地獄の夕食
「ぅぅぅ…」
夜、暁悠馬の寮にて。
悠馬は窶れた表情で、トイレに引きこもっていた。
「お腹痛い…気分悪い…」
その原因は、今日の放課後の出来事だ。
朱理の美味しくない手作りドーナツを、見事10個完食した代償が少ないはずもなく、悠馬はこうして、トイレに引きこもっているのだ。
「朱理…何入れたんだよ…」
怒ってはいないが、何が原因であんなに不味くなったのか気になる。
夕夏や花蓮が料理を上手く作れる上に、美月もそれなりに料理が上手いため、完全に油断をしていた。
塩味の効いたような、苦味のあるドロっとしたドーナツを思い出した悠馬は、全身に鳥肌をたて表情を青くする。
「なんて言って、美味しくなかったって伝えよう…」
朱理の料理は、お世辞にも美味しいと言えるものではなかった。
もし仮に彼氏が悠馬じゃなかったら、その場で吐き捨てるくらいの美味しさだと思ってもらっていい。
そんな朱理の料理を、どうすれば傷つけることなく、不味かったと伝えられるだろうか?
今まで一度も美味しくなかったと伝えたことのない悠馬にとって、どう伝えるのかというのはかなりの問題だ。
「俺の口には合わなかった…?」
そんな言い訳をしてしまえば、ではお口に合うように作り直します。と言い始め、別のものを食べさせられそうだ。
「夕夏の方が美味しく作れた…」
それは絶対に言ってはならない。
朱理は夕夏と比較されるのを好まないようだし、夕夏を比較対象に出せば、逆に料理を量産する可能性がある。
「八方塞がりだな…」
1番手っ取り早いのは、女子たちに根回しをして、朱理にドーナツを作らせないこと。
そしてもう1つは、これから一生、死ぬまで朱理に料理をさせないことだ。
「朱理を傷つけたくはないし…やっぱ、裏で根回しした方がいいのかな…」
自分のことを想ってくれている人に、飯が不味いなどと言いたくはない。
それとない言い訳を作って、朱理に料理を作らせないようにしよう。
そう結論付けた悠馬は、扉を叩く音を聞き顔を上げた。
「悠馬さん、ご飯ができました」
「ありがと。すぐに行くよ」
トイレに引きこもっていた悠馬は、朱理の声を聞いて頬を緩める。
「可愛いなぁ…」
デレデレな悠馬は、これから起こる悲劇のことなど知らずに、幸せの余韻に浸っていた。
***
「ごめん、待たせちゃった」
「ううん、ぜーんぜん、ささ、みんなで一緒に食べよっか?」
「そうですね」
いつもと変わらぬ食卓。
変わったことがあるとするなら、9月に入ってから、食卓を囲む人数が1人増えたということくらいだ。
入学当初から変わらぬ自分の席に着いた悠馬は、いつもとは違ったご飯の色に首をかしげる。
「あれ?今日はなんか、いつもと違う?」
何かが違う気がする。
悠馬の危機察知能力は、いや、悠馬の直感は、自身の体に危険を知らせてくる。
「実はね、今日のご飯、誰が作ったと思う?」
嬉しそうな夕夏。
悠馬はというと、唖然としていた。
待って。待ってくれ。
夕夏が作っていないってことはつまり、そういうとだろ?
この寮で共に過ごす人物は、そう多くはない。
夕夏に朱理、花蓮に美月。
花蓮と美月は姿が見えないため、わざわざ寮にご飯を作りに来て、そのまま帰ったなどということは考えられないだろう。
ならば消去法で残った答えは1つ。
今日のご飯を作ったのは、間違いなく朱理だ。
全身から血の気が去って行く。
多分、これが本当に、死を意識した人間に起こるものなのかもしれない。
悠馬は全身が冷たくなっていくような感覚にとらわれ、震えが止まらなくなる。
「朱理…が作ったんだよな」
「うん!せーかい!」
「はい♪是非是非、お召し上がりくださいませ」
知ってるか?こんなに屈託のない笑みを浮かべてるのに、飯はクソ不味いんだぜ?
