オクトーバーの悪夢
10月。外も過ごしやすい気温となり、辺りには賑やかな声が反響していた。
世間ではあと2週間もすればハロウィン、最近の日本では大イベントとなっている行事だ。
きっとみんな、31日に備えてコスプレの準備をして、お持ち帰りなんかを期待しているのかもしれない。
かくいう悠馬は、別にハロウィンの準備をしているわけではない。
悠馬は現在、異能島の中ではなく、本土の新東京のホテルの中、その一室にいた。
なぜ本土に訪れているのか。
明日は隠しイベント、総帥邸見学なのだ。
島から出た悠馬たち第1の1年は、本土の新東京、新阿久津ヶ丘付近のホテルで自由時間を過ごしている。
そして、そのホテルから見える景色がハロウィン一色だったために、ハロウィンのことを考えていただけだ。
明日の総帥邸の見学。
やけに上機嫌の悠馬は、総帥邸の見学を待ち望んでいるように見えた。
以前の悠馬なら、このイベントを利用して、総帥が保管しているであろう悪羅の記録を盗み出そうなどと考えていたかもしれないが、今は違う。
今は純粋に、総帥とはどんな仕事をするのかを知りたくなった。
宗介が憧れ、総一郎が成し遂げたモノを見てみたい。
外の景色を眺めながら胸をときめかせる悠馬は、自身のホテルの部屋の扉が開いたことになど気づきもしない。
外の景色を眺める悠馬の背中に、ぽすっと軽い感触が伝わってくる。
いったい誰だろうか?
そんな疑問を抱いた悠馬だったが、その疑問はすぐに解消されることとなる。
下ろした手にかかる、サラサラの髪。
その絹のような髪感触、そして髪の長さは、間違うはずもない。
「朱理、せっかく本土で外出できるんだ。みんなと一緒に遊んで来なよ」
あまり自分とばかり一緒に居て、友達が減ってしまったらかわいそうだ。
そんなことを考える悠馬は、振り向かずにそう告げた。
もし仮に振り向いて来たら、多分今出した結論が覆る。
やっぱり一緒に居たいなどと言い始める自分がいると感じたからだ。
振り向かない悠馬を見て頬を膨らませた朱理は、一度首を振り、いつもの表情へと戻す。
「釣れない男ですね。デートしませんか?」
悠馬の背中にもう少しだけ力を入れて寄りかかる朱理。
少し不機嫌そうに聞こえる朱理の声。
それは一種のおねだりでもあった。
子供の頃からおねだりなどしたことがなかった朱理に芽生えたこの気持ち。
自身でも不思議な気持ちに囚われている朱理の表情には、ほんの少しだけ喜怒哀楽が現れるようになった気がする。
朱理は微笑みはするものの、いつも本当に喜んでいるのかよくわからない、作り笑いのような微笑み方だ。
しかし最近は、ちょっとずつ変わってきている。
他の人と比べると、見分けがつかない程度の誤差かもしれないが、朱理をじっと観察していればわかる。
ついこの間、悠馬が使わず捨てようとしたキーホルダーが欲しいと言い始めた朱理に、そのキーホルダーを差し上げたらほんの少しだけ口元が緩んでいた。
そんなことを知っていた悠馬は、不機嫌そうな朱理の声を聞いて窓を閉める。
「ん。わかった。デートしようか?」
「はい♪」
悠馬の承諾の返事を聞いた朱理は、いつもより大きな返事と、笑顔を浮かべる。
少し足早に扉へと向かった彼女は、ホテルの廊下へと飛び出した。
***
高価なホテルのエレベーターに乗り込み、ロビーへとたどり着く。
幸いなことに他の生徒たちはすでに出払っているらしく、道中遭遇して冷やかされるということは一切なかった。
「悠馬さん。あの時みたいに、手を繋いでもいいですか?」
誰にも見られていない空間。
他の学生がいない空間で思い切って尋ねた朱理は、少しだけ緊張しているようにも見えた。
あの時、というのは、異能祭のことなのだろう。
異能祭の時のことを思い出した悠馬は、返事をせずに朱理へと手を伸ばすと、彼女の掌を握りしめる。
「ふふ…あの時と違って、すごくドキドキします」
確かに、朱理の言う通りだ。
あの時は異性として意識していなかったといえば嘘になるが、ただ見知らぬ人を案内しているという形に近かったし、加えていうならお互い何も知らなかったため、ドキドキよりも緊張の方が大きかった気がする。
