でそう話す。
オクトーバーは難なく受け流しているが、鏡花の攻撃が遅いわけではない。
鏡花の攻撃は、自身の異能が戦闘向きではないために、それなりに研ぎ澄まされていた。
いや、それなりに、という表現も間違っているかも知れない。
鏡花の近接格闘は、その手のプロと比較しても、なんら遜色がないほどに完成していた。
しかし、相手はただの犯罪者ではなく、元総帥だ。
当然、オクトーバーだってかなりの経験を積んでいるだろうし、男と女の筋力差では、鏡花の分が悪い。
唯一勝てる箇所があるとするなら、それはオクトーバーの年齢が50を超えているため、体力的な面だけ、ということになる。
「ほう…?それはそれは。光栄だな。元総帥の、No.2の犯罪者に名前を覚えて貰っているとは」
「君の異能は催眠」
「っ!?」
鏡花の動きが、オクトーバーの指摘を受けると同時に少しだけ乱れる。
異能まで知られているとは想定していなかったのだろう、彼女の動きには明らかな動揺が見えた。
「確かに、君の能力はその気になれば1人で国家を破壊することも容易だが…難点もある」
鏡花の催眠の異能というのは、発動範囲に条件がある。
今現在、鏡花の催眠の発動範囲は、100キロほど。
つまりそれ以外には、催眠の効果が及ばないことになる。
しかしながら、それは問題ではない。
鏡花の異能は、一度範囲に入ってしまえば、その効果範囲から抜け出ても、矛盾、異変を感じなければ永久に続くものなのだ。
つまり、効果範囲である100キロ圏内に一度入ったことのある人物は、その圏外にでても、催眠状態であるのと同義。
国家を簡単に滅ぼせる異能である。
「何が言いたい?」
余裕などない様子の鏡花に、難点があると指摘したオクトーバー。
そんな彼を睨みつけた鏡花は、振りかざされた大きな拳を回避しながら問いかける。
「君の異能は、自身よりもレベルの高い存在には通用しないということだよ」
宗介は暮戸のおかげで異能祭に参加できました。異能島のセキュリティがガバガバなわけではないです!
そういえば夕夏は、夏休み編で新たな力に目覚めましたね…物語能力…