ドーナツを思い出す悠馬は、今すぐこの場から逃げ出したいという気持ちに囚われながら、手を合わせた夕夏と朱理に続いて、手を合わせる。
これでは一同合掌、礼拝…だ。
本当に今日、この中から死人が出るかもしれない。
『いただきます』
いただきますをした直後に、味噌汁へと手を伸ばす夕夏。
悠馬はというと、ご飯に手を伸ばさない。
伸ばそうと思っても、本能的にそれを拒否してしまうのだ。
身体が動かない。
夕夏は味噌汁を口に含んでからわずか数秒で、青ざめた表情へと変貌してしまった。
「朱理…何これ?」
「何って?ご存知ないんですか?お味噌汁ですよ」
「うん、見た目は味噌汁だね。…でも…ちょっと、自分で味見してほしいな…?」
「おかしなことを言いますね。まぁ、いいでしょう」
朱理の様子を見るからに、調理中の味見は一切していない様子だ。
まぁ、味見をして入ればドーナツの時点で不味いことは気づいているだろうし、味噌汁だって作らなかっただろう。
自信満々の朱理は、味噌汁の入ったお椀を手にすると、上品に味噌汁を飲んで見せる。
そして数秒の硬直。
「……なんですか。この不味い味噌汁は…!」
初めて聞く、朱理の叫び声。
叫び声も可愛い。
口に含んだ味噌汁をお椀の中に戻した朱理は、青ざめた表情で夕夏を見る。
「何をしたらこんなに不味くなるんですか?」
「それこっちの台詞だよ!朱理、何入れたの!」
「え?普通に、夕夏と同じ具材しか使ってませんよ?」
確かに、朱理は夕夏が作る味噌汁と同じ具材しか使っていない。
ドーナツの時だって、多分塩と砂糖は間違えていただろうが、残りの食材はすべて、クラスメイトと同じものを使っていたはずだ。
つまり朱理は、みんなと同じ食材を使っても、ご飯を不味くするという才能があるわけだ。
味噌汁の具材を何度も確認する夕夏は、確かに自身が使っている具材と同じものしか入っていないことを知る。
「ちゃんとお味噌の量とか計った?」
「計ってないです」
「そんなの、失敗するに決まってるよ!」
「ドーナツの時は失敗しませんでしたよ?」
ドーナツの時は、目分量でも悠馬が全部食べてくれた。
自分の作ったドーナツが美味しいと信じてやまない朱理は、ポケットからラップに包まれた何かを取り出すと、自信満々にそれを開く。
「これが成功例です」
いや、それも失敗例だよ?朱理。
心の中でそう呟く悠馬は、2人で話し合いをする夕夏と朱理を見つめる。
「……朱理、それ食べてみてよ」
「まぁ、最初から私1人で食べようとストックしておいたものなので。夕夏に渡すものは最初からないですよ」
味噌汁は不味くても、ドーナツは美味しいに違いない。
悠馬が必死に誤魔化したせいで、妙な自信がついている朱理は、余裕の表情でドーナツを口にする。
「ぺっ…まっず…」
ドーナツを口にして、僅か数秒。
朱理は見事に、自分の手作りドーナツを吐き出した。
「やっぱり…」
夕夏の疑惑の視線が、悠馬に向けられる。
夕夏は悠馬が嘘をついて、美味しいと言って食べていたことに気づいたのだ。
いや、誰だって、こんな美味しくない味噌汁を出されたら、この子は料理が下手くそなんだろうな。とすぐにわかる。
なにしろ味噌汁なんて極論を言えば、野菜を切ってお湯に味噌を溶かすだけでいい。
そんな単純明快な作業で失敗するのなら、ドーナツなんて作れるはずがないだろう。
「悠馬さん、よくこんなに不味いドーナツを食べられましたね…ドン引きです」
「いや、朱理、君が作ったものだよね?」
頑張って食べて、美味しいというお世辞まで言ったのに、ドン引きされる始末。
もし仮に、あの不味いドーナツを作ったのが彼女以外の誰かだったのなら、悠馬だって朱理のように吐き捨てていた。
叶うのなら、吐き捨てたいと思いながら10個も食べたのだ。
「悠馬さん、味音痴ですか?」
「不味かったよ!しっかり不味かったから!頑張って食べたんだよ!朱理が一生懸命作ったものだから!」
本音を口にする悠馬。
味音痴だと言われたのが心外だったのか、少し怒っているご様子で声をあげる。
「私が作ったものだから食べてくれたんですか?」
「当たり前だろ!好きな人の…彼女の手作りは、できる限りは頑張って食べるよ!」
今日はもう無理だけど。
貰ったドーナツが一個だったのなら、この夜ご飯だって、頑張って食べることはできただろう。
しかしながら、悠馬は朱理が一口で吐き捨てるほどの不味さのドーナツを10個も食べているのだ。