だが今は違う。悠馬と朱理は、ほぼ毎日一緒の寮で過ごしているし、お互いのことを全て…とは言わないが、ある程度は理解しているつもりだ。
それに加えて、初めて行く場所で夕方からのデート。
22時までに帰って来ればいいらしいので、おそらく夜まで一緒に歩くのだろうと考えると、緊張なのか恋心なのか、ドキドキしてしまう。
フロントの受付人と目があった悠馬は、会釈だけすると、自動ドアが開くのを待って外に出る。
そしてその直後、悠馬と朱理は、外の景色を見て唖然とした。
行き交う人々の通行量。
スーツや制服の人々、そしてバイト服の人々が行き交うその景色は、常時異能祭が開催されていると言っても良いほどの人通りだった。
互いに目を見開き、数秒停止する。
異能島は歓楽街などの施設は、問題の火種になりかねないため存在しておらず、島の娯楽施設といえばカラオケや遊園地、ボーリングなどの施設や大規模なショッピングモールなど。
新博多出身の悠馬は、中学校の時はすでに闇堕ちしていて周りのことなど見えていなかったし、祖父のいる東京で過ごした時も、周りのことなど見ていなかった。
加えて、朱理は暮戸に軟禁されていた上に、移動手段は基本的に車。
窓の外から見る景色としか関わりがなかったのだ。
そんな2人が突然人通りの多い通りに、しかも2人きりで出るというのは、普段なら考えられないことだろう。
「ひ、人多いな…」
辺りから聞こえてくる、音楽や人々の騒音。
そして会社帰りだろうか?
異能島は普通の会社がないため、大人がたくさん歩いているという光景を見ることはないため、驚きを隠せない。
その人通りの多さ、そして歩く速度に圧倒された悠馬は、若干引きつった表情で呟く。
「…とりあえず、人の少ない方へ向かいませんか?飲食店とかでもいいんですけど」
どうやら朱理も、悠馬と同じく人の多さに圧倒されたようだ。
ホテルを出て早々、飲食店か人混みの少ない方へ向かおうとする朱理。
そんな彼女の手を引きながら、悠馬は辺りを見回す。
この人通りの多さなら、他の学生と遭遇することはなさそうだ。
「手、離さないでね」
「はい」
朱理の返事を聞いてから、人通りの少ない道を選びながら進んで行く。
そして歩くこと数分。
某有名コーヒーチェーン店を発見した悠馬たちは、その空間にも普通に社会人がいるという光景を見て驚く。
何度も言うが、異能島の飲食店は学生だけで賑わっているもの。
朱理は異能島が普通、全て異能島基準で物事を考えていたため、尚更だ。
彼女の表情には、いつものような余裕はなかった。
かくいう悠馬も同じだ。
なぜなら悠馬も、小学生時代は親につきっきりで、自分1人でコーヒーチェーン店へ足を向けることはなかったし、中学の時も復讐のために過ごしてきた。
つまり悠馬も、朱理と同じく異能島以外の普通の光景を目にするのは、ほぼ初めてなのだ。
そんな悠馬が、果たして朱理をエスコートできるだろうか?
答えは否だろう。
夕夏を連れてきた方が良かったんじゃないのか?と、悠馬の頭の中は大混乱だ。
「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりでしたらこちらまでお越しください」
ほんの十数秒の思考、現実逃避、脳内会議。
数秒にも満たない出来事であったが、店員は悠馬たちが店に入ってきたことに気づいた様子で、レジへと誘導してくる。
悠馬と朱理は、言われるがままにレジへと向かう。
「えー…っと…」
レジの前に置いてあるメニュー表を見て、悠馬はあることを思い出す。
冷静に考えて見たら、悠馬は異能島内でもほとんど外食をしていなかった。
もしこの状況に1番近い外食があったなら、ドーナツ屋さんだ。
しかし、ドーナツ屋さんは品揃えが豊富なわけではないし、どちらかといえば自分たちで好きなものを取って行くようなモノだ。
それなのに、某有名コーヒーチェーン店ときたらメニューが多すぎる。
何でこんなにメニューが多いのかと尋ねたくなるほどだ。
一体都会人は、こんなに大量のメニューから何を選んでいるのだろうか?