体が限界というか、受け付けない。
「あの…その…ありがとうございます…そんなこと言われると…少し照れちゃいますね」
「朱理が…」
「デレた…」
好きな人の、彼女の手作りだから食べた。
悠馬がそう明言して見せると、朱理は初めて頬を赤らめ、顔を隠す。
どうやら夕夏も、朱理がデレたのは初めてみたようだ。
異能祭の時も、暮戸の一件の時も、デレたような素振りは見せなかった朱理。
悠馬は正直、口では愛していると言ってくれてはいたものの、朱理に本当に愛されているのか、好きでいてくれているのか、そういった不安を抱いていなかったと言えば嘘になる。
しかし朱理のこの姿を見れば、彼女が誰を想っているのか、否が応でもわかる。
朱理は悠馬のことを、本気で好きになっている。
「で、デレてないです」
「じゃあ、悠馬くんの目見て話してよ」
「そのくらい…いつだってできま…っ!」
夕夏に唆され、悠馬の瞳を見つめようとする朱理。
彼女は悠馬と視線が合うと、フイっと目を逸らし、その場で顔を隠した。
「ダメです…!あんなこと言われたら、誰だって意識してしまいます!うぅ…悠馬さんの前では、こんな姿見せたくないのに…」
「朱理、たまにはそういう一面も見せてくれても嬉しいな。俺は朱理の全部が好きなつもりだし、そういうデレた朱理も、すっごくいいと思う」
別に、隠すほどのものじゃない。
朱理がどんなにデレようが、どんな性格だろうが、悠馬が好きなのは、朱理自身なのだ。
だから嫌いになんてならないし、どんな姿だってさらけ出してほしい。
たとえ醜くたって、全て受け入れる自身と覚悟はできているから。
「そんなこと言っても…私にもプライドがありますので。こういう私を見たいのなら、力づくでデレさせてください」
「力づく、ね…」
朱理にもプライドはある。
悠馬の前では、優しいお姉さん風の、一切デレない余裕のある人でいたかったのだろう。
だから今後、今のようにデレることは、滅多にないと言ってもいい。
デレさせたいのなら、力づくでやってみろ。
朱理の挑戦状とも言えるその発言に笑みを浮かべた悠馬は、夕夏と視線を合わせ、微笑む。
「あはは。2人とも距離が近くなって、私はすごく嬉しいな〜」
「夕夏のおかげだろ。ぷにぷにだな〜」
横に座る夕夏の頬をムニムニと触っていると、自然に頬が緩んでいく。
「も、もぉ…!くすぐったいよ…!」
悠馬に頬を触られ頬を赤らめる夕夏は、照れたように悠馬の手を払い、おもむろに席を立ち上がる。
「私はご飯作り直してくるから。2人はちゃーんと椅子に座って待っててね」
「はーい」
「はい」
ようやく、地獄の料理から解放される目処がついた悠馬。
悠馬の瞳には、いつものような幸せそうな光が戻っている。
「そういえば悠馬さん、私、花咲花蓮さんに会って見たいです」
「花蓮ちゃんに?」
何気ない雑談。
異能島に転入してから僅か数日、朱理は花蓮のことが気になっているようだった。
それもそのはず、花蓮は悠馬の1番最初の恋人。
夕夏には色々と聞かされているだろうし、2人の会話にも度々出てくる。
同じ恋人としては、一度くらい顔を合わせて、話しておきたいのだろう。
「はい♪悠馬さんが1番最初に愛した人を、見てみたいんです」
「うーん、ちょっと連絡してみるね」
花蓮にもお仕事や学校行事の準備があるため、悠馬の独断で即オッケー、と言うことはできない。
花蓮に連絡を入れると言った悠馬は、携帯端末を取り出し、彼女へとメッセージを送る。
「花咲花蓮さんって、かなり有名な方なんですよね」
「うん。多分だけど、異能島に通ってる学生ならみんな名前は知ってるだろうし、本土の学生も大体知ってると思う」
花蓮の知名度はかなりのものだ。
朱理は暮戸に軟禁されていたせいで何も知らないかもしれないが、きっと学校に通っていれば、一度は耳にする人物の名前だと言っても過言ではない。
「聞けば異能島で1番の美人だとか」
「まぁ、そんなことも言われてるかもしれない」
彼女が周りの学生から、そんな風に呼ばれていると知らなかった悠馬は、少し恥ずかしいのか頬を掻きながら答える。
そんな中、携帯端末が一度光り、悠馬は携帯端末に映し出された文字を見つめる。
「花蓮ちゃん、今週の土曜なら空いてるってさ」
そして突然決まる、朱理と花蓮の2人きりデート。
朱理は悠馬の返事を聞いて、歓喜した。
不味いご飯…少し興味があります