田舎(?)出身の悠馬は、都会の品揃えの多さに出鼻を挫かれ、逃げ出したい気持ちに襲われる。
もしかすると、店員から「田舎者め(笑)」と思われているかもしれない。
「私はこれで」
心に余裕のない悠馬とは裏腹に、朱理はすぐに注文を決めたようだ。
朱理が指差しているのは、ホットコーヒー。
朱理と数ヶ月共に生活してきたが、コーヒーを飲んでいるところなんて見たことがなかった悠馬は、少し意外そうな表情をする。
しかし、彼女がコーヒーを飲んでいる姿をイメージすると、かなり映える絵になると思う。
まぁ、和風のお屋敷で着物を着てお茶でも飲んでいる方が、数倍似合うと思うが。
「俺も同じやつでお願いします」
「かしこまりました。お会計が980円になります」
2人の注文を慣れた手つきで打ち終えた店員は、ICカードをかざす機械を指差しながら支払いを求めてくる。
異能島と同じく携帯端末をかざした悠馬は、何の問題もなく支払いを終え、空いている席を探そうと移動を始める、が。
「すみません、こちらでお待ちください」
異能島とは全く勝手の違うシステム。
というか、悠馬はこの店自体訪れたことがないためシステムがわからなかったと言い訳をさせてもらおう。
レジの横の受け取り口を指差した店員の指示に従い、2人は大人しくそこで待つ。
待つこと1分ほどだろうか?
二つのカップが手渡され、悠馬と朱理は空いている席を探して歩き始めた。
「お店の中も人が多いですね」
辺りをキョロキョロと見回す朱理の率直な感想のようだ。
スーツ姿で飲み物を片手にパソコンとにらめっこをする社会人や、この周辺の学生なのだろうか?グループで騒ぐ学生など、よく見ると近しい年代の学生も多いようだ。
それだけで少し安心する。
ちょうど二つ空いている席を見つけた悠馬は、朱理と一緒に座る。
2人が座ったのはテーブル型の席ではなく、カウンターのような形状の席で、異能島と同じくあまり人気のない席のようだ。
カウンター席というのは、学生にとってはあまり嬉しくない席でもある。
なぜなら普通、学校帰りにどこかに寄るとなると、複数人で訪れることが多い。
例えば4人で訪れて、カウンターのような横一直線に並ぶ席だったら話しづらいし、端と端の話も聞きづらくなる。
それに比べてテーブル席だと、向かい合って座るため話しやすいし、声を張らなくても済むのだ。
社会人は1人でくることも多いためか、カウンター席もそこそこ使われているものの、それでもテーブル席と比べると人が少ないのは確かだ。
悠馬と朱理は2人きりのため、カウンター席でも何の問題もなく、席に着く。
「そういえば、朱理コーヒー飲めるのか?」
「はい。…多分」
互いに席に着いた後、悠馬は疑問に思っていたことを口にする。
最後に聞こえた多分…という言葉が引っかかるが、多分大丈夫だろう。
朱理が白いカップを両手で握り、手を温めている様子を眺めている悠馬は、彼女に微笑みかける。
「寒かった?上着貸そうか?」
「いえ、そういうわけではないですが…このカップ、何というか、心地よい暖かさなので…」
カップの温度。
確かにそれは、言われて見るとそうかもしれない。
火傷もしないし、かといってぬるいというわけでもない。
「苦っ…」
朱理の話を聞いていた悠馬は、彼女が小さな声で苦いと言った声を聞き、コーヒーを飲みながら振り向く。
「ちょ…その顔写真撮りたい…」
コーヒーを飲んで、渋そうな顔をした朱理がすごく可愛らしい。
いつもの朱理は、余裕のある表情や真顔、微笑むことしかしないため、こういった彼女の別の一面を見てしまうと、どうしても胸がときめいてしまう。
「や…撮らないでください。恥ずかしいです」
どうやら朱理は、そういった表情を見られるのをあまり好まないらしい。
まるで有名人のように、悠馬が持ち出した携帯端末のカメラのところを手で覆った朱理は、「画像ではなく記憶に焼き付けてください」と付け足すと、再びコーヒーを口にする。
そしてまた同じ表情を浮かべる朱理。
今度はちょっとだけ舌を出して、渋さに耐えきれなくなっている様子だ。
慣れると思って、もう一口飲んで見たのだろうか?
とにかくその仕草の一つ一つが、すごく可愛らしい。
「はは…可愛いなぁ…」
朱理の表情を楽しむ悠馬は、苦そうな顔をする彼女を見つめながら微笑みかけた。
学校行事で宿泊するのって、なんだかドキドキしますよね




